妖刀憑きの聖女 ~天下無双の剣士は復讐戦争に加担する~

【あらすじ】
かつて大陸最強と謳われた剣士ウォルド・キーン。
死後、彼の魂は刀に宿り、自らの担い手を探し求める妖刀となった。

そして現代。
ウォルドが見つけた担い手は、処刑間際の聖女だった。
これを好機と捉えたウォルドは、悲劇の聖女に命じる。

「力が欲しければ、刀を抜け。それだけでいい」

快諾した聖女は妖刀憑きとなり、無数の兵士と国王を斬り殺した。
彼女は自らの領地に戻ると、戦争の準備を始める。

不足する物資と人手。
続々と侵攻する王国軍。
信頼できない隣接領。
様々な問題に直面するも、正義を掲げて突き進む。

――巡り合った剣士と聖女は、壮絶な報復を始めるのであった。

【本編】
 薄暗い室内に、一人の若い女が入ってきた。
 彼女は数人の兵士に連行されている。

 薄汚れた白い軍服に魔力封じの首輪。
 傷んだ金髪の間からは、陰りのある眼差しが覗く。

 女からは生気を感じられず、どこまでも無気力な顔付きをしていた。
 まるで死体だ。
 いや、死体よりも酷い。

 女はすべてを諦めていた。
 その姿を見ているだけで、憐みと苛立ちを覚える。
 赤の他人だが、あまりにも情けなかった。

「ほら。さっさと歩けよ」

 半笑いの兵士が、気まぐれに女を突き飛ばした。
 女はよろめいて倒れる。
 床に膝を打ったはずだが、痛がるそぶりを見せない。

 さらに兵士達が嘲りの言葉をぶつけるも、女は一向に反応しなかった。
 果たして内容を理解しているのか。
 それすら怪しい状態である。
 兵士達は、つまらなさそうに舌打ちをした。

(酷い有様だな。これが現代の英雄か)

 俺はこの女の素性を知っている。
 いつも物置に押し込められている身だが、噂話くらいは耳にしていた。

 聖女ネア・カーシュナー。
 この国で発生した内戦の中心人物だ。

 長きに渡る内戦のきっかけは、先代国王の急逝であった。
 実権を握った跡継ぎの息子が暴走し、十二年にも及ぶ争いの下地を作ったのだ。

 新王の政治は破滅的だと聞く。
 それは今も変わらないらしい。
 貴族達の間では汚職と賄賂が蔓延し、過度な徴収が身分差の悪化や慢性的な飢餓を招いたという。
 困窮する民が反逆を起こして、それが国内全土に波及したのは自然の摂理と言えよう。

 そうして勃発した戦いは、王国からの離反を掲げる独立派と、民の鎮圧と圧政を目論む新王派による二勢力の衝突へと移行する。
 戦禍に包まれた王国は、内側から分裂した。
 その中でもネアは、独立派の先頭に立っていた一人である。

 内戦が始まって十二年目、ネアは停戦と独立の許可を申し入れた。
 双方の陣営が疲弊し、このままでは王国の存続も危ういと彼女は主張した。

 新王派は提案を呑む代わりに、ネアの身柄を引き渡すように要求した。
 ネアはこれを承諾し、新王派に幽閉されることになった。
 自らの犠牲で内戦を終息させられるのなら、本望だったのだろう。

 ところが、新王派は約束を破棄した。
 聖女という柱を失った独立派へと侵攻を再開し、狂気的な攻撃性を以て独立派を蹂躙し始めたのだ。
 被害を度外視した進軍で、独立派の主要人物を次々と処刑していった。
 その仕上げが、ネアというわけである。

 彼女は、相手の善意を信じすぎた。
 身柄の引き渡しは、実に愚かな選択だった。
 その高潔な精神性が仇となったのだろう。

 現在、独立派は辺境の地域で最後の抵抗をしているらしい。
 彼らは僅かな希望――聖女の帰りに縋っているのだ。
 まだ多少は粘るだろうが、いずれ戦線は破綻する。
 このままだと、新王派の勝利で内戦は終結するはずだった。

 それにも関わらず、ネアの顔に焦りは見られない。
 焦りどころか、すべての感情が死に絶えていた。
 まるで人形のように座り込んでいる。

 身柄を拘束されたネアは、今から闘技場の戦いに参加する。
 奴隷同然の扱いで、殺し合いの賭け試合をさせられるのだ。
 言うなれば処刑と同じである。
 その命を娯楽のために浪費させられるわけだが、絶望した彼女はそれすらどうでもいいらしい。

(停戦の申し入れなんて、間抜けなことを……)

 今も兵士から侮辱されるネアを見て、俺は呆れ返る。
 彼女のような人間は、過去に何度も目にしてきた。
 大して珍しくもない。
 愚かという表現がお似合いだった。

「こっちに来い」

 兵士の一人が、ネアの腕を掴んで引く。
 そうして彼女を武器の並ぶ棚まで誘導した。

 武器は様々な種類が用意されていた。
 ただし大半が錆び付いており、血で汚れたものも多い。
 品質は最悪に等しかった。

「お前が試合で使う武器だ。さっさと選べ」

 兵士が催促しつつ、ネアを棚に押し付ける。
 虚ろな目がゆっくりと動き、武器を眺め始めた。
 言われていることは理解しているらしい。

(はてさて、どれを選ぶ?)

 俺は期待を込めてネアを見守る。
 この選択次第で、彼女の運命は大きく切り替わる――かもしれない。
 まだ確定ではないものの、重要な判断には違いなかった。

「…………」

 やがてネアは、緩慢な動きで手を伸ばす。
 その先にあるのは、一振りの古びた刀だ。
 地味な鞘に収められており、柄には布が巻かれている。
 刀は、棚の目立たない箇所に置かれていた。

 彼女が何を考えたのかは分からない。
 動機を訊いたところで、まともな答えは返ってこないだろう。
 ただ確かなことは、ネアがその刀――すなわち"俺"を選び取ったという事実である。
 細く白い指が触れた瞬間、俺は昏い喜びと興奮を覚える。

(ようやく担い手が現れたか)

 一体、何十年ぶりのことだろう。
 この薄暗い部屋に閉じ込められてから、相当な年月が経った気がする。
 退屈な日々を送ってきたが、それもひとまず終わりそうだった。
 聖女と巡り合わせてくれた運命に感謝しなければ。

「…………」

 刀を手に取ったネアは、やはり無反応だった。
 俺の存在もきっと感じ取れていない。
 本当になぜ選ばれたのか不明であった。
 実は担い手ではないのかと不安になってしまう。

 一方、兵士がネアに忠告をする。

「その刀は呪われていて、誰も引き抜けない。特に害はないが、武器としての価値はないぞ。鞘に収めたまま鈍器として使うことになるが、いいのか?」

「…………」

 尋ねられたネアは、ただ佇むだけだった。
 口も開かず、天井の染みを見つめる始末である。
 彼女は刀を気に入ったわけではない。
 そもそも戦う気がなく、武器にこだわる必要がないのだ。
 ネアはひたすらに死を待っている。

(駄目だな。心が塞がっている)

 早くも見切りを付けていると、兵士が部屋の奥にある門を開く。
 室内に日光が差し込んできた。
 門の向こうからは、大勢の人の気配が感じられる。
 ネアは兵士に促されて外に出る。

 彼女を迎えたのは、糾弾の嵐だった。
 円形の地面を囲う観客席から発せられたものである。
 観客席は後列へ行くほど高くなっており、どこからでも中央の地面を見下ろせるような設計となっていた。

 ここは闘技場だ。
 定期的に残酷な娯楽が実施される地である。

 前方には十人の剣闘士が待っていた。
 半裸の男達は各所に防具を纏い、無骨な武器を握っている。
 彼らは一様に嗜虐的な笑みを浮かべていた。

 此度の試合の相手だ。
 ネアを嬲り殺しにするつもりなのだろう。
 立ち振る舞いからは、それなりの場慣れを感じさせる。

 そのような状況にも関わらず、ネアは無防備だった。
 刀を持ったまま、ただ茫然と佇んでいる。
 その視線は、虚空を彷徨っていた。
 死にかけの子犬でも、簡単に彼女を食い殺せるだろう。

 罵詈雑言が乱れ飛ぶ中、闘技場に鐘の音が響き渡った。
 王の演説が始まる合図だ。
 それを知る民衆は、一斉に口を閉ざす。
 闘技場に張り詰めた静寂が訪れた。

 最上段付近に設けられた特別席にて、不遜な表情の男が立ち上がる。
 男は遠目にも分かるほどに上等な服を着ていた。
 真紅のマントと、宝石のはめ込まれた杖がよく目立つ。

 過度に豪華な装いは、やや持て余した印象を受けた。
 言ってしまえば似合っていない。
 しかし双眸に宿る野心と攻撃性は、人並み外れた強さを持っている。
 その男こそ、内戦を招いた新王であった。

 王は朗々とした口調で話し始める。

「聖女を騙る大罪人よ。長きに渡って王国に混乱をもたらしたその所業、万死に値する。悪の権化に等しいと言えよう」

 ネアを批難するその声は、闘技場全体に聞こえるほどの大きさだった。
 拡声の魔道具を使用しているのだろう。
 民衆は静かな熱狂に包まれている。

「しかし、我々も鬼ではない。偽りの聖女よ――貴様に挽回の機会を与えてやろう」

 ここで観客席から拍手と歓声が沸き起こる。
 吐き気を催す光景だった。
 俺の心境をよそに、王は話を続ける。

「この試合で勝ち残った場合、貴様は無罪放免とする。加えて巨万の富をやる。内戦に関する王国の非を認め、独立を許可してもいい」

 民衆の間にどよめきが生じる。
 王の提示した条件に驚いているのだ。
 賭け試合の褒賞にしては、あまりにも破格であった。

 もっとも、実際は試合に勝たせる気などないのだろう。
 魔力封じの首輪や、この人数差が良い証拠である。
 何より本人が生存を諦めていた。
 これで勝てるはずがない。 

 一旦は驚いた民衆だが、大多数がそれを察しているようだった。
 彼らは、ネアが惨殺される姿を心待ちにしている。
 その愉悦を感じるためだけに、観客席を埋め尽くしていた。

「自らの正当性を訴えるのなら、武によってそれを証明してみせよ。真の英雄の力を発揮するがいい」

 そこまで言い終えた王が着席し、再び鐘の音が鳴り響く。
 演説の終了と、戦いの開始を報せる合図だった。
 悲劇を期待する観客席が、歓声を上げて熱狂する。

 十人の剣闘士は、軽快な動きでネアを包囲し始めた。
 下卑た笑みは、勝利を疑っていない。
 すぐに接近したりせず、武器を打ち鳴らして場を盛り上げていた。
 この時間を少しでも楽しもうとする心意気が垣間見える。

「…………」

 散々な扱いを受けながらも、ネアは未だ脱力していた。
 置物のように静止している。
 完全に殺される姿勢であった。

(この女……)

 俺はどうしようもない不快感に苛まれる。
 いい加減、我慢の限界だった。
 ここで黙っていられるほど、俺は気の長い性格ではない。
 渦巻く怒りを隠さず、ネアの心に話しかける。

『なあ、こんな扱いをされて悔しくないのか?』

「……誰でしょうか」

 ネアが初めて発言する。
 澄んだ声音だった。
 感情の起伏に乏しいものの、上品さが感じられる。

『そんなことはどうだっていい。質問しているのは俺だ。さっさと答えろ』

 俺は乱暴な口調で問い詰める。

 ネアは周囲の剣闘士を一瞥した。
 無表情のまま、彼女は内心を打ち明ける。

「私は、運命を受け入れます。世界に不要だと判断されたために、こうして死に導かれたのです。何も悔いはありません」

『クソみたいな理論だな。反吐が出そうだぜ』

 俺は舌打ちしたい気分に陥る。
 絶望で心が壊れたかと思いきや、とんだ思考の持ち主だ。
 好きになれない人種である。
 綺麗な言葉を並べて、動こうとしない臆病者だった。

 俺が苛立つ一方、ネアは持論を述べていく。

「正義のために戦った結果が、今の状況です。これが運命だと言うのなら、甘んじて肯定する他ありません。そもそも私は、この場から生還する手段を持ちませんので」

『じゃあ、これも運命の出会いってやつだな』

「――どういうことでしょうか」

 興味を抱いたのか、ネアが顔を上げる。
 その眼差しは、俺の居場所を探している様子だった。
 ようやく見せた人間らしい反応である。

 しかし、剣闘士達がそろそろ仕掛けてきそうだ。
 急がなければ間に合わない。
 それに気付いた俺は、ネアに一つの提案を行った。

『あんたに生き残るための力を与えよう。対価はあるが、誤差の範囲さ。死ぬよりマシさ』

 歴代の担い手達に告げてきた言葉である。
 久々だったが、淀みなく伝えることができた。

『死に導かれたんだって? それなら逃れる手段をくれてやるよ。さあ、どうする』

「…………」

 ネアは沈黙する。
 ただし、先ほどまでとは性質が異なった。
 彼女は逡巡しているのだ。
 凛々しい眉を寄せて考え込んでいる。

『正義のために立ち上がった戦争が、こんな結末でいいのかよ。あんたが諦めれば、それだけ多くの命が無駄になるんだ。聖女様はそれを喜ぶってことだな?』

「いえ……」

 ネアは否定しようとして、すぐに口を閉じた。
 だが、出てしまった言葉は取り消せない。
 俺は駄目押しの誘いをかけていく。

『もし話に乗るのなら、刀を抜け。それだけでいい』

「…………」

 ネアの目に生気が宿る。
 歯がしっかりと食い縛られた。
 彼女の心臓は、鼓動を速めていく。

 無気力な死にたがりの女は、もう消え失せていた。
 そこに立つのは、逆境と対峙する聖女だ。
 絶望に瀕する英雄は今、奮起しつつある。

 ネアが刀の柄に手を添えた。
 彼女は呟くようにして意志を口にする。

「――別に命が惜しいわけではありませんが、これも何かの縁です。たとえ死を乗り越えられなかったとしても、私はそれを肯定しましょう。もし生還できたのなら、聖女の使命に従います」

 ネアは慎重に刀を引き抜いていく。
 金属の擦れる音と共に、曇りなき刃が露わとなった。

 その途端、彼女の身体に異変が生じる。
 噴き上がる風を受けて、金髪が浮き上がった。
 それが端から紺色へと染まっていく。
 目も緑色から鮮やかな赤色に変わった。
 刀の柄に巻かれた布が、ネアの身体に絡まっていく。

 彼女は自らの変貌に驚愕する。

「これは……っ」

『契約成立だ! おめでとう、あんたは妖刀の担い手となった。さっそくだが肉体を借りるぜ』

 俺は一方的に告げると、ネアの意識を抑え込むようにして、彼女の身体を強奪する。
 その勢いで主導権を乗っ取った。
 五感の冴えを知覚しながら、両脚で地面を踏み締める。

「ふむ」

 俺は刀を抜き放つ。
 手に馴染む感触だった。
 こいつで数え切れないほどの人間を斬ってきたのだから当然だろう。
 今では名実共に俺の一部である。

 刀と鞘を手にした俺は、次に身体の調子を調べた。
 手足を軽く動かして確かめていく。

(ちょいと衰弱しているが……まあ許容範囲だな)

 俺が人間だったのは大昔のことだ。
 もはや細かい年月すら覚えていない。

 借り物とは言え、やはり肉の身体は良い。
 贅沢を言っていられない身でもあった。
 いつか人間に戻るためにも、大量の魂を刈り取らねば。
 それこそが、俺の存在目的だ。

 一方、聖女の変貌を目にした観客は騒然としている。
 先ほどまでとは明らかに違う空気だった。
 少なからず不安を抱いている。

 それは剣闘士も同様だ。
 直前の余裕が消失し、怪訝そうな目つきをしていた。
 ふざけるのを止めると、こちらの動きの観察に集中する。
 察しが良い連中が揃っているようだ。

「さて、どいつから斬ろうか」

 左右に刀を揺らしながら、俺は剣闘士を吟味する。
 少々の思案を経た後、地面を蹴って駆け出した。

 狙いは、最も近くにいた剣闘士だ。
 ちょうど真横にいた男である。

「うおっ!?」

 その男は、慌てて斧を横薙ぎに振るってきた。
 豪快な一撃は、軌道が単純で読みやすい。

 俺は滑り込むようにして躱すと、半身になって踏み込む。
 そこからすくい上げるようにして、男の胸に刺突を繰り出した。

 刀の切っ先が胴体を突き破る。
 体内を蹂躙した末、心臓の中心を捉えた。
 柄を捻ることで傷口を抉っていく。

「ゴ、ガァ……ッ!?」

 痙攣する男は、天を仰ぎながら血を噴いた。
 真っ赤な鮮血の雨が、俺と地面に降りかかる。
 懐かしい生温かさを覚えつつ刀を引き抜くと、男は崩れ落ちた。

 次の瞬間、観客席から悲鳴と怒声が上がる。
 予想外の展開を前に、人々は混乱しているらしい。
 無力な聖女が、まさか剣闘士に勝つとは思わなかったのだろう。
 直前の変貌も相まって、恐怖を植え付けることに成功したようだ。

「けっ、いい気味だぜ」

 俺は特別席に注目する。
 王は、目を血走らせてこちらを見下ろしていた。
 明らかに怒り狂っている。
 望まない光景を受け入れられないのだ。

 鼻を鳴らした俺は、刀の血を振り払う。

「待ってろよ。すぐに斬ってやる」

 血塗れの顔で、俺は嬉々として呟いた。

 ◆

 俺は王から視線を外す。
 胸中に燻る衝動を知覚して、熱い吐息を洩らした。
 どうにも興奮が冷めやらない。
 これは発散して鎮めるしかなさそうだった。
 我ながら困った習性である。

 残り九人となった剣闘士は、露骨にこちらを警戒していた。
 自分達の対峙する相手が、無力な聖女ではないと気付いたのだろう。
 しかし、逃げ出すような気配はない。
 依然として俺を殺すつもりのようだった。

 この人数差なら勝てると踏んでいるのだ。
 最初の一人が死んだのは偶然で、不意を突かれただけなのだ、と。

 俺からすれば、好都合な解釈であった。
 下手に逃げ出されると、追いかけるのが面倒だ。
 向こうから仕掛けてくれれば、その手間も省ける。

 抑え込んだネアの精神が騒いでいた。
 鬱陶しいが、今は無視する。
 この状況を解決するのが先だろう。
 見たところ魔術師はおらず、正攻法で戦えそうだった。
 大して時間はかからないはずだ。

「九人」

 呟いた俺は、前傾姿勢となって駆けた。
 低い姿勢からの斬り上げを放つ。
 反応できなかった剣闘士の首が飛んだ。
 少し遅れて血飛沫が噴出する。

「八人」

 身体を翻して刀を一閃させた。
 刃は槍使いの肩に割り込み、そのまま体内を縦断していく。
 斬撃が脇腹から抜けると、切断面に沿って胴体がずれ落ちた。

「七人」

 左右の剣闘士が、同時に攻撃を仕掛けてくる。
 俺は目視によって軌道を把握すると、寸前で屈み込んだ。
 二種の武器は、身体や髪を掠めていく。
 ただし、俺を傷付けることはない。

 俺は軸足から身体を捻り、思い切り回転した。
 鞘で右の男の鳩尾を強打し、刀で左の男の喉を切り裂く。
 喉を押さえる男は、血を溢れさせて倒れ込んだ。

「六人」

 鳩尾を打たれた男は、蹲って咳き込んでいる。
 武器も手放して必死に呼吸していた。
 隙だらけな首に足を載せて踏み折る。

「五人」

 背後から殺気を感じた。
 俺は振り向きざまに鞘を振るう。
 鞘の先端が、短剣使いの顎を打ち上げた。

 息の詰まった男はよろめく。
 顎への一撃で脳が揺さぶられたのだろう。
 そこを手早く斬り伏せる。

「四人」

 動きを止めた俺は辺りを見回す。
 まだ生きている剣闘士は、酷く怯えていた。
 顔面蒼白で震えている。
 まだ元気なのに、近付いて来ようとしない。
 死んでいった剣闘士達を目の当たりにして、すっかり戦意が削がれてしまったようだ。

 その光景に俺はため息を吐く。

「おい、ふざけるなよ。それでも剣闘士なのか?」

 彼らに向けて告げるも、後ずさるばかりだった。
 やはり戦う気は起きないらしい。
 完全に萎えてしまっている。

(情けねぇな。命を懸ける気概も見せられないのか)

 俺は落胆する。
 こいつらだけが腑抜けなのか、それとも現代の気風なのか。
 振り返れば、いつの時代もこんな感じだったかもしれない。

 結局、誰もが死にたくないのだ。
 死が間近に迫れば、なんとか離れようとする。
 それが一般的な感性であり、命の価値が低い剣闘士でも同様らしい。

 とにかく、これ以上の問答は時間の無駄だ。
 さっさと処理した方がいい。

 俺は軍服のベルトに鞘を差して固定すると、刀だけを片手に携える。
 それから残る四人の剣闘士を斬り殺した。
 連中は武器を振り回して喚くばかりで、まともな抵抗をしてこなかった。
 剣闘士を全滅させた俺は、頬に付いた血を親指で拭う。

 観客席は静まり返っていた。
 あまりの光景に言葉を失っている。

「ははっ、最高だな」

 俺は笑みを深める。
 無論、まだ終わりではない。
 むしろここからが本番と言えよう。

 俺は助走を付けて加速し、壁の手前で跳躍した。
 魔術障壁を斬り破ると、跨ぐようにして観客席に侵入する。

 民衆の悲鳴と混乱は最高潮に達した。
 彼らは席を立って逃げ惑い、少しでも俺から距離を取ろうとする。
 なんとも愉快な光景であった。

 恐怖に駆られる民衆を眺めていると、風切り音がした。
 俺は刀を動かして飛来物――射かけられた矢を切断する。
 さらに追加で矢が放たれたので、残らず弾いておいた。

「ふむ、悪くない腕だ」

 少し離れた地点に、兵士達が並んでいた。
 俺の暴走を止めるために駆け付けたようだ。
 弓を下ろした彼らは、扇状に展開して近付いてくる。

 互いの隙を埋める陣形であった。
 それを維持して、じりじりと距離を詰めてくる。
 存外に堅実な戦法だった。
 よく訓練されている証拠である。

(まあ、意味はないが)

 俺は突進して、兵士達の只中に飛び込む。
 相手の間合いに入った瞬間、槍の刺突が繰り出された。
 それを跳んで避けた俺は、薙ぎ払うようにして刀を振るう。

 居並ぶ兵士達の腕が斬り落とされた。
 噴き上がる血を浴びながら、追撃の刃を叩き込む。
 刃が閃くたびに、兵士が次々と赤い海に沈んでいく。

 陣形を組まれようが関係ない。
 その意図と強みを打ち崩すように動けばいいだけだ。
 別に難しいことではなかった。
 大量の兵士を死体に変えながら、俺は王を目指して突き進む。

 ネアの魂が叫んでいた。
 あの悪しき王を始末せねば、と。
 俺に肉体の主導権を奪われながらも、彼女は必死に主張している。
 無気力で虚無な聖女は、もういなかった。

 俺は行く手を阻む兵士を次々と斬殺していく。
 白い軍服が血で染まりつつあった。
 犠牲者が発生するたびに、兵士達の動きは鈍り、俺への接近を躊躇する。
 民衆に紛れて、闘技場から去る者も散見された。

 一方的な殺戮により、士気が低落しているのだ。
 これでは指揮系統も崩壊しているだろう。
 せっかくの戦いが減ってしまい、少し残念だった。

 兵士を始末しているうちに、俺は特別席の目前に到着する。
 複数の魔術で防護されたそこには、王や上級貴族が閉じこもっていた。
 下手に逃げ出すより、閉じこもる方が安全だと判断したのだろう。

 紛うことなく無難な考えであり、普通はそれで問題ない。
 ところが今回ばかりは失敗だった。
 あの程度の魔術なら、俺なら簡単に破壊できる。
 つまり妨害用の障壁としては、まったく機能していないということだ。

「待てっ!」

 特別席へ向かおうとしたところ、制止を求める声が発せられた。
 同時に一人の男が立ちはだかる。

 屈強な体躯に白銀の鎧を纏い、揃いの剣と盾を装備している。
 男は兜を着けておらず、素顔が確認できた。
 短い茶髪に精悍な顔立ちで、見るからに美男子である。

(あいつは誰だ?)

