見出し画像

うさぎを飼いたい妻とうさぎを飼いたくない夫

うさぎを飼いたいなぁと思っています。

否、正確にはうさぎを飼いたいなぁと思って「いた」なのですが、この気持ちが過去形になるまでにはいろんなことがありました。
でも私は今でもまだちょっとうさぎとの生活に憧れを秘めているし、なにかしらのペットとのご縁を待っている気がします。


思い返せば、横浜に引っ越した頃からなにかしらの動物と一緒に暮らすことに憧れていました。
実家にいた頃は犬がいたり猫がいたりしていて、まぁ「家に生き物がいる」感覚はあったし、1人暮らしをしていた頃も実際は飼えなかったけれど生き物を飼うことを望んでいました。


でも、私の「動物を飼いたい」という気持ちは、そこから来ているのではないようなのです。別にペットがいる暮らしに馴染みがあるから、いない今の暮らしがどこか淋しいといったような、そういう理由で「飼いたい」とは思っていないようなのです。
しばらくは、どうしてこんなにうさぎないし動物を飼いたいと思うのか、分からない日々が続きました。


最初は「うさぎ飼いたいなぁ…うさちゃぁーん」とエアうさぎをエアなでなでしたり、うさぎと楽しく暮らす絵を描いたりする程度の私だったのですが、最初の頃から夫は静かにうさぎを飼うことを反対していました。

夫も最初は「噛まれたら痛いよ」とか「後ろ足で蹴られるよ」といった程度の言葉で反対を表明していたのですが、私のエアなでなでが激しくなり、そのうちエア抱っこをしながら「うさちゃんうさちゃん」と呟きだすようになってから、「本当に飼いたいのなら、ちゃんと話し合いしようね」と言うようになりました。

でもそれは「飼うための話し合い」ではなく「実際飼えないから、私の気持ちの落としどころを見つけるための話し合い」というのは分かっていました。


私も分かってはいるのです。

私は毎日毎日一定の体調を維持することはできないし、具合を悪くしたらうさぎのお世話はできません。そしてできないからと言って、夫にお世話を丸投げするのもなんか違うということも分かります。
うさぎを飼えば、実家のある富山にも帰省することはできません。そんな、何日もうさぎを置いていくことは私たち夫婦の性分から考えるに困難です。


夫の「本当は、ゆきこの願いを全部叶えてあげたいんだよ」という前置きで、ふわっと話し合いが始まりました。

私がここに来る前、夫(以前の夫夫婦)は犬を飼っていました。
長生きした犬と聞いているのですが、亡くなるまでの数年間はとても大変だったそうです。

夫は、もしうさぎを飼ってお世話をするとなったら、当時のことを思い出したりして辛くなる、お世話できないと言いました。
私も実家で犬や猫を見送った経験はあるので、「この子はもう若くない」「もうそんなに長く生きられない」と分かったときのショックはそう簡単に表現できないものだと知っています。


夫と話していくうちに、私がどうしてここまでうさぎや動物を飼いたがるのか、というのが分かってきました。
別に家の中が淋しいからでもうさぎが可愛いからでもないのです(うさぎはかわいいですが)。家族が欲しかったのです。


私たち夫婦には子供がいません。年齢差のことを考えたりいろんなことを話し合った末、2人で生きていくことを選びました。
でも、その結論に納得はしているんだけれど、やっぱりどこか淋しくて、うさぎは子供にはなれないのかもしれないけれど、子供のような存在を求めてしまったのです。

加えて夫との年齢差は現在23歳。一般的に考えると夫が先に逝きます。
私は1人になりたくなかった。反対に、もし私が先に逝くことがあっても夫を1人にしたくなかった。

傍から聞く分には、うさぎが心の底にある淋しさを埋めるための道具のように思われてしまうかもしれないけれど、私は家族を増やしたかったんだなと思います。


そう、自分の気持ちを整理でき、夫のTシャツを濡らしながらめそめそ泣いていた、次の日。
夫の仕事が休みで出かけていたのですが、コーヒーを飲んでいるときふと夫が「今からうさぎを見に行こうか」と言い出しました。


びっくりしました。えっいいの!?です。地図を頼りに目的地までたどり着くと、そこには数匹のうさぎたちが鼻をひくひくさせたりごはんを食べたり跳んだりしていました。
どの子もみんな可愛かったのですが、真っ白でよく食べよく跳ねるうさぎに私は見惚れ、夫が店を出たあともずーっと1人でその子を眺めていました。


「このお店にあるものでうさぎさん飼えるかな」「あの白い子可愛かった」とひとしきりはしゃいだのち、夫は「ちょっとカフェにでも入って会議しようか」と言いました。


私は分かっているのです。自分の力では生き物は飼えないということも、夫がうさぎを飼うことに反対していることも。
なのでそのはしゃぎっぷりはすぐにフェードアウトし、カフェの一角で傍から見ると「別れ話をする男としょぼくれる女」のような図ができあがっていました。

「うさぎからゆきこを遠ざけるつもりもなかったし、一度見てみたらどうかな?って」という夫の一言から始まり、その「別れ話をする男としょぼくれる女」の構図(本当はうさぎを飼うかどうか話し合っている夫婦)は、事実上の「私がうさぎを飼うことを自分で納得して諦めるのを待つ時間」でした。


30分ぐらいが経ったでしょうか。飼えない理由をごにょごにょ呟き、「本当は飼いたいんだけど、実際は飼えないし、私の勝手な気持ちだけでうさぎさんも夫も悲しませたくない」と自分で納得してカフェを出、家に帰りました。

うさぎが悲しめば私も悲しむ。そんな私を見た夫はとても悲しむ。
とにかく、今は動物は飼えないのです。
2人暮らしをどう楽しむか考えた方がうんと建設的です。


帰ってから、夫は「ご縁があるときはね、動物さんの方からトコトコーってやって来るよ」と私に言いました。
そんな日が来るのかどうか、来るとしてもいつなのか、私にはまだ分かりません。
でもそんな日が来るとしたら、私が、私たち夫婦が動物を飼える状況に物理的にも精神的にもなっているときだと思います。

これを書いている部屋は私1人だけど、いつか誰かなにかの生活する音が聞こえてきたらいいなぁ…とぼんやり思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?