陸上競技におけるお辞儀は誰のため??
今回のお題は陸上競技における試合前の選手紹介パフォーマンスに関する国ごとの特徴を見ることにある。。。
つもりだったが、その構想は頓挫し、
日本における選手紹介パフォーマンスの変遷について調べることにした。
もともと今回の検証では現在行われているブタペストでの世界陸上を事例としているのだが、日本も海外も表現の違いに大きな違いはなかったと考えている。
具体的には腕を広げて大きく自分を鼓舞するパフォーマンスや応援を煽るようなパフォーマンスなど、「激しい」表現が見られる。
⬆️これらはブダペストで行われている世界陸上の男子200mの試合前パフォーマンスの様子である。
どちらの選手も両手を使い、大きく表現しているように見える。
しかし、高校時代に陸上競技部に所属していた私としては少し違和感を覚える事態だった。と言うのも、日本で生まれ育った私の高校時代では、試合前の選手紹介ではお辞儀をする選手が大半だったからである。
言ってしまえば「謙虚」な表現ということである。これはガッツポーズや応援を煽るようなパフォーマンスとは一線を画すものである。
どういった経緯を経て、ブタペストに見られるような試合前のパフォーマンスへと変化したのかを考えていきたい。
ブタペストに見られるパフォーマンスの様子
私はこの文章を書く前、「外国人選手=「激しい」パフォーマンス、日本人選手=「謙虚」なパフォーマンス」をするだろうという憶測があった。
もちろん、近年の陸上競技においても日本人選手はお辞儀パフォーマンスなどをしている様子を見ることができる。しかし、それはあくまで侍を彷彿とさせるようなエンタメの一環として実感することが多く(例えば男子4×100mRの試合前のパフォーマンス。年度は忘れてしまったが、山縣選手が1走だったのは間違いない)、中高時代に見られるようなお辞儀とは違う認識を持つような気がしている。
ブタペスト世界陸上では、200mに出場した飯塚選手や鵜澤選手をはじめ、腕を高々と上げて鼓舞するような「激しい」パフォーマンスが見られたのである。この光景は私の予想を超えるものだった。
それは、私が高校時代に経験したお辞儀をする「謙虚」なパフォーマンスこそが当たり前だと思っていたからだ。「海外=派手なパフォーマンス、日本=謙虚(あるいは地味)なパフォーマンス」という前提が私の中で崩れた瞬間だった。
同時に1つの疑問が思い浮かぶ。それはどのような経緯でこのようなパフォーマンスの変化が日本人に起きていったのかということである。高校時代に陸上競技をやっていた私は確かに試合前にお辞儀のパフォーマンスを多く見ることがあった。ここからはその点について改めて見ていこうと思う。
高校時代における市大会-地方大会
結論から言うと、この規模の大会ではお辞儀のみのパフォーマンスが多かったように思われる。ここでいう地方大会とは、北海道、東北、北関東、南関東、中部、北陸、関西、中国、四国、九州大会のことを指している。
高校時代における
全国大会(インターハイや日本選手権)
このあたりになると少しずつ試合前のパフォーマンスに「激しさ」が増してきたように感じる。ここでは写真の掲載を省くが、例えば100mや200mの際には自分の身体の一部を叩き、叫ぶ様子も見られる。
少なくともこれらの様子から考えると、
上記の事例に加えて大学・実業団における様子も少しだけ考えてみる。大学では地方大会やインカレといった全国規模の大会が増えてくる。特に印象的なのは4×400mR(いわゆる地獄のマイル笑)である。
各学校や実業団は名前をもじったパフォーマンスをしていることが多い(例.R教大学であれば頭文字のRを手で作ったパフォーマンス、とある大学では某お笑い芸人のモノマネをしているなど多種多様)。
一方、記録会などにおいてはお辞儀などの「謙虚」なパフォーマンスを見ることが多いように思う。
大学や実業団の事例を見てみると、
やはり特徴的なのは
私は全国大会に出場したことないため、あくまで憶測ではあるが、多くの観客が見ているため自分を鼓舞しようとする狙いがあるのだと考える。
ある程度、お辞儀パフォーマンスに関する変遷については追うことができたので今回はそろそろ終わろうと思う。
しかし試合前の競技パフォーマンスに対する私の興味はまだまだ尽きていない。
例えば、そもそもどうして私たちは試合前にお辞儀をするのかといった経緯や上位大会に進めていない選手ほど自身を鼓舞するようなパフォーマンスをせずにお辞儀パフォーマンスをする心理的なメカニズム(私としては正直、お辞儀パフォーマンス=保守的な表現と見えてしまう)について考え切れていない。
今後とも考えを深めていければ良いなと思う。
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