 俺はネアの記憶を探り、該当する人物を発見する。
 前方に立ちふさがるのは、聖騎士だ。
 ネアにとっては盟友であり、独立派の主要人物――だった男である。

 聖騎士は、裏で新王派で繋がっていた。
 戦後の根回しのために、情報を売る裏切り者だったのだ。
 彼の暗躍が発覚した時には手遅れで、これが原因で独立派は大敗を喫した。

 現在、聖騎士は新王派として貴族の末席を確保している。
 さらには幼い妻を三人も娶ったそうだ。
 将来は安泰だろう。

 内乱を私欲で掻き乱した人物だが、俺は聖騎士の所業を批難するつもりはない。
 彼は戦況を冷静に俯瞰し、先の展開を読んで立ち回っただけだ。
 何も悪くない。
 ただの世渡りが上手い男である。

「ネア、その姿は一体……」

 聖騎士は俺を見て呟く。
 心配するような口ぶりだが、表情は気味悪がっていた。

 それにしても、よく平然と話しかけられるものだ。
 ネアからすれば、聖騎士は最低最悪の裏切り者である。
 独立派の崩壊を招いたにも関わらず、彼は友人のような接し方だった。
 雰囲気で誤魔化して、無かったことにするつもりなのかもしれない。

「とにかく、ここは投降してくれ。今なら僕から口添えができる。君の所有権を主張すれば、奴隷という形で処刑を避けられるかもしれない……」

 聖騎士はさも名案とばかりに説得を始める。
 対する俺は、堪えながら嘲笑した。

「口説き文句にしては、品が足りないんじゃないか? 時間をやるから考え直して来いよ」

「ネア……?」

 聖騎士は、信じられないとでも言いたげな顔をしていた。
 この肉体の持ち主は、口汚い言葉を使わない。
 彼女の人柄を知る聖騎士は、豹変ぶりに戸惑っているようだ。

 俺は人差し指を動かして聖騎士を挑発する。
 片手は刀を弄んでいた。

「かかってこいよ伊達男。ご自慢の顔は傷付けないと約束するぜ」

「わ、分かったぞ。君は誰かに操られているんだなっ!? 僕がすぐに治療しよう。そうすればすぐに――」

 聖騎士がよく分からないことを言い始めたので、それを無視して接近する。
 勢いに任せて刀の連撃を叩き込んだ。

 聖騎士は盾と剣を駆使して防御する。
 その際、前腕に深手を負ってしまい、彼は盾を取り落とした。
 血を流す片手を垂らしたまま、苦しそうに呻く。

「ぐ、くぅ……っ」

「やるじゃないか。聖騎士の名は伊達じゃないらしい」

 感心する俺は、素直に称賛の言葉を口にした。
 今の連撃は殺すつもりで放ったものだ。
 並の兵士ならば、為す術もなく死んでいただろう。

 ところが聖騎士は凌ぎ切った。
 負傷した点を加味しても、なかなかの技量である。
 英雄の名に恥じない動きだった。

 盾を諦めた聖騎士は、剣のみを構える。
 彼は忌々しげに愚痴を洩らした。

「卑怯な手を……」

「卑怯? 今、卑怯と言ったのか?」

 俺は刀を下ろして問いかける。
 聖騎士は、答えない。
 集中を欠くための作戦とでも思われているのか。
 嘆息した俺は、聖騎士に告げる。

「笑わせるなよ。殺し合いに礼儀も作法も必要ない。最後まで生きていた奴が正義だ」

 屍の山を嘲笑い、唾を吐く。
 そういった状況で咎める者がいない場面こそ、まさに正義だと思う。

 俺は再び突進して、聖騎士に斬撃を浴びせていった。
 途中、斬撃の速度を上げていく。
 この身体では限界があるも、その範疇で力を発揮するつもりだ。
 壊れてしまうと面倒なので特に気を配る。

 懸命に防御する聖騎士だったが、すぐに追いつかなくなった。
 気が付けば刀の切っ先が、彼の口内を貫いていた。
 刀は喉奥を破り、後頭部から露出している。

「ガュ、ァッ」

 聖騎士は溺れたような音を発し、白目を剥いて息絶えた。
 それなりの剣技だったが、まだまだ軟弱だ。
 俺を満足させるには程遠かった。

 聖騎士の死体を踏み越えた俺は、特別席に到着する。
 魔術の障壁を破壊して強引に侵入した。

 そんな俺を出迎えてくれたのは、白い鎧が特徴の兵士の一団だった。
 風貌から察するに、彼らは近衛兵だ。
 王を護衛する精鋭である。

 確かに佇まいは、一般の兵士とは異なる。
 しかし、圧倒的に物足りない。
 直前に殺した聖騎士と比べた場合、どうしようもなく見劣りしてしまう。

「まあ、選り好みはできないか……」

 俺は跳びかかり、近衛兵を突き崩す。
 瞬く間に特別席を鮮血で穢していった。

 腰を抜かす貴族達の間を抜けて、ついに王の前へと至る。

 席を立った王は、歯噛みしていた。
 憎々しげに俺を睨んでいる。

「――――、――」

 王が早口で詠唱して、手持ちの杖から火球を飛ばしてきた。
 俺は刀で切断する。
 二つに割れた火球は、背後で貴族に直撃した。
 火だるまになった貴族は、苦しみながら絶命する。。

「危ねぇな。火遊びするなよ」

 俺は相手の杖を斬り、驚く王を突き飛ばした。
 王は背中を床にぶつける。
 彼が倒れたところで、顔の横に刀を突き立てた。

 刃は王の耳を浅く切り裂く。
 滲んだ血が、刃を伝ってゆっくりと地面に垂れる。

 柄を握る俺は王に告げる。

「ここがお前の墓場だ。遺言を聞いてやろう」

「貴様……ッ!」

 王は激昂する。
 どうたら現状がまだ分かっていないらしい。

 残念に思った俺は刀を傾けていく。
 王の耳に触れていた刃が、さらに頬に食い込んだ。
 じわり、と血が浮かび上がる。
 王は硬直し、噛み締めた歯をカチカチと鳴らしていた。

「言葉遣いに気を付けろよ。うっかり手が滑っちまう。これで二度目の注意だ」

「ぐっ……」

 王は身動きが取れない。
 ただ俺を睨むことだけしかできなかった。
 この場において、権力など何の意味も為さないのだ。

「剣闘士共は皆殺しにした。約束通り、無罪放免にしてくれよ」

「だ、誰が貴様などを――」

 最後まで聞かずに刀を軽く回転させる。
 王の耳の一部が削ぎ落とされた。
 痛みによる絶叫が響き渡る。

「ぐおおああああっ」

「同じ忠告をさせる気か? 言われたことは一度で憶えてくれ」

 肩をすくめた俺は、思い出したように手を打った。
 王を踏み付けながら要求を追加する。

「そうそう、謝罪だ。心からの詫びが欲しいな」

「……謝罪は、しない。狂気に侵された聖女よ。すべては貴様が間違っているのだ。独立など決して許されない。この国で、勝手な真似はさせぬ」

 王は絞り出すように答える。
 断固とした決意だった。
 てっきり見苦しく命乞いするものかと思ったが、王には王なりの矜持があるらしい。

「そうかい。あんたの考えはよく分かった」

 俺は床から刀を引き抜く。
 身体を起こした王が、欠けた耳を押さえた。
 手には、べったりと血が付着している。

 顔を上げた王は、怨嗟を込めた眼差しを向けてきた。
 俺は皮肉った笑みを投げ返す。

 その時、身体に異変が生じた。
 身体に巻き付いていた布が後退し、髪の端から金色に戻っていく。

「おおっ?」

 ネアの精神が浮上してきたのだ。
 強靭な意志で、割り込もうとしている。

 俺はすぐさま抑え込むも、間に合わなかった。
 結果、互いの精神が混濁した状態となる。
 二人で一つの人格を構成している形だ。
 奇妙な感覚だが、これが不思議と不快ではない。

 初めての憑依で、まさか主導権を奪い返されそうになるとは予想外である。
 激情が、ネアの精神力を高めたのだろうか。
 しばらくはこのまま行動するしかなさそうだった。
 ネアが落ち着いたところで、どちらかが主導権を握り直そうと思う。
 今は、目の前のことに集中したい。

 俺は刀の柄を握り直した。
 そばに聖女ネアの存在を感じながら、王に宣告する。

「――私(おれ)は、貴方(おまえ)を還(ころ)す」

 弧を描くように刀を振るう。
 手首の返しで血を払って鞘に収めた。

 王の表情が固まる。
 首に一本の赤い線が浮かび、それが太くなる。
 血が垂れ始めた頃、その線を起点に首がずれた。
 床に落下して転がっていく。

 一国の王は、あっさりと死んだ。
 泥沼と化した内戦の元凶は、その生涯を終えたのである。
 あまりにあっけないが、人間の命とはそういうものだ。
 死ぬ時は簡単に死ぬ。
 そこに種族や身分は関係ない。

 王の殺害で気が晴れたのか、ネアの精神が沈静化した。
 隙を見て俺は、彼女の人格を抑え込む。
 混濁状態から復帰して、主導権を握り直すことに成功した。

(まったく、過激な聖女だ)

 息を吐いた俺は、ふと辺りを見やる。
 貴族や使用人達が凍り付いていた。
 王の死を目撃して、思考停止しているらしい。

 俺は彼らの間を堂々と闊歩する。
 実に清々しい心持ちだった。
 視線が集中する中、俺は獰猛な笑みを湛えてみせた。

「戦争再開だ。さあ、楽しんでいこうぜ」

 その場の人間が、一瞬で恐怖に包まれる。
 彼らの反応に満足した俺は、軽い足取りで立ち去った。

 ◆

 地面からの振動が絶えず伝わってくる。
 幌馬車の中に座る俺は、組んだ脚を解いて左右を逆にした。
 尻が少し痛いものの、揺れについては我慢するしかない。
 俺は刀を抱くようにして座り直す。

(贅沢を言える立場ではないからな……)

 闘技場で殺戮を引き起こした後、俺は通りかかったこの幌馬車に乗った。
 本音を言えば、あのまま暴れ続けたかったが、ネアの身体は貧弱すぎる。
 鍛え方がなっておらず、負荷をかけすぎると壊れる恐れがあった。
 そういった事情を踏まえて、仕方なく逃亡することにしたのだ。

 現在は闘技場のあった王都から離れている最中で、草原に設けられた街道を突っ切っている。
 行き先は、独立派の領地だ。
 彼の地の人々は、きっと最後の抵抗に勤しんでいる頃だろう。
 ネアの記憶を覗き見た俺は興味を抱き、この目で確かめることにしたのである。
 彼女の精神も反対しないため、赴くことを決定した。

 行き先について、俺は特にこだわりがなかった。
 向かう先に戦場さえあれば、それで満足できる。
 他は割とどうでもいい。

 馬車の中には、俺の他にも人間がいた。
 首輪と枷を着けた者達だ。
 共通してみすぼらしい衣服を纏っている。
 そんな容姿の者が六人もいた。

 彼らは奴隷である。
 所有者は、この場舎の御者をしている男だった。
 個人経営の奴隷商とのことで、ここにいるのは売れ残りと聞いている。
 他の街に繰り出そうとしたところで、闘技場から出た俺と遭遇したのだ。
 そうして俺に脅された結果、半強制的に目的地を変える羽目になった。

 巻き込まれた奴隷商の立場を考えると、不運としか言いようがない。
 その境遇に同情はするも、遠慮するつもりはなかった。
 俺達も色々と困っているのだ。
 生憎と他人を気遣う余裕は持ち合わせていない。

 現在は馬を操る奴隷商だが、とにかく人相が悪かった。
 禿げ頭の中年男で、顔に大きな傷跡がある。
 筋骨隆々な体躯も加味すると、まるで盗賊の親分のような容姿だ。

 実際、腕っ節も強いはずだが、それは披露されていない。
 野生の勘が鋭いのか、出会った時点から従順だったのである。
 俺の無茶な要求にも逆らわず、慇懃な調子で御者を請け負っていた。
 反発すれば斬られると正確に理解していたのだろう。

 こういう人間は、なかなかにしぶとい。
 俺は嫌いじゃないし、むしろ仲良くしたい人種だった。
 生存に関する嗅覚が優れているため、形勢が良い間は信頼できる。

 一方で奴隷達は、端に寄って固まっていた。
 俺が少し身じろぎしただけで、過剰に反応をする。
 疲れないのかと心配になるほど怯えていた。

(全身が血だらけなのがいけないのか?)

 俺は血で汚れた軍服を点検する。
 馬車に乗る前に水を被ったのだが、赤い染みが綺麗に洗い落とせていない。
 これは丹念に擦っても取れないだろう。
 完全に染み付いてしまっている。
 血の臭いも少なからず漂わせていた。

 到着までまだまだ時間がある。
 ここは場を和ませる努力をしたかった。
 奴隷達を無意味に緊張させるつもりもない。
 せっかくなのだから、気楽に会話できる間柄になりたかった。

 そう考えた俺は、魔力封じの首輪を指しながら笑う。

「見てくれよ。皆とお揃いだ」

 奴隷達は怪訝そうな表情で困惑している。
 自分の首輪に触れる者もいるが、残念ながら空気は張り詰めたままだった。
 気楽な会話など夢のまた夢といった有様である。

 ちょっとした雑談のつもりだったのに、見事に失敗した。
 ここまで怖がられていると、話も弾みようがない。

 苦笑する俺は、首輪を引き千切って外に捨てた。
 徐々に小さくなる首輪を眺めていると、頭の中に声が響く。

『……聞こえますか?』

 それはネアの声だった。
 意識が明瞭になった彼女は、俺に話しかける術を発見したらしい。
 俺は頷いて応じる。

「ああ、ばっちり聞こえてるぜ。落ち着いたようだな」

『はい。まだ混乱している部分はありますが、大丈夫だと思います』

 ネアと会話する端では、奴隷達が不審そうにこちらを見ていた。
 彼女の声は、他者には聞こえていない。
 あくまでも俺の精神のみに届けられるものだ。

 だから傍から見れば、独り言にしか見えないだろう。
 頭がおかしいのだと思われているかもしれない。
 もっとも、どう思われても構わなかった。
 俺は気にせず会話を続ける。

「こっちの状況は見えているかい?」

『馬車の中、ですね。枷と首輪を着けた奴隷がいます』

「よしよし、問題なさそうだ」

 身体の主導権を握っていない状態でも、状況把握ができるようになっている。
 俺との繋がりが安定してきた証拠だ。
 担い手としての能力が馴染んできたのである。

「分かっていると思うが、あんたは理不尽な処刑を免れた。おめでとう、晴れて自由の身だ」

『…………』

 俺は拍手するも、ネアは沈黙する。
 何やら考え込んでいる様子だ。

「どうした」

『――貴方は誰ですか?』

 ネアは探るように尋ねてきた。
 そういえば自己紹介がまだだった。
 今更ながらも俺は名乗る。

「ウォルド・キーン。博識な聖女様ならご存知かもな」

『人斬りウォルド……』

 ネアは恐れと驚きを感じさせる声音で呟く。
 久々に耳にした響きに、俺は目を細めた。

「懐かしい二つ名だ。そこまで知ってるとは思わなかった」

 俺が人間だった頃なんて相当に昔だった。
 詳しい年月は数えていない。
 まさか二つ名まで知られているとは、意外と有名みたいだ。
 自然と嬉しくなってしまう。

「とにかく、俺がそのウォルドってわけさ。刀に憑り付くことで、現代まで生き延びてきたんだ」

 この状態を生き延びたと言っていいのか微妙だが、細かいことはどうでもいい。
 とにかく一度は死んだ身にも関わらず、俺は意識を保って存在していた。
 それだけ伝わればいいだろう。

 俺が刀になった経緯は、自分でもよく分かっていない。
 おそらくは、未練や執念が原因だろうと結論付けていた。
 死の間際に抱いた衝動が、俺の魂を刀に移したのだ。
 以来、俺は妖刀に宿る人格と化している。

『貴方がウォルド・キーンであることは分かりました。しかし、なぜ私に力を与えたのですか。貴方の目的は何なのでしょう?』

「人間として蘇ることだ。そのために大量の魂が要るのさ」

 殺した人間の魂は、刀に蓄積されていく。
 集めた魂を触媒にすることで、俺は蘇りを果たそうと画策していた。

 刀になってから数年後、一人の呪術師から聞き出した方法である。
 魔術適性のない俺にも行使可能な術とのことだった。
 人間を斬れば斬るほど、念願の復活が近付くという寸法であった。

 ただし、ここで大きな問題が立ちはだかる。
 刀になった俺は、自力で行動できない。
 そのため刀を振るうための身体――すなわち担い手が必須だった。

 だから俺は、時代ごとに巡り合った担い手と行動することにした。
 そいつに力を貸す代わりに、俺の目的達成も手伝わせるのだ。
 利害の一致による共存関係であり、今回もその典型例と言えよう。

 俺はそういったことをネアに説明する。

「あんたは独立派を勝利に導きたい。俺はたくさんの魂を集めたい。この二つを一気に解決できる案がある」

『……新王派の軍を、殺す』

「その通り! 理解してもらえて嬉しいよ」

 聖女による王の殺害は、瞬く間に知れ渡るだろう。
 そうなれば内戦の再燃は確実だ。
 向こも引き下がれなくなり、独立派を徹底的に滅ぼそうとする。

 この流れを止めることはできない。
 個人的には理想の展開であった。

「というわけで、これから俺達は一心同体だ。頑張って内戦を戦い抜こうじゃないか」

『拒否権は、ないようですね』

「もちろん。あんたが刀を抜いた時点で、交渉は成立している」

 せっかく見つけた担い手だ。
 ここで逃がすつもりは毛頭ない。
 また何十年も待ち続けるのはご免だった。

『――いいでしょう。私はあの場を生き残った。つまり、まだ使命があるということです。正義のために戦い続けます』

 ネアは決意を込めた声で言う。
 初対面の時とはまるで別人だった。
 本当に同一人物なのか疑いたくなるほどだ。

 ネアという人物は、極端な合理主義なのだろう。
 不確定な奇跡を勘定に入れず、客観的に見た状況だけを判断材料に加える。

 だから絶対に逃げられないと分かった場面では抵抗しない。
 一方で少しでも可能性が見えれば、それをたぐり寄せようと奮起する。
 それらの思考を使命や正義といった表現で補強すれば、聖女らしい言動の完成だ。

 ネアの持つ執念は、もはや狂気に近い。
 担い手の素質を、十分すぎるほどに備えている。
 どうせなら殺戮を厭わない人間と組みたいと思っていた。
 そういった面で評価すると、ネアは最適に等しい。

 新たな担い手に期待を高めていると、馬車前方にある仕切りの布がめくれ上がった。
 その向こうから御者の奴隷商が顔を出す。
 彼は少し焦った様子で報告をする。

「後ろから王国軍が迫ってますぜ」

「分かった」

 意識を研ぎ澄ませると、確かに複数の気配を察知できる。
 俺は馬車の中から後方を確認する。
 騎兵の集団が迫りつつあった。

 ほぼ間違いなく、王都からの追っ手だろう。
 計二十人ほどの集団で、完全武装して馬を駆っている。

 先頭の兵士が、クロスボウから矢を発射した。
 俺を狙ったその矢を片手で掴んで止める。
 危うく額に穴が開くところだった。
 馬上から放ってきたことを考えると、結構な腕前だろう。

「はは、惜しかったな」

 笑う俺は矢を投げ返す。
 矢はクロスボウを持つ兵士の片目に命中した。
 悲鳴を上げた男は転落し、後続の馬に踏み潰されて即死する。

「このまま進んでくれ。俺が処理しよう」

 御者の奴隷商に指示しつつ、俺は騎手のいなくなった馬に注目する。
 馬車から跳ぶと、その馬に着地して手綱を握った。
 特に反応もせずに馬は走り続ける。
 よく訓練されているようだ。

 俺は背後を振り返る。
 騎兵達は、虎視眈々とこちらの背中を狙っていた。
 互いに目配せをしながら、攻撃の機会を窺っている。

「見送りなんて嬉しいな。心から歓迎するよ」

 鞘から刀を抜いた俺は、獲物の選定を始めた。
 騎兵達の装備や力量を目視で確かめていく。

 馬上戦闘とは何気に珍しい。
 騎乗しながら戦うことが滅多にないので新鮮な気分だった。
 存分に楽しませてもらおうじゃないか。

 ◆

 俺は馬を操って僅かに減速させる。
 それに伴って、後続の騎兵達が追い付いてきた。
 すぐさま槍の刺突が放たれる。

「おっと」

 俺は感覚で察知すると、槍を刀で受け流した。
 振り抜きの動きで向こうの馬を斬る。
 馬は派手に転倒し、後続を巻き込んでいった。

「ちょうどいい。戦い方を教えてやるよ。あんた、あまり得意じゃないだろう?」

『否定は、できませんね……』

 ネアと話している間に、左右を騎兵に挟まれた。
 彼らが同時に攻撃しようとしてきたので、俺は片方を蹴り飛ばして落馬させる。
 もう一方の攻撃は、刀で受け止めた。

「会話の邪魔をするなよ」

 俺は相手の首を掴み、馬から引きずり下ろす。
 そのまま宙へ放り投げた。
 手足をばたつかせる騎兵は、真後ろの同僚に衝突する。
 仲良く地面を転がるのが見えた。

『残酷なやり方ですね』

「飽きないための工夫と言ってくれ」

 ネアの指摘に反論しつつ、死角から撃ち込まれたクロスボウの矢を刀で斬り払う。
 馬を狙った分もしっかりと対処しておいた。
 俺は進路を少しずらして接近すると、クロスボウを持った騎兵達を斬り倒す。
 血飛沫が顔に付いたので、軍服の袖に擦り付けた。

『あの、故意に汚すのはやめていただけますか』

「気にするなよ。もう汚れ切っている」

 ネアの抗議を受けた俺は、着込んだ軍服を見下ろす。
 全体が返り血で濡れており、元の色が判別できないほどになっていた。
 これ以上、どこが汚れようと誤差の範囲だろう。
 ネアに言った通り、気にすることはない。

「……ん?」

 早口の詠唱が聞こえてきた。
 振り返ると、後方に杖を持つ騎兵がいる。
 直後、杖から火球が飛んできて、俺の乗る馬に炸裂した。
 落馬を予感した俺は、馬を蹴って跳び上がる。

