森下周子とわたなべゆきこがききたい

渡邉理恵に〇〇について聞いてみた(1)

ケルン在住、打楽器奏者の渡邉理恵さんにお話を聞いてきました。理恵さんは、東京藝術大学を卒業されてからドイツ、カールスルーエ音楽大学にて研鑽を積まれ、それから欧州を中心に演奏活動をされています。
(インタビュアー:わたなべゆきこ)

――ちょっときいてみたいシリーズ第一弾は打楽器奏者の渡邉理恵さん。「現代音楽アンサンブルの可能性」というテーマでお話を伺いたいと思います。

理恵さんは、2005年にドイツに来て今現在は特定のアンサンブルに属さずにゲスト出演という形で演奏活動をされているんですが、まずその経緯などを教えてください。

昔、知り合いに誘われて特定のアンサンブルに入ったこともあったんですが、運営方法に疑問点があって続けることができなかったんです。

例えば打楽器って設営するだけでも、とても時間がかかるんです。私がそれまでに関わってきたアンサンブルでは設営専門スタッフが常駐していたり、演奏会前日当日はスタッフが用意されていて、打楽器奏者も音楽に集中できる環境がありました。

そういった環境下でも、世界で活躍する打楽器奏者は楽器を確認するために自ら早めに会場に来ていますし、リハーサル当日までスタッフと何度も連絡を取りながら使用楽器の手配もしています。作品によっては数ヶ月以上前から(音を出して練習する以外の)準備を行わなくてはなりません。打楽器が編成されている演奏会を、演奏家や作曲家が自主的に行うのであれば、そういった状況への理解を持つことがまず必須だと思うんです。

そういった共通認識を持ってもらうためにコミュニケーションを重ねていく中で、グループとしてまとまっていくケースもあると思いますが、そのためには音楽を作ることとまた違う方向に、莫大なエネルギーを使わなければいけない。それを頑張った時期もあったのですが、そもそも考え方の全く異なる人に理解を求めることは私には非常に難しいことでしたし、相手に悪気がないとしても、自分にとってショックな意見を聞くのはとても辛かったんです。

――確かに打楽器奏者のリハーサルや演奏会のための準備、そして撤収まで、他の楽器奏者にはない苦労がありますよね。エレクトロ二クスを担当する方も含め、実際演奏している時間外の労力って見えないけれど凄まじいと思います。

私は、演奏家が音楽にちゃんと集中できる環境って死守しなければならないと思うんですね。例えば他の奏者が5分前に来れば良いところを、打楽器奏者は、場合によっては3時間前に入って準備をしなければいけない。1日は24時間しかないので、その準備に時間を割かれることで音楽的な質が下がってしまわないよう、練習時間の確保に気をつけなければならない。

しかしコンサートに向けたリハーサルは、打楽器奏者の都合のみを考慮されて作られるわけではないので、我々は何らかの時間を削らなくてはならないことが多く、それがもし練習時間や睡眠時間であった場合、物凄く悪循環だと思うんですね。

そして案外知られていないことだと思うんですが、アンサンブルを運営するということは、実際舞台に立って演奏する以外の仕事が山のようにあるんですよね。若いアンサンブルの場合、そういった仕事はメンバーの誰かが負担しなければいけない。つまり運営処理能力の高い誰かがそれを一挙に担う訳です。当然ながら、そこには相応の対価が支払われない。しかしながら、そのメンバーも他のメンバーと同じように演奏もこなさなければならない。

そういった諸問題をどうクリアしていくか、アンサンブルとしての運営方針やビジョンみたいなものがとても大事だと思うんですけど、今思うとそういったことに対する考え方の相違が脱退の主な原因だったと思います。

――よくバンド解散の理由として聞かれるような「音楽的な方向性の違い」が原因ではなかったんですね。

方向性の違いというよりは、音楽に対する質に対する考え方の違いがあったかもしれません。例えば、オーストリアのクラングフォルム・ウィーン(Klangforum Wien)やドイツ・ケルンを本拠地にするムジークファブリック(Musikfabrik)などでもゲストとして演奏させて頂く機会があるんですけれども、彼らは個人レベルで十分に準備した上で、リハーサルで細部に渡って突き詰めていくわけですよね。だから音楽的な質が物凄い高い。そこまでやって、ようやく「楽譜に書かれていることを実現できている」って実感も湧くし、演奏していて「楽しい」って思えるんです。

