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感情は、とても繊細なもの。

対話の日。第十回目は、きぬがささんのこちらのnoteです。

とにかく私は、物心ついた時から親元を出るまで父が嫌いだった。

まず「嫌い」という感情に向き合うことって、とても勇気がいることなんじゃないかなと思いました。ポジティブな感情ではないので、つい蓋をかぶせてしまうことの方が多い気がします。 

「嫌いだった」とはっきり認めてから書き始めているところに、この文章を書ききるんだという強い意志を感じました。

そもそも、中2から高2くらいまでの4年程度は完全に口をきいていなかった、はず。
しかし、これは私の幻の記憶なのかもしれない。
数年前に母と話した時、「え?確かにお父さんに反抗的な態度をとってるなとは思っとったけど、あんた無視なんてしとったっけ?」と言われたのだ(衝撃的過ぎて眩暈がした)。

タイトルにもなっているこの部分。どういうことなんだろう、と考えました。きぬがささんは無視をしていたと思っていたけれども、お母様の話だと無視はしていなかった。

つまり、表面上は関わっていた。でも内側ではお父様の存在を消していた。

あるいは、無視をしようと決めていたけれども、どうしても無視しきれなかった。無視はしたくないと無意識が働いていた。

いずれにしても複雑な感情の揺れ動きが見えたような気がします。

悪人ではない。悪人ではないのだ。
ただ、父がまっすぐに父らしく生活している姿の中に、どうしても「私と合わない」と感じさせる部分が多かったのだとしか言いようがない。

家族だから嫌ってはいけない。悪人ではないから嫌ってはいけない。そんな決まりはないんですよね。家族といえど、あくまで人と人の集まり。合うこともあれば、合わないこともある。「どうしても合わない」と感じることはきっと自然なことなのだと思いました。

このあとに、お父様のどんなところが嫌いだったのか、いくつか書かれていますよね。そして、

まぁ、書き起こしてみると、この程度の有様の父親はどこにでも居るとは思うのだが、とにかく私は嫌いだった。

どこにでもいるのかもしれないけれど、きぬがささんにとっては嫌だったのですよね。それが伝わってきました。


これは私の解釈なのですが、きぬがささんが書いていらっしゃる部分は確かに「嫌い」な部分であると思うのですが、「お父様」のことは嫌いではなかったんじゃないか…とも感じました。部分的には嫌いだけど、人としては嫌いじゃない。もしくは、本当は嫌いたくないのに、という願いがあるのではないかと、そんなふうに思いました。

全く的外れだったらごめんなさい。きぬがささんの感情を否定しているわけではありません。

ただ、本当はきぬがささんが心のどこかで認めている部分でもあるのかなと、少し感じました。「お父さんらしいな」と。

「もう、本当に仕方ないんだから」と半ばあきらめのような、でも完全には嫌いになれないような、けれど好きとも言えないような、そんな気持ち。


今。お父様が倒れられて、介護施設に入っていらっしゃるとのこと。とても心配ですね。このご時勢なので、なかなか会えない。オンラインですら叶わない場合もある。そして、お母様からの電話。

オンライン面会時に、施設のスタッフさんからこう言われたという。
「〇〇さん(父のこと)は、いつも穏やかでニコニコされているんですよ。同室の男性がとても気難しくて、これまで同室になった方に敵愾心を見せたり、スタッフにも乱暴で手を焼いていたんですけど、〇〇さんが同室になって以来、その人がすごく穏やかになって、私たち助かっているんですよ。〇〇さんがいつも優しい笑顔で受け止めてくださっているからですかねぇ」と。
これを書いているいま、私は泣いている。
父と同室の気難しい老人や施設のスタッフさんのことを「間違っている」という思いは湧いてこない。
それがなぜなのか、はこれからゆっくり考えてみる。

きぬがささんの気持ちを「わかります」なんて言えませんが、お父様の様子を聞いて涙が出てきたその心情に、なんだかすごく人間らしさというか、人の心の中の複雑さというものを、強く感じました。

それまでは、お父様を褒める人や認める人がいたら「間違っている」と思っていたのに、その思いが湧いてこないのはなぜなのか。そして書きながら涙が出てきた理由。きぬがささん自身、その感情にこれから向き合おうとしているのですよね。

考えてもわからないかもしれないし、何かがわかるかもしれない。それは、いい意味でどちらでもいいのだと思います。自分でもよくわからない何かをときほぐしてみようとすること自体が、尊い行為なのだと思いました。

きぬがささん、対話させていただきありがとうございました。とても大切な内容を読ませていただきました。

ここに書かれていること、書かれていないこと。私なりに読んで、感じて、言葉にしてみました。違うよ、と思われる部分や、不快にさせてしまう部分がもしあったなら、ごめんなさい。

いろいろな感情にふれることができ、読むこと、書くことで、豊かな時間を過ごさせてもらいました。きぬがささんにとっても、少しでも何か届くものがあったなら嬉しいです。



「対話の日」。
10名の方に応募していただきました。
本当にありがとうございます。

またいつか、再開するかもしれません。
そのときを、お楽しみに。



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