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さっきょく塾 2018/2019(停止申請中)

作曲家育成のためのプロフェッショナル・コースです。毎月更新される「わたしたちはこう考える」二人の講師の主観的音楽思考論の他、作品公募で選ばれた作曲家は2020年以降に新曲を発表す…
2019年夏まで一年間限定のさっきょく塾です。現在第一期生、限定15名で募集しています。このマガジ…
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#わたしたちはこう考える

【7月エッセイ課題】 身体と作曲

「身体と作曲」と題した音楽思考論を展開しました。さて、ここからは受講生の時間です。以下の質問に対して7月末日までにエッセイを投稿してください。

身体と作曲 (4)

*ディスカッション③* わたなべ:去年、リザ(・リム)とかレベッカ(・サンダース)のコントラバスのコンサート一緒に行ったじゃない。あの時に、凄く全部クオリティがあるなって思ったんだよね。でもこのクオリティっていう言葉、結構逃げ道がある言葉で、まだ説明ができない。少し話変わるんだけど、ちかこは、このクオリティについてはどう思ってる? 森下:ゆきこちゃんのいう「質」と、わたしは違う意味で使ってるのかも。クオリティが高いが低いかっていうより、どういう種類の体験がクリエイトされるか

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身体と作曲 (3)

*ディスカッション②*

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身体と作曲 (2)

*ディスカッション①* わたなべ:この前、留学前に使ってたUSBを見つけて、そこに入っていた思考整理帳を読み返したんだよ。そしたら、10年前のわたしの課題は「自分が何をどう聞いているか知る」だったの。 森下:聞く? わたなべ:でも、その頃はまだ「自分がどう聞いているか」がわからなくて、音の認知について考える10年だった。 森下:これ、こないだのゆきこちゃんの発言メモね。「個人的な友人統計で感じてるんだけど、作曲家は大きく二つにわけられて、ピッチ優勢型、と時間優勢型。」

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身体と作曲 (1)

身体と作曲。これが今期最後の回になるのかな?担当は森下です。 さいきん(5月末)わたなべさんと揉めに揉めていました(笑)喧嘩などではないですよ!お互いが考える「音楽」の定義に開きがあり、それを話し合っているうちに終わらなくなったっていう。

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コンサートホールだけで満足してる?サイトスペシフィックな音楽(4)

マノス・ツァンガリス(Manos Tsangaris)は、ドイツ、デュッセルドルフ生まれの作曲家です。 作曲だけでなく、パフォーマンス、インスタレーション、ミュージックシアター、そしてオーガナイズなど幅広く活動しています。

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コンサートホールだけで満足してる?サイトスペシフィックな音楽(3)

ペーター・アブリンガー(Peter Ablinger)はベルリンベースで活動しているオーストリア作曲家です。私は、この時代に生きる作曲家の中で、アブリンガーは非常に重要な存在だと思っています。音楽の概念そのものを変えた作曲家。そんな彼の作品の中でも「空間の使い方(考え方)」は、一つ大事なキーワードになっているような気がするんです。 恐らく見たほうがわかりやすいと思うので(体験するのが一番だけれど)、具体的な例として、二つ挙げてたいと思います。 (1)オーケストラ作品「Ru

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コンサートホールだけで満足してる?サイトスペシフィックな音楽(2)

クラウス・ラング(Klaus Lang)はオーストリアの作曲家、グラーツ音楽大学で作曲科、そして宗教音楽作曲科の教授をしています。まず幾つかの作品をリンクします。 「bright darkness 」(2017) クラウス・ラング自身による演奏。ここで演奏することだけじゃなくて、演奏に至るプロセス自体を見せるドキュメンタリー。

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コンサートホールだけで満足してる?サイトスペシフィックな音楽(1)

美術の分野では、サイトスペシフィック・アートという言葉があるそうです。 サイトスペシフィック・アート 美術作品が“特定の場所に帰属する”性質を示す用語。といって、美術作品にとって“特権的な場所”であるはずの美術館の機能を補完するのではなく、逆に批判するために用いられることが多い。展示空間全体をひとつの作品に見立てる「インスタレーション」や、「ミニマリズム」の純粋形式に対する反発として登場した「プロセス・アート」、公共空間における美術作品の意味を問う「パブリック・アート」とい

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【5月エッセイ課題】間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?

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間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?(4)

最終日の今日は、文化的コンテクストと絡めた作品あるいはアーティストをいくつか。

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間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?(3)

さて、昨日はLiza Lim(リザ・リム)の様々な作品を紹介しました。今日はその背景にある思想を見ていきます。

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間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?(2)

さて「日本の感覚を現代音楽でつかう?」という名の広義の文化論(のようなもの)。今日はまとめてLiza Lim(リザ・リム)の作品を。 華僑である彼女は中国文化、そこから拡大して日本文化、また自国オーストラリアの土地に目を向けアボリジニー文化、さらにはスーフィズムまで、様々な固有文化芸術とのエンゲージメントを作品の中枢に据えてきました。

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間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?(1)

さて今月は「間ってなあに?日本の感覚を現代音楽でつかう?」 先月に引き続き担当は森下です。 伝統芸能と現代音楽の融合を目指す、あるいはそれらについて発言をされる日本人あるいは日本拠点の作曲家の方は数多くいらっしゃいます。同世代だと桑原ゆうさん、ゼミソン・ダリルさん(通常の英名だとDaryl Jamiesonなので、日本式に姓名を入れ替えた表記を好まれて使われているようですね)などがよく知られているでしょうか。

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