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そういや若い頃恋愛モノが描けなくって心身ぶっ壊してましたわ、みたいな話をここのところしていたんだけど、それは自分の無意識とのつきあいかたが理解できていなかったからだ、というのもある。

漫画は精神分析の箱庭療法と同じで無意識の表象が出るんだけど、それが無意識の表象である、と気づくことじたいが難しい。商業漫画には無意識の表象じたい、なかったことにされているからだ。

でもなんか今、現場にいると、そういうメンタル面がひどく厄介になっている気がしている。

私たちが若い頃はアレに向き合う猶予があったんだけど、今は全然ないんだ。全然ないまま、過当競争の海にほおりこまれてるかんじで、メンタルが足を引っ張っていてもよくわからない。わからないまま戦って勝ち抜かねば、みたくなっているのが、なんだかこう、地獄のようだな、みたいな気がしている。その地獄みじたいが、見えているひとがすごく少ないかんじがするんだ。現場にいて、なおかつ、心理学の教養があるひとたちだけだ。全然いないわけじゃあないけど、少ないだろう。

資本主義、新自由主義的な過当競争だけだってすごいつらいのに、自分の無意識との向き合いかたもよくわかんないのにいきなり創作をやっているのだ。ちょっとしたことで気が狂うような、そういう危うさがあるんだよね。おそらく、体調を崩す、とか、身を持ち崩すひとが出てくるだろう。てゆうか、もう出てきているだろう。そこからの復活も難しい、となれば、そのひとの環境によっては命がけになってくる。

表象を理解できるひとが、見ることができるひとがほとんどいないからって、それが無いわけじゃあないんだ。たしかに存在している。

その危険が、そこに在る。

その状態で必要なのは綱渡りするような、アクロバティックなバランス感覚なんだけど、それを身につけるまでがさぞかしたいへんだろう。

この本思い出す。

そういや下巻を読んでいなかったな。

ええと、あまりにも世の中が不確実になって、勝ち続ける、みたいなことも難しいときに必要になってくるのが、反脆弱性、という概念だ、という、哲学の本だ。

脆弱である、ということの反対は、強い、のとは違う。それが反脆弱性。たとえば、宅急便の梱包のようなものだ。割れ物を包む緩衝材はふかふかしていて軽くて柔らかい。鋼のような強さとは正反対だけど、衝撃に強いんだよね。そういう、柔らかい強さのことを、反脆弱性って言うんだよ。

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