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たりないふたり

Creepy Nutsの『たりないふたり』って言う曲が、今読んでいる本に内容が似てて、すごい、と思っている。

「なにかがたりない」と思っているふたりの歌、なんだけど、現代人の病理……ってかんじがする。そう思うのは、最近私が読んでるのが資本主義関係の書籍だからだ。こんなかんじでさ。

まだつまみ読みしかしていない。高いのに買ってしまったわ。Amazonの紹介文を転載しておく。

中毒、依存、嗜癖(しへき)などと訳される「アディクション」。スマホ、ギャンブル、ゲーム、飲酒、買い物……その対象は多岐にわたり、今日のネット社会ほどアクセスが容易になったことは人類史上かつてない。短期報酬を追い求めるアディクション化した金融経済は、実体経済を呑み込みながら、資本主義のカジノ化を推進している。
拡大するアディクションと、不安定化する金融資本主義。著者はそこに、人間の認知機能にそなわった特異な能力と脆弱性が深く関与していることを突き止める。そもそも近代化と資本主義の内に、アディクションを生み出す認知的なメカニズムが潜んでいるのだ。本書では、カント、ヘーゲル、ゲーテ、マルクスらの近代思想をふり返りながら、両者の関連をたどっていく。
しかも認知機能には限界がなく、それゆえ現代資本主義は、土地も人口も資源も尽きることがない無限の仮想空間(メタバース)に新たな収益源を求めつつある。
社会の断片化によって孤立した個人がアディクション的行動に走り、それが資本主義をさらに不安定化させる。拠り所を失った個人は、やがて独裁者やカルト集団にも容易に隷従することになるだろう。
アディクションを抑制しながら、民主主義が資本主義をコントロールする社会をつくり上げていくことは可能なのか。広い視野と多様な領域から、共に解決を求める場を開く。

『アディクションと金融資本主義』・鈴木直・著

ネット依存や性依存に関して結構書いてる。

アディクションとは、自発的選択がもたらす短期的報酬によって動機づけられたらオベラント行動を、しばしばみずからの意志に反して、反復的に継続する状態をさす。

『アディクションと金融資本主義』・鈴木直・著

これらの話ですぐ思い出すのは、最近の変な性加害の件だ。こういうやつ。

ムラムラっとしたのかもしらんけど、その教諭、修学旅行引率中だったっていうじゃない?そんなことしたとたんに失職するし、家族親類まるっと恥ずかしいし、なぜ後先考えずに性加害するのか。その手の話が多すぎる。まるで変な寄生虫に取りつかれると突如性加害しちゃう、みたいな、ゾンビ映画みたいじゃない?

と思っていたら、本当にポルノ依存で、アルコール依存のように、脳が委縮するそうで。

これはおおごとだ。

AVはネットで簡単に手に入るし、そもそもスマホのSNS依存とかも、いいねやリポストは短期報酬じゃない?我々の脳、大丈夫なのだろうか?なんだか心配になってきた。

資本主義社会は、極まって来ると短期報酬で人間をアディクションに導いてお金を儲けようとする。それは最近は物質というよりも非物質だ。

「あなた、なにかがたりないのでは?」と言ってくる。

これが足りないのでは?あれが足りないのでは?ってさ。

やっぱり足るを知らねば。欲を出すと、資本主義にどこまでも食い物にされてしまう。今の時点で私、幸福にならなくっちゃ。

みたいな、そういう決意をしてしまうのだ。

ちなみに、『たりないふたり』という曲では、さんざんあれこれ足りないのでは?と言われた本人たちが、

「ほんとうぜーなオマエ」

と言っている。それを言う気概はだいじ。
















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