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年齢的なもんもあるんだろうが、

それは禍根になるやつ

って思うものが増えてきた。今現在の禍は、10年ほど前の禍根が芽吹いたものだ。あーそれ、10年前に「それは禍根」って思ってたやつ。10年前の禍根による今現在の禍はとても大きく、それはさらにひとを苦しめるべく育っていくのだろう。小さな芽のうちは摘み取ることができても、大きく育ってからでは太刀打ちもできない。あっというまに終わってしまう。よく運気って言うけど、できるだけこの禍根を作らないように生きていくことだと思う。禍根は思考の歪みがそれ相応の長い時間をかけて表象されていくものだからだ。

今現在の禍根も見える。あれはいずれ大きく育って禍根を作った人間を呑み込んでしまうだろう。

禍根をなるべく作らないように生きているんだけど。それでも作ってんだろうなあ見えてないだけで。見えないから作るのだろう。その時はその人にとって盲点に入っている。

終わるときは急だ。前兆なんか無いような気がするけど、本当はあちこちの細部に出ている。神は細部に宿る、と言われるが、まさにそれだ。溜めてる力が大きいといつまでも壊れないけど、それがない個人はひとたまりもない。自分の欺瞞が禍根となって数年後にわが身に降りかかる。終わる企業は上層部から常軌を逸した言動をすることが増えてくる。余裕が無く不安でたまらないから無駄な動きが多い。それが禍に拍車をかける。安定しているところは一貫してブレない。組織的な歪みか、個人的な歪みか、そうやって小さな歪みを探る。今は社会的な歪みが大きすぎる。社会が限界なのだろう。

余裕があっていろいろと試してみている、というのとは雰囲気が違う。その不安定さは好ましいものだ。不安定だから悪い、というのとも違うのだけれども。安定を求めて死に物狂い、のほうが、余裕があり試してみようと思ってフラフラしている、というよりも、本来の意味でより不安定な気がする。いずれも力を溜めておくことが大事だ。それこそ溜めは数十年かけて作り上げていかねばならない。貧困問題専門家の湯浅誠の言葉。

昨日はPTA研修だったんだけど、「子供にルールを守らせる」という話で、違和感がすさまじかった。政治家にルールを守らせる方向には絶対行かずに子供のコントロールに心血注いでしまう保守男性の権威主義的な気持ちの悪さがすごい。狂気に見える。

残念ながら、それもなにかの禍根ではないか。

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