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私の理想の暮らし

保育園の帰り、同じクラスの子と一緒になった。こどもたちがアレコレと話している。

娘が突然言う。「あのね、お父さんいーっつもお仕事しているの」いや、そうでもないよ、と私は思う。よく寝るし、ゲームしてるし出掛けてる。好きなことの時間をしっかり取っているよ。

娘は続ける。「それでね、お金持ちになるんだって!」ひゃーそれは君の話に合わせて出てきた言葉で、むしろ「お父さんは仕事が面白いんだよ。好きなんだよ」の方がメインなのに。まぁ、その部分も違ってはないかな。早期リタイヤ願望あるようだし。そのための手段として。

雨の中、傘を手にしたこども達を間に挟んだ親同士。ちょっと離れていて大声で訂正することもできず。話を反らしたいなと思ったけれど、そらすほどでもないかと思い直す。そして、そういや私の仕事の目標ってなんだっけと止まってしまう。

私が仕事に求めること……ほどほどの暮らしが出来るお金を、なるべく楽して稼ぎたい。自分にとってストレスない働き方をしたい。週4日、1日6時間働いて今と同じくらい稼ぎたい。達成感も欲しい。自分に向いていると感じたい。

などなど。なんだか、お金持ちになりたいよりも言いにくい内容のような。具体的なようで漠然としている。つまり、楽して気分よく稼ぎたい、ということの内訳だけを言っている。

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最近しみじみ思うのは、私はアレコレ計画を立てるのが好きだということ。行きたいところ、欲しい物などについて調べるのが楽しい。計画だけでなく振り返りも好きかも。物を手に入れた後も使い方や経年劣化について知りたくなる。

ただ、旅などの経験を振り返る余裕がない。ふむ。その辺りのゆとりがあれば生活の満足度が上がりそう。なので私はバッファが欲しい、と。自分で唯一管理出来そうなのが仕事だから、仕事で楽したいんだな。

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この先は愚痴的な思考の整理です。

私はマイペースに見られるわりに人に振り回されてしまう。暇で余裕ありそうに見えるらしく困っている。忙しそうにも見られるので、頼みたい状態の人が都合よくそのように扱うだけだろう。

そして頼まれごとというのが精神的な負荷をかけてくる類いなことが多い。私には他人を巻き込む発想が薄いので理解できなくて、途中で気付いて腹を立てたりしてしまう。持ちかけて来る人より私の方が苦手なことだったりするので、見積りが甘かったり、お礼が軽かったりして報われない。

やはり、苦手な頼まれごとは気付いた時点で断ろう。どんなに頼まれても気の毒でも。得意ならやろう。せっかく得意なんだし。得意とは、秒で取り掛かれるようなこと(気持ち的に)。苦手なのは沢山連絡をしたり待ったり気持ちを探ったりするようなこと。

断るのは早い方がいい。言うのは気が重いけれど、後になるほど追い詰められて余裕がない断り方になりがちだし。

色々考えたおかげで、なんだかスッキリしてきました~。

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話が飛ぶようですが、間に人を挟むのは、直接言うことがあまり品が良くないとされることとも関係していると思う。単に最初それが楽に見えるだけという理由もあるけれど。ただ、気持ちのやり取りを伴うことの場合、人を巻き込むのはやっぱり傷つきたくなくて、カッコ悪くなりたくないんだと感じています。

私は古典が好きなんだけど、源氏物語を読んでいてものすごくもどかしかった。伝えたいことがあるなら、何故自分から口にしないのか。それがとても行儀が悪かろうと、どんなに格好悪かろうと、相手が大事ならどうして自分が動かないのか。自分が少しくらい傷つくことくらい、大切なものを損なうよりずっといいのに。源氏物語、すごく気持ちのすれ違いが多くて、それで苦しむ描写が読んでいて本当に辛いのです(そこからいかに自分を救うか、ということも描いています)。

紫式部はきっと決まりをよく守り、同時にそれがものすごく苦しかったんだろう。疑問を抱いていたんだろう。だから、問題提起をしたんだと思う。世間体がそんなに大事なの?大事な人に誤解されることよりも?大切な人を苦しめることよりも?と。

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結局私が望む暮らしというのは、人の思惑をアレコレ考える必要なく、いつも機嫌良くいられる量の予定で暮らしたいというものです。具体的なイメージを考えて浮かんだのは、2泊3日の旅にいつでも行ける生活、ということでした。

だから、それくらいの旅の準備を常にしておけばいいんじゃないかな。思いついて、ワクワクしています。リュックに何詰めよう?って。

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