北斗七星の謎

北斗七星といえば、現代人ならギリシャ神話との関連でおおぐま座を連想するだろう。もしくは柄杓。
素直にこの北斗七星が大熊に見える人は、果たしてどの位いるだろう。
だが、インディアン達もこの星を熊に見立て物語を作っている。

日本の古名は四三(しそう)の星。
サイコロを二つ振って勝負を争った目の数からきている。
古代中国やバビロニアでは車に見たてられている。
つまり、熊に例える意味があったと思うのだ。

北斗七星は、北極星を見つける指極星であるが、北極星は地球の歳差運動の為約2000年毎に変わる。
現在のこぐま座αポラリスは数千年前の北極星ではない。
北斗七星が北極星を見つける為に重要な星となるのは僅か2000年の間だけということになる。
北極星は北の道標。
それに導く案内人が北斗七星である。

指極星として有名である北斗七星だが、季節を知る為の重要な星でもある。

この北斗の柄杓の柄の先は、破軍星と呼ばれる。
北斗七星は日に一回北極を中心に巡り、四季により破軍星が一定の方向を指して、正しい季節を教える大切な星となり、北極星に次いで重んじられた。

月建という暦言葉がある。
建は「おざす」つまり「尾指す」で北斗七星の柄の部分をいい、この北斗の柄の方向を月建と言う。
冬至の頃、柄は真下を向いて北を示す。
春分の頃、柄は東に真横となる。
夏至の頃、柄は真上を向いて南を示す。
秋分の頃、柄は西に真横となる。
この北斗七星の時計は干支と結びつき、
11月を建子月(子ネズミ)といい、冬至の頃、真北を指した柄の位置が午前0時となる。

また、破軍星を剣先に見立てて,その方向に向って戦うものは勝ち,逆らって戦うものは負けるとして吉凶を占った。
剣先星とも呼ぶ。


この話、古事記神武天皇の兄五瀬命とナガスネヒコとの戦いの話にそっくりである。
日に向かいて戦うこと良からず。
日を背負いてこそ撃たむ。

日は、太陽だけでなく光を意味する漢字。
つまり、五瀬命は破軍星の光そのもの。
神武天皇が熊野で佐士布都神という刀を得る。
佐士は「さじ」つまりスプーン、柄杓である。
石上神宮に納められたというが、これはまさに七支剣であり、北斗七星をかたどった剣である。

神武天皇が象徴するものは、北斗七星(おおぐま)の威光であり、その文化圏といえないだろうか。

おおぐま座の尾は、熊にしては長すぎると指摘される。
これまで幾度も書いてきたが、
熊という漢字は、能(水虫の象形)に火が加わったもの。
火を使う水虫といえる。

北斗七星は、日本各地で「船星」「舵星」とも言われていた。
また北斗は死を司る星。

船で世界を渡る人、
その人々は毛深くて大柄で
長い尻尾があった。
ホモ・サピエンスではない人類。
航海の為に星をよく観察した。
また、葬いを大切にした。

現人類がネアンデルタール人やデニソワ人らと交配していたのは遺伝子的に証明されている。
旧石器時代頃までは共存していたが、その後、彼らは絶滅する。
彼らの残したDNAは、恐らく「分かち合う心」。
その優しさ故に、ホモ・サピエンスを受け入れ、駆逐された。
大集団のプロパガンダの下では、彼らの叡智は吹き飛ばされた。もしくは絶望したのか。

その中で一部が交配し、残された「分かち合う心」によって、苦難な氷期時代を乗り越えていく。

現人類として生き続けることができたのは、大集団の力のお陰などではなく、ネアンデルタール人らの残した優しさだったと思う。





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