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Twitterは仕事の名刺みたいなもんだから、政治の話をしすぎたらいけない。とか以前は思っていたわけですよ。なんだかんだいってしちゃってたんだけど。私がこの10年、一番気にしていて、注視していたのは政治経済だったので。

最近すっかり政治の話を思いっきりXでしてて、バズりまくって、それを見てて、ああ、私の漫画とかイラストってXに必要なかったんだなあ……みたいに思いましたね。少なくともX上では価値が無い。こう言えば卑屈なんだろうが、しかたがない。(それでも絵や漫画はこれからもアップするけどね。仕事だからさ。イラストは趣味でもあるし。)

以前から、私の漫画やイラストが欲しい層がXに見当たらない、と思っていた。しかし、仕事でやるからにはその層を前提にポストをしていかねばならないわけで、その層に届けるためにやってたんだけど、もうほとんど、いない。

政治の話をするようになって、たぶんこの人たち、もう中途半端な商業漫画の話とか聞きたくなくって、本当の話が聞きたいんだろうな。って思った。それは私もなんだよ。私も、本当の話が聞きたかったの。私は今、私が聞きたくて探していたような話を、誰もしてくれるひとがいないから、しかたがないので自分がしている、というかんじだ。そういうポストを心掛けている。誰もが話したがらない、抽象的で、危険で、政治的な話を。

大人気の占い師さんのnoteを一時期買ってたんだけど、辞めてしまった。買い始めたのは、抽象的な話が聞きたい、と思っていたからだ。たしかに占いは抽象的な話だから良かった。優しくて、傷に染みるようで、ふわふわっとしている。柔らかくて温かい、肌触りの良い布ようだ。でもね、現在の政治や戦争や社会の話をしないと、強さみたいなのがないんだ。強さ、というのは、大地を踏みしめたとき、ぐん、と前に出る強さ。大地を踏みしめる感覚は、現実に即していないと出てこない。私はその強さが欲しかったんだよ。

これほどまでに国や政治が混乱しているとき、政治の話ができない、するだけの気概がなくて、当たり障りのない話だけずっとしている、その話をするだけの知識教養がない、というのは、強さが無いと同義なんだな。と、今になって思う。多くのひとはその、現実を踏みしめる強さが欲しいのだろう。泥をかぶってもその話をする強さ。強靭さ。その強さと一緒に考えて、大地を踏みしめて歩きたい。前に進みたいのだ。

もちろん、ひとによるんだけれども。みずからを慰撫する優しい布が欲しいひともたくさんいるだろう。

私は今めっちゃキャンセルカルチャーの危機にあって、まったく安定したポジションではないし、バズってても良いことなんか全然ない。漫画が売れるわけでもないし、得することなんかない全然無い状態で、政治関連の話をしてバズっているんだけど、チラホラとこんなかんじで見えたことがあるのだ。それはおそらく、この数年の話じゃなくて、ずっと先の未来に、なんらかの形で役に立つ日が来るのではないか。

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