 落下地点には、ちょうど別の騎兵がいた。
 突き出された槍を受け流して、その顔面を串刺しにする。
 刀を引き抜いて死体を押し退けた。

 杖持ちの騎兵が、またもや詠唱を始めている。
 もう一度、火球を飛ばしてくるつもりだろう。
 俺はその騎兵のもとへ跳躍する。

 空中で姿勢制御する最中、火球が飛来してきた。
 軌道は正確で、このままだと直撃する。
 俺は刀を大上段から振り下ろし、火球を真っ二つに斬った。
 そこから驚く騎兵の顔に膝蹴りをぶち込む。

「ぎぇあ……っ」

 騎兵が悲鳴を上げて仰け反った。
 その首を刎ねる。
 落馬した死体がやはり仲間と衝突して、被害を拡大させていった。

 俺は視線を巡らせる。
 一連の殺人により、騎兵隊はほぼ全滅していた。
 僅かに残った者達は、踵を返して撤退し始めている。
 このままでは犠牲が増えるだけだと悟ったのだろう。
 賢明な判断だと思う。

 しかし、その中で一騎だけが俺と並走していた。
 筋骨隆々の体躯を、鎧に押し込めたような大男である。
 鎧は細部が他の兵士と異なる形をしていた。
 少しだけ上等な装備だ。
 おそらくは隊長格なのだろう。
 戦闘中、手の動きでさりげなく指示していたのも確認している。

 隊長は、額から角を生やした馬に騎乗していた。
 あれは魔物だ。
 彼を乗せられる生き物を考えた場合、ただの馬では非力だったに違いない。

 部下がいなくなったのを見計らい、隊長はこちらに向かって突進してきた。
 彼は戦鎚を掲げている。
 俺の乗る馬ごと叩き潰すつもりなのだろう。

(厄介な武器だ)

 馬に乗った状態では不利だった。
 下手な防御や受け流しだと、圧倒的な破壊力に呑まれて失敗する。

 そう考えた俺は、刀を鞘に戻した。
 柄を握りながら、隊長の接近を凝視する。

『動かなくていいのですか。このままでは殺されますよ』

「まあ見ときなよ。得意技を披露してやる」

 焦るネアに、俺は薄笑いで応じる。
 速まる鼓動は恐怖によるものではない。
 隊長の発する覇気を受けて、心が打ち震えているのだ。

「ウオオオオオオォォォッ!」

 獣のような雄叫びを上げた隊長が、全力で戦鎚を振り下ろしてくる。
 脳天を目がけて迫る一撃だった。
 馬の疾走の勢いをも利用した、豪快ながらも技量を凝らした殴打である。
 見事と評する他なかった。

(――だが、俺にはまだ届かない)

 戦鎚が間合いに入った瞬間、俺は抜刀する。
 その動きを延長させて、戦鎚を半ばほどで断ち切った。
 戦鎚の先端は、俺の顔の横を掠めていく。

 刀を手のひらの上で回転させて、逆手に持ち替えると、切っ先を隊長の首に突き込んだ。
 隊長は吐血して、何度か咳き込む。
 彼は俺に掴みかかろうとするも、途中で力尽きた。
 巨躯が傾いていき、そのまま落馬した。
 地面の岩に頭をぶつけて、真っ赤な花を咲かせる。

「どうだった?」

『圧倒的な速さと切れ味……流石でした』

「そうだろう。もっと褒めてくれてもいいんだぜ」

 上機嫌になった俺は、馬を駆って加速する。
 逃げた連中を追うつもりはない。
 今から追いかけると、幌馬車を見失ってしまう。

 それに隊長の鬼気迫る攻撃で満足していた。
 彼は俺の技量を知りながらも、全力で殺しに来た。
 仲間が生還するための時間稼ぎのためだろう。
 隊長なりの覚悟だった。
 それを踏み躙るほど無粋ではない。
 人斬りと呼ばれた身ではあるが、たまには他人の矜持を守るのだ。

 その後、ほどなくして幌馬車に追い付いた。
 並走しながら合図をすると、馬車は大人しく停止する。
 奴隷商は慇懃な調子で出迎えてくれた。
 しかし、一瞬だけ残念そうな気配を見せた。

 俺が騎兵隊に殺されることを祈っていたに違いない。
 そうすれば厄介事から解放される。
 目論見通りにいかず、内心では歯噛みしているかもしれない。

 馬を放して馬車に乗る際、俺は奴隷商に一言告げる。

「俺が死ななくて残念だったな?」

「い、いえ! それはその……っ」

 動揺する奴隷商は、言葉に詰まる。
 どうやら図星だったらしい。
 なんとも愉快な反応である。

 それを笑いながら、俺は奴隷の待つ馬車に乗り込んだ。

 ◆

 俺達を乗せた幌馬車は、順調に移動を続けた。
 各地に設けられた関所を突破すると、ほどなくして王の直轄領を出る。
 大量の兵士を殺す羽目になったが、こちらに損害はない。
 精々、軍服が真っ赤になったくらいだ。
 川に潜ってみたが、一向に色が落ちる気配は無かった。
 ネアも諦めて文句を言っていない。

 そこからは、御者が見つかりにくい経路を採用して進んでいく。
 奴隷を扱うという仕事柄、裏道に詳しいらしい。
 非合法の商品を運ぶ際に重宝するのだという。
 今回はその知識を駆使することになった。

 奴隷商の男は、俺の実力を正確に把握していた。
 兵士では止められないと判断し、なるべく穏便な展開に進めるため、見つかりにくい道を選んだのだろう。
 粗暴な容姿に反して、物事をよく見て考えていた。
 なかなかの逸材と言えよう。
 是非とも手下として欲しかった。

 時には森で狩りを行い、食糧を確保しながら進むこと暫し。
 王都を出発してから五日後、俺達はようやく独立派の領地に到着した。
 外れの小さな村に着く頃には、日暮れが迫りつつあったので、今日はここで一泊することになる。
 翌日、領内の主要都市に向かうことに決まった。
 そこまで行けば、独立派の軍とも合流できる。

 俺はネアに主導権を返還し、彼女に村長との交渉を任せた。
 入れ替わりに従って、色の変わっていた目や髪が元通りになる。
 絡み付いていた布も刀の柄に戻った。
 奴隷商が気味悪そうに見ていたのが印象的だった。
 確かに傍目からでは、ただの怪奇現象だろう。

 交渉の結果、俺達は宿を貸し切ることになった。
 奴隷商もそこで宿泊してもらう。
 代金は彼の懐から出してもらった。
 不服そうだったが、文句を押し殺して承諾してくれた。
 斬り殺して財布を奪おうかと思った瞬間、素直に頷いたのだ。
 やはり賢い男である。

 その日の夜、借りた宿の一室でネアは瞑想を始めた。
 床に座り込んで静かに呼吸を繰り返す。
 さっそく退屈になった俺は話しかけた。

『なあ、寝ないのか』

「精神集中の時間です。話しかけないでください」

 ネアは目を閉じたまま応じる。
 澄ました表情だが、微かに苛立ちが覗いていた。

 俺は感心しつつも笑う。

『真面目だな。規律に縛られ過ぎるのもどうかと思うがね』

「奔放すぎるのも考えものですよ」

 目を開けたネアは、ため息を吐いてベッドに腰かけた。
 瞑想は諦めたらしい。
 彼女は窓の外を見やる。

 屋外では、奴隷商が幌馬車で煙草を吸っていた。
 なんとも気だるげな姿だ。
 俺達と行動することで、気疲れしているのだろう。
 今はそっとしておいてやろうと思う。

 俺は気を取り直してネアに質問する。

「独立派の軍と合流したら、どうするつもりなんだ?」

「まずは領内の立て直しを図ります。戦力が集まり次第、新王派と戦うつもりです」

 概ね予想していた通りの答えだった。
 反撃することは決めていたが、ネアは自らの意志で断言した。
 俺との契約を抜きに内戦の続行を決意したのだろう。
 良い傾向である。

「此度の一件により、彼らの救いようのない性質を思い知りました。彼らを信じようとした私は愚かでした。次は間違いを犯しません」

『いい心がけじゃないか。応援しているよ』

「ありがとうございます」

 ネアは感謝の言葉を述べると、手元の刀を握った。
 そこには如何なる想いが込められているのか。
 きっと俺の考えているより、遥かに真剣なのだろう。

「まずは領地の安定と戦力の強化が急務でしょう。このままでは、独立派は崩壊してしまいます。新王派の討伐は、あくまでも過程です。私は、よりよい国づくりの体制を固めていくつもりです」

『さすが聖女様だ。よく考えているようだな。俺は面倒なことを考えたくない。殺し合いさえできればそれでいいさ』

「そう言うと思っていました」

 くすり、とネアが笑う。
 そのような表情ができるとは。
 堅苦しい性格と思っていたが、案外それだけではないらしい。

 俺は、新たな発見を心に留めておいた。

 ◆

 翌朝、俺達は村を出発した。
 夜明けまで警戒していたが、新王派の追っ手がやって来ることはなかった。
 俺達を見失ったわけではあるまい。
 下手に追いかけたところで被害が増えるだけだと判断したのだろう。
 向こうも新王の死で混乱している。
 執拗に仕掛けてくる余裕もないに違いない。

 予想できていた展開だった。
 それを誘発するため、俺は派手に暴れたのだ。
 衝動を解消する目的もあったが、計画的な行動である。

 のどかな草原を幌馬車は進んでいく。
 しばらく揺られていた俺は、御者の席に移動する。
 案の定と言うべきか、奴隷商の男は間の悪そうな顔をした。
 彼としては俺となるべく関わりたくないのだろう。

 その気持ちはよく分かる。
 危険な人斬りとは、一刻も早く別れたいのだ。
 相手の内心を察した上で、俺は気さくに尋ねる。

「あとどれくらいだ?」

「昼までには着きますぜ」

「そうかい」

 俺は相槌打ちつつ、奴隷商の隣にどっかりと座り込んだ。
 口笛を吹きながら景色を眺める。
 奴隷商は、馬の手綱を操りながら嫌そうな表情をしていた。
 俺が視線をやると、不安そうに尋ねてくる。

「な、何か?」

「気にすんな。少し話をしたいと思っただけさ」

「はぁ……」

 奴隷商は曖昧な応答をした。
 不安がっているのは明らかだった。

「俺を街に送った後はどうするつもりだ?」

「よその街で奴隷を売るつもりですが……もちろん聖女様のことは口外にしません! オレは口が堅いから安心してほしい、です」

「そんなに警戒するなよ。あと敬語は使わなくていい」

 俺は笑いながら奴隷商の肩を叩く。
 そして、彼の耳元で囁くように告げた。

「俺が口封じにあんたを殺すと思っているんだろうが、むしろ逆さ」

「……逆?」

「あんたを雇いたい。優秀な部下が必要なんだ」

 俺はそう言うと、奴隷商はますます怪訝な顔を見せた。
 考えを巡らせているが、反応に困っているのはよく分かった。
 俺は構わず話を続けた。

「分かっていると思うが、これから内戦が再加熱する。聖女の復活で独立派が立て直すからだ。ただし、そこで問題がある。優秀な人材の不足だ」

 ネアの記憶によると、独立派の重要人物は多くが戦死し、或いは新王派に捕まって処刑されていた。
 様々な問題があるものの、まずはここが最優先で改善すべき点だろう。
 揺るぎない基盤がなければ、組織運営は不可能だ。
 領内をまとめ上げることも難しい。

「あんたは狡賢い。勘も鋭くて察知も良い。奴隷商としての人脈や知識にも長けている。喉から手が出るほどに欲しい人材なんだ」

「……過剰評価だ。そこまで褒められた人間じゃねぇよ」

「あんたの自己評価なんてどうでもいい。俺が適切と言ったら適切なのさ。異論はあるかい?」

「…………」

 奴隷商は沈黙する。
 これは悪い反応ではない。
 もし見込みが無ければ、すぐに断っているはずだ。
 それをしないということは、俺の誘いに多少なりとも魅力を感じているのだろう。

「千載一遇の機会だ。派手に成り上がってみたいとは思わないか? 上手くやれば、国の実権を握ることができる。なんだって思いのままだろう」

 俺は駄目押しの言葉を投げた。
 これらの内容は事実だ。
 奴隷商が俺の手下として活躍してくれるのなら、相応の待遇を約束するつもりだった。
 現在のような犯罪紛いの商売から足を洗って、一気に成り上がることが可能である。

 しばらく考え込んでいた奴隷商が、顔を上げた。
 決意の込められた目で俺に向けると、彼は噛み締めるように宣言する。

「――その誘い、乗らせてもらう。聖女様、オレはあんたの力に賭ける」

「素晴らしい覚悟だ! 歓迎するよ!」

 俺は奴隷商の背中をばしばしと叩いた。
 ここで断るなら斬り殺すつもりだったが、しっかりと乗ってくれた。
 やはり賢い男だ。
 本人の自覚は薄いものの、なかなかの逸材と言えよう。
 まったくの偶然の出会いながらも、これは幸運であった。

 喜ぶ俺は、とあることを思い出した。
 手下となるならば、伝えておかねばならないことがある。
 それを奴隷商に打ち明けることにした。

「先に訂正することがある。まず俺は聖女様じゃない」

「え?」

 奴隷商は今日一番の困惑具合を見せる。
 そんな彼に対して、俺は自分の正体について説明し始めた。

 ◆

 幌馬車はその後も移動し、幸いにも誰とも遭遇することなく主要都市に付近まで到着した。
 俺は奴隷達と同じ空間に座りながら、道中の光景を思い出す。
 各地に焼かれた村や街など戦禍の痕跡が見られた。
 新王派の攻撃を受けたのだろう。

 肝心の軍がいないのは、ここから離れた地点にいるのかもしれない。
 独立派の領地は、それなりの広さがある。
 遭遇した場合は殲滅するつもりだったが、馬車が巻き添えを受けてしまう。
 何事も無く移動を続けられてよかったと思う。

 俺は馬車の隙間から前方を覗く。
 そして眉を寄せた。

(あれは……)

 主要都市の外壁が破損していた。
 まだ防御能力は維持しているものの、明らかに外部から攻撃を受けている。
 門が閉じているので詳細は不明だが、都市内からは黒煙も立ち昇っていた。

『ついにここまで侵攻を……ッ』

 ネアが焦りを見せる。
 街の様子を目にして、今にも走り出しそうな衝動に駆られていた。
 俺は彼女を抑え込んで、身体の主導権を奪われないようにする。

 彼女は強靭な精神力を持つ。
 油断すると強制的に反転する可能性があった。
 歴代の担い手を振り返っても、かなり特殊な例である。
 さすがは英雄といったところだろう。

 俺がネアを封じる間、幌馬車は門へと向かう。
 その際、奴隷商に命じて速度を落とさせた。
 警戒されないようにするための配慮だ。

 門の向こうには、多数の人の気配があった。
 いきなり攻撃されても困る。
 一定の距離まで近付いたところで、鋭い声が飛んできた。

「止まれ! 何者だッ!」

 外壁の上に複数の兵士が現れた。
 彼らは即座に弓を向けてくる。
 機敏な動きだった。
 警戒態勢がしっかりと敷かれている。

 この都市はまだ滅びたわけではない。
 それどころか懸命に生き延びようとしていた。

「ウォルドの旦那、どうする?」

 奴隷商が俺に尋ねる。
 事情を話した後から、彼は俺のことを旦那と呼ぶようになった。
 既に順応しているようだ。

「少し待ってくれ」

 俺は主導権をネアに移した。
 相手を殺してはいけない以上、俺の出る幕ではない。
 ここはネアの本拠地だ。
 彼女に任せるのが一番だろう。

 身体を得たネアは馬車から出る。
 その姿が晒されたことで、兵士達がざわめいた。
 相手が誰なのか理解したのだ。
 彼らにとっては希望そのもの――すなわち聖女である。

 ネアは兵士達に向けて命令を口にする。

「――開けなさい」

 たったその一言だけで、固く閉ざされた門が開き始めた。
 彼女は平然と馬車の中に戻る。
 馬車はゆっくりと進み始めた。
 無論、兵士達が攻撃してくることはない。

『大した求心力じゃないか。尊敬するよ』

「ありがとうございます」

 ネアは澄ました顔で応じる。
 なんとも可愛げのない返答だったが、実に彼女らしい。
 そうこうしている間に、幌馬車は都市の内部へと入った。

 ◆

 門の先には、荒れた街並みが広がっていた。
 各所が激しく破損している。
 黒煙は火事になった家から昇っているようだった。
 消火活動は済んだようだが、まだ燻っている。

 都市内で戦闘が起きたのだろう。
 しかし、敵兵が見られない。
 兵士達も幾分か落ち着いた雰囲気だった。

 この感じからして、敵軍は追い払えたらしい。
 都市内まで入られながらも撃退するとは、なかなかの奮闘ぶりである。
 しかし、侵入されたのは確かだ。
 戦力的にかなり追い詰められている。
 次回、同様の状況になった場合、撃退は困難と思われる。
 そのまま蹂躙される未来が見えていた。

 俺は、長年に渡って殺し合いを経験してきた。
 戦争だって数え切れないほど参加している。
 一目見ただけで、おおよその戦況くらいは察することができるのだ。
 この都市が窮地に立つのも肌で感じた。

 馬車はそのまま通りを進んでいく。
 外壁の上では、兵士達が大慌てだった。
 右往左往しているが、気にしないでいいだろう。
 聖女の登場に驚いているだけだ。

 一方、地上で働く兵士達は瓦礫を運んだり、各所にて寄り添う人々に食べ物の配給を行っていた。
 士気はさすがに低下しているが、細かな動きや体格はなかなかのものだ。
 よく訓練しているのが分かった。
 王都の兵士と比べると、平均的な質は良さそうである。
 鍛え上げれば、さらに優秀になるだろう。

 兵士達は、通りを進む俺達の馬車を不審げに一瞥する。
 開門して通された以上、敵ではないと理解しているのか、こちらを気にしながらも各々の仕事に従事していた。

(馬車から聖女の顔が見えたら、どんな反応をするかね)

 俺はふと興味を抱く。
 今は馬車の隙間から覗いている状態だ。
 彼らの前に顔を出した瞬間、大騒ぎになるのではないだろうか。

『やめてください。迷惑です。私の帰還については、すぐに周知されるでしょう』

 すかさずネアが苦情を述べてくる。
 本気で嫌がっている様子だった。
 あまり怒らせても後が怖い。
 悪戯のために、担い手との関係を壊すのは利口ではないだろう。

 過去、そういった部分で失敗した経験もある。
 大抵は碌な結末にならない。
 ネアは真面目な性格だ。
 そこに合わせるつもりはないが、時にはこちらが譲歩する姿勢を見せた方がよさそうである。
 方針を定めた俺は、馬車内で座り直す。

 都市は中央部へ進むほどに損傷が微小になっていく。
 さらに進むと、戦闘の痕跡が消失した。
 一定の防衛線を張って、そこから先を守り切ったのだ。
 侵入されながらも、戦術を駆使していた証拠である。

 そうしてさらに進むこと暫し。
 進行方向に、整列した兵士達が展開されているのを認める。
 明らかに俺達を待ち構えていた。

 彼らはただの一つの声も発さず、まるで石像のように静止している。
 ただし、圧倒的な熱望が膨れ上がっていた。
 張り切れんばかりに馬車へと向けられている。
 伝令がネアの帰還をいち早く報告したのだろう。

 その異様な光景に俺は苦笑する。

「大した出迎えだな。連中はあんたを歓迎しているらしい」

『……そのよう、ですね』

 ネアが歯切れの悪い返答をした。
 何か詰まったような言い方だった。

 その時、ふと目が熱くなる。
 片目に指先を添えると濡れている。
 聖女の身体は、溢れんばかりに涙を流していた。

 ◆

『私が動いても、いいですか』

「構わないよ」

「ありがとうございます」

 主導権を得たネアは馬車を下りる。
 彼女は堂々とした足取りで兵士達の前へと向かった。

 そこに礼服を着た老人が現れる。
 灰色の髪を撫で上げた糸目の男だ。
 洒落た片眼鏡を着けたその老人は、ネアの記憶によれば側近らしい。
 表向きは執事で、裏では密偵紛いの仕事も請け負っていたそうだ。

 そんな老人は、ネアの前で一礼する。

「ネア様。お帰りなさいませ」

「あなたは無事だったのですね。良かったです」

「はい。あなた様がお帰りになられるまで、死ぬわけにはいきませんので」

 丁寧に応じる老人だったが、その気配が不穏な色を見せた。
 糸目がうっすらと開く。
 金色の瞳は、睨むようにしてネアを――いや、ネアの裏に隠れた俺を捉えていた。
 老人は殺気の込められた声で言う。

「――何者だ。ネア様の身体から出ていけ」

『すごいな。いきなり見破ってくるか』

 俺は素直に感心する。
 担い手に憑依した俺を感知できる人間は珍しい。
 感知できたとしても、大概は術による認識だ。

 ところが老人は、何らかの術を発動したわけではない。
 ただ注視しただけで、俺の存在に気付いたのだ。

「エドガーは並外れた観察眼の持ち主です。直感的に察知したのでしょう」

「ネア様……?」

 老人――エドガーは唐突に発言したネアを不審げに見やる。
 ネアは彼を見つめ返して告げた。

「エドガー、貴方に紹介したい者がいます」

 言い終えたネアは、俺に主導権を譲ってきた。
 その途端、髪と目の色が変化し、刀の布が身体に巻き付く。
 慣れた現象を知覚しながら、俺はエドガーに話しかけた。

「よう、いい勘をしているじゃないか」

「何者だと訊いている」

 エドガーは殺気の純度を上げて応じた。
 金色の瞳は、瞬きもせずに俺を凝視している。
 小心者なら卒倒しかねない圧が込められていた。

 かなり警戒されているようだ。
 おそらくは、ネアを乗っ取っていると思われている。
 俺は苦笑気味に名乗る。

「ウォルド・キーン。名前くらいは知ってるだろう?」

「……史上最悪の人斬りか」

「ははは、酷い言い様だ。もうちょっと配慮してくれてもいいんだぜ?」

 俺は肩をすくめて嘆く。
 間違いとは言わないが、もう少し柔らかい表現があるのではないだろうか。
 例えば、最強の剣士と評してくれてもいい。
 これも間違いではないのだから。

 自らの印象を振り返っていると、ネアが要求を投げてきた。

『エドガーの誤解を解きます。代わってください』

「了解。任せるよ」

 再び主導権をネアに渡すと、身体は元の姿に戻る。
 エドガーや後ろで整列する兵士は動揺していた。
 ネアは髪を指で梳かす。

「驚かせてしまいましたね」

「ネア様、これは一体……」

 エドガーは困惑して言葉を失う。
 そんな彼にネアは頷いてみせた。

「もちろん説明します。一つ先に言っておくと、ウォルド・キーンは敵ではありません――味方とも言い切れない部分がありますが」

『おいおい、冗談きついぜ。俺とあんたの仲じゃないか』

「浅い仲ですね」

 ネアは冷めた口調で言い切る。
 あまりの遠慮の無さに、俺は笑うしかなかった。

 ◆

 ひとまず落ち着いて話をするため、俺達は近くの屋敷に招かれる。
 居並ぶ兵士達はこの時点で解散した。
 ネアの帰還を受けて、急いで整列していたらしい
 彼女を出迎えるために、わざわざ集結したのだ。
 なんとも忠誠心溢れる者達である。

 俺達は屋敷へ徒歩で移動する。
 奴隷商の幌馬車にも追従してもらった。
 馬を操る奴隷商は、なんとも居心地が悪そうだ。
 あちこちに兵士がいるためだろう。
 聖女の付き人のような扱いも経験がないはずだ。
 馬車の中には奴隷もおり、落ち着きがなくなるのも仕方ない。

