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考えつづけたいことの一つ

考えつづけたいことの一つの話について、書き残しておきたいと思うことがあって、ちょうど時間もあったので書いておくことにする。

ここ数年前から「やさしさ」について考えてきた。
やさしくありたいと思って、世の中がやさしくなるためにできることをしたいなと思っていた。

今もやさしさとはなんなんやろうなあってよく考えたり、私はやさしくできているのか、それは周りの人にとってはもちろん、自分にとっても、そしてものや動物、自然、地球にも。

最近は自分にやさしくできていなかったみたいで、人から自分にやさしくする期間をとってねと教えてもらうことになってしまった。
これはまた落ち着いたら後日談とかで書ける日がくるといいなと思っている。


そんな中で、あるnoteの記事をスクショした画像を見直すきっかけがあった。
それは、やさしいのヒントがもらえる世界をつくっておられている方の1人なのではと勝手に思っている方の『「利己的な遺伝子」とやさしい社会』という記事の中にある言葉で、そこから「やさしさ」だけじゃなくて、もう一つ考えつづけたいトピックである「愛」についても気づきがあった。

やさしくあるために必要な想像力と知性という章題の中には、
『やさしい人というのは、人の痛みを自分の痛みとして感じることができる想像力を持ち、利他的であることの合理性を捉える知性を持った人なのではないかと考えています。』と書かれていた。

また、それはフロムが言った「愛することは技術である」と似ているようで、フロムは愛は能力であり「真の意味で人を愛するには、自分の人格を発達させ、それが生産的な方向に向くよう全力で努力しなければならない」と言ったそう。

『やさしさや愛を自然と生じてくるあたたかい感情と捉えるのではなく「覚悟」であり「意志」であると捉えるということです。
なんとなく相手を喜ばせれば良いのではない。「やさしさ」を問い直し続ける姿勢が本当のやさしさなのだろうと感じます。』

上記のように書いておられる櫻本さんに救われたようで、大切にしたい考えだなと思った。
そして、私もこれからもこう思う、ああ思う、いや違うのか、いやそうなのかもしれないとやさしさを問い直し続ける姿勢を持っていたい。

「やさしさ」、「愛」についてまだまだ迷ったり、もがいたり、分からないなと思うことがたくさんやけど、それを問うて考えつづけて生きたい。



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