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キムチ・ケーキ

Xのほうで「それ認知資本主義や」って話してるんだけど、実はずいぶん以前から、みんな知ってる有名なやつある。

恋愛(ロマンティックラブ・イデオロギー)だ。

自分たちのおじいちゃんやおばあちゃんの頃、恋愛結婚は珍しくって、見合い結婚ばっかりだった、って知ってる?

恋愛は昔から無かったわけじゃないんだけど、資本と結びついて大流行、みたいになったのがわりとここ100年くらいで、しかも、昔は結婚と結びついてはいなかった。

みたいな話をしてたのか小谷野敦さんだった気がする。最近、Xで小谷野さんにたまにいいねされてびびっている。

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斎藤美奈子さんのモダンガール論でも、似たような話が載ってた気がする。

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昔の家父長制って、今と比べるとものっすごい酷かったんだって。本気で馬とか牛の扱いに近い。馬車馬ってやつだな。家族と一緒にご飯食べられない。下座でささっとかきこむように食べる。出産後もすぐに働かされて、産後の肥立ちが悪くてバタバタ死ぬ。まさに産む機械扱いだ。下流階級の女性たちにとって、自分に優しくしてくれる男性と結婚して専業主婦、というライフスタイルは憧れだった。専業主婦は、女性たちにとって、一種の昇格だったのだ。だから戦後、ものすごい勢いで普及した。それが結果的に、核家族制度の家父長制にからめとられる形であっても、だ。

今の景気の悪さは、女性たちにとって、貧しかった時代に近くなっている。

モダンガール論は意外と知らなかった女の歴史の話で、とても面白かった。明治時代は離婚が多かった、みたいな話とかね。離婚っていうのは、女が一人でも自活できるか否かの話だからなあ。

と、話は横道にそれたけど、恋愛という概念は女性を家父長制にからめとるし、商業的に消費もふやすから、あれも認知資本主義の一種なんじゃあないかと。女性の切なる希望でもあったわけなんだけど。

昔、やおい論の掲示板でもその手の話をしていた。資本主義にとって毒になるような創作をするべきだ、という意見が出た。

その時の、BL作家さんの反論を今でもよく覚えている。

「我々はケーキ屋だ。見た目が甘そうなケーキを作って、中に激辛キムチを入れる、だなんて詐欺はできない」

というものだ。たしかに、激辛キムチは激辛キムチで存在してもいいけど、キムチ屋で買いたい。甘いケーキが食べたいからケーキ屋に行くんだよな。私は激辛キムチも好きだけど、ケーキ屋でキムチを買おうとは思わない。やっぱりケーキ屋はケーキしか作れないし、売れない。商業主義と言われようとも。どれほど、虫歯になる、とか、肥満や糖尿病になる、と責められようとも、だ。

今からキムチ屋に転職する気にもならないし、私はケーキを作ってケーキを売っていると思う。ケーキ屋だからだ。材料を体に良いものにする、ぐらいはするけれども、いきなりケーキの中にキムチを入れたりはしない。詐欺だし。それでも怒られてしまうだろうか。てゆうかむしろもう、キムチを入れても入れなくても怒られる自信がある。趣味で自宅でキムチを漬ける、みたいなことはやってるかもしらんけど、自分のケーキ屋のケーキの中にその激辛キムチを仕込むことは、たぶんしないだろう。職業倫理的にも。

少女漫画業界は、16p~32pの学園ラブコメを描かないとデビューできない時代が長かった。最近はだいぶ変わってきてはいるけれども。なので、キムチを売りたいひとは寄り付かない業界になっている。今、私がXで話をしている内容はキムチなんだよ。ケーキの話ではない。周囲もケーキ屋なので、キムチの話をできる人は、業界の構造的にほとんど存在しない。稀有だ。

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