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『大衆の狂気』読書感想

去年この書籍を買って、トランスジェンダーの章だけ読んだんだけど、他の章もぼちぼち読んでいる。面白い。

ダグラス・マレーはゲイ男性だ。

ゲイ男性なうえ、結構な女嫌いだ。フェミニズムに対しても文句を言っている。でもなんかそれが、インセルとはやっぱりちょっと違うのだ。インセルっていうのは、女が嫌いでしょうがんないけど、女を性的消費しないわけにはゆかない、結果的に、女に憎しみを叩きつけながらも女のケツを追いかけまわす、みたいな矛盾した行為を犯しがち、なんだけど、ダグラス・マレーはゲイ男性のせいかそれがまったく無いんだ。どこまでもただの女嫌い。ってかんじなの。もう全然、一生、女とかかわりあいたくありませーん、男がいればいいんだもん、みたいな男性の立場から描かれる女って、こんなかんじなんだな、と思った。インセルはこれを読んでゲイの道に行くのもいいかもしらん。そのほうが幸福になれるのかもよ。まず、

女はセクシーでありたいと思うけど、男が性的に見るとセクハラって言ってくるの、なんなんだよ!!?セクシーって見られたいのか見られたくないのか、どっちなんだよ!!?って、ちゃぶ台ひっくり返している。

日本でよくある、「女が短いスカート履いておいて、性的に見られたくないってなんなんだよ!?」の話に通じるものがあるが、アメリカなせいか、あげてくる例のスケールがもっとずっと凄まじいのだ。強烈だ。すごすぎて笑ってしまう。アメリカ人女性も迷走していると思った。アメリカはよく、「セクシーであらねばならぬ、という病気にかかってる」と言われるけど、まさしくそれだ。ちょっとした病気だと思う。ダグラス・マレーはその件でブチキレているんだけど、ゲイだから女は全然性的対象じゃないわけ。むしろ、女とは金輪際関わりあいになりたくない、という口調。

そのノリでゲイ、フェミニズム、人種、LGBTQの問題を語っている。社会正義を掲げるのが一般的になってしまった欧米で、すっかり社会が混乱してしまい、それを、ゲイというマイノリティだからこそ公に指摘して語ることができる、みたいな本。セクシャルマイノリティなので基本的に、周囲に全然迎合しない。迎合しないからこそ、「社会正義で社会が混乱しちゃってるぞ!!」と言えたのだろう。フェミニストには耳が痛いものもあるんだけど、なんだかおおらかになれる本だ。SNSってやっぱ特殊だし、ネット検索結果じたいも検索エンジンによっては変だったりして、情報にふりまわされすぎだよね。右のひとにも左のひとにもオススメ。


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