僕が「BIKAS」である理由。ネパールのみんながくれた人生の意義。
「メロナームケホ?」
「ビカース!!!!!」
2年ぶりに訪れたラムジャコット村で僕は誓った。
この子たちのミライと共に生きたい
ネパールのミライと共に在りたい
「ビカス」はみんなの「BIKAS」で在り続けると
ある少年の途上国で学校を建てる挑戦。ここまでご愛読いただきありがとうございました。いよいよ最終章です。おわりとはじまりの物語です。
Part.8 僕が「BIKAS」である理由。
2018.8
DREAM-Hackが立ち上がって初めてのネパール渡航。
変わらないゴクールさんのお迎え。
変わりゆく街の景色。
1年半ぶりのネパールは、学生の頃の記憶や思い出を蘇らせつつも、社会人としての新しい発見をたくさんくれた。新しいネパールにも出会い、多角的にネパールに関わる中で、今まで見えてなかったモノに気づかされるも、自分の気持ちを再確認できた渡航だった。
しかし、いまだに学校の件は着地が見えておらず、屋根のない状態が続いていました。
一度身を引いた自分は果たして迎えられるのだろうか?
そんな気持ちで村への訪問はできなかったが、とにかく学校が建つまで自分にもできることを模索する日々が続く。
2019.3
涙が出そうなくらいの朗報が舞い込んできた。
あれから7年
ラムジャコット村に新しい校舎が遂に完成したとの連絡
(村の出身者が出資したとのこと)
ただ世界を変えたかった
ただすごいことがしたかった
僕が夢見た学校建設がついに完成
来る日も来る日も募金活動を続けた学生時代の努力の結晶
ただ子供たちの笑顔を見たいと一心に全てを捧げた学生時代の全て
莫大な設立金額を達成した時の感動
ただ設立金額を達成しただけでは学校が立たない現実に自分の無力さを感じた悔しさ
僕たちは世界を変えることができない
一度は諦めた夢だったけど、それが今現実になるなんて
僕たちの力は本当に小さかったかもしれない
無責任な期間もたくさんあった
本当に長い期間お待たせした
それでも開校式に是非LUCKYやビカスも招待したいという村の優しさと心の広さ
なんて顔して当日を迎えようか
なんて村の人や子供たちに対して話したらいいのか
複雑な感情も
この学校建設に携わってくれた先代の想いも
想いを託してくれたサポーターの皆様の想いも
今に受け継がれた想いも引き連れて
当日はありのままの感情で
みんなで泣いてみんなで笑い合いたいな
2019.3.12
僕の今を作り上げている原点
LUCKY支援校、開校の日。
ジープに揺られ、学校に着いた途端
そこに見えたのは、立派な校舎。
そして、微かに聞こえるのは「ビカス!」「ビカス?」と
子どもたちのヒソヒソ声が聞こえてきた。
様々な感情が交錯し、堪えきれない感情を抑え、迎えた開校式。
一人ひとりの自己紹介の最中、DREAM-Hack副代表の粋な計らいで「メロナームケホ?(私の名前はなんですか?)」と子供たちに聞いたが、もちろん答えられず、流れをつくってくれた中での僕の自己紹介。
映像で振り返る。
「メロナームケホ?」
「ビカース!!ビカス!ビカス!」
その時、人生で感じたことのない、言葉にできない高揚感と感動を受けたことを今でも覚えています。
僕は学校を建てるためにネパールへやってきました。
自分の夢を果たすためにネパールへやってきました。
7年を経て、学校は建ちました。
ただそれ以上に大切な気づきを与えてくれました。
何よりもヒトを幸せにするのは、そのヒトの心に残ること。
いずれ子どもたちは学校を卒業します。
いずれ校舎は古くなり、建て替えられます。
しかし、夢を目指す過程で出会った仲間とのつながりはなくなりません。
記録に残るより、記憶に残る。
それがどれだけヒトを輝かせるのか。
それがどれだけヒトを幸せにするのか。
僕はネパールのみんなに気づかされました。
ラムジャコット村のみんな
未来を築くLUCKYのメンバーたち
僕たちが建てた夢の学校
建設に至るまでの沢山の愛
本当に本当にありがとう
僕が「BIKAS」である理由、それは。
みんなが僕の存在を認めてくれた。
みんなが僕を「BIKAS」にしてくれた。
だから、今度は僕がみんなの「BIKAS」になる。
ここ、ネパールでたくさんの「BIKAS」を生み出す。
これまでもこれからもずっと僕はネパールとあり続ける。
この7年間の長い物語で得たこと。
それは、ネパールのみんながくれた僕の人生の意義、生きる目的である。
「BIKAS」=「develop」
ネパール語で発展・繁栄という意味を持ちます。
それは単なる、外からの開発という意味を持つのではなく、ヒトの内側から溢れ出すミライへのバイブス。「BIKAS」は目には見えないモノです。しかし、そのパワーはヒトからヒトへ伝播し、ミライへと繋がる大きな力になると僕は信じています。だからこれからも、僕がみんなの「BIKAS」であることは関わるすべてのヒトへの約束として、これからも生きていきます。
2012.4.2-2019.3.12
7年目の約束|僕の学校建設物語 完
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