ききたい

村上淳一郎に〇〇について聞いてみた(2)

ケルンWDR交響楽団の首席で、ヴィオラ奏者の村上淳一郎さんのインタビュー第二弾。現代音楽を演奏するモチベーションの話から「音楽の本質」へ(インタビュアー: わたなべゆきこ)。

「たかが」と「されど」

――(村上)僕ね、音楽って二面あると思うんです。「たかが音楽、されど音楽」。

(わたなべ)たかが音楽、されど音楽?

――「たかが音楽」のほうは、音楽なんだから何でもあり、自由で良いじゃないか、という考え方。そして「されど音楽」っていうのは、やっぱり何か、、、魂の救いがあったり、明日への活力や生きる力が湧いてきたり、悲しみが癒されたり、、、愛や人生、生と死だとか、そういう芸術しか持ち合わせていないような「エネルギー」を生み出すようなもの。

自由でありつつも、核の部分には普遍的な訴えがあるべきだと。

――そういうことが起こってほしい、という願望はあるんです、音楽に身を捧げるものとして。

そういう意味で言うと、今の現代作品は必ずしも、そういった普遍的なものを持ち合わせていないかもしれないですね。「新しいもの」「聞いたことがないもの」を追求するあまり、短期間で消費されていくような「目新しさ」が強調されがち、なのかもしれません。

――それは演奏していても感じます。それって「作曲家自身の名前が大きくなっている」ということなんですよね。作曲家が「自分自身を表現するために音楽を使っている」ということに気付くわけなんです、その音楽に対峙して何日目かで、それを感じる。

エゴイスティックな欲求が前面に出ている。

――練習をしている中で、段々とそういう面が見えてくる。「あれあれあれ、この作曲家は音を道具として扱っているんじゃない?」っていうのがひしひしと伝わってくる、そしてモチベーションが下がっていく。

何のために音楽が存在しているか、ということですよね。

――でもね、それは作曲家だけじゃない。自分を含め演奏家だって、「自分を表現するために音楽を使ってしまう」って、あり得る話なんです。「この程度やっておけば、評価もついてくるだろう」っていうのも、一つのエゴでしょ。自分が知っている、やり慣れた方法に寄せてしまう、というかな。もっと追求するのであれば、自分がそっち側に行かなければいけない。今まで持っていたものを壊しても、音楽のほうに寄って行かなければいけないんです。自分のほうに引き付けて、安全圏でやってしまうっていうのは、作曲家に限らず、演奏家にもあることなんですよね。

世界全体が強いものに流されていく傾向にある中で、音楽を作る人間も無意識のうちに安全なほうへ、簡単なほうへ流されていっているのかもしれません。

――そのエゴイスティックな感性に疲弊してしまうんです。古典を弾くときは、それがどこか違うんですよ。さっきお話した、音楽の一番大事な部分が演奏と呼応して、エネルギーが循環しているような感覚なんです。曲から発せられるエネルギーをもらって、演奏家側も返す、そうするとまた波のようにエネルギーが返ってくる、そういう風にして大きな渦に飲み込まれていくんです。そして、そういう作品を書く作曲家は往々にして、「自分のために音楽を使って」いるんじゃなくて、「音楽のために自分を使った」人たちだと思うんです。今残っている作品には、みんなそれを感じる。

エゴイスティックな作品を弾かされることで、その循環するエネルギーが回らずに、それでモチベーションも下がっていくのかもしれません。

――もちろん譜割が複雑だとか、奏法が難しいっていう表面的な問題もあるんだけど、僕個人的には、そのエネルギーの停滞が原因なんじゃないか、と思っています。でもね、一番最初に言ったことだけど、その質を今生まれてくる音楽に求めているわけじゃないんです。作曲家のみなさんには、とにかく自分を信じて、やりたいことをやってほしい。ただし、これだけは忘れて欲しくない。一緒に音楽を作る仲間として「この身を音楽に捧げましょう」ということ。そうした時に初めて、何か目に見えない大きなものを繋がれるような気がするんです。これは、演奏家も作曲家も区別なく、みんなの到達点なんじゃないか、って思うんですよ。

個人的な感覚なんですけれど、音楽を書くときって、大きな単位であれ小さな単位であれ、いつも欲望と隣り合わせだと感じるんです。最初のアイディアを考える段階で既に「誰かを驚かせたい」「新しいものを書きたい」っていう無意識の欲求があったりする。そして、その欲求に負けちゃったときは、なんか駄目なんです、音楽としては。

そしてね、作曲のプロセスの中で、その欲望とせめぎ合いをしている内に、パッと「そこに既にあったことに気付く時」があって。「なんだ、そんなところにいたの?」みたいな。そこに気付くと、後はそれに従って書けば良い。だから、私が何かを書く時は、「自分が書いている」という感覚すらないんですよね、書かされているというか。そこにあるから、書いているだけ。


――あぁ、その感覚わかるなぁ。

アイディア段階でそこの難しさがある。尚かつ、紙に書く段階で、また欲望と戦わなくちゃいけない。「かっこいい譜面を書こう」なんて思ったら、負けちゃう。「そこに存在する何か」って蜃気楼みたいなもので、ふとした瞬間に消えてしまうような、弱いものなんです。だから、欲望をぎらつかせた瞬間に消えてしまう。

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