 案内された屋敷はなかなに立派な外観だった。
 しかもネアの私物らしい。
 今更だが、彼女はここの領主だ。
 前領主の養子で、内戦の中で地位を継いだのである。
 その前領主は既に処刑されていた。

 ネアは聖女の他にも色々と重責を背負っている。
 俺には到底真似できなかった。
 そういった役割が向いていない。

 俺達は屋敷内へと入る。
 奴隷商と幌馬車は、現れた使用人の案内で別行動となった。
 馬車を専用の区域に停めるためだ。
 奴隷商は息苦しい空間が苦手みたいだったので、こちらの話が終わるまで外で煙草を吸っているつもりと思われる。

 会話に彼は必須ではないから、それでもいいだろう。
 この期に及んで逃げ出すこともないはずだ。
 その際は周囲の兵士が捕縛するので心配はいらない。

 屋敷内は手入れが行き届いていた。
 ネアの不在中、エドガーが管理していたそうだ。
 使用人は俺達を見かけると深々と礼をする。
 教育も徹底されていた。

 屋敷内の一室に到着した俺達は、エドガーとテーブルを挟む形で相対する。
 ソファに座っていると、間もなく使用人が紅茶を運んできた。
 ネアはそれを飲んでから話を切り出す。

「まず、こちらの事情を話しましょうか」

「是非お願いします」

 エドガーは頭を下げる。
 ネアは闘技場での一件を説明した。
 彼女は俺との契約も包み隠さず打ち明けた。

 それに関しては特に問題ない。
 誰に吹聴されようと、特に興味がないからだ。

 俺はこの身体で人間を斬ることさえできれば満足だった。
 どう思われようと構わない。
 その辺りを気にするべきは、むしろネアの方だろう。
 しかし彼女は、エドガーにすべてを話した。
 それだけ信頼しているに違いない。

「――以上が現在に至るまでの経緯です。死の運命を逃れた以上、私は引き続き戦うつもりです」

 ネアはそう言って話を締める。
 真剣な表情のエドガーは黙り込んだ。
 やがて彼は、鋭い眼差しでネアに尋ねる。

「……ウォルド様と、お話できますか?」

「はい、可能です」

 ネアは頷き、主導権を譲ろうとしてきた。
 俺はそれに従って表に出る。
 ソファにふんぞり返って紅茶を飲み干しながら、エドガーに視線を送った。

「呼んだかい?」

 エドガーの眉がぴくりと痙攣する。
 俺の態度の悪さが気になったのか。
 しかしすぐに持ち直すと、テーブルに触れる寸前まで頭を下げた。

「この度はお嬢様――ネア様を救ってくださり、ありがとうございました。そして、先ほどまでの無礼をお許しください」

「気にすんな。俺はただの人斬りさ。こっちだって、別に慈善事業でネアを助けたわけじゃないんだ」

「蘇りの件、ですか」

 神妙そうに言うエドガーに俺は頷きを返す。
 ネアの説明をよく理解している。
 俺は手をひらひらと振りながら笑った。

「内戦の中で、たくさん殺してもらうからな。これから借りを返してもらうよ」

「…………」

 エドガーは、またしても沈黙した。
 彼は無表情で俺を凝視している。
 何を考えているのか読めない。
 さりげなく腰の刀に触れつつ、俺はエドガーに尋ねた。

「どうした。聖女様が殺人鬼になることが不満かい?」

「……いいえ、違います。少し感動をしておりました」

「感動だって?」

 今度は俺が怪訝に思う番だった。
 予想外の答えに戸惑っていると、エドガーは立ち上がって主張する。

「理不尽な目に遭ったネア様が、痛快な反撃に打って出られるのです。しかも史上最強の人斬りを仲間にしてっ! 勝利が確約された戦いです。これを喜ばずにいられると思いますか!」

 彼は叫ばんばかりの口調で語った。
 ところが、すぐに我に返って咳払いする。
 着席したエドガーは、元の口調で話を再開した。

「それがネア様の選ばれた道ならば、私が反対することはありません。執事として、お側で補佐するだけです」

 エドガーは、ネアのことを大切に想っている。
 記憶によれば、彼女が幼い頃から執事として仕えているようだ。
 本物の忠誠を誓っていた。

 彼は冷静に見えて滾るような狂気を宿している。
 ネアのためなら、他の万物を犠牲にしてもよいという方針だ。
 激しい復讐心に燃えている。
 下手をすれば、ネアよりも強い衝動だ。
 仲間としては上出来だろう。

 俺は立ち上がって手を差し出す。

「いい覚悟だ。歓迎するよ、エドガー」

「嬉しきお言葉でございます」

 優雅に答えたエドガーは、俺の手をしっかりと握った。

 ◆

 その後、俺達は屋敷で優雅な暮らしを送った。
 新王派の攻撃を受けたとは言え、街の物資には余裕があった。
 美味い食事ができるし、稀少な酒も飲める。
 王都での幽閉生活で弱ったネアの身体は、だんだんと調子を取り戻している。

 人々は聖女の帰りを歓迎した。
 二日前には、ちょっとした宴も開かれた。
 屋敷の備蓄が都市の人々に振る舞われて、全体の雰囲気は明るくなった。
 やはり聖女の存在は大きかった。

 しかし、楽観的に構えていられないのも事実だ。
 この都市で生活を始めてから一週間。
 領内の問題は、浮き彫りとなっていた。

 まず民が少なからず疲弊している。
 聖女の帰還を喜んでいるものの、困窮した生活はいつまでも誤魔化せない。
 都市の復旧作業も停滞していた。

 そして兵士の数も少ない。
 先の戦闘で犠牲になり、さらには領内各地に派遣されているせいだ。
 主要都市の戦力を回さなければいけないほど、領内は人材不足に悩まされている。
 近いうちに食料不足も訪れるだろう。
 供給元が無いため、掻き集めることも難しい。

 領内は緩やかな速度で滅びに向かっていた。
 このままだと、持ち直す前に崩壊する。
 独立どころではなかった。
 他でもない俺達が、次の一手を打たねばならない。

「はぁ、美味い……」

 そういった悩みを抱えつつ、俺は屋敷の一室で火酒を飲んでいた。
 焼くような香りが喉と内臓を満たす。
 心地よい酩酊感を味わいつつ、俺はグラスを傾けた。
 ソファで寝転がりながら満喫していると、ネアから苦情が飛んでくる。

『私の身体で飲みすぎないでください』

「固いこと言うなよ。酒は心の薬なのさ。そうだろう、ラモン?」

 俺は向かい側に座る奴隷商――ラモンに意見を求める。
 ラモンは、ちびりと火酒を飲んで頷いた。

「あ、ああ……そうだな」

 グラスを空にしたラモンは、何かを言いかけて中断する。
 先ほどからそれを何度か繰り返していた。
 なんとも挙動不審な姿である。
 やがて意を決したように、ラモンは俺に尋ねた。

「ウォルドの旦那、こんな悠長に怠けていていいのか?」

「おいおい、お前も真面目なことを言うのかよ」

「だって、ずっと酒を飲んでばかりじゃねぇか。早く新王派を潰さないと、こっちがやられるだろう」

 ラモンは苦言を呈した。
 グラスを置いた俺は、しゃっくりを洩らす。
 鼻を啜りつつ、苦笑した。

「奴隷商とは思えないくらいの正論だな」

「状況を客観視しているだけだ」

 ラモンは厳しい眼差しで返してくる。
 俺と手を組むと言った以上、彼も独立派の一員となった。
 他人事ではなくなった分、真剣に考えているのだ。

 粗暴な外見とは裏腹に律儀である。
 俺よりは未来を見据えて考えているだろう。

 とは言え、俺も馬鹿ではない。
 ラモンを宥めつつ、グラスに火酒を追加した。

「まあ、落ち着けよ。俺だって無策で怠けているわけじゃない。そろそろ事態が動く頃だ」

「それは一体どういう――」

 ラモンの言葉を遮るように、部屋の扉が叩かれた。
 扉の向こうに気配がある。
 常人では気付けないほど存在感が薄められていた。

 俺は座り直しながらグラスを手に取る。

「そら来た」

 間もなく扉が開いた。
 入室したのはエドガーだ。
 彼は無音で俺のそばまで来ると、片膝をついて発言する。

「ウォルド様。ご報告に参りました」

「待っていたよ。見つかったかい?」

「はい。間違いありません」

「何が見つかったんだ?」

 一人だけ状況が読めないラモンは、怪訝そうに言う。
 グラスを呷った俺は、熱い息を吐きながら答えた。

「この都市を襲った軍さ。そいつらをこれから叩き潰す」

 ◆

 翌日、妖刀を携えた俺は都市の正門前にいた。
 そばに控えるのは、数十人の魔術師だ。
 彼らは俺に随伴する兵士である。
 志願した者のうち、此度の作戦に適した人間を選んだのだ。

 作戦とはもちろん新王派の軍への攻撃である。
 この都市に侵攻した軍は、南部の森に潜伏しているらしい。
 エドガーが密偵を使って特定したのだ。

 彼らは調子付いて領内の主要都市まで侵攻した結果、思わぬ被害を受けて撤退を余儀なくされた。
 そして戦力不足のため、新王派の領に戻れなくなっている。
 現在は森に魔術による即席の砦を建設して、再攻撃の機会を待っているそうだ。
 それを待たず、こちらから仕掛けることに決めたのであった。

 新王派の軍は近隣の村を襲撃し、略奪した物資を糧にして暮らしているらしい。
 或いは森に生息する魔物を狩って食べているという。
 軍というより、ほとんど盗賊に成り下がった状態だった。
 内戦中とは言え、自国の民を襲って飢えを凌いでいるのだから、非道な連中である。

 まあ、彼らを批難するつもりはない。
 俺自身、正義の味方ではない。
 ただの人斬りだ。
 彼らを殺すのも、俺の蘇りに利用するためである。
 ネアのように崇高な志があるわけでもなかった。

 俺達の見送りには、エドガーがやってきていた。
 彼は詰め寄るようにして俺に忠告してくる。

「くれぐれもネア様のお身体を傷付けないよう、ご注意ください」

「分かっているさ」

 俺は少しうんざりしながら応じる。
 聞き飽きた文言だった。
 昨日の夜から、ずっとこの調子で何度も聞かされている。
 それだけネアの身を心配しているのだろう。
 過保護気味だが、その気持ちはよく伝わってきた。

 それにしてもエドガーは、ネアが幽閉されている間はどのような心境で過ごしていたのか。
 少し戦いに出向くだけでこれなら、気が狂ってもおかしくなかったと思う。
 今は表層に出ていないネアも、なんだか気疲れしているようだった。

 そんなエドガーだが、彼には都市の防衛を任せるつもりだった。
 エドガーはただの執事ではない。
 相当な実力者である。
 万が一、何かあっても任せられるだろう。

 不足気味とは言え、都市内にはまだ兵士達もいる。
 現状、ここを攻めて来るような軍はいない。
 よほどおかしな事態にでもならない限り、何も問題はないはずだ。

 同じく見送りの奴隷商ことラモンは、折を見て話しかけてくる。

「ウォルドの旦那……」

「何だ?」

「相手は正規の軍隊だぜ。この人数で本気で勝つつもりかよ」

 ラモンの主張は真っ当だった。
 百人にも満たない戦力で、数千の軍隊を襲撃しに行くのだ。
 正気の沙汰ではない。

 当然、エドガーには猛反対されたが、俺は意見を無理やり通した。
 妥協点として、魔術師を連れていくことにしたが、実際はそこまで必要ではない。
 これだけの戦力差で殺し合うのは、俺にとって慣れたものだった。
 数の上で勝っていた戦場など珍しかったほどだ。
 少人数の陣営についた方が、たくさん殺せるからである。

 幽閉生活で衰弱したネアの身体も、屋敷での暮らしで健康になった。
 多少ながらも鍛えておいたので、これで向こうの戦力を崩せるだけの力は発揮できる。

 徒歩だと往復で三日くらいはかかる。
 独立派の砦まで、およそ一日半で行ける計算だった。
 兵士達の準備を待っていると、ネアが心の中で呟く。

『……いよいよですね』

「緊張しているのかい?」

『いえ。新たな運命を築けることに、喜びを感じているだけです』

「そいつはよかった」

 高揚しているのはネアだけではない。
 俺も心が疼いていた。
 殺戮の予感に舌なめずりする。

 ――今回も、楽しいことになりそうだ。

 ◆

 都市を出発した俺達は、草原に設けられた街道を進む。
 事前に地図を確認しており、複雑な地形でもないので迷うことはない。
 後ろを付いてくる兵士達は、揃って緊張した面持ちをしていた。
 ただし、そこには強い誇りも窺える。
 聖女と共に戦えることに歓喜しているようだ。

 ネアは相当な求心力の持ち主である。
 彼女は英雄に足る素質を兼ね備えていた。

 俺も過去には英雄と呼ばれた時期がある。
 様々な担い手を渡る間、ほぼ常に戦争に身を置いてきた。
 そこで一方の陣営について、敵を斬りまくる。
 何度か繰り返せば、たちまち英雄と呼ばれるようになる。

 実際、英雄とはそれほど珍しいものではない。
 戦いが盛んな時代だと、いくらでも呼ばれている人間がいた。
 基本的に短命だが、死ぬまでに多大なる戦果を上げている。
 有名な者に絞ると途端に数は減るものの、英雄そのものは意外と多いのだ。

 その点、ネアは大したものである。
 個人の戦闘能力は、特筆するほどではない。
 生まれ持った特殊な力があるわけでもなかった。
 魔術師として優れた才覚を有するが、それも一般的な英雄に匹敵するかと問われれば、否と答えざるを得ないほどに過ぎない。

 そんな彼女が英雄――ひいては聖女とまで呼ばれるのは、その精神性が要因であった。
 慈母のような温かさと、他者を気遣う優しさを持っている。
 戦場では、勇気を以て最前線を突き進む。

 苦境の中でも皆の希望となり、勝利を掴み取るために邁進する。
 誰よりも犠牲を厭うネアは、献身的に戦い続けた。
 その後ろ姿を見た兵士達は、彼女を聖女と呼んだ。
 いずれも彼女の記憶を覗き見て知ったことである。

 武功以外でその領域に至る者は稀だろう。
 そこに暴力の化身である俺が加わったのだから、組み合わせとしては最高に近い。
 契約を結んでから日が浅いが、ネアは早くも担い手の適正を垣間見せていた。
 個人的には、今回の襲撃戦でさらなる成長を促したいところである。

 やがて俺達は森へと突入する。
 草原と比べると、急速に視界が悪くなった。
 兵士達は周囲を警戒しながら進んでいく。
 続々と付いてくるが、私語をする者は一人もいなかった。
 彼らは黙々と獣道を踏み締めている。

 一方、先頭を歩く俺は刀の柄を指で叩いていた。
 こつこつと硬い音を鳴らす。
 たまに振り返っては、兵士達の様子を確かめた。
 今のところは休憩も必要なさそうだった。

 森に入ってしばらくした頃、後ろから遠慮がちに肩を叩かれた。
 俺は足を止めて振り向く。
 そこにいるのは、鎧を着た女兵士だ。
 彼女は少し言いにくそうな表情で口を開く。

「ネア様、あまり先行されますと……」

「そんなに心配するなよ。あっけなく殺されるほど柔じゃないさ」

 どうやら奇襲を想定して俺を後列に下がらせたいらしい。
 もちろん、そんな配慮は不要だ。
 相手の気配くらいは簡単に掴むことができる。
 この辺りに敵がいないことは確信していた。

「それと俺はネアじゃない。説明は受けただろう?」

「……ウォルド様、ですね」

「その通り! 早く呼び慣れてくれよな」

「わ、分かりました」

 ぎこちなく返事をする女兵士を見て、俺は歩みを再開させた。
 名目上、今の女兵士が此度の責任者だった。
 ネアの護衛という立場にあるらしい。
 魔力量は平均的な魔術師の二倍はあるらしく、近接戦闘もある程度はこなせるそうだ。
 紛れもなく優秀な兵士であり、今後の経験次第ではさらに成長するだろう。

 独立派は人材に恵まれているようだ。
 これだけの人間が揃っているのなら、まだまだ立て直せると思う。
 此度の戦いに勝利すれば、士気も本格的に上がってくる。
 そこから新王派の領地を食い破る逆襲戦の始まりだ。
 想像するだけで心が昂ってしまう。

 その日の夜、俺達は森の中で過ごすことになった。
 即席の野営準備を済ませて食事をする。
 兵士達は僅かに疲労しているようだった。
 砦までまだ距離があるので、ここらで心身の回復をしておくべきだろう。
 逸る気持ちを抑えて、俺は仮眠を取るのであった。

 ◆

 深夜、眠りから覚めた俺は、伸びをして立ち上がる。
 そばに置いていた水を飲んで周囲を見回した。

 辺りでは兵士達が就寝している。
 一部の者は付近を巡回していた。
 交代で見張っているのだ。
 いつ新王派の軍がやってくるか分からない。

 俺は腰に差した刀の位置を直すと、眠る兵士の間を闊歩する。
 そのまま木々の合間を踏み進んでいく。
 見張りの兵士が俺を呼び止めようとしたので、目配せをしてそれを止めた。

「少し散歩するだけさ。気にしないでくれ」

「は、はぁ……」

 兵士は戸惑い気味の返事をした。
 これから敵軍と戦う状況で、呑気に散歩すると言われて困っているようだ。
 俺はそんな兵士を置いて森の中を進んでいく。

 聖女が夜の森を出歩くと主張するのだから、心配するのも納得できる。
 しかし、自衛程度は可能であった。
 このまま一人で砦に向かってもいいくらいなのだ。

 もちろんそんなことはしない。
 兵士達と共に襲撃するつもりである。
 勝手な真似をして不信感を買っても面倒だ。

 彼らには、聖女の戦いぶりを見せつけようと思う。
 目の前で敵軍を蹂躙する様を目撃すれば、余計な心配をかけずに済むだろう。

 そういったことを考えていると、ネアが俺に疑問を投げてきた。

『本当にただの散歩なのですか』

「まあな。気晴らしってやつだ」

『度胸がありますね。さすがは人斬りです』

 ネアはどこか皮肉を込めた口調で述べる。
 彼女は、俺の単独行動を快く思っていないらしい。
 俺は肩をすくめて苦笑した。

「褒め言葉として受け取っておこう」

 それにしても、ネアはこうして身体を奪われている状態に慣れたようだ。
 たまに主導権を譲るように言うことはあるものの、俺の行動に表立って反対することはない。
 基本的に生真面目で強情な性格だ。
 時と場合によって柔軟性を見せられる。

 担い手の中には、性格的な相性が最悪だった時もあった。
 ネアは歴代でも波長が合う部類と言えた。

「おっ」

 遠い過去の面々を振り返っていると、死角から矢が飛んできた。
 後頭部を狙うそれを掴んで止める。

 俺は矢の先端に注目する。
 鏃には何かが塗られていた。
 微かな刺激臭がする。
 どうやら毒らしい。

 俺は茂みの一点を見つめる。
 何もないように思えるが、そこに潜む者と目が合った。
 俺は矢を捨てて話しかける。

「はは、いい腕だ。狙いは完璧だった」

『大丈夫ですか?』

「問題ない。この程度じゃあ俺は――」

 話している途中、さらに複数の方向から矢が飛来する。
 俺は引き抜いた刀で残らず弾いた。
 攻撃が止まったのを確かめてから、そっと鞘に戻す。
 辺りに散らばる矢を一瞥して、俺は鼻を鳴らした。

「元気な野郎共だ。綺麗な夜に無粋な真似をしやがる」

 柄を叩いて笑っていると、木々の陰や草むらから人間が現れた。
 全員が揃って黒い服に身を包んでいる。
 弓と剣を所持しており、数は十三人だった。
 彼らは自然な動きで俺を包囲する。

『新王派の暗殺者ですか』

「密偵だろうな。砦からこの辺りまでを監視していたんだろうさ。そこに俺達が踏み込んだ形だ」

『……まさか、わざと敵を誘い出したのですか?』

「さあ、どうだろうな」

 俺は舌を出して微笑する。
 実際は誰であろうと関係ない。
 やることは変わらないのだ。
 滾る欲望を抑えながら、俺は静かに妖刀を抜いた。

 ◆

 俺は意識を周囲へと向ける。
 密偵達の呼吸や視線を感じ取ると、そこから前傾姿勢になって突進を始めた。
 真正面にいる連中に向かって疾走していく。

 彼らはすぐさま反応し、四方八方から矢を飛ばしてきた。
 かなり正確な狙いだ。
 それを悟った俺は、地面を強く蹴って加速し、大半の矢を強引に避ける。
 命中する分だけ刀で防御した。
 そのまま一気に距離を詰める。

 相手は剣を構えていた。
 しかし動きが遅い。
 俺は懐に潜り込むと、半ばぶつかるようにして刺突を繰り出す。
 刀は切っ先から密偵の胸部に沈み込んだ。

「ガァ、ハ……ッ」

 密偵は吐血して白目を剥く。
 俺は軸足を作り、遠心力を乗せて腕を振り払った。

「よっと」

 その動作で引き抜かれた刀は、弧を描きながら別の密偵に襲いかかる。
 相手の剣を切断しつつ、肩口から脇腹までを一直線に通過した。
 その密偵は、臓腑を撒き散らして倒れ込む。

 間を置かずに、背後に二つの気配が現れた。
 俺は死体から毒矢を掴み取り、振り向きざまに両腕を一閃させる。
 刀は一人の首を刎ねた。
 矢はもう一人の片目を突き刺さる。

 二人は同時に崩れ落ちた。
 俺はすれ違うようにして脇を抜ける。
 その際、一人の腰から短剣を拝借すると、振りかぶって投擲する。

 短剣は弓を構える者の喉に命中した。
 射手は溺れるような音を鳴らしてもがく。
 弾みで放たれた矢は、別の一人に炸裂した。
 矢を受けて怯んだところに跳びかかって斬り殺す。

「ん?」

 またも死角から矢が迫ってくる。
 屈んで避けた俺は疾走すると、射手を掴んで膝蹴りを浴びせた。
 抵抗する力を奪いつつ、互いの位置を入れ替える。

 そこに毒矢が殺到した。
 俺の盾となった密偵は、泡を吹きながら痙攣を始める。
 そいつを捨てた俺は、残る密偵に襲いかかった。
 暗い夜の森で、次々と刀を振るって犠牲を増やしていく。

 密偵達は、及第点の実力を備えていた。
 連携もそれなりにできている。
 しかし、目を引くような実力者はいなかった。
 それでは駄目だ。
 一騎当千の人斬りに敵うはずがない。

「ふう……」

 息を吐いた俺は、刀を鞘に収める。
 顔に付いた血を腕で拭いつつ、眉を僅かに寄せた。
 辺りは濃密な臭いに包まれていた。
 俺に立ち向かった密偵の死体が散乱している。

 砦にいる新王派の軍は、密偵が帰還しないことを不審がるだろう。
 俺達の襲撃は遅かれ早かれ露呈するはずだ。
 数十人の規模で動いているのだから当然だろう。
 それを完璧に隠蔽するのは至難の業である。

