axis mundi 世界軸

ここからは、最終章「聖地の定義」に附加したいことである。

ミルチア・エリアーデによれば、聖地には(「中心のシンボリズム」という名で)axis mundi 世界軸、世界樹、宇宙樹が存在する。私のフィールドワークでは、本当に樹(木)、しかも大木であることが実に多く、また、この概念にはっきりと出会った日あるいは翌日(はっきりと記憶しないがつまり同時にということである)に、所有する土地(山)の契約書に、別の小さな山が含まれていることがわかった。そこには、海抜138メートルの山の上に、一本だけ、それほど大木とはいえないが、立派で健康なクワノキがあった。黄緑色を帯びた金色に葉が輝いていたので、ジェルソ・ドラート(金色のクワノキ)と呼ぶことにした。

さて、聖地に存在する樹木には、神社などの神木である場合も、神社の本殿裏の、あるいは奥宮あたりの、とてつもない数々の大木を見てきた。これらはクスノキ、スギなどである場合が多く、「何かが宿っている」と思わせる。本来「神籬」とは、(神が)宿っているのではなく、宿ったこと(宿らせたこと)がある大木が始まりではあるが、気配を感じてしまうのだから仕方がない。

大木である場合と同時に、巨岩、奇岩、また巨岩に根付く大木であるものも見てきた。いずれも、山や森の中である。修験道と森の中で出会った。彼は法螺を吹いた。草も特別に長いトゲを持つものなどがあって、眺めていたら「アリドオシ」(蟻を(トゲで)通してしまう)だと知った。

こういう特別な空間には、巨木、巨岩などの「axis mundi 世界軸」が存在し、その(軸としての)作用はというと、陰陽を反転、未来と過去がつながる、ジョーゼフ・キャンベルによれば時間(有限)と永遠(無限)が共存し、あるいは世界軸そのものがそのシンボルであるとする。

『未来は常に過去を変えている』というのは、過去を知る(認識する)今という時点と未来がもたらした情報(を認識する)の時点の接点ということであろう。

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