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誰かを想うからこそ、”優しさ”というゆとりが生まれる。

対話の日。第二回目は、百瀬七海さんのこちらのnoteです。

心にゆとりがないときって、やっぱりどうしてもネガティブになってしまいがちだ。今までだったら気にならなかった小さなことにも落ち込んだり腹が立ったりしてしまう。

そしてそのネガティブな気持ちは、小さな小さなさざなみを起こしてしまうこともあり、ときとしてそれが人間関係にまで響くことがある。

ゆとりがなくなりそうなとき、「ゆとり、あとちょっとです!」と心が警報を鳴らしてくれたらいいのに、と思います。実際はイライラ、ネガティブを感じてはじめて「あ、ゆとりないかも」ということに気づく。感情の揺れが、心のゆとりのバロメーターなのですね。

自分の余裕のなさが、周囲の人たちとの関係性にも影響を及ぼす。ついトゲトゲしくなってしまい、そんな自分を感じるとまた余裕がなくなり…というループに入ること、ありますよね。

少しずつ少しずつ、心が蝕まれていかないように、ほんのちょっと心に栄養をあげて優しさという名のゆとりを作ることって大切だ。

「優しさという名のゆとり」という表現に、優しさを感じました。

それは、自分のためのゆとりではなく、誰かのためのゆとり。

相手に大切に想われてるってわかれば、自分自身も相手を大切に想えるし、そんな関係がお互いを優しく繋いでいく。
心が削ぎ取られそうなほど辛いときだって、大切に想う人の優しい言葉ひとつで、深呼吸できたなら救われる。

大切に想われているとわかるから、大切に想える。自分が大切に想うから、相手も大切に想ってくれる。
どちらが出発点になるのかはわからないけれど、一度生まれた循環は、途切れることはないのかもしれないですね。


文章の中で「大切に想う人」「大切に想ってくれてる人」「大切な人」という表現がたくさんありました。
この文章を書いている百瀬さんの心の中には、大切に想い、または想われている方が具体的にいらっしゃるんじゃないかと。そしてその大切な誰かを悲しませたくない、笑顔でいてほしいと思うから、ゆとりをもちたいと葛藤されていらっしゃるように感じました。

大切な人の笑顔を思い出してみよう。
その人を笑顔にするために、今日も私は深呼吸する。

誰かのためにする深呼吸。それは、自分自身が落ち着くための深呼吸よりもきっと、深くて、やさしくて、あたたかくて。

結果的に、自分の心も優しくなれているのだと思います。生まれた優しさが、ゆとり。そのゆとりは、相手に届くと思います。

心が削がれそうになったら、そんなときこそいつもより奮発してスイーツを買おう。
ちょっと贅沢な入浴剤を使って、のんびり半身浴。
でも本当に私を笑顔にしてくれるものは、お金では買えない。
あなたを想う心。誰かを許す心の広さ。

「ご自愛」大切ですよね。好きなものを食べたり、好きな時間を過ごしたり。ただ、百瀬さんの心を最も満たしてくれるものは、誰かを想い、または許す心なんだなぁと。

「想われてる」じゃなくて「想う」なんです。自分が主語。そのことが、とてもすごいことで。百瀬さんの身近にいる方々がうらやましいです。


文章を通して「心のゆとり」とは誰かを想い、想われるからこそ生まれるのだと気づかせていただきました。そのゆとりはまさしく「優しさという名のゆとり」ですね。


百瀬さん、対話させていただきありがとうございました。文章を読みながら、私にとって大切な人の顔も浮かんできました。解釈や、重ねた言葉が、的外れな点もあるかもしれません。でも、部分的にでも届いたらうれしいです。



締切過ぎていますが、いつでも応募できます。
「対話の日」、思った以上に私にとって豊かな時間になっています。




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