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そんなかんじで、若い頃は特定のものがどうしても描けず、描こうとすると心身を壊していたんだけど、今は誤魔化し方が上手くなっただけなのかもしらん、と思うときもある。

たとえば、恋愛至上主義的な物語は今でも苦手なんだけど、女性の人生にちょっと恋愛が入ってくる場合だったら好きだったり、男性目線が多いと大丈夫だったり、そういう微妙な位相のズレで恋愛ものに対応しているのかも。

今も真っ向から恋愛至上主義的な物語を描こうとすると、心身のバランスを崩してしまうのかもしらん。

なにがこれほどまでに業界に適応できないのだろうか、自分でもよくわからない。なんでも描けるね、みたいに言われることもあるんだけど、逆で、描けないもののかわしかたをよく知っているだけなのではないだろうか。

よくわからないことは他にもある。ひとと見えてるものが違いすぎて戸惑う、みたいなことが多い。私はデフォルトで社会不適応だ。見えてるものが全然違うことをひとに話さなければ混じれるけど、話すと混じれず、同じもんを観ている人間は少数派だ。いないわけではないけれど。政治や経済ばっかり気になって観ていて、ネトフリ中毒だからネトフリも観ているけど、それは仕事も兼ねているからな。物語作るのが仕事なので。

ここのところは、ずっと経済のことが気になっている。たまらなく気持ちが悪い。うわー気持ち悪い、と思いながら、しかし、なにごともないように日常が続いていく様を観ていると、自分は社会不適応だな、とつくづく思う。日常の裏が気になってしかたがないところが、だ。ときどき、悲鳴をあげそうになるんだけど、その悲鳴をぐっとこらえているような、変なかんじがしている。私はひとよりも平穏な現実で暮らしているつもりなんだけど。

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