「生贄地区にて」第2話
十五分くらい走っていた車が減速し始める。
前方の建物に人だかりができており、周囲の廃墟と明らかに雰囲気が違う。
元は小さなデパートだったのだろうが、窓はすべて鉄板で塞がれてさらに木材で補強されていた。
ちょうどこの車と同じような感じだ。
店舗の外も鉄柵で囲われており、有刺鉄線も施されている。
徹底した侵入者対策を見た私は指を差す。
「あれは何ですか」
「武器屋だ。軍事企業があそこに店を出している。生贄地区に長期滞在するなら、最初の百万はあそこで使った方がいい」
「ちょっと見てもいいですかね」
私がそう言うと、鎖原は車を路肩に停めてくれた。
降りる前に彼は運転席でゴソゴソと何か仕込む。
何をしているのか尋ねると、鎖原は車泥棒への罠だと答えた。
許可なく座った人間に発動して、至近距離から毒針や銃弾をお見舞いするらしい。
罠の設置を済ませた鎖原は当然のように言う。
「他人の車を盗むのは自殺行為だ。この地区では常識だから、実際に手を染めるのは新参者がほとんどだがな」
「物騒ですね」
「それが生贄地区だ」
私の知らない常識を教えてもらいながら車を降りて武器屋を目指す。
二十メートルくらいの距離だが、私は神経を尖らせて歩いた。
たったこれだけの道のりが長く感じられてしまう。
生贄地区であるというプレッシャーが錯覚させているのだろう。
本当は周囲を注意深く観察したい。
しかし、また怪異と目が合ってしまうかもしれない。
同じ失敗を繰り返したくないので、基本的には前だけを見て進む。
私の歩みがあまりにも遅いためか、見かねた鎖原が話しかけてきた。
「どうした」
「この辺りに怪異は出ないんですか? 警戒した方がいいかなぁと思ったんですけど」
「近くに何重もの結界が施されている。過信は禁物だが安全地帯と言えるだろう。たとえ怪異が侵入しても砲撃が叩き潰す」
そう言って鎖原が武器屋の屋上を指し示す。
看板で隠れているが、よく見ると大砲みたいな装置が設置されていた。
まるで外国の軍隊みたいだ。
ここから見上げるだけでも迫力がある。
武器屋は軍事企業が経営しているそうなので、戦争ができそうな兵器も用意しているようだ。
確かに安全地帯なのも納得だった。
あんなもので攻撃されたらひとたまりもない。
普通なら銃火器なんて価格的にも法律的にも買えるわけがなかった。
しかし、生贄地区なら話は別である。
あらゆる法律が適用されず、滞在するだけで日当百万が支給されるのだ。
高価な銃でも上手く生き延びれば手が届く額だった。
それを見越して武器屋があるのだろう。
私は砲台を撮影しながら尋ねる。
「ああいう超常的なモンスターに銃火器って通用するんですね」
「効かない個体もいるが基本的には有効だ」
考えてみれば、私達を追いかけてきた怪異も撃退できた。
特殊なパワーが無いと倒せないわけではないらしい。
極めて現実的な方法で殺せる存在なのだ。
生態の特異性があるだけで、実際は害獣に近いと思う。
未知な部分は多いが、戦うにしても絶望する必要はない。
それが怪異に対する人間の認識なのだ。
私はほんの少しだけ気が楽になった。
間もなく私達は武器屋に到着する。
店の前では「大特価セール!」の張り紙と共に様々な銃火器が並べられていた。
いずれも砂埃で汚れていたり、赤い染みが付着している。
どうやら中古品らし。
価格は安くて十万から二十万で、高いと百万円を超えてくる。
ここの住人なら、さほど苦労せずに買えそうだ。
私は乱雑に陳列された銃火器を見つめる。
日本ではなかなか見られない光景なので、珍しくてつい屈み込んでチェックしてしまう。
冷やかしになってしまうが、せっかくの機会なので観察する。
するとタンクトップを着た屈強そうな大男がやってきた。
首から名札を下げているので店員だろう。
店員は邪悪な笑みで話しかけてくる。
「いらっしゃい。見慣れないお嬢さんだな。新入りかい」
「あ、どうも。雑誌記者の八重です。生贄地区の取材で先ほど来たばかりです」
「……その様子だと洗礼を受けたらしいな。怪異はどうだった」
「本当に死ぬかと思いました。まだ心臓がバクバクですよ」
「はっはっは。まあ心臓が動いてるのは生きてるって証拠だ。この辺りは安全だからゆっくり休むといい」
大男の店員は笑いながら背中を叩いてきた。
その勢いが強くて、危うく私は商品に頭を突っ込みそうになる。
慌てて腕をついて体勢を保った私に、店員はますます笑うのだった。
見た目は怖そうだがフランクな人らしい。
そんな店員との挨拶を済ませて、私は鎖原と共に店内を巡回する。
階ごとに分類された武器が置いてあった。
銃火器だけでなく、近接武器も商品として並んでいる。