 だから連中に怪しまれようと別に構いやしない。
 相手が警戒していたとしても、ただ斬って黙らせるだけだ。

 とは言え、今宵は満足できた。
 気晴らしの散歩にはちょうどいい相手だった。

 俺は踵を返そうとして、ネアから止められる。
 彼女は冷ややかな口調で俺に尋ねる。

『まさか、その姿のまま戻るつもりですか』

「何か問題でも?」

『まずは全身を洗ってください。兵士達に余計な混乱を招きます』

 指摘された俺は、身体を見下ろす。
 端から端まで血みどろだった。
 負傷していないのですべてが返り血である。
 なかなかに酷い有様だ。

『理解出来ましたか?』

「……分かったよ」

 反論できなかった俺は、水浴びできる場所を求めて彷徨い始めた。

 ◆

 翌朝、俺は兵士達を連れて出発した。
 砦に向けて獣道を進んでいく。
 昨晩の密偵の死体を兵士が発見し、一時は騒ぎになってしまったが、俺の説明でなんとか落ち着かせることができた。

 ただし穏便とは言えない空気である。
 兵士達は安堵と困惑の混ざった様子だ。
 彼らの中にある聖女の印象が、音を立てて崩れつつあった。
 以前までのネアなら、まずしないような行動を連発しているのだ。
 混乱してしまうのも仕方ない。

 妖刀については、エドガーから説明されているので、兵士達は事情を知っている。
 しかし、まだ疑っている節があった。
 幽閉生活でネアが心を病み、妄言を吐いているという噂も流れている。
 俺からいくら説明しても伝わりはしないだろうし、やはり実演するのが確実だと思われる。

 そんな出来事がありつつも俺達は進む。
 道中、襲撃はなかった。
 たまに野生動物の気配が近付くくらいである。
 それすらも実際に目撃する場面もなく、ひたすら移動だけが続いた。
 あまりに退屈で欠伸が何度も出た。

 夕暮れ頃になって、ようやく遠くに砦が見えてきた。
 木々に紛れているが間違いない。
 魔術で建造されたため、不自然に真新しい。
 あそこにいる連中こそが、主要都市を攻撃した軍である。

 俺は兵士達に指示して、彼らを木陰に退避させた。
 折を見て攻撃を開始するようにも伝えておく。
 こちらに被害が出るとすれば、兵士達の死だ。
 独立派はただでさえ戦力が少ない。
 ここで無駄に損耗するわけにはいかなかった。

 まずは俺が先駆けとなって仕掛ける。
 兵士達の出番はその後だ。
 遠距離から追撃を撃ち込んでもらう。
 役割としては十分だろう。

『本当に単独で大丈夫なのですか?』

「まだ心配しているのか。そろそろ信頼してくれてもいいんだぜ」

 心配するネアに俺は苦笑する。
 彼女は相当な心配性らしい。
 自分の身体なのだから当然か。
 彼女には俺の戦いぶりを見せてきた。
 この程度の状況は問題ないと理解できるはずなのだが、まだ安心はできないようだ。

 弁解することもなく、俺は堂々と接近を始めた。
 刀は鞘に収めたままだ。
 かつかつと指で柄を打ち鳴らしながら、自然体で歩いていく。

 意識を砦へと向けると、慌ただしい気配が感じ取れた。
 俺達の接近に気付き、迎撃の準備をしているようだ。
 砦の外には誰もいない。
 警戒態勢で、籠城を決め込んでいるらしい。

(賢い判断だ)

 密偵が帰還しないことから襲撃を予感したのだろう。
 下手に乗り出すよりも、よほど利口なやり方だった。
 俺達は必然的に攻城戦を強いられる。
 ここまでの獣道を進める戦力で、それだけのことをするのは難しいだろう。
 よほど優秀な魔術師でもいない限り、砦に辿り着くまでに被害が膨らむ。

(まあ、今回は例外がいるわけだが……)

 薄ら笑いを浮かべていると、砦から矢が放たれた。
 俺は刀で難なく防ぐ。
 同時に飛来する魔術も切断して消した。
 味方の兵士達は、木陰にいるので被害を受けていない。
 あのまま放っておいても大丈夫だろう。

 俺は歩みから徐々に速度を上げる。
 そこから最高速度で疾走し、砦との距離を詰めていった。
 矢と魔術の雨を凌ぎ切ったのちに跳躍する。
 砦の外壁を跳び越えると、兵士に蹴りを炸裂させながら着地を決めた。

「オラァッ」

 地を這うような姿勢から、刀を旋回させる。
 辺りの兵士達は膝を切断されて、悲鳴を上げながら一斉に倒れた。
 そんな彼らの顔面を叩き斬る。
 何度か刀を振るえば簡単に黙らせることができた。

 俺は口に入った返り血を吐き捨てて、微笑む。
 その動作で、間合いの外にいた兵士達が怯んだ。
 怯えたような声を洩らす者もいた。

「何をやっている! 早く殺さんかァッ!」

 後方で上官らしき男が怒鳴り声を発していた。
 俺は落ちていた剣を拾って投擲し、口だけ男の額に突き立てる。
 刃は脳の深くにまで達しているだろう。
 間違いなく即死だった。
 兵士達はそれを目の当たりにしてどよめく。

 俺は近くの死体から剣を取った。
 両手に握った武器をそれぞれ回転させる。
 使い心地を確かめながら、俺は兵士達に告げた。

「さあ、かかってこいよ。聖女を始末するのが、あんたらの仕事だろう?」

 嘲笑うように言うも、反応は返ってこない。
 様々な感情が渦巻きながらも、奇妙な静寂が辺りを支配していた。
 浅く息を吐いた俺は、容赦なく襲いかかる。

 ◆

 夜明けが訪れた。
 随伴の兵士達は、砦内を忙しそうに移動している。
 彼らは戦闘後の処理に追われていた。

 辺りは血生臭く、あちこちに死体が放置されている。
 いずれも新王派の兵士達だ。
 部下の兵士達は、死体を順に運搬して一カ所に集めている最中であった。
 広大な砦での作業は大変だろうが頑張ってほしい。
 俺は腕組みをしてその様子を眺める。

(まあ、上々の結果だな)

 砦内での戦いは、爽快なものだった。
 単独で乗り込んだ俺は、新王派の兵士達を蹂躙した。
 次々と斬り殺して死体に変えていった。

 そのうち随伴の兵達も参戦し、遠距離から魔術を連打してくれた。
 彼らの活躍も意外と馬鹿にできない。
 砦内の混乱が助長されて、相手の判断を迷わせることに成功していたのだ。
 おかげで迅速な殺戮ができた。

 新王派の軍の中に、特筆するほどの戦力はいなかった。
 刀を振るっていくだけで簡単に死ぬ者ばかりである。
 そういった面では物足りなさもあったが、何と言っても数が膨大だ。
 この点に関しては良かった。
 数千の人間を殺し放題で、横取りされる心配もない。
 ついつい張り切ってしまった。

 結果、俺は軍の大半を斬殺した。
 屋内を舐めるようにして駆け巡り、屍の山を生み出した。
 僅かながらも捕虜がいるのは、一部の集団が早々と降伏したからである。

 俺は問答無用で殺そうとしたが、寸前でネアに止められた。
 彼女曰く、救える命はなるべく救いたいのだという。
 それを敵にも言える甘さはどうかと思うも、聖女らしくはあった。
 確かに戦う意志のない人間を殺してもつまらない。
 持ち帰って何らかの役に立てる方が有益だろうとのことで、今回は見逃すことにした。

 また、何割かの兵士は砦から逃亡していた。
 どさくさに紛れて、新王派の領地へと撤退している。
 少数の戦力を相手に情けないとは思うが、彼らの気持ちも分かる。
 まさか一晩と経たずに壊滅させられるとは思いもしなかったのだろう。

 此度の出来事はすぐに知れ渡る。
 数十人の兵を連れた聖女が、百倍以上の戦力を圧倒したのだ。
 後の世に語り継がれるほどの英雄譚となるに違いない。

 どちらの陣営にも大きな衝撃を与えるはずだ。
 きっと今後の反撃に役立つ。

 聖女は、血と殺戮を築き上げる人斬りに生まれ変わった。
 その名は人々に畏怖される。
 決して忘れられることのない歴史を刻んでいくのだ。

『さぞ悪名が轟くのでしょうね』

 ネアが諦めた口調で述べる。
 どうやら思考を読まれたらしい。
 過去の担い手も似たようなことをされたが、この短時間でものにした人間は稀だった。
 俺は彼女に尋ねる。

「ご不満かい?」

『いえ。正義を為すことが最優先ですから。自分の評価など気にしません』

「そいつは良かった」

 ネアは一貫した思考を持っている。
 自らの名声はどうでもよく、独立派の未来だけを見据えていた。

「これからさらに殺すわけだからな。もっと有名人になっていこうじゃないか」

『……楽しそうですね』

「楽しいさ。そうじゃないと、妖刀になってまで生きようとはしない」

 俺は意気揚々と呟く。
 未練と執念を以て、こうして生き延びてきた。
 人間として死ぬことを拒否するほどだ。
 この衝動は、誰にも負けない自信があった。
 そういった点では、正義に燃えるネアと似ているのかもしれない。

 その後、俺達は少数の捕虜を連れて帰還した。
 奇跡の勝利を受けて、都市は喝采に包まれた。
 人々は喜び、そして聖女を讃える。
 こうして独立派は、形勢逆転の一歩を踏み出したのであった。

 ◆

 砦での戦いから二週間が経過した。
 独立派の状況は、かなり変化している。

 各地では、聖女の復活を支持する声が続々と上がっていた。
 さらには新王派への反撃も実施されている。
 結果、独立派の領地にあった戦線を押し戻して、窮地を脱することに成功した。
 士気の向上が決め手だろう。

 降伏を視野に入れていた者達も再び奮起し、聖女のために戦うと決心していた。
 一部の傭兵は、ここぞとばかりに自らを売り込んでくる。
 独立派はそれを受け入れて、限定的な軍人として採用した。

 現在、新規戦力は貴重だ。
 多少の財を削ってでも確保すべき部分であった。
 素性も何も関係ない。
 この気勢に乗ることが重要だった。
 細かな問題は後で解決すればいい。

 一方、新王派は苦難の連発だった。
 多大なる犠牲を払いながらも撤退した彼らは、それぞれの領地に帰還している。
 民衆からの不満を抑えつつ、次の戦いに向けて準備を進めているそうだが、かなり難航しているらしい。
 劣勢の状態でそれを成し遂げるのは至難の業だろう。

 民衆だけでなく、兵の間でも不平不満が蓄積していると聞く。
 見切りをつけて独立派へ離反する者もいるそうだ。
 こちらの戦力増大の一因となっている。

 最も不味いのが、新王の死だろう。
 上に立つ者が不在という状況が、士気の低迷と陣営全体の混乱を招いていた。
 さらには新王の母や兄妹によって後継者争いも勃発している。
 それぞれの背後に国の有力者がおり、言ってしまえば傀儡戦争だ。

 独立派との争いがあるというのに、呑気な連中だと思う。
 この期に及んで権力に固執し、政治ばかりに気を取られて、土台から自壊しかけていた。
 憐れだが、情けをかけるつもりはない。
 両陣営の状況は、いつの間にか覆っていた。

(こいつは楽勝かね)

 屋敷の一室にて、俺はソファに寝転がって思案する。
 最近はずっとこんな調子だった。
 報告を聞きながら、脳内の構図を書き加えていく日々である。

 もちろん怠惰を貪るばかりではない。
 具体的には、兵士達に剣術を指導したりしていた。

 ただし、俺の戦い方は一般的ではない。
 模倣したところで早死にする。
 俺の場合、極限まで洗練したからこそ成立しているだけだった。
 剣術自体、鎧を着た人間に不向きな系統であり、そもそも俺が指導という行為を得意としていない。

 そういった事情を抱えながらも、使えそうな技術は伝授していた。
 俺には様々な流派の使い手を殺し合ってきた経験がある。
 これで少しでも兵士の生存率が上がれば儲けものだ。

 新王派は、膨大な戦力を有している。
 未だに数の上では大敗していた。
 その差を埋めて凌駕するなら、兵の質を改善していくしかない。

『律儀な性格をしていますね。意外です』

 今後の計画を思い描いていると、唐突にネアが発言した。
 彼女は意外そうな様子である。

 苦笑いした俺は、髪を掻きながら彼女に尋ねた。

「そんなに意外かい」

『ええ。粗暴な面ばかり見てきましたので』

「ハハッ、はっきり言いやがる」

 俺は顔を手で押さえながら笑った。
 なんとも遠慮のない意見だった。
 そういうところがネアらしい。
 落ち着いたところで俺は呟く。

「戦いをより楽しむための準備だ。そこを怠るほど無粋じゃないってことさ」

 独立派には頑張ってもらわなくてはならない。
 俺はこの内戦を、さらに過激に盛り立てていくつもりなのだから。

 ◆

 その日の午後、俺は兵士達の訓練場を訪れていた。
 目的は手合わせの実施である。

 前方には、無作為に選出した五人の兵士がいた。
 彼らは木製の剣と盾を装備し、緊張した面持ちで構えている。
 扇状に展開した彼らは、じりじりと移動すると俺を包囲した。

 離れた地点では、他の兵士達が観戦をしている。
 そのうちの大半が、直前まで俺との稽古を味わった連中だ。
 あちこちに怪我を負っている。
 彼らには動きを見て学ぶように言っていた。

「さあ、遠慮なくかかってこいよ」

 俺が告げるも、兵士達は逡巡する。
 聖女に攻撃を仕掛けることを躊躇しているのではない。
 彼らは、幾度となく手合わせを経験していた。
 こちらの戦闘能力を知っているため、迂闊な行動は痛い目を見ると理解しているのだ。
 だから踏み出せない。

 どうしたものかと思っていると、真正面にいた一人が雄叫びを上げて突進してきた。

「うおおおおおおおおッ!」

 盾を持たないその兵士は、代わりに大剣を掲げていた。
 優れた膂力で叩き潰す戦法らしい。
 悪くない気迫だった。
 最初に動き出す積極性も評価したい。

(だが、隙だらけだ)

 大上段からの振り下ろしに対し、俺は踏み込んで間合いをずらした。
 焦る兵士は大剣を振り下ろそうとするも、俺は既に目の前にいる。
 近すぎて斬撃を当てられない位置だった。

「く……っ!」

 兵士は片手を柄から放して、苦し紛れに肘打ちを繰り出してきた。
 悪くない判断である。
 俺は肘打ちを掴んで止めると、もう一方の手で拳を固めた。
 それを兵士の胴体に打ち込む。
 兵士は吹っ飛び、観戦中だった兵士に突っ込んだ。

 間もなく左右から二人の兵士が迫る。
 俺はそれぞれの軌道を見極めた。
 そして両手の指で二人の武器を挟んで止める。

「なっ!?」

「くそ……っ」

 兵士達は驚愕した。
 観戦する者達もどよめく。

 俺は身体を回転させて二人を引き寄せた。
 そのまま蹴り飛ばして退場させる。

「おっ」

 振り向く前に、背後から残る三人が仕掛けてきた。
 俺は地面を蹴って突進し、彼らとの間合いを潰すように接近する。

 三人の兵士は、同時に攻撃を放ってきた。
 俺の突進を読んでいたのだろう。
 常套手段なので当たり前である。

 俺は滑り込むようにして迎撃を躱し、一人を蹴り上げた。
 落とされた盾を空中で掴み取り、すぐそばの兵士の顔を殴打する。

 さらに突き飛ばしながら踏み込むと、最後の一人を投げ倒した。
 その首に足を載せる。
 脛椎を折るような真似はしない。
 ほんの少し圧迫するだけだ。

 首を踏まれる兵士は硬直する。
 やがて降参を示すように、全身の力を抜いた。

 それを確認した俺は足を下ろす。
 盾を捨てて、観戦する兵士に向かって告げた。

「今日の稽古はここまでだ。戦争に備えて、さらなる研鑽を積むように」

 俺はそう言って踵を返そうとする。
 その時、ネアが主導権を譲るように主張してきた。
 俺は素直に従う。
 髪と目の色が変化した。
 姿勢を正したネアは、兵士達を一瞥する。

「お疲れ様です。過度な無理をせず、しっかりと休息を取ってください。貴方達は、大切な存在です」

 疲労困憊の兵士達は、途端に背筋を伸ばすと、揃って威勢のいい返事をした。
 ネアは満足したように微笑んで屋敷へと向かう。

(天然、なのか? とにかく、恐ろしい女だ)

 英雄と呼ばれるのも納得である。
 俺は、聖女の振る舞いに感心するしかなかった。

 ◆

 屋敷に向かって歩いていると、そばに希薄な気配が出現した。
 目を向けなくとも誰か分かる。
 独立派の人間でこれだけ優れた隠密能力を持つのは、エドガーだけだ。

 これだけの技能を持ちながら、全盛期よりも衰えているらしい。
 なんとも素晴らしい人材であった。
 あと二十年ほど若ければ、果たし合いを申し込んだところだろう。
 彼にとっては幸運だったかもしれない。

 そんなエドガーが、歩き続ける俺に話しかけてくる。

「ウォルド様。例のご命令について、ご報告に上がりました」

「早いな。周知できそうか?」

「はい。すぐに他国の耳にも入るでしょう」

 エドガーは涼しい顔で頷いた。
 俺は笑みを深めて、彼に指示を送る。

「そいつはいい。実行してくれ」

「かしこまりました」

 エドガーは再び気配を消して立ち去った。
 細かな命令をせずとも、仕事を完璧にこなしてくれる。
 紛れもなく最高の部下だった。
 あれだけの逸材は珍しい。
 素直に感心していると、ネアが話しかけてきた。

『……本当にやるのですね』

「当たり前だろう。連中の意見なんざ必要ねぇさ。勝手にやっちまえばいい」

 俺は鼻で笑いながら言う。

 ネアが言っているのは、俺がエドガーに送った命令である。
 すなわち、この領土の独立宣言だった。
 今までは王国の中にある領土だった。
 そこから抜け出て、一つの国としてやっていくことを表明するのだ。

 今までネア達が主導で進めてきたのは、王国から独立の許可を得るための戦いであった。
 その言い分が通らずに内戦にまで発展した。
 ここまでの状況になった以上、向こうも絶対に首を縦に振らないだろう。
 互いに後に引けない状態になっているのは間違いない。

 だからこそ、この局面で独立宣言をする。
 独立派は優位に立っており、その空気を後押しするのが最大の目的だった。

 戦争とは、流れを制した者が勝つ。
 今の流れは独立派にとって悪くなかった。
 ここは逃がさずに加速させるべきだろう。

 建国と言っても、まだ具体的なことは決まっていない。
 しかし、こういう時は、真っ先に宣言してしまうのが大事だ。
 中身なんてその後に考えればいい。
 そこは俺ではなく、もっと賢い人間に丸投げすればいい。
 何事も適材適所が一番である。

『貴方は、ここからどうしていくつもりなのですか?』

「新王派を叩き潰して国を乗っ取る。首都をこの領に定めて、無理やり奪い取る形だな」

『……可能と思っているのですか?』

「当然さ。不可能なことに時間を費やすほど、俺は暇じゃないんだ」

 俺は刀の鍔を小突きながら答える。
 金属の硬い感触が心地よい。
 どれほど携えてきたか分からない。
 刀そのものに愛着などなかったが、もはや俺自身と言っても過言ではなかった。

「国崩しや革命は何度も主導してきた。今回だってその一つに過ぎない。すぐに成果を出してやるよ」

『自慢ですか』

「ああ、特大の自慢だ。格好いいだろう」

 俺は笑いながら言う。
 少々の沈黙を挟んで、ネアは冷徹に述べる。

『野蛮ですね。軽蔑します』

「ハハハ、最高の褒め言葉だ」

 聖女様はどこまでも真面目らしい。
 俺にこれだけ物を言える人間も珍しかった。
 なんとも面白い担い手である。

 ◆

 それから数日後、俺達は遠征を始めた。
 行き先は新王派の領地だ。
 戦線の只中に位置しており、独立派の進撃を食い止めている場所であった。

 領主は相当な強者との噂で、内戦の始まる以前から国防を担ってきた傑物らしい。
 その話を聞いた俺は、この目で確かめることにしたのだ。
 独立派の反撃を考えても、その領主に居座られると厄介である。

 いつまで経っても侵攻が滞ってしまい、兵士達に任せても犠牲だけが膨らむばかりだ。
 俺が一気に仕留めてしまった方がいいだろう。

「ああ、楽しみだ……」

 行軍の馬車の中で、俺は呟く。
 早く刀を抜きたくて堪らなかった。
 衝動を抑え込むのが苦しい。
 許されるのならば、馬車の周りにいる兵士達を叩き斬りたいくらいだった。

(これだけ多いのだから、十人や二十人は構わないだろう……)

 今回、随伴する兵士は二千人だ。
 この人数で向こうの領地を攻撃し、短期決戦で領主を抹殺する。
 目的を達し次第、一気に撤退する手筈だった。
 そこからは入れ替わるようにして味方の軍隊が襲来し、領地を奪い取る予定である。
 つまり俺達の隊の役目は、最も厄介な敵を潰すことに尽きる。

「はぁ、斬りてぇな……」

『絶対にやめてください』

 ネアが断固たる口調で警告してくる。
 有無を言わせない雰囲気だった。
 かなり怒っているらしい。

 俺は軽く息を吐いた。

「冗談だよ。味方を殺すはずがないだろう」

『鉄の丘の血戦……憶えていますよね』

 ネアは探りを入れるように尋ねてきた。
 懐かしい言葉を聞いて、俺は目を細める。
 同時にネアの意図を察した。

「知ってたのか」

『無論です』

 ネアが言っているのは、俺が人間だった頃に参加した戦争である。
 三つの軍が入り乱れる混戦で、総勢十万の兵士が殺し合った。

 俺はその中で衝動を解放し、他の二陣営を殺戮した。
 それでは飽き足らず、味方の陣営も斬っていった。

 特に理由があったわけではない。
 ただ殺戮衝動が抑えられなかったのだ。
 壮絶な蹂躙劇の末、三つの軍は壊滅した。
 逃げ延びた僅かな兵士と、俺だけが生き残る結果となった。

『仲間殺しのウォルド。その汚名は末代まで語り継がれていますよ』

「あいつらは仲間じゃない。金で雇われた者同士さ」

 俺は弁明するも、ネアの意見が正しい。

 当時、俺は傭兵だった。
 戦争の後、雇い主からは罵詈雑言を浴びせられた。
 もちろんそいつも斬り殺して黙らせた。

 今になって振り返ると、全面的に俺が悪い。
 依頼を無視して暴走したのだ。
 罵られるのは当然だろう。

 あの出来事は若気の至りである。
 今ならもう少し上手く立ち回っていたはずだ。
 ようするにネアは、俺が味方を殺す可能性を示唆しているらしい。
 現在は気分も落ち着いている。
 そこまでの暴挙は犯さない、と思いたい。

 ◆

 数日後、俺達は新王派の領地に踏み込んだ。
 関所を蹂躙し、大した被害もなく進む。
 そこからさらに数日の移動を経ると、領地の主要都市が見えてきた。

 あの地に噂の領主がいるらしい。
 長きに渡って独立派の猛攻を食い止めてきた強者だ。
 道中でこれといった妨害は無かった。
 街に引きこもり、防衛に徹するつもりらしい。
 領主の常套手段だと聞いている。

 ただし、今回ばかりはそう上手くはいかせない。
 ここで俺が殺す。
 我ながら数え切れないほどの人間を殺してきた。

 標的として見定めた相手を逃したことなど、非常に稀なのだ。
 第三者に先を越されたり、病で勝手に死なれたくらいだと思う。
 基本的には有言実行で抹殺していた。
 今回もそのつもりである。

