多分popはcultureだからリバイバルする
アマヤドリ
東大発の演劇集団
8/19には
嬉しい悲鳴と監獄の森上映がある
私は映画を観るのは下手
レンタルは2000円ぐらい延長払うし借りてきてすぐでも返すのを忘れる
だらしないと言われればそれまで
親が世間のひとすぎないか?
それと演劇なにがつながりがあるの?
と言われれば同じ演技ではあるが
私は服持ちである住居空間学によれば持っている方である
よって好きな本や好きな映画を着こなすように読んでいないのに着こなすように見せびらかす傾向があった
直したい誰かと
演劇それは身体全体と声を使う
あんなに使うのかと毎回感動する
しゃんとする
言葉の一つ一つになんか普段のように注目しなくてすむ
だから観たい
今回アマヤドリが、昔の作品を再び演技するのはリバイバルに相当するか?
これは観てないのでまた話は変わるかもしれないがまた演劇歴史をよく知らないシェイクスピア以降とかいわれてもわからないから
一つはcultureが関係しているとリバイバルは可能だ
なぜ働いている人は本を読めなくなるのか? 集英社新書
この本にもcultureのことが書いてある
読んでいないのになんとなくわかる
つまり今のところcultureがリバイバルしているのであって
その背景など読んでみても普遍的に変わらないと思う
何故なら作品だから
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