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目だけ長瀬智也に似てる兄の話

今月で私は兄より三つ年上になった。

兄は三十六歳で亡くなったのだ。
事故死で、兄の不注意が原因だった。あと、運が悪かった。
今だから言えることだけど、誰も責めない、誰も恨まないで済む死に方は
実に兄らしかったと思う。

怨念を抱く対象がいないというのは、残された者にとって楽でもあるし、空虚でもある。
だから今でも私にとって兄は5年近く会っていない、でもいつでも連絡はとれる、そんな存在のままだ。
実際、残されたLINEやSNSのどのアカウントにコメントしても、応答はないのだけれど。

急に兄の話を書きたくなったのは、Spotifyから兄の友人の曲が流れてきたからだ。

その友人ともう一人の三人で
兄の高校時代は構成されていたのではと、妹の私は想像している。
モテないなりに彼女がいたことも知っているし、振られたことも知っている。でも、兄の高校時代はその友人ふたりによって、めちゃくちゃに色濃くて楽しかったと断言できる。

高校受験を前に必死に勉強していた私の部屋の、階段を挟んで隣の兄の部屋から深夜まで特大ボリュームの笑い声が聞こえていた。
騒がしすぎて、向かいの鈴木さんに怒られてもいた。
あの時は「バカだな」と思っていたけど、
あれは紛れもなく兄の「いい時期」だった。

兄の墓が実家の近くに建ったことを知らせてから、その兄の友人ふたりは命日にはオンライン飲み会をして、3月16日の兄の誕生日には墓参りに来てくれる。
そして、その写真をいつも私に送ってくれる。
たまに電話までくれる。
ただ妹なだけの私にまで。

兄の名前は「ひろし」というのだけど、
「〈ひろし〉って名前の酒を飲んだよ」という一文とともに
“ひやおろし”の画像が来た時はさすがに笑ってしまったし、

「忘れないでいてくれてありがとうございます」と伝えると、
「忘れられるキャラじゃないよ、あの髭の濃さは」
と、ユーモアたっぷりに返してくれる。
兄のおでこの狭さを共感してくれる人も少なくなって、
「おでこ2センチくらいだったよな」
と返してくれる人がいることに安堵する自分がいる。

どんどん兄の話をしてくれる人が少なくなっていくことに、
妹の私ですら話す機会が少なくなっていくことに、この世からいなくなるってこういうことなんだと突き付けられる思いがする。

手帳の後ろに挟んだ、遺影に使った兄の写真を
たまに見返して「目だけは長瀬智也なのになぁ」とつぶやく。

もっと話したいことがたくさんあった。
たったひとりのきょうだいとでしか、わかり合えない辛さもあった。
あーあ、なんで死んじゃったんだよ。
あーあ。あーあ。




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