「三島由紀夫が言う『ディレッタンティズム』」

曲亭馬琴原作『椿説弓張月』三島由紀夫(中公文庫)

本書には、昭和44年11月5日〜27日にこの脚本で上演されているとあるから、三島由紀夫が亡くなるちょうど一年前に、三島由紀夫の脚本と演出によってしかも作品としては初演で国立劇場にかかった歌舞伎である。(一篇全3幕8場のまとまったストーリーで上演されたのはこの時が最初である。)

この本(脚本)については、まず、本編のあとに書かれている「『弓張月』の劇化と演出」にある「ディレッタンティズム」という言葉について書いてみたいのだ。正確に言うなら「三島由紀夫が言う『ディレッタンティズム』」についてである。

ディレッタンティズムという言葉はアマチュアリズム、素人のやること、つまり本業ではないことに手を出した時にやる仕事という意味である。一般的には「プロ意識(※)を持った上での仕事」の対極にある言葉と言えよう。

(※このプロ意識という言葉、正確に言えばプロ意識を持っていると言う(宣言する)人に、私は強く稚さを感じている。)

以前、私はこのことをすでに書いたのだが、その時はイタリア語の習慣的な感覚でディレッタンティズムを「道楽」と訳した。言葉の意味としては間違いないのだが、あらためて読んでみると三島由紀夫がわざわざ「ディレッタンティズム」と言うことの意味の深さを観じたたからである。

実際の三島由紀夫の文を読む方がよほど感じてもらえると思うので、以下に引用する。

”むかしの浄瑠璃作者や歌舞伎作者は、そんなことはみんなカンで知っていた。俗語を使っても、俗語が様式とどこまで馴染むかは、職人のカンでよくわかっていた。現代のわれわれはそうは行かない。擬古文を書くこと自体が、ディレッタンティズムであり、一定の知的教養の所産である。こういう教養の産物が、いきいきとした歌舞伎の生成期の作品の息吹を、どこまでわがものにできるか、それは不可能に近い無謀な「実験」になるのである。”

「三島由紀夫が言う『ディレッタンティズム』」には、浄瑠璃作者や歌舞伎作者に対する敬意があることは言うまでもない。

さて三島由紀夫は、原作「椿説弓張月」の劇化の困難さ(事実三島由紀夫が脚本を書くまで全篇通しでの歌舞伎は興行されなかったのだから)の理由に、政治的背景をあげている。そもそも私が「椿説弓張月」のことを書き始めたのは、主人公である鎮西八郎源為朝が伊豆大島に流罪となって、その後創作部分として琉球王国の建国に深く関与したくだりがあるからである。

三島由紀夫の「椿説弓張月」では、大嶋(伊豆大島)から話を始め、実際の島流しになるまでのエピソードは大嶋のシーンに組み込まれている。三島由紀夫は「悲劇の缶詰」にした、と言っている。

つづく

写真は、1851〜1852年頃の作品だとされる、歌川国貞の「為朝弓勢之圖」(ためとものゆんぜいのず)情報源:大英博物館

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