 現代の戦いを何度か経験したが、兵士の質はいまいちだ。
 最悪とは言わない。
 もっと酷い時代もあった。

 しかし、絶妙に物足りなさを感じている。
 十数年の内戦で、俺の求めるような人間が死んでしまったらしい。
 あと五年ほど早くネアと出会うことができれば、充実した毎日が送れたかもしれない。
 悔やんでも仕方ないとは言え、残念に思わざるを得なかった。
 領主が期待外れでないことを切に祈っている。

(まったく、勘弁してほしいぜ)

 馬車の中で、俺はため息を吐く。
 効率よく殺せるのは喜ばしいことだが、刺激が少ないのは考えものだった。
 命の危機を感じるほどの戦いが欲しい。
 ネアの身体を使う今、全盛期とは比べ物にならないほど弱体化している。
 それなりの相手でも楽しめるはずだった。

 刀を抜き差しして暇を潰していると、御者が振り返ってこちらを見た。
 青い顔をしているのは奴隷商ことラモンだ。
 彼は呻くようにして苦情を述べる。

「旦那、少し殺気を抑えてくれねぇか。恐ろしくて仕方ないんだ」

「すまないね。無意識だった」

 俺は素直に謝る。
 ラモンは何かと勘が鋭い。
 俺の動きを鋭敏に察知していた。
 生存能力に長けた才能であるが、こういった場面においては大変だ。
 常に俺のことを気にしてしまうため、精神は休まらないだろう。

 ラモンには、侵攻した街で奴隷を確保してもらう予定だった。
 大切な戦力兼労働力を持ち帰るのが彼の役目である。
 ラモンは専門の知識を持つ。
 奴隷の入手は兵士に命じてもこなせるが、彼がいると捗るだろう。

 俺は刀を置きながら笑う。

「安心しろよ。お前を斬るつもりはない」

「そう言われてもなぁ……」

 ラモンは困ったように唸る。
 あの様子だと、ずっと警戒したままだろう。
 気苦労が絶えない男である。

『ラモンは貴方に怯えているようですね』

「当然だろう。こっちは人斬りだぜ? 全幅の信頼を置く方が間違っている」

『ああいった反応をされて傷付かないのですか?』

「はは、何を言うかと思えば。わざわざ訊くまでもないだろうさ」

 俺は腹を抱えて笑った。
 他者から怯えられたくないのなら、人斬りなんてできない。
 愚問にもほどがあるだろう。

「俺は嫌われやすい性質でね。聖女様の助力を期待するよ。円滑な人間関係は、戦いの勝利を招くんだ」

『……善処します』

 ネアは不承不承といった調子で応じた。

 ◆

 二日後の昼頃、目的の都市が見えてきた。
 都市の外に軍の姿は見当たらない。
 草原で迎え討つつもりはないらしい。

(やはり籠城戦か)

 ここの領主は、その戦法で常勝を掴んできた。
 鉄壁の防御で持久戦に持ち込んで、相手を消耗させる。
 そこに突如として大軍を仕掛けて薙ぎ倒すのだ。

 単純明快だが、これと言った隙がない。
 戦法自体を崩すのは困難だろう。
 都市内に引きこもられると、こちらのやれることは少なくなる。

 何より領主の実力が飛び抜けていた。
 並の兵士ではとても敵わない。
 彼に突撃されると、こちらの軍は困ったことになる。

 今までの内戦において、独立派はこの領土を迂回する形で進撃してきた。
 幸いにも領主は遠征は行わない主義である。
 彼は自らの土地さえ守れればそれでいいのだ。
 故に独立派も、なるべく触れないようにしてきた。

 とは言え、その領地が位置的に邪魔なのは確かだった。
 不用意に手を出さなければ被害も受けないが、いつまでも放置はできない。
 独立派は、この内戦を制するつもりだった。
 窮地まで追いやられたが、ようやく再起の兆しが見えたのだ。
 そこをたった一人の領主に妨害されるわけにはいかない。

 領主の死は、双方に大きな影響を及ぼすだろう。
 独立派には希望の流れを作り、新王派には絶望を与える。
 ここで勝利すれば、戦況はさらに優位なものへと傾くのだ。

(だから絶対に殺して勝つ)

 馬車の中で意気込んだ俺は、装備の点検を進めていく。
 元が純白だった軍服は、今や赤黒く染まっていた。
 そのすべてが返り血である。
 洗っても落とせないほどの汚れとなっていた。
 軍服については、各所のベルトの緩みを締めておく。
 ブーツは底が擦り減っているが、気にするほどではない。

 そして刀はいつも通りだった。
 数え切れないほどの人間を斬り、その魂を喰らってきた得物である。
 古びた感じは否めないも、どれだけ乱暴に扱おうと折れることはない。
 どのようなものでも俺と共に斬ってきた。

(今回は何人斬れるかね……)

 近付く戦場を想っていると、馬車の外が騒然となる。
 何やら兵士が喚いているらしい。
 かなり動揺しているようだった。

 不審に思った俺は、外に出る。
 前方の都市までまだ距離があった。

 先ほどまで閉ざされていた門が、開いている。
 そこから現れたのは、鎧を纏った大男だ。
 オーガにも勝るほどの体躯で、およそ人間の領域を超えている。

「……あれが領主か」

 事前に聞いていた身体的特徴と一致している。
 間違いないだろう。

 領主の背後には荷馬車があった。
 目を凝らすと、球状の岩が山積みになっているのが分かった。

 領主はその一つを掴み、大きく振りかぶる。
 獣のような雄叫びを上げたのちに、岩を投擲した。

 描かれる浅い放物線。
 高速で空を飛ぶ岩は、俺達の軍へと急速に迫りつつあった。

 ◆

「怪物め、やりやがったな」

 鼻を鳴らした俺は馬車から飛び出した。
 岩の落下地点を予測し、そこまで全力で疾走する。
 頃合いを見て地面を蹴り、高々と跳躍した。

 岩は眼前まで迫っていた。
 直撃すれば、悲惨なことになるだろう。
 無論、そのような間抜けな姿を晒すつもりはない。

 俺は腰の刀を抜いて斬撃を放ち、岩を真っ二つにした。
 返す刃でさらに分断し、身を捻るように三度目の斬撃を浴びせる。

 高速の三連撃で刻まれた岩は、散らばりながら落下していった。
 地上の兵士達は、魔術の障壁で防御する。
 元の岩が直撃すれば防げなかったが、小さくなったことで力が分散されたのだ。
 幸いにも怪我人はいないようだった。
 着地した俺は刀を鞘に戻す。

『……凄まじい力ですね』

「ああ、天性のものだろう。努力で到達できる領域じゃない」

 領主は相当な怪力らしい。
 投石器を超える膂力で岩を投げてくるとは、下手な魔術より厄介だった。

 正門前に立つ領主は、既に二つ目の岩を構えている。
 このまま連投されると面倒だ。
 一方的に攻撃されることになる。
 こちらの魔術は、射程の関係で向こうまで届かない。
 さっさと距離を詰めねばならなかった。

「全速前進だ! 俺についてこいッ!」

 それだけ命じると、俺は軍を置いて駆け出した。
 味方の速度に合わせていては、被害が出る恐れがある。
 先んじて仕掛けるのがいいだろう。

 直後、領主が岩を投擲した。
 今度は山なりではない。
 半ば地面を転がるようにして直進してくる。
 接近する俺を狙う軌道だった。

 その瞬間、俺は領主の魂胆を理解する。
 どうやら俺の始末を優先したいらしい。
 籠城戦に持ち込まずに彼だけが出てきたのは、余計な損害を抑えるためだろう。
 俺を相手に防戦を仕掛けるのは危険だと判断したのである。

 新王派も、豹変した聖女の噂を聞いているに違いない。
 だからこそ、領主は専用の対策を考えたのだ。

「――上等だ」

 笑みを深めた俺は加速し、大上段からの振り下ろしを繰り出した。
 刃は迫る岩を縦断する。
 速度を落とすことなく、俺は割れた岩の間をすり抜けていった。

(面白いじゃねぇか。受けて立ってやる)

 分かりやすい戦いは好きだ。
 互いに大将を殺すのが目的ならば、話は早い。
 正面からぶつかり合うだけでいい。

 俺は領主に注目する。
 岩を振りかぶる領主は、兜の隙間から凶悪な笑みを覗かせていた。
 どうやら向こうも楽しんでいるらしい。

「……ククッ」

 俺は思わず舌なめずりをする。
 全身が歓喜に震える。
 これは久々にいい殺し合いができそうだ。

 ◆

 領主が岩の投擲を行う。
 しかも先ほどまでとは異なり、両手を使った連投だった。
 どうやら本気になったらしい。

『……大丈夫なのですか?』

「心配すんなよ。すぐに決めてやる」

 焦るネアを宥めつつ、俺は怯まずに突進した。
 真正面から岩に刺突を繰り出す。
 切っ先が僅かにめり込んだところで、刀を傾けた。
 そこから身を沈ませるように受け流すと、岩は刃に沿って転がっていく。

 飛び散る火花。
 岩の軌道が、ほんの少しだけずれていた。
 俺はその隙を縫うように走り抜ける。

 続けて飛んできた岩には、倒れ込むように回転斬りを浴びせた。
 斜めに断ち割って突破する。

 領主は荷馬車に積んだ岩を次々と投げてきた。
 対する俺は、ほとんど減速せずに切り抜ける。
 迂回や防御を選べば、向こうの思う壺だ。
 投擲の狙いは、恐ろしいほどに正確である。
 減速なんてしたら、畳みかけるように岩を貰って殺されるだろう。

(最高じゃないか。これこそ血の滾る戦いだ……)

 俺は胸中で歓喜する。
 この時代にも強者が存在していた。
 俺の衝動をぶつけるに値する相手である。

 いつまでもこの時間を楽しみたいが、残念ながら限界が迫りつつあった。
 ネアの肉体が、既に悲鳴を上げているのだ。
 高速で飛来する岩を叩き斬っているのだから、相当な負担がかかっている。

 本来の肉体なら欠片の疲労もなかったろう。
 多少は鍛えたとは言え、聖女は貧弱なままだった。
 さっさと勝負を決めなければ、身体がぶっ壊れて自滅する羽目になる。
 それはあまりにもつまらないし、間抜けだ。
 なんとかして領主を仕留めねばならない。

 俺はさらに数度に渡って岩を切断して進む。
 必死に距離を稼いだ甲斐もあり、領主の目前まで到達することができた。
 そこで領主と目が合う。

「……ははっ」

 強烈な殺気だった。
 それを凌駕するほどの喜びを伝わってくる。
 領主も、俺との殺し合いを満喫しているようだった。
 自らの死すら恐れていない。
 まさに強者の心構えであった。

 俺は犬歯を剥き出しにして笑う。
 握り潰さんばかりに柄を保持すると、最大速度で疾走した。
 肉体の悲鳴すら無視して突き進んでいく。

「――――ッ!」

 領主が咆哮を轟かせた。
 掴んだ岩を持ち上げると、そのまま叩き付けてくる。

(――勝負は一瞬で決まる)

 俺は刀を立てて頭上に向けた。
 大質量の岩に刃を添えて、刹那の間に滑らせるように斬撃を放つ。
 岩は刀の軌跡に従って切断された。

 俺は踏み込みと同時に第二撃を繰り出す。
 岩を掴んでいた領主の指が、籠手ごと宙を舞った。

「……ッ」

 領主が目を見開いた。
 彼はすぐさま指を失った手で殴りかかってくる。
 激痛が走っているだろうに、それを感じさせない動きだった。

 俺は地面を蹴り、殴打に合わせて刀を一閃させる。
 領主の手首から先を斬り飛ばすと、その巨躯を掴み上がって上昇した。
 横合いから飛んできたもう一方の拳を、回転しながらいなす。

「――終わりだ」

 領主の肩に足を載せたところで、刀を逆手に持ち替えた。
 狙いを定めると、狂喜に歪む片目に突き込む。
 柄を捻りながら引き抜く。
 返り血を浴びながら、俺はさらに刀を振るう。

 渾身の一撃は鎧の隙間に割り込み、領主の首筋を切り裂いた。

 ◆

 首を斬られた領主は、そこから血を噴出させた。
 血走った目が虚ろな輝きを覗かせる。
 朦朧としているのは明らかで、それでも意識を手放さないように足掻いていた。

 盛大に返り血を浴びた俺は、領主の肩を蹴って空中へと躍り出た。
 緩やかな宙返りの末に着地する。

 ふらつく領主は、俺に手を伸ばそうとしていた。
 そこで力尽きて倒れる。
 顔から地面に激突して、無抵抗に血を流す。
 しばらくは痙攣していたが、やがて呼吸も止まって動かなくなる。
 どうやら死んだようだ。

「ははは、最高だ……」

 深く息を吐いた俺は、至福の笑みをこぼす。
 素晴らしい相手だった。
 文句の付けようがない強者である。
 人間離れした体躯と怪力から察するに、巨人種の血統かもしれない。
 滅多に戦うことのできない戦士だった。

 結果として攻撃を食らうことはなかったが、紙一重の連発だったと言えよう。
 首への一撃が決まらなければ、手痛い反撃を受けていたに違いない。
 そうなれば重傷は免れなかったはずだ。

 独立派が、この領土を破れなかった理由がよく分かった。
 これほどの傑物が居座っているのだ。
 ただの軍が数を揃えて突撃したところで、蹴散らされるだけである。
 もし領主が好戦的な性格で、独立派の領土へ侵攻していたら、とっくの昔に内戦は終結していただろう。

 俺はその場に座り込み、刀を脇に置く。
 片膝を立てて、空を仰いだ。
 全身が痛む。
 両腕は小刻みに震えていた。

「はは、情けねぇな……」

 俺は自嘲気味に笑いを洩らす。
 頬が引き攣るせいで、不格好な表情になってしまった。

 不調の原因は分かっている。
 無理のし過ぎだ。
 非力な聖女の身体を酷使してしまった。
 普通に戦う分には問題ないが、しばらくは全力で動けないだろう。

 俺は欠伸をしつつ、背後の門に意識を向けた。
 都市に隠れた軍は出てこない。
 報復を仕掛けてくるかと思ったのだが、妙に静かだった。
 領主の帰りを待っているのだろうか。
 ここで雪崩れ込まれても面倒なので、こちらとしても好都合である。

「次の戦いまで休ませてもらうよ。あとは頼んだ」

 俺は一方的に告げると、主導権をネアに押し付けた。
 直後、ネアは苦痛に顔を歪める。

「く……ッ」

 呼吸を乱す彼女は、汗を流して胸を押さえた。
 微妙に焦点が定まらないまま、ネアは小さな声で言う。

「この、ような……痛みを、感じていたの、ですか」

『まあな。いずれ慣れるさ』

 ネアは内戦を生き抜いてきた英雄だが、決して武闘派ではない。
 もちろん戦闘経験はあるものの、俺からすればまだまだ未熟だった。
 鍛え方が足りないから、これだけの反動に襲われている。
 何度も味わえば、自然と改善するだろう。

『ほら、そろそろ仲間が追いつくぞ。しゃきっとしようぜ』

「言われなくとも、分かって、います……」

 呆然とした顔で近付いてくる独立派の軍を見て、ネアは根性で立ち上がった。
 刀を支えにして倒れないようにしている。
 落ち着いたところで、ぎこちなく鞘に戻した。

 ネアは深呼吸を繰り返す。
 随分と青い顔だが、痛みを抑え込むことができたらしい。
 妖刀の担い手として、また一つ成長したようだ。

 ◆

 間もなく独立派の軍が合流してきた。
 兵士達は、領主の死体を見て驚愕する。
 見事に言葉を失っているようだ。

 当然の反応であった。
 長きに渡って無敗を誇ってきた都市の守護者が死んでいるのだから。
 まさかこの短時間で戦死するとは、思わなかったに違いない。
 豹変した聖女の実力を痛感したことだろう。

(懐疑的だった連中も、この一件で認識を改めるはずだ)

 聖女の強さは、さらに知れ渡る。
 国内において両陣営も無視できなくなった。
 ここから戦場は乱れていくだろう。
 想像するだけで小躍りしたくなった。

「おいおい、嘘だろ……オレは夢でも見ているのか?」

 馬車から降りてきた奴隷商ラモンは、呻くように言う。
 彼は額に手を当てて、悩ましげに息を吐いた。

 場に何とも言い難い空気が漂っていた。
 向けられる畏怖の視線に、ネアは微妙な表情になる。
 何かを言いかけて、口を閉ざした。
 俺は彼女の心境を察する。

(葛藤か……)

 領主殺しは、厳密には彼女の功績ではない。
 肉体を借りた俺の功績だ。
 そのため素直に喜べないのだろう。

 しかし、紛れもなく彼女自身の手で行われた殺害でもあった。
 ネアは奇妙な事実で板挟みにされている。
 頃合いを見計らって、俺は横から口出しをした。

『まだ戦いは終わっちゃいないぜ。たった一人の敵を始末しただけだ』

「分かって、います」

 ネアは小さく頷いた。
 彼女は痛みを堪えながら、兵士達に向けて声を飛ばす。

「この地の領主は、私が討ちました! 今から都市内に侵攻します。各々、覚悟するように!」

 返ってきたのは、割れんばかりの雄叫びだった。
 最難関の敵が死んだことにより、兵士達の士気は跳ね上がっていた。
 聖女に対する印象も、良い意味で一変したようだ。

 ここからが本番であった。
 数と数の勝負となる。
 軍同士がぶつかり合う血みどろの市街戦だ。

 ただし、俺はあえて参戦しないつもりである。
 ネアの戦いぶりを見せてもらおうと思う。
 今後、彼女を担い手とするなら、ここで確かめて損はないだろう。
 次に備えた改善点などを洗い出しておきたい。

 そういったことを考えていると、背後の門が薄く開いた。
 ネアは反射的に柄に手をかける。
 場の空気が一気に張り詰めて、門の向こうに意識が殺到する。

 静寂の中、現れたのは気弱そうな男だった。
 痩せ身で文官服を着込んでいる。
 明らかに非戦闘員だった。

 緊張した様子の男は、声を張り上げて俺達に告げる。

「我々は全面降伏して独立派に下る! 戦うつもりはないっ!」

「……どういうことでしょうか」

 いきなり宣言した男に対し、ネアは神妙な調子で尋ねる。
 男は領主の死体を一瞥した後、沈痛な口調で説明し始めた。

 なんでも彼は、この都市を代表する使者らしい。
 領主の次に権力を持っているそうだ。
 日頃は戦争以外の分野で領地運営に携わっているという。

 使者である男は、領主から事前に命令を受けていた。
 それは"領主が戦死した場合、速やかに降伏しろ"という内容であった。
 都市内での戦いを避けるために命じてたのだろう。
 妖刀使いの聖女と戦うにあたって、自らの死を予感していたらしい。
 戦闘狂かと思いきや、領主としての矜持も持っていたようだ。

「いいでしょう。降伏を受け入れます」

 ネアは躊躇いなく宣言した。
 兵士から異論が出ることはない。
 俺もわざわざ反対するほどではなかった。

 この都市は、独立派にとって有用なものだ。
 せっかく無傷の状態で手に入れられるのだから、ありがたく頂戴すべきだろう。
 少し拍子抜けではあるものの、こういった顛末は戦争では珍しくなかった。

 こうして亡き領主の一存により、壮絶な戦いを予想した都市戦は、ほぼ無血で終結したのであった。

 ◆

 その日の夕方。
 降伏した都市にて、人々は平穏な暮らしぶりを見せていた。
 大通りはよく賑わっている。
 露店が立ち並び、都市の人々が往来していた。

 声をかけられた通行人が、店の品物をひやかす。
 別の場所では、主婦と店主による値段交渉が繰り広げられていた。
 なんとも平穏な光景である。
 領主が殺された挙句、敵軍に占領された地とは思えない。

 豪邸の一室からそれを眺めるネアは嬉しそうだった。
 本来、彼女は戦いを望まない。
 思わぬ展開とは言え、傷付けずに目的を達成できて満足なのだろう。

『順調だな。気味が悪いほどに』

 俺は率直に呟く。

 ネアは怪訝そうな表情をした。
 彼女は小声で俺に問いかける。

「不満ですか?」

『少しな。あの野郎の狙い通りに動いてやがる』

「領主のことですか」

『ああ。向こうの段取りが良すぎる。最初から覚悟して待っていたんだろう』

 降伏した都市は、俺達を内部へ招いた。
 罠の可能性を考慮していたがそのようなこともなく、領主の屋敷に案内されて歓迎された。
 随伴してきた独立派の軍は、同じ敷地内の建物で休んでいる最中である。

 街の人々は、俺達を目にしても特に動揺しなかった。
 どこか寂しそうな顔で道を開けるばかりである。

 領主が事前に通達していたに違いない。
 自分が死んでも、無用な争いが起きないようにしていたのだ。

 都市の人々は、領主の決心を遵守した。
 これだけの規模の街が一体になって従うとは、よほど信頼を得ていたのだろう。
 そのような人物を殺したことに後悔はない。
 しかし、彼の手のひらの上で踊らされている感じは否めなかった。
 思わず何もかもをぶち壊して台無しにしてやりたくなる。

「……絶対にやめてくださいね」

『分かっているさ。そこまで外道じゃない』

 緊張感を帯びて言うネアに、俺は軽い調子で答えた。
 半分くらいは冗談だ。
 俺も衝動で暴れ回る年齢ではない。
 もはや老いとは無縁の存在だが、それなりに生きてきた中で学んだこともある。
 ここで暴れてはいけないことくらい理解していた。

(とは言え、このまま終わるのはなぁ……)

 俺は内心でぼやく。
 しばらく考えた末、辿り着いた結論を表明した。

『よし、このまま侵攻を続けるか』

「何を言っているのですか。目的は既に達しました。速やかに帰還しましょう」

 大通りから視線を外したネアは、慌てたように提案する。
 俺は即座に彼女の意見を否定した。

『軍には先に戻ってもらう。俺達だけで先へ進むんだ。それなら迷惑はかけない』

「迷惑です。聖女が単独で行動するなど、余計な心配をかけるでしょう」

『連中には別の作戦で動いてもらう。心配する暇なんてないさ。それに数日の休養は取るから、無理をするわけでもない』

 俺は尚も食い下がる。
 ネアは苦い顔で言い淀んだ。

「ですが……」

『ネア。あんたも気付いているだろう。ここはさらに仕掛た方がいい。内戦を制する最大の好機なんだ』

「…………」

 説得を受けたネアは黙り込む。
 彼女もやはり内心では分かっているのだろう。
 それを認められないのは、戦いを望む性格ではないからだ。

『さあ、今のうちに身体を休めておこうぜ。痩せ我慢で乗り切れるほど、戦争は楽なもんじゃない。後で出発の計画を練ろうじゃないか』

「……はい」

 結局、ネアは頷くだけだった。
 俺の方針を覆せないと悟ったようだ。

 聖女もまだ若い。
 甘さを捨て切れない部分がある。
 こんな時代でなければ、英雄と呼ばれる人生を歩まなかったに違いない。

 しかし現実として、ネアは内戦の重要人物だ。
 役割を途中で放棄するわけにはいかない。
 いつか死ぬその時まで、頑張ってもらおうと思う。

 ◆

 領主との戦いから八日が経過した。
 ネアは降伏した都市で優雅に暮らしている。
 肉体の回復に努めている最中で、様々な方法で癒していた。

 一時は立つことも困難だったものの、現在ではかなり改善している。
 外傷を負ったわけではないため、安静にしていれば割とすぐに治るのだ。

 かつての担い手の中には、ネアよりも貧弱な者もいた。
 当初はどうしたものかと苦心したが、最終的には屈強な殺戮者になってくれた。
 そこから俺は学んだ。

 大事なのは育成である、と。
 叱責したり愚痴を吐いたところで、担い手が強くなるわけではない。
 先を見据えて育てるのが一番であった。

 ネアは担い手として完璧ではないが、そんなものは今更な話だ。
 理想像へと導くのが俺の役目だろう。

 そんなネアは、豪邸の一室で食事をとっていた。
 机に並ぶ料理の数々を、丁寧な動きで口に運んでいる。
 貴族の会食でも通用しそうな気品だ。
 さすがは聖女である。

 ネアが淡々と食事を進める中、俺は気だるげにぼやく。

『あーあ、平和だ。たくさんの担い手の間を渡ってきたが、ここまで暇な期間は珍しいぜ』

「歴代の担い手は、よほど血気盛んだったのですね」

『そういう連中とは波長が合うからな。まあ、早死にする奴らばかりだったが』

 寿命で死んだ者など滅多にいない。
 だいたいが戦死していた。
 彼らは、壮絶な殺し合いの末に命を落とした。
 担い手を殺した人間が、新たな担い手となる場合も少なくなかった。

