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生きているのは偶々やで(とあるシリーズの特別おまけ編)

私は偶々生きている。たまたまです。誰かに殺される、自分の体を常に傷つける、自分で自損事故する→理由、行動は全て自分のせいであるのが前提とする

コロナ対策がぐだぐだに。元からぐだぐだ

基本の3つの行動としてマスク、手洗い、社会的距離をしているのでしょうか?去年の春に亡くなられた志村けんさん、岡江久美子さんを始めとした亡くなっていった皆さんの顔に泥以上の何かを塗っているのでしょうか?生きているだけならば私でも出来ます。鼻だしマスクと手洗いを全く出来ない、社会的距離を計れないはずは無いのでしょうか。眼が見える人、口がある人、耳がある人、鼻がある人の『はず』なのでしょうか?顔の一部何かなくしましたか?私が書いていない部分も元からなかったのでしょうか?頭と頭の内部に何かありませんか?全て無くしましたか?全て忘れましたか?

全て取り戻したいですか?

若さ、時間、健康な体、誰か、社会的地位、お金、欲望の全ての願いを取り戻したいですか?または、欲しいですか?どうしたかったですか?何をしたかったですか?

最後に

何したかったですか?何を今したいのですか?どうして日本人は日本語を話さないのですか?残念ながら私は読み手の気持ちも分かりません。話さない、言わない、伝えない。しかも直接伝えるのは自体で作ったストレスを他人にあげているのがほとんど100%です。私は直接の他人の気持ちの願いは叶えられません。これからも伝えないまま生きるか死ぬかは自身で決めてください。私は偶々生きているのを感謝しつつ、これからも他人の言葉やらを直接に伝えない気持ちを知らないまま生きます。

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