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最近の若者は見かけによらず「夜と霧」


先日、都内某メトロに乗り込むと対面に20代と思しき若い男性が座っていた。ヨレヨレのロックTに穴が開いたボロボロのジーンズ、キャップを深くかぶりヘッドフォンをして足を組み、スマホ片手にふんぞり返っている。都心では別段珍しくない光景だ。

しばらくしてふと顔をあげると、なんとその若者はみすず書房から出ているフランクルの「夜と霧」を読んでいた。全く同じものをこれまで何度も読んできたために、その背表紙からすぐにそれと分かった。ちょうどこの若者の年頃のとき、私も始めてフランクルを読み、計り知れない影響を受けた。若者はいつしかヘッドフォンを外し足を真っすぐにして深く座りなおしていた。思わず見たその顔は真剣そのものだった。

「夜と霧」は言わずと知れた20世紀のベストセラーで、のちセーヌ川で遺体として発見されたパウル・ツェランが「死のフーガ」「黒いミルク」に書いたごとく、人類消尽の裾野たるホロコーストを生き延びた精神科医フランクルによるもの。「何のために生きるのか、果たして生きる意味とは」と問い続けたフランクルは、ここに絶望に瀕しても決して希望を失わず、人間をまったき人間たらしめるユーモアを見つめ、過酷な運命を呪うのではなく最後までその生を全うしようとする人間の姿をきわめて客観的に描いた。

現代でも(いや、現代だからこそ)光を見出せない人がいる。日々の生活の中で不安に押しつぶされてしまっている人がたくさんいる。それでも人はもがきながら、何らかの光明を探し求める。それがたとえ微かでも、1ミリの光は人を何歩も前進させる。フランクルの「夜と霧」は、そんな暗がりの中に射す一条の光であり、愛と希望の記録である。

この若者を見かけだけで最初に判断してしまったことが急に恥ずかしくなった。きっとこの「夜と霧」はこの子のこれからの長い人生に少なからぬ影響を及ぼすに違いない。「最近の若者は、見かけによらない」と、思わずコンコンとうれしさが沸き上がって、帰宅するや私もまたふたたび「夜と霧」を手にした。


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