絶対忘れるながやめられない 3
~会社員6人組がCDをリリースするまでの記録~
前回はこちら。
2011年
ぬるっと活動をはじめて1年半ほどの間に、志賀さんは曲をどんどん生み出していった。仕事は相変わらずハードそうだったけど、それにもかかわらず、というか、仕事の大変さやそれによって生じるストレスやしがらみに比例して作曲ペースが上がっていくようにすら見えた。
そして、録音が終わったものから次々とMySpaceに上げていった。再生回数は微々たるものだったし反応もほぼ皆無だったが、やっぱり世に出す瞬間はドキドキした(余談だがわたしは「うpする」というネットスラングの読み方を「うぴー」だと思っており、それをメンバーの前で口にしたらそれ以来「よし、曲をうぴーするか」などと言われるようになってしまった)。
この頃にうぴーしたと思われる曲たち
「貫地谷翠れんのテーマ」
「食いさしの焼きとうもろこし」
「あこがれの中央特快」
「霊場には祈りgirl」
「S.I.C.C.O」
「寵児りんりん物語」
「だぶってハニー」
「ときめきはメモリアル」
(他にもなんかあったら指摘してください>メンバー)
曲調は基本歌もので、たまにラップが入ったり入らなかったりした。たとえば「霊場には祈りgirl」という曲だと志賀さんがタイ人のモノマネ(?)をしたり、翠ちゃんが「わたしには娘がいまして 芋粥ばかり食べてまして」というフレーズを繰り返し歌うパートがあったりした。これが入っているのはいつかのライブで作った会場限定CDのみなので持ってる人は相当なマニア。
そして、わたしは志賀さんの作る曲たちがどれもだいたい好きだった。毎回「いいですね!」としか言わないせいで今も昔もわたしの意見はあまり参考にならないようだ(でも好きなんだもんなあ)。デモができるたびにめちゃめちゃ聞きこんだので自分のiPod(懐かしい)の再生回数がすごいことになっていて志賀・翠にいつも引かれていた。
なお4月の時点で「ぜわす」という略称を使っているのをmixi日記で確認。
2012年3月
セルラが1人暮らしの寂しさに耐えかねて志賀・翠と生活することを決めた。高円寺の1軒家を2世帯に分けたいわゆる「テラスハウス」形態の、味のある物件だった。後にぜわすハウスと呼ばれる家である。
サークルの頼れる同期たちに引っ越しを手伝ってもらい(サイト―、亮ちゃん、ゴトーくんありがとう)、家具の配置などを妹や幼なじみのスモール・ラ・伊藤さんに手伝ってもらって、無事こんな部屋になった。
また、断捨離の鬼であるスモール・ラ・伊藤さんの「これいらなくね?」という一言のもとなぜか前の家からもってきたドレッサーを庭に出された。「天気がいいときは外で化粧しなよ!」とかなんとか言われたまま放置して、しばらく雨ざらしになっていた。写真は実践してみせてくれているスモール・ラ・伊藤さん。
そして、もう一人入居してくれる人が欲しかったので、ちょうど高円寺に転職を決めたバンドサークルの先輩をお誘いしたところ快諾してくれて、彼も同じタイミングで引っ越してきた。
2012年6月3日
入居することになった先輩はギターがうまかったので、志賀さんが「ギター1曲だけ弾いてよ」とお願いしたのをきっかけに、なしくずし的にぜわす自体に加入してもらうことになった。
「ピーチジョン万次郎」爆誕の瞬間である(本人は後に「志賀にハメられた」みたいなことを言っていた)。
みんなでぜわすネームを考えたとき、ちょうどサッカーで日本vsオマーン戦をやっていたので「オマーン小室」になりかけたが本人が「いやだよ」と言ったのでPJMになって今に至る。
そして同日、絶対忘れるな初のUstream番組「AofBはBのA」配信開始。
最初のUstはたしか志賀さんが即興で「有希子という名の女がいる」という曲を作って、万次郎さんがそれに合わせてギターを弾いていた。
そこからは不定期に、思いついた時にUst配信を行っていた。仕事から同じ家に遅めに帰って、近所のスーパー「Big-A」のプライムドラフトという第三のビールを飲みながらとりとめもない話をした。
本当にとりとめのない話をしすぎてほぼ何も覚えていないけど、過去のツイートを見ると(ついろぐって便利)なんか相談コーナーをやったり、世間話をしたり、音楽を作ったりしていたらしい。
"パイパンの歌"は後に「PPCK」というタイトルでリリースされることになるけどここでは割愛。
なお、当時千葉に住んでいたアルバ伊藤さんはよくコメントで参加してくれていた。あとアルバさんはぜわすの活動を周囲に秘密にしていたのもあって顔出ししていなかった。「絶対忘れるなのテーマ」という曲のアルバさんバースに"顔は出さないコメントで口出す"とあるのはそこから。
そして、Ustの話をするのに欠かせないのが「wikipedians」の存在。どこからともなくぜわすのUstを見つけて集まるようになったぽいたさん、でれさんという2人を核として(時にアルバさんも交え)、わたしたちが配信中に「あれなんだっけ、えーと」みたいなことを言うと一瞬でコメントにウィキペディアの概要部分が貼られるという匠のウィキ芸がしばしば見られた。スクショがないのが悔やまれる。
Ustを始めたばかりの頃、ぜわすはまだ一回もライブをしていない。もちろんファンなんてものも存在しておらず、よくまだ見ぬファンの話をして盛り上がっていた。なのにこのUstがきっかけで不思議とぜわすに興味を持ってくれたwikipediansをはじめ数人の方たち。まごうことなき最古参である。今でもSNSでつながっていて、新譜を聴いたりしてくれていたりするらしい。いまだに会ったことのない方もいるんだけど、すごく感慨深いし、改めて変な人たちだなあ、と思う。
このころになるとSNSもmixiからtwitter、facebookにほぼ移行。時代だね。
次回はいよいよぜわす初のライブ!そして、まだ出てきていないあの人がようやく登場します。
つづく。
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