鎖原の車にもチェーンソーや斧が収納されていたが、怪異と間近で戦いたくない。
銃で撃つのも緊張するというのに、吐息がかかるような距離で立ち向かうなんて絶対に無理だ。
(私に戦いは向いてないなぁ……)
しがない三流記者で、こうして命を危険に晒さないと仕事もできない。
きっと編集長からも嫌われているんじゃないか。
もし気に入った部下なら、生贄地区に派遣することはないと思う。
やや自虐気味になりながらも、私は武器屋の見学をする。
店内は撮影禁止らしいので、しっかりと目で見て記憶していった。
客層は様々で、迷彩服やラフな格好の者から、なぜか高級スーツを着ている者もいる。
年齢や職業に統一感は無い。
男女比は男が圧倒的に多かった。
それぞれ異なる目的で生贄地区にいるのだろう。
彼らは律儀に列を作って会計を待っていた。
どこの階も整然としており、トラブルらしきものは見当たらない。
地区の外よりもしっかりしている印象さえあった。
「皆さんマナーが良いですね」
「安全地帯の中でも武器屋は住人の生命線だ。普段は仲が悪くても、ここでは協力するのが暗黙の了解となっている。そもそも態度が悪すぎる客は撃ち殺されても文句は言えない」
「なるほど、武器屋は中立エリアですか」
「中立ではない店もあるがな。何にしても迷惑行為は禁じられている」
含みのある表現だ。
裏のルールや派閥があるのかもしれないが、店内でする会話ではない。
後でこっそり訊いてみようと思う。
ほどなくして私達は階段を下りて一階へと戻った。
「見学はこれくらいでいいだろう。別の店に行くぞ」
「次は何屋さんですか?」
「雑貨屋だ。外とは品揃えが少し違う。記事にするにはちょうどいいだろう」
そこから徒歩で移動し、五分もかからないうちに到着する。
ドラッグストアを改装したと思しきその建物が雑貨屋らしかった。
店内に入ろうとすると、白衣を着たモヒカン頭の男が話しかけてくる。
「いらっしゃい、鎖原……その子はどうした。百万目当ての自殺志願者かい」
「記者だそうだ。地区について知りたいらしい」
「ほう、そんなことのために入場したのか。随分と命知らずだな。その様子じゃ、既に怪異と出会ったようだが」
モヒカン頭の男が店主らしい。
彼はじっと私を見つめてくる。
白衣が煙草の臭いが漂ってきた。
こまめに洗濯しているようだが、臭いがこびり付いているのだろう。
私はなるべくポーカーフェイスで挨拶をする。
「八重です、よろしくお願いします」
「うい、よろしく。俺の名前はネモ。気軽にネモちゃんって呼んでくれ」
「はぁ……」
私は困惑する。
モヒカン男のネモは気にする様子もなく話を続けた。
「どうだった。噂話のモンスターとは迫力が違うだろう」
「目を合わせただけで死にそうでした。頭の中を掻きむしられる感じで……」
「そうそう、俺も同じ感じになったことがあるよ。ぶっ飛んでるよな。早く殺してくれって思っちまった」
ネモは両手を広げて苦い顔を作った。
その話には共感できる。
怪異の影響を受けた時、まさしくそんな心境だったのだ。
あの時は気持ち悪くなって何も分からなくなってしまった。
あと一歩で自殺していたのではないか。
私はネモと世間話をする。
奇抜な見た目で勘違いしたが、意外と話しやすい人柄だった。
武器屋の店員と同じである。
生贄地区の住人は、私が思っているより普通なのだ。
或いは鎖原がわざとそういった人物ばかり紹介してくれているのかもしれないが。
話の途中、ネモが私の手を見て眉を曲げた。
「というか八重ちゃん、その釘どうしたの」
「鎖原さんが打ってくれたんです。これのおかげで怪異の影響を防げました」
「はいはい、苦痛による狂喜妨害ね。それにしても原始的すぎるだろ。女の子の手に傷が残ったらどうするんだ。後遺症のリスクだってあるんだぜ」
じろりとネモが鎖原を睨む。
鎖原は少し離れた場所で煙草を吸っていた。
こちらの会話が聞こえたらしく、彼は面倒そうに反論する。
「応急処置だ。気が狂うよりマシだろう」
「極端すぎるだろうよ。錆びた釘なんて最終手段だ」
「確実性を優先しただけだ」
それだけ言うと、鎖原はそっぽを向いてしまった。
ネモは深々とため息を吐くと、肩をすくめて私に囁く。
「まったく、薄情な奴だよな。デリカシーがない。でもあまり責めないでやってくれ。錆は怪異の力を鎮める効果があるんだ。その釘は荒療治だが確実な対処法とも言える」
「そうなんですか……」
初めて知った情報だった。
てっきり身近にあったガラクタ私を助けてくれたのだと思いきや、実はちゃんと意味があったらしい。
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