 俺が契約を交わすのは、基本的に戦闘狂ばかりだった。
 特に自らの死すら恐れない者が多い。
 こうして振り返ってみると、なかなかに偏った人選である。
 今回の担い手――すなわちネアは特例に近いだろう。

「なぜ私を選んだのですか。他の担い手の方々とは系統が違いますよね」

『確かにそうだな。あんたほど清らかな人間は初めてかもしれない。だが、俺だって気まぐれに契約したわけじゃないさ。ちゃんと理由がある』

 俺の言葉を受けて、ネアはナイフとフォークを置いた。
 彼女は神妙な様子で続きを促してくる。

「どのような理由でしょうか」

『あんたの執念だ。奥底に見える執念は、本物だった』

 ネアは穏やかな性格で、平和を望む人物である。
 一方で、常人を遥かに凌駕する強烈な意志を秘めていた。

 彼女は、正義と使命のためならば非情になれる。
 俺という人斬りを心の内に飼いながらも、それを許容している。
 この異常な状態を受け入れた時点で、並々ならぬ精神力を持っているのは明らかであった。

 担い手となった直後から、精神に変容を来たして死ぬ者だっている。
 ネアは不自然なまでに平常心を保っていた。

『自覚はないだろうが、あんたは狂っている。根っこの部分は、俺や歴代の担い手と同じなんだ』

「それは光栄極まりないですね」

 ネアは棒読みで返してくる。
 間違いなく本心ではなかった。
 隠す気のない皮肉である。

 俺はそれを面白がりながら話を続ける。

『本当に殺すが嫌で堪らないなら、英雄にはなれない。どれだけ崇高な言葉を重ねようと、才能に恵まれた人殺しさ』

「…………」

 ネアは沈黙する。
 俯いたまま、食べかけの料理を見つめている。

『気分を悪くしたかい?』

「いいえ。自らの甘さを再認識しただけです」

 ネアは小さな声で答えた。
 彼女は顔を上げた。
 その目には、固い決意が宿っている。

「――正義のためならば、この身をどこまでも穢しましょう。必要なら幾万もの屍だろうと築きます。それこそが、私の覚悟です」

 ネアの宣言は、まさに彼女の狂気を体現していた。
 本気で言っているのは確かだ。
 綺麗事のように述べているが、そんなことはない。
 ネアは何の躊躇いもなく実現するだろう。
 自らの正義に背く存在を、嬉々として抹殺するに違いない。

『ハハハ、最高の聖女様だな! あんたはやっぱり担い手だよ。腰に差した妖刀がぴったりだ』

「それはよかったです」

 こちらの本音を知ってか知らずか、ネアは澄まし顔で口元を拭く。
 現代の聖女は、やはり人斬りの才を持っているようだ。

 ◆

 翌朝、俺達は出発する運びとなった。
 見送りにはラモンが来ている。
 遠巻きに兵士達がこちらを見ていた。

 彼らには既に今後の指示を出している。
 領土に帰還した後、然るべき行動を取ってくれるはずだ。

「じゃあ、あとは頼むぜ。エドガーによろしく言っておいてくれ」

「激怒するのが目に見えているんだが……」

「だろうな」

 俺は不安そうなラモンの肩を叩く。
 彼は嫌そうな顔を浮かべていた。
 ネアの単独行動を止められなかったとして、執事のエドガーから叱責を受けることが確定しているためだ。

 エドガーは基本的に慇懃な老人だが、ネアに関することになると狂気じみた本性を見せる。
 領内でも怒らせてはいけない人物として認識されていた。
 こちらを見守る兵士達も陰鬱な雰囲気だ。
 報告に戻るのが恐ろしいのだろう。

 俺はラモンの肩を掴んで引き寄せた。
 慌てる彼の耳元で囁く。

「俺が不在の間に逃げるなよ? もしいなくなっていたら、地の果てまで追いかけてやるからな」

「わ、分かっているさ。そんなことは絶対に、しない。ウォルドの旦那のために働くよ」

 ラモンの声が震えていた。
 視線は俺から逃れようとしている。
 どうやら図星だったらしい。
 まったく油断ならない男である。

「よしよし、いい返事だ」

 俺はラモンから離れる。
 彼は胸を押さえて露骨に安堵した。
 かなり緊張していたのか、汗を流す顔は真っ青だ。

 俺はその様を笑いながら出発した。
 都市の門を抜けて街道を歩き始める。
 ほどなくして、ネアが話しかけてきた。

『貴方に目を付けられるとは、彼も災難ですね』

「あいつは非合法の奴隷商だ。同情の余地なんてないさ。存分に酷使してやればいい」

 そんな雑談を交えながら俺達は移動する。
 草原を越えると森が見えてきた。
 俺はその中に踏み込んでいく。
 迂回は可能だが、地理的にここを通るのが一番の近道なのだ。

『このまま王都まで進むつもりですか?』

「それができれば一番だが厳しいだろうな。間違いなく途中で殺されるぜ」

『では、どこまで侵攻するつもりなのでしょう』

「とりあえず近くの領土を巡って、新王派の貴族共を脅しておこうと思う。連中だって命が惜しい。形勢次第で寝返るだろうさ」

 新王派において、忠誠心を持って所属する者など皆無に近い。
 誰もが自らの利権と保身のために行動していた。

 だからこそ、独立派に属する方が得だと思わせるのだ。
 連中も馬鹿ではない。
 ちょっと兵士を殺し回り、首に刀を添えてやれば理解するだろう。

 王都まで単独で突っ込むのは無謀だが、それくらいなら可能であった。
 警備の厳重さの関係で、潜入という手段も視野に入ってくる。
 単独であることも加味すると、実行は容易だった。

「それと今回の遠征は、あんたの訓練も兼ねているからな。一人前の担い手になれるよう、しっかり鍛えてやるよ」

『拒否権はないのですね』

「もちろん。死なないための鍛練だ」

 その時、近くの茂みが揺れて、複数の人影が飛び出してきた。
 素早い動きで俺達を包囲したのは、薄汚い身なりの男達だ。
 合計十人ほどだった。
 服装からして盗賊だろう。
 彼らは剣をこちらに向けながら発言する。

「待ちな! ここから先は通行料が必要だ」

「金目のものをすべて置いて……いや、あんたごと攫おう。俺達は美人が好物なんだ」

 下卑た笑い声が上がった。
 いつの時代もこういった連中がいる。
 俺は盗賊達を見回しながら頷いた。

「さっそく試し斬りの相手が来たな。その好意に甘えさせてもらおうか」

『それはまさか――』

 何かを察した様子のネア。
 その瞬間、俺は肉体の主導権を彼女に押し付けた。

 肉体を得たネアは、盗賊達を一瞥する。
 彼女はため息を吐いて俺に問いかけた。

「私にやれとおっしゃるのですね?」

『その通り! 殺そうが心の痛まない連中だ。存分に斬ればいい』

「……分かりました」

 ネアは鋭い眼差しを覗かせて、刀をゆっくりと引き抜いた。
 ややぎこちない形の構えを取ってみせる。

 盗賊達は完全に油断していた。
 女一人に負けるわけがないと思い込んでいる。
 まさに格好の標的だった。
 斬り殺すのにちょうどいい。
 こいつらなら、ネアが主導でも勝てそうだ。

 ◆

 ネアは精神を集中させる。
 刀の構えは及第点であった。
 最低限の動かし方は教えている。
 あとは本人次第だ。

 ネアはお世辞にも白兵戦が得意なわけではない。
 それでも俺が補助すれば、十分な立ち回りができるだろう。
 彼女は国内有数の英雄なのだ。

「ひひっ!」

 盗賊の一人が笑いながら跳びかかってきた。
 短剣を掲げているが、こちらを傷付けるつもりはなさそうだった。
 生け捕りしたがっているのがお見通しだ。
 とことん舐められている。
 こちらが聖女だと気付いていないのだろう。

 対するネアは踏み込み、刀を突き出した。
 教えた通りの模範的な刺突だった。

「うおっ!?」

 盗賊は焦って身を躱す。
 切っ先は彼の胴体を掠めていった。
 ただし、致命傷ではない。
 皮膚を浅く切り裂いただけである。
 刺突の型は悪くなかったが、微妙にぶれていた。
 それが原因であった。

「この女……ッ!」

 盗賊は激昂し、短剣を振り下ろそうとする。
 今度はしっかり殺すつもりのようだった。

『少し借りるぜ』

 俺は刀を持つ腕に干渉した。
 翻った妖刀が、盗賊の胴体を横断する。
 斬撃を受けた盗賊は、臓腑を撒き散らしながら倒れ込む。
 衝撃で上半身と下半身が千切れて分離した。

『初撃を躊躇うなよ。少しの迷いが狙いを狂わせる』

「……すみません」

 ネアは素直に謝った。
 自覚があるのだろう。

 他の盗賊はネアを警戒して、一定の距離を保っていた。
 ただの獲物から、気を張らねば殺されると認識を改めたようだ。

 それでいい。
 油断したままでは鍛練にならない。
 もう少し頑張ってもらわねば、ネアも力を発揮できないのだ。

 盗賊達は互いに目配せする。
 彼らは数瞬の沈黙を挟み、一斉に襲いかかってきた。
 存外に洗練された陣形だった。
 こういった戦法に慣れている証拠である。
 盗賊達は意外とやるようだ。

 それに気付きながらも、俺はネアに助言を送る。

『手段を選ぶな。あんたにはあんたの戦い方がある』

「――はい」

 頷いたネア、僅かに唇を動かした。
 刹那、彼女を中心に突風が発生する。

 盗賊達はよろめいて攻撃を中断した。
 驚く彼らは、顰め面で悪態を吐く。
 状況の不利を悟ったようだ。

『今のは良かった。理想的な牽制だ』

「ありがとうございます」

 ネアは魔術師である。
 飛び抜けた才覚はないものの、平均以上の使い手と言えよう。
 本来は遠距離攻撃や味方の補助が専門らしいが、それでは英雄などやっていられない。
 せっかくの能力なのだから、この機会に近接戦での運用も憶えてもらおうと思う。

 盗賊達の出鼻を挫いたネアは突進する。
 吹き抜ける風が、彼女の動きを劇的に加速させた。

 振り上げられた刀が、盗賊の一人を縦に切り裂く。
 その盗賊は痙攣しながら吐血した。
 割れた傷口から鮮血が迸る。

 ネアは真正面から返り血を浴びた。
 少しだけ嫌な顔をするも、拭うのは我慢している。

「死ねぇッ!」

 背後から別の盗賊が襲いかかってきた。
 俺はネアの空いた片手を操り、縦に切った盗賊を掴んで引き寄せる。
 背後から叩き込まれた斧は、その盗賊に炸裂した。
 後ろに隠れるネアには当たらない。

 ネアは魔術を発動した。
 詠唱が突風を紡ぎ、彼女の視線に従って吹き荒れる。
 攻撃に失敗した盗賊が、全身を切り刻まれて即死した。
 風が刃と化して炸裂したのだった。

 ネアは死体から手を離すと、刀の血を振り払って辺りを見る。
 残る盗賊達は硬直していた。
 あまりの事態に思考が追いついていないようだ。
 仲間の無残な死体と、血塗れの聖女を交互に凝視している。

『いい調子だ。人斬りの二つ名を進呈するよ。俺とお揃いにしようぜ』

「……結構です」

 苦い顔で断ったネアは、片手で魔術を制御する。
 もう一方の手に刀を携えると、彼女は盗賊達に攻撃を仕掛けた。

 ◆

 鮮血でずぶ濡れになったネアは、刀をゆっくりと下ろす。
 周囲には解体された盗賊の死体が散乱していた。
 血の染み込んだ地面が赤黒く変色している。
 どいつもネアが斬ったものだ。
 ただの一人も逃がしていない。

『上出来じゃないか。才能あるぜ。俺が保証するよ』

「……ありがとう、ございます」

 ネアは息を乱しながら応じる。
 ほとんど止まらずに動き続けていたのだから仕方ない。
 短時間とは言え、かなりの負担だったろう。

 本来なら座り込んで休みたいはずだ。
 それをしないのは、まだ辺りを警戒しているからである。
 戦闘が終わっても油断しないのはネアの良さだった。

『疲れたかい?』

「ええ、少し……」

『あとは俺に任せるといい。じきに気分も落ち着くだろうさ』

「そうさせてもらいます」

 ネアの承諾を受けた俺は、肉体の主導権を交代した。
 表に出た俺は、刀の血を振り払って鞘に戻す。
 強い肉体疲労を感じるが、この程度は慣れたものだ。
 精神力で抑え込める。

 血生臭い髪を掻き上げた俺は、辺りに向けて声を発した。

「さて、盗賊諸君。鍛練の犠牲になってくれて感謝するよ」

 反応はない。
 盗賊達は、ただそこに存在するだけだ。
 しかし、俺は知っている。
 この凄惨な現場には、声を聞いている者がいた。

 少し間を置いたところで、俺はため息を洩らす。

「死んだふりなんてするなよ。わざと生かしてるんだぜ?」

「……っ!」

 死体のように見える数人が震えた。
 まだ生きている者達だ。
 いずれも重傷を負っているが、痛みを堪えて死体に紛れている。

 俺は未だに動こうとしない生き残りに向けて告げた。

「不意打ちを狙っているようだが、やめた方がいい。その前に首と胴が離れることになる」

 そこまで脅すと、彼らはむくりと起き上がった。
 顔を顰めているのは演技ではない。
 誰もが刀による傷を受けている。
 早く治療しなければ、本当に死体の仲間入りを果たすだろう。
 その中の一人が、俺を睨んできた。

「俺達を生かして……何が目的だ?」

「拠点まで案内してくれよ。他にも仲間がいるんだろう? そいつらに会いたいんだ」

 俺が答えると、その盗賊は鼻を鳴らした。
 裂けた腹を押さえながら立ち上がると、威勢よく吼える。

「はっ! 言うわけねぇだろ! 馬鹿なのかてめぇ――」

 俺は盗賊の言葉を遮るように刀を引き抜いて接近し、無駄口を叩く頭部を斬り飛ばした。
 放物線を描いた生首は、血だまりに落下する。
 ばしゃりと音を立てて顔が沈んだ。

 その光景を目の当たりにした他の生き残りは、固まっていた。
 俺は彼らに対して愚痴る。

「悪いが俺は短気でね。口論が苦手なんだ。すぐに斬り殺しちまう」

 別に嘘ではない。
 今のも脅し目的というより、苛立ちのままに行動しただけだ。

「どうだ。素直になった奴はいるかい? 案内役は一人で事足りるが……」

「は、話す! だから助けてくれっ!」

「いいや、俺が先だ! 拠点までの近道を知っている! 案内役なら任せろ!」

「お前らどけ! この中の地位は俺が一番上だろうがッ」

 俺が問いかけた途端、盗賊達は争うようにして立候補する。
 しまいには殴り合いを始める始末だった。
 どいつもやる気満々である。

 拠点までの案内役は、無事に調達できそうだ。

 ◆

 俺は森の中を移動していく。
 先導するのは数人の盗賊だ。
 先ほどの戦闘で生き延びた者達である。

 どいつも重傷を負って死にかけだった。
 死体の衣服で傷口を縛って応急処置を施しているが、多量出血でふらつく者も少なくない。
 俺からの粛清を恐れて、懸命に歩いているようだった。

 最悪、道中で何人か死んでも問題なかった。
 案内役は一人で十分だ。
 一人くらいなら、到着までは持つだろう。

 そんなことを考えながら歩き続ける。
 途中、ネアが疑問を挙げた。

『今更ですが、なぜ盗賊の拠点に向かっているのですか?』

「すぐに分かるさ。楽しみにしておくといい」

 俺が答えると、盗賊の一人がこちらを振り返った。

「姐さん、誰と話しているんだ……?」

「森の妖精だよ。心が清らかだから、妖精が見えるのさ」

「は、はぁ……」

 その盗賊は困惑したような相槌を打つ。
 こちらの冗談に、笑っていいものか迷っているらしい。
 場には何とも微妙な空気が流れていた。

 そんな中、腰の剣に手を伸ばす者がいた。
 俺は背後から刀を突き付ける。

「妙なことを考えるなよ。裏切れば首を斬る」

「分かっている! だから脅すのはやめてくれっ」

 その盗賊は慌てたように両手を上げた。
 どさくさに紛れて仕掛けるつもりだったのだろう。
 気持ちは分かるが無駄だ。

 俺は殺気に敏感である。
 相手の攻撃を事前に察知できるため、不意打ちはまず通用しない。
 たとえ気付かなかったとしても、攻撃を受ける前に反応できる。

「お前らも分かっているな?」

 俺は他の盗賊にも問いかける。
 返事はなく、彼らはただ従順に歩き続けていた。
 ふとした発言で、俺に目を付けられたくないのだ。
 そんな心情が窺えた。

 張り詰めた雰囲気で移動すること暫し。
 獣道の先に、古びた家屋群が見えてきた。
 森の奥深くにこんな場所があるとは、元は隠れ村か何かだったのか。
 まるで廃墟のような風景だが、遠目にも生活感が伝わってくる。

 そして多数の気配を感じた。
 目視による確認はできないものの、盗賊達が潜んでいるようだ。
 結局、盗賊達は道中で脱落しなかった。
 誰もが気合で生き残ってみせた。
 そのうち一人が家屋群を指差す。

「見えてきたぜ……あれが俺達の拠点だ」

「人数は?」

「だいたい五十人くらいだろう。あんたの刀で減ったから、今はそれより少ないと思う」

 俺はその答えを聞いて感心する。
 このような場所で五十人もの盗賊が生活しているとは面白い。
 基本的には狩りで食料を調達しているのだろう。
 あとは森を通った者を襲って略奪を行っているに違いない。

「親玉は誰だ」

「……まさか、それを知らないで攻撃してきたのか?」

 盗賊が怪訝な様子で問い返してきた。
 俺はその頬に刀を添える。
 一筋の血が切っ先を伝い落ちた。

「質問しているのは俺だ。耳を削ぎ落とされたいのなら、好き勝手に喋るといい」

「ひ、ひいっ!」

 盗賊は顔を青くして飛び退く。
 その間に別の盗賊が答えを述べた。

「……俺達の親分は"炎鎚"のビルだ。名前くらいは知っているだろう」

 当たり前のように言われても、俺はこの時代の人間ではない。
 心当たりがなかったので、休息するネアに尋ねた。

「憶えはあるかい?」

『はい。この辺りで有名な盗賊団の頭領です。多額の懸賞金がかけられていますが、未だに掴まっていない大悪党です』

「なるほどなぁ……」

 俺は刀を収めながら思案する。
 二つ名が付くほどの盗賊だ。
 さぞ期待できそうだった。

「まあ、相手が誰だろうと構わないさ。このまま直行して――」

 指示を出そうとしたその時、家屋群から無数の矢が飛んできた。
 山なりの射撃は、明らかにこちらを狙っている。
 盗賊の一人が悲鳴を上げた。

「畜生! 親分め、俺達を見切りやがった!」

 俺は盗賊達の悲鳴や怒声を聞きながら微笑する。
 相手もなかなか容赦がない。
 穏便に事を進めるつもりだったが仕方ない。
 少し暴れさせてもらおうと思う。

 ◆

 頭上から矢の雨が降り注いでくる。
 とは言え、回避するまでもない密度だった。
 俺は抜刀からの連撃で矢を弾く。
 慣れた防御手段だ。
 掠り傷の一つも負うことがない。

 ただし、それは刀の間合いに限った話だ。
 当然、同行してきた盗賊を守ったりはしていない。
 彼らは矢の餌食となり、全身に貫かれて絶命していた。
 辛うじて生きている者もいるが、じきに死ぬだろう。

「あーあ、味方を殺しやがった」

 俺は前方の家屋群を見やる。
 矢を放った盗賊達が続々と姿を現してきた。
 それぞれ武器を持って近付いてくる。
 人数差で押し潰す魂胆だろう。

 現在、ネアは休んでいた。
 身体を返しても、まだ満足に動けないはずだ。
 したがってここは俺が出向かなくてはならない。

 随分と物騒な展開だが、ここで退くつもりはなかった。
 わざわざ盗賊の拠点を訪れた意味が無くなってしまうからだ。

 ここに来たのは、使い捨ての戦力を集めるためであった。
 単独で行動する方が身軽だが、それなりの人数がいるとやれることも増える。
 元が盗賊なら、たとえ戦死したとしても惜しくない。
 地域の治安向上にも繋がる素晴らしい案だろう。

 過去にも同じ手口で仲間を増やした経験があった。
 今回もその流れで実践してみたが、やはりそう簡単には成功しないようだ。

「まあ、少しくらい減ってもいいか」

 俺は地面を蹴って疾走し、正面から盗賊達に接近した。
 彼らは驚愕と困惑に染まった表情を見せる。
 この大人数を相手に、まさか突っ込んでくるとは思わなかったらしい。

 俺は彼らが反応する前に距離を詰めて刀を往復した。
 それだけで五人の首が飛んだ。
 さらに踏み込むようにして刺突を放つ。
 一人の心臓を穿ち、引き抜く動作で別の盗賊の胴体を薙いだ。

「どうしたッ! 怖がってないで反撃してこいよォ!」

 俺は挑発しながら斬撃を繰り出していく。
 勢いを失った盗賊達を血の海に沈めていった。

 こういう時は、場の空気を支配した者が勝つ。
 人数差も関係ない。
 気圧された者から死んでいく。

 盗賊達は、俺の殺気に怯み切っていた。
 恐怖で思考が鈍り、正常な判断ができなくなっている。
 そんな連中を斬り倒すのは簡単な作業だった。

 やがて盗賊達が無様に逃亡を始める。
 まともな反撃すら試みず、命惜しさに戦いを捨てたのだ。

「情けねぇなおい……」

 盗賊達の姿に呆れていると、死角にて殺気が発生した。
 それは茂みから飛び出して襲いかかってくる。

「――ふむ」

 俺は刀を動かして防御する。
 金属音を鳴らして衝突したのは、熱気を纏う戦鎚だった。
 互いの武器が密着して押し合う。
 相当な力が加えられており、普通の武器なら折れているところだった。