――本気で「楽しい」と思えることって、とても大事ですよね。現在、理恵さんはゲスト出演という形で、先ほど名前が出てきたような欧州の現代音楽アンサンブルなどで演奏されることが多いと思うのですが、特定のアンサンブルの固定メンバーとしてではなく、ゲストとして活動することでのメリットはどういうところなんでしょうか?

ゲストで行くときはシンプルですよね。私は求められた仕事をする。良い演奏をすること。とにかく音楽だけに集中できるんです。

――なるほど。わたし思うんですけど、演奏家の中でも色々なタイプの人がいますよね。例えば、オーガナイズしながら演奏もできる人だったり、作曲しながら演奏や指揮をする人だったり。

演奏家が全てに長けている必要はないと思います。実際、オーガナイズや運営能力がなくても、舞台で輝ける何かがある事の方が断然大事だと思うんですよ。現に私はそういったカリスマタイプではないですし。

――そうは思いませんが・・・。

私は作品の中で「無」になることが好きで。作品そのもの前面に出てきて、演奏家はその中に溶け込んでいるというか。

――その音楽を表現するために、自分は無色でいたいと。それって作曲家からすると、とても有り難いことなんじゃないかと思いますよ。何を弾いても同じような味付けだと、作品本来の色って薄れてしまう気がします。

でも曲によっては、演奏家の魂を見せるような作品もありますよね。技術的なものであったり、身体を見せるようなものであったり。そういうものが求められる作品は、自分はもしかしたら向いてないんじゃないかなって思ったりします。そういうカリスマ性がある演奏家と、オーガナイズもできる演奏家と、色々な演奏家がいて良いのではないでしょうか。

ただ、前者には良いマネージャーが必要な場合が多いと思います。私自身、その辺りの折り合いが昔はついていなくて、全てに長けていなければならないと考え過ぎていて。オーガナイズも、演奏クオリティも常に高くなければ、演奏家としてやっていけない、と。

――私も同じようなことを想っていた時期がありました。オーガナイズや創造活動、全部ひとりで完璧にやっていかなければいけないと。実際その時期に作ったものは、中途半端になっていましたね。適材適所、足りない部分にはマネージメントなどを入れたり、システムから考え直すなどして、無理なく長く続けていけたらいいですよね。

そういえば少し話は変わるんですが、昔とても驚いたことがあったんです。「演奏家がスコアを読んできたり、リハーサルでスコアを見ていること」を嫌がる指揮者。

――え?それはどういう意味で?

それはずっと昔の話なんですけれど、私はそれまでの経験からアンサンブルって、みんなで意見を出し合って音楽を作っていくものだと思っていて、指揮者も対等な立場だと考えていたんです。オーケストラなどの大所帯はもちろん別だと思いますけどね。

それで、リハーサル中に指揮者に意見、というか「この箇所が全然合っていないから、もう一度やらせてほしい」と言ったのですが、とても嫌がられて。多分リハーサルをコントロールしようとしている、と思われたんでしょうね。当時は若かったので、そういう雰囲気も読み取れなくて・・・。

でも、ムジークファブリック(Musikfabrik)とかは、物凄く話すんですよ、リハーサル中に。若い人もそうでない人もキャリアも関係なく対等だし。とにかく話ながら音楽を作っていく。ちょっと話過ぎじゃないって思うくらい(笑)。逆にクラングフォルム・ウィーン(Klangforum Wien)は何も言わない。多分言うまでもなくみんな完璧にできちゃうから、なんでしょうけど。

――でもきっとKlangforumも結成当初はディスカッションしながら音楽を作っていたはずですよね。もう30年以上一緒に活動してますからね。

【渡邉理恵に〇〇についてきいてみた。(2)へつづきます。】

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