見出し画像

暗闇の音楽

この夏にやりたいと準備していたことがある。大人の事情で予定していた枠じゃできないけど、そうじゃない方法でできないかと思っている。やまびこラボのシリーズだけど、この際枠はどちらでもいい。とにかくやれるといい。

もともとやまびこラボのために今夏40分くらいの長い時間感覚のための音楽を作るつもりでいた。それは日の入りのときに、だんだんと空の色が変わる変化を音と一緒に感じるための音楽だった。そして、最後は闇になる。一つの細い糸が長い時間でゆっくりと伸びていくような変化軸を感じたいと思った。

そういえば、昔から長い時間の中での変化が好きだった。10代のとき毎月東京での作曲レッスンのために信州と東京を往復していた。その中でお気に入りだったのが車窓の風景だった。特に夕刻に都会から神奈川県の山間、そして山梨に入ってからの自然の変化は特別だった。都会から田舎へ変化すると同時に日が暮れることで山のラインが暗闇にゆっくりと同化して、まどろんでいく。どちらが山で空かわからなくなると、ポツリポツリとまた民家の光が灯ってくるのが見える。山と同化した大きな暗闇に憧れさえもある。巨大な闇に飲み込まれそうになったときに、人の生きているのを感じて辛うじて引き戻される。

今日久々に子どもの用事で田舎を夕方に歩いていて、暗闇まではいかないが、田舎特有の人気のなさに一瞬恍惚として立ち止まった。この暗闇に同化してしまえないかと思った。同化したい。思い返すと昔から自然と同化してしまいたいと思っていた。木とか抱きしめたら同じになってしまわないかとか。

この闇に同化できなくなってしまったのは、単に暗闇はあぶない、なるべく明るいところを歩きなさい。と言われてきたからで、なんで危ないかというとそれは暗闇を利用する人間がいるからだと思う。暗闇を利用しようとする人がいるから暗闇は匿名でなくなってしまった。でもまだ取り戻せるかもしれない。

それでふと思った。暗闇に名前をつけてしまう。暗闇という音を聞く曲を書けばいいのかと。暗闇は真っ暗だけど音はあっていい。谷崎潤一郎が食べる羊羹みたいに暗闇で音を聞く。どこか閉じられた囲われた暗闇じゃなくて、光が消えたことでそこにあったことに気づくという種類の空間で。音があることで空間は現実になる。もうこれは十分建築だし、一つのシアターだ。

そもそも暗闇に人がいて良いのだと思う。そっとそこにいることが許されるはずである。これを主張しなければいけないし、わたしたちは暗闇を取り返す必要がある。音を聞くという目的だけのために、みんながそこで闇と同化する。そこには属性も顔もキャリアも年齢もない。暗闇で音を聞く同志というだけ。これを夏に信州のどこか漆黒の空間で実現できたら。闇の音の使者(音を出す演奏家と一緒に闇の音を体験したい同志)を静かに募集しようか。

追記(2024.4.13)なんとなく初夏くらいまで公募・・・

一緒に闇の音の使者になりたい仲間。集えるフォーム作りました。良かったらフォームで連絡ください。音楽歴とかあらゆる属性は不問です。





若手作曲家のプラットフォームになるような場の提供を目指しています。一緒にシーンを盛り上げていきましょう。活動を応援したい方、ぜひサポートお願いします!