「てめぇ、誰に喧嘩を売ってんだ……?」

 怒り狂った低い声が聞こえる。
 俺は戦鎚の向こう側に意識を向けた。
 凄まじい殺気を帯びて対峙するのは、青い肌に赤い瞳の男だった。

 ◆

(魔族の戦士か)

 俺は相手の容姿から種族を察する。
 魔族とは、かつて存在した魔王の末裔であり、魔性の血が流れている。
 一般に忌避される種族だが、力は強く魔術的な才能も有していた。
 総合的に優秀な種族である。

 おそらくこいつが盗賊の親玉――すなわち"炎鎚"ビルだろう。
 武器として使っている戦鎚も赤熱しており、二つ名とも合致していた。
 俺はビルの姿を観察して、ふと首を傾げる。

(何か見たことがあるような……)

 気のせいだろうか。
 なんとか思い出そうとするも、豪快な前蹴りに思考を中断させられる。
 俺は軽く跳んで躱すと、戦鎚を弾きながら刀を一閃させた。

 ビルは身を反らして回避してみせる。
 彼は刀の軌道に戦鎚を置きつつ、体当たりをかましてきた。

「おおっと」

 予想外の動きに驚いた俺は、後ろに跳んで衝撃を緩和した。
 さらに突き飛ばすようにしてビルと距離を取る。
 地面を滑りながら後退して、なんとか足を止める。

 鼻から熱いものが流れ落ちた。
 手の甲で拭うと、血がべっとりと付いている。
 衝突した際、ビルの肩にぶつかったのだ。
 骨は折れていないが、鈍い痛みで涙が滲んでくる。

「ふん……」

 ビルは戦鎚を軽々と構え直す。
 呼吸は微塵も乱れていない。
 まだ余裕があるようだ。

(ただの盗賊かと思えば、いい相手だ)

 俺は高揚感のままに笑う。
 ビルは領主に匹敵するほどの実力者であった。
 戦い方は異なるも、確かな技量を備えている。
 こちらの動きを読み、時には大胆な攻撃で虚を突いてくる。

 何よりビルは、刀の動かし方を知っている様子だった。
 俺の立ち回りを阻害する動きを積極的に取ってくる。
 初見でこれはまずありえない。

 刀の使い手など非常に珍しい。
 少なくともこの時代では、一人も見かけていなかった。
 ビルは刀使いと戦った経験があるのだろう。
 借り物の身体とは言え、俺を相手によくやっている。

「…………」

 観察する間、ビルは怪訝そうな表情で沈黙していた。
 何か言いたげに口を曲げている。

「おい、どうした?」

「……ッ!」

 気になった俺が声をかけると、ビルは我に返る。
 雄叫びを上げた彼は、戦鎚を掲げて突進してきた。
 まるで猛獣のような迫力である。

(退けば潰される。ならば――)

 俺は戦鎚の間合いへと飛び込んだ。
 振り下ろされる戦鎚を刀で遮り、無理やり留めながらビルの懐に入る。
 そこから片手で腰の鞘を掴んで抜き放ち、ビルの脇腹を殴打した。

「ごぁ……ッ」

 ビルは地面を転がり、樹木に衝突した。
 樹木が傾く中、彼はゆっくりと立ち上がって血を吐き捨てる。
 常人なら肋骨を折れて内臓が破裂する一撃だったが、大した傷には至っていないようだ。
 魔族由来の常軌を逸した耐久力であった。

「…………」

 立ち上がったビルは、戦鎚を持って俺を見る。
 その顔には、なぜか恐怖と困惑が浮かんでいた。
 怒り狂っているかと思いきや、その兆しは欠片もない。
 先ほどまでの気迫も、すっかり消え失せていた。
 今にも逃げ出さんばかりの姿である。

(どういうことだ?)

 さすがに俺は不審に思う。
 実力差に怯えたわけではない。
 ビルはまだまだ戦える。
 彼の中で何らかの心境の変化があったようだ。

 原因が分からず混乱していると、ビルが恐る恐るといった様子で尋ねてくる。

「その太刀筋……まさか、ウォルドの兄貴か?」

「ああ、そうだがお前は――」

「うおおおおおあああああっ! 本当に、すまねぇ! 兄貴とは思わなかったんだ! 頼むから命だけは取らないでくれぇッ!」

 戦鎚を投げ捨てたビルは、突如として平伏する。
 勢いよく下ろした額は地面にめり込んでいた。
 彼はそのままの姿勢で激しく震えている。
 頭を上げる気配はない。

『……知り合いですか?』

「そうらしいな」

 ネアの言葉に俺は応じる。
 気のせいかと思ったが、やはり知り合いらしい。
 これは記憶を遡った方が良さそうだ。

 ◆

 俺達は盗賊の拠点の一室に移動した。
 室内にいるのは俺とビルの二人だ。

 他の盗賊は屋外で待機している。
 剣呑な雰囲気が、壁越しにも伝わってきた。
 状況次第で突入してくるつもりだろう。

 仮にそうなったところで問題はない。
 残らず叩き斬るまでだ。

 そんな状況の中、俺とビルはテーブルを挟んで椅子に座っていた。
 ジョッキに注がれた酒を飲みつつ、俺はビルに近況を説明する。
 処刑されそうになっていた聖女と契約を結んだことや、新王派の領土を荒らすために単独で行動していることを話した。

「そんなわけで、今の俺は聖女をやっている。独立派の勝利で内戦を終わらせるつもりだ」

「刀を使う聖女の噂は聞いていたが、まさか兄貴だったとは……」

 ビルは青い顔で言う。
 彼は大柄な身体を縮めていた。
 俺のふとした動作にも過剰反応する。
 かなり緊張しているようだ。

 俺はジョッキの中身を飲み干す。
 ビルはすぐさま酒瓶から追加分を注いだ。
 それをまた半分程度まで減らしつつ、俺は鼻を鳴らして笑う。

「何だ。俺が聖女だと変か?」

「い、いや! 兄貴の人柄なら当然の結果だなっ! うん、改めて考えるとぴったりだ!」

 ビルは慌てたように言い繕う。
 本音でないのは明らかだった。
 そこを指摘したところで彼を追い詰めるだけだ。
 反応を見て面白がるのも悪くないが、また別の機会でもいいだろう。

 椅子に座り直した俺は、改めてビルを観察する。
 記憶に残る彼の姿と比較して、しみじみと呟いた。

「それにしても、弱虫小僧のビルがこんな成長を遂げるとはなぁ……世の中、分からないもんだ」

 過去に出会った人物を振り返ったところ、俺はビルと出会っていたことが判明した。
 具体的には先代の担い手と行動を共にしていた頃である。
 もう数十年も前の話だ。

 当時は少年だったビルが、今や屈強な大人になっている。
 魔族は基本的に長命で老化が極端に遅い。
 人族の基準で考えれば、既に老人と称するような年齢だが、ビルは若々しい容姿だ。

 まさかあの頃の人間と再会するとは思わなかった。
 完全な偶然である。
 奇妙な縁と言う他あるまい。

 髪を掻き上げたビルは、遠い目をして窓の外を一瞥する。

「兄貴がいなくなってから、死に物狂いで戦い続けたんだ。正規の軍で将軍をやったこともある」

「ほう、そいつはすげぇな」

「問題を起こし続けた結果、今は盗賊だがな。まあ、この身分が性に合っているようだ」

 自嘲気味に笑ったビルは、ふと真面目な表情になる。
 怯えた雰囲気は、いつの間にか消えていた。
 彼は正面から俺の目を見てくる。

「兄貴、頼みがある」

「聞くだけ聞こう」

 俺が答えると、ビルは椅子から立ち上がった。
 次の瞬間、机を吹っ飛ばして跪く。
 その姿勢でビルは懇願する。

「ここの奴らを皆殺しにするのは、どうか勘弁してくれないか。行き場のない連中なんだ。魂が必要なら、俺の命を奪ってくれ!」

「仲間を見捨てて矢をぶち込んできた癖に庇うのか」

「あれは戦略的に仕方なかったからだ。時には犠牲を払ってでも最前手を打ち続ける。兄貴から教わったことだ」

 ビルの答えは正しい。
 あそこで仲間のことを気にしていれば、俺が楽に接近できていた。
 結果的には効果が無かったとはいえ、躊躇いなく弓矢を使ったのは良かった。

「…………」

 俺は腕組みをしてビルを見下ろす。
 ビルは跪いたまま動かない。
 俺の答えを聞くまで動かないつもりだろう。
 或いはここで首を斬られてもいいという覚悟か。
 俺はその後頭部に声をかける。

「ビル」

「はい!」

「勘違いしているようだが、俺達は別にお前らを殺しに来たわけじゃない」

 俺は刀の鞘を外すと、その先端でビルの顎を持ち上げた。
 困惑する目がこちらを見ていた。
 俺は笑みを湛えながら告げる。

「独立派に所属しようぜ。また一緒に戦争を楽しもうじゃないか」

 ◆

 翌日の昼、俺達は移動を開始した。
 背後に連れるのは盗賊達だ。
 親玉であるビルは、俺のそばに控えている。

 行き先は森の向こうにある街であった。
 このまま侵攻し、街の中に飛び込んで領主を脅迫するつもりだ。
 そこで独立派に寝返るように勧告するのである。
 きっと命惜しさに従ってくれるだろう。

 近くを歩くビルが、愛用の戦鎚を肩に担いで話しかけてくる。

「兄貴、本当にこのまま攻め込むのかい?」

「もちろんさ! 派手にかまそうぜ」

「……昔を思い出すなぁ。あの時の兄貴のままだ」

 ビルは微妙な表情で遠くを眺める。
 呆れているような、懐かしんでいるようなよく分からない顔だった。
 当時はビルを振り回した記憶がある。
 その頃に比べると、逞しくなったものだ。
 こうしてまた共に戦えることを嬉しく思う。

「そういえば、兄貴。聖女様の自我は残っているのかい?」

「ああ、しっかり残っている。この会話も聞いているだろうさ」

「なるほど。先代の担い手とは違うわけか」

 ビルは納得した顔になった。
 一方で黙っていたネアが疑問を訴えてきた。

『先代の担い手?』

「前回は色々とあってな。大した問題じゃないが、担い手との相性が悪かったんだ」

 一つ前の担い手は、優れた戦闘能力を有していた。
 しかし性格面に難があり、さらには正気を失いかけていた。
 俺の言うことを聞かず、命を捨てるような行動ばかりをとるのだ。
 やむを得ず、俺が主導権を握り続けることが多かった。
 その状態でも無理やり表に出ようとすることがあり、意図せず味方を殺すことが頻発してしまった。

 あれはあれで悪くなかったが、傍若無人にもほどがある。
 当時を知るビルからすれば、聖女の大人しさに驚くのも無理はない。

「しかし、聖女様の見た目で兄貴の言動だと違和感がすげぇな……」

「ん? 何か文句でもあるのかよ」

「い、いやいやいやいや! 似合っているぜ本当にっ! ぴったりすぎて驚いているくらいだ! あっ、そろそろ街が見えてきたようだぜ!」

 ビルは誤魔化すように指を差した。
 前方では、森が終わって草原が続いている。
 その先に街が見えた。
 外壁に囲われて内部は窺えないが、なかなかの規模である。

 あそこの領主は、新王派の中でもそれなりの有力者と聞いている。
 財力と影響力は大きいようだ。
 そんな存在を味方に置けるのは強い。
 さっさと裏切るように仕向けなければ。

「じゃあ、手筈通りに頼むぜ。頃合いを見て撤退してもいいが、そのまま逃げるなよ?」

「わ、分かってるよ。無断で兄貴から逃げたら、一体どんな目に遭うか……」

 怯えるビルを置いて、俺は一足先に走りだした。
 ここから街の反対側まで移動し、可能なら街に潜入する。
 あとはビル率いる盗賊団が襲撃を始めたのを見計らって、領主を狙う段取りだった。

 こういう場合、単独行動の方が楽だ。
 盗賊達が攪乱してくれることを考えると、とても行動しやすい。
 実に効率的な戦法と言えよう。

「さて、ちょいと説得するかね」

『……くれぐれも加減を忘れないでください』

「分かっているよ。俺は優しいからな」

 聖女の忠告に笑って答える。
 我ながら話し合いは得意分野なのだ。
 真摯に向き合えば、きっと相手も頷いてくれるだろう。

 ◆

 俺は駆け足で街へと接近していく。
 外壁を回り込むようにして移動していった。
 盗賊達とは反対方向から街に侵入したいと思う。

 反対側の門も開かれていた。
 人々は列を作り、門兵による荷物検査を受けている。
 それを突破しなければ出入りできないようだ。

 長蛇の列を目にして舌打ちするも、俺は気分を落ち着けた。
 ここで苛立っても意味がない。

 俺はビルから借りたローブを取り出すと、それを軍服の上から着込んだ。
 ローブは全身を覆うような形状だった。
 目深に被っているので、顔も覗き込まなければ分からない。

 俺はひとまず列に並んだ。
 門兵のところまでは、まだ距離がある。
 ビル達の移動速度を考えると、大人しく並んでいても猶予があるだろう。
 気長に待てばいい。

 俺はその間に潜入方法を思案する。
 このまま馬鹿正直に荷物検査を受ければ、まず間違いなく素性が割れるだろう。
 聖女の容姿はきっと周知されている。
 加えて刀も持っているのだから、門兵もまず見逃すはずがない。

 なんとなく並んだものの、荷物検査を通過する手段は持ち合わせていなかった。
 しばらく考えても名案が浮かばなかったので、俺はネアに相談する。

「なあ、どうすればいいと思う?」

『……まさか考えていなかったのですか』

 ネアは驚いている。
 俺が無策で列に並んだとは思わなかったらしい。
 もし彼女が身体の主導権を握っていれば、深々とため息を吐いたに違いない。

 俺は外壁を指差して言う。

「忍び込むつもりだったが、外壁にびっしりと魔術が施されているんだ」

 仮によじ登ろうとすれば、すぐさま感知されるだろう。
 たぶん電流なども流れる仕組みにもなっている。
 かなり整った設備だった。

 当初は門から離れた場所からよじ登るつもりであった。
 しかし、一目でこれは無理だと分かったのだ。
 想像以上に厳重である。
 聖女の暴走を深刻に見て、防衛設備を充実させているに違いない。

「あんたの魔術でどうにかできないか?」

『不可能です。私が扱えるのは、補助系や攻撃系に限るので』

「それは仕方ないな」

 俺は肩をすくめて諦めた。
 残念ながらどうしようもない。
 俺達の能力では、気付かれずに侵入するのは困難だった。

 開き直って待っていると、列が消化されて俺達の番がやってきた。
 槍を持った二人の門兵が、鋭い眼差しを向けてくる。
 一方が俺に話しかけてきた。

「街に来た目的は何だ」

「……仕事が欲しくて」

 俯いた俺は、ぼそぼそと答える。
 少々の沈黙を経て、門兵は次の質問を投げてくる。

「職業は?」

「……傭兵」

「ローブを脱いで顔を見せろ」

 門兵が命令をする。
 俺は俯いたまま固まった。
 すると門兵の視線が強まる。
 こちらを敵意に近い感情を向けてきた。

「どうした。何か見せられない理由があるのか」

「…………」

 俺は答えない。
 ただその場に棒立ちし続けた。
 門兵は大きく息を吐くと、手を差し出してきた。

「もういい。武器を持っているようだな。先にそれを見せろ」

 ローブの膨らみで武器の所持に気付かれたようだ。
 もはや誤魔化しようがない。

 俺はゆっくりとローブの裾をまくり上げていく。
 やがて姿を現したのは、一振りの刀だった。
 ちらりと視線を上げると、門兵は目を見開いている。

「これは――」

 その瞬間、俺は刀を引き抜いて一閃させた。
 弧を描くように門兵の首を切り裂く。
 噴き上がった返り血が、ローブを濡らしていった。
 兵士は為す術もなく崩れ落ちる。

「すまないね。手が滑っちまった」

 俺は軽い調子で謝りつつ、ローブを脱ぎ捨てた。
 もはや隠す必要もない。
 赤黒くなった軍服が露わになると、後ろに並んでいた順番待ちの者達の間でどよめきが起こる。
 残っていた門兵が、殺気立って槍を突き出してきた。

「貴様……ッ」

 俺は穂先を刀でずらし、半歩だけ踏み込んで刺突を放つ。
 刀の切っ先が、門兵の眼球を捉えた。
 そのまま外壁まで押し込んで串刺しにする。
 刀を引き抜くと、兵士は静かに座り込んだ。
 貫いた眼窩からどろりと血がこぼれる。

 街の出入りを待っていた者達は、悲鳴を上げて逃げ惑う。
 そんな中、街の内部にいた兵士が駆け付けてきた。
 俺は彼らを斬り伏せながら侵入する。

 秩序を失った通りを見て、俺は小さく笑った。
 腰に手を当てて頷く。

「よしよし、無事に突破できたな」

『これのどこが無事なのですか……』

「無傷なんだから無事だろう。そういうことだ」

「まったく……」

 ネアは呆れ果てているが、彼女はずっとこんな調子だった。
 今更、気にすることでもないだろう。

 とにかく侵入に成功したのだ。
 あとは領主に会いに行くだけである。
 簡単な仕事と言えよう。
 俺は気を取り直して街中を進んでいくのであった。

 ◆

 大通りを兵士の集団が駆けていく。
 俺を捜索しているのだろう。
 必死な顔で指示を出し合いつつ、手分けして辺りを探している。
 路地裏からその光景を眺める俺は、すれ違うように先へと進んだ。

 現在、俺達は街の中にいた。
 強引に門を突破したが、お世辞にも潜入したとは言えない事態となっている。
 仕方がないので、このまま領主に会いにいくつもりだ。
 あまり時間をかけると、逃げられてしまう恐れがある。
 人目に付かない道を選びながら、俺は進んでいく。

『領主のいるところは分かるのですか?』

「適当に探せば見つかるだろうさ。権力者の家なんて限られてくる」

『とことんいい加減ですね……』

 ネアに嫌味を言われたが気にしない。
 彼女が生まれるずっと前から、俺はこの調子でやってきたのだ。
 変えるつもりはないし、もはや変えられない。

 そんなことを考えていると、前方の十字路から三人の兵士が現れた。
 通りばかり気にしているかと思いきや、きちんと捜索しているようだ。
 俺は刀を抜くと、鞘を投擲して叫ぼうとした兵士の額に直撃させる。

 鞘は回転しながら高々と宙を舞った。
 白目を剥いた兵士は、大口を開けて倒れる。

「この、外道がァッ!」

 別の兵士が、激昂して斬りかかってきた。
 大胆な突きを、潜り込むように躱す。
 俺は間合いを詰めて、兵士の肩から腹にかけてを斬った。
 その手から剣を奪い取って、すれ違いながら投擲する。

 剣は逃げようとしていた兵士の背中に突き立った。
 兵士は何歩かよろめいた末、手を伸ばしながら崩れ落ちる。

 俺は頭上に腕を掲げる。
 落下してきた鞘を掴み取り、腰に差し直した。
 角度を調節しながら兵士の死体を跨いで進む。

『相変わらず、鮮やかな手際ですね』

「これだけが特技だからな……ん?」

 遠方から爆発音が聞こえてきた。
 森に近い門の方角だ。
 ビルの率いる盗賊達が強襲を始めたのだろう。

 色々と計画がずれてしまったが、状況はそれほど悪くない。
 これで兵士達は、俺ばかりに構っていられなくなる。
 盗賊達の対処に追われているうちに、警備は手薄になるはずだ。

 ビル達はそこらの兵士より逞しい。
 数の上では劣勢だが、しっかりと働いてくれるだろう。
 俺達が心配することはなかった。

 その後も何度か戦闘を挟みながら移動する。
 やがて街の中でも貴族街の一角まで到着した。
 物陰に潜む俺は、前方を見据える。

 最奥に豪華な屋敷が建っていた。
 他と比べても段違いの警備を誇っている。
 盗賊と人斬りで騒ぎになっているにも関わらず、大量の兵士が巡回していた。
 少なく見積もっても二百は下るまい。
 ここから確認できない分を換算すると、数倍に膨れ上がるだろう。

(間違いない。あそこが領主の居場所だな)

 分かりやすくてありがたい限りである。
 下手に逃げるより、厳重な警備の敷かれた場所に引きこもる方が安全だと判断したのだろう。
 こちらとしては、追いかける手間が省けて嬉しい。

 屋敷を眺めていると、ネアが話しかけてくる。

『では、どうやって潜入するのですか?』

「何言ってるんだ。このまま行くぜ」

『――正気ですか』

「ああ、もちろんだとも」

 頷いた俺は、物陰から飛び出した。
 無数の兵士の視線を浴びる中、正面から堂々と歩み寄っていく。
 これだけ豪勢な歓迎をしてくれているのだ。
 遠慮なく平らげさせてもらおうか。

 ◆

「……ったく、どろどろで気持ち悪ぃな」

 小声で愚痴を吐きつつ、俺は屋敷の敷地を闊歩する。
 軍服は返り血でずぶ濡れだった。
 頭から足先まで血で染まっており、ぬめりのある不快感を主張している。
 綺麗に整えられた芝生は、俺が歩くと赤黒くなっていった。
 俺は抜き身の刀を携えて進んでいく。

 周囲には、解体された兵士達が散乱していた。
 立ちはだかってきた彼らを始末したのは、他ならぬ俺だ。
 数が数なだけに、たくさん楽しむことができた。
 大量の魂を喰らった妖刀も、心なしか喜んでいる。

 ネアは感心したように呟く。

『この人数差でも負傷しないのですね』

「慣れたやり方だからな。要領さえ掴めれば、誰だって真似できるさ」

『それは無理だと思いますが……』

 会話をしているうちに、屋敷の入口に辿り着く。
 さっそく扉に手をかけるも、開かない。
 何かが引っかかっているようだった。
 施錠した上で、家具でも置いて塞いでいるのだろう。

「面倒臭い真似をしやがる」

 俺は刀を往復させる。
 扉とその奥に積まれていた家具をまとめて切り崩した。
 割れた扉の隙間から室内へと踏み込む。

 そこには、弓矢を構えた兵士達が整列していた。
 彼らの狙いは俺に集中している。

「撃てェッ!!」

 号令と共に一斉射撃が行われた。
 数十本の矢が同時に迫る。

「おっと、危ねぇな」

 命中する分を見極めて、それだけを刀で弾く。
 数え切れないほどに繰り返してきた芸当だ。
 たとえ両目を潰されようと同じ精度で再現ができる。

 一方で兵士達は大いにざわめいていた。
 彼らは慌てて第二射を用意しようとしている。

 無論、そのような猶予を与えるつもりはない。
 俺は疾走して、居並ぶ兵士達を次々と切り崩していった。
 飛んでくる矢や魔術は躱し、或いは近くの兵士を盾にやり過ごす。

 味方を殺した者はますます動揺して、攻撃を躊躇する。
 そこを突くように攻め、反撃の隙を与えずに斬り殺した。
 やがて玄関には死体だけが残される。
 刀を下ろした俺は、意識を集中させて屋敷内の気配を探る。

「ふむ……」

 あちこちを兵士達が動いていた。
 一カ所に固まって怯えているのは使用人だろう。
 隠し通路を音も無く動くのは、密偵や暗殺者の類に違いない。
 隙あらば俺のことを殺そうと企んでいるはずだ。

 領主の位置は不明だった。
 ここからではまだ分からない。
 単純に遠すぎるのだ。
 進んでいけば、いずれ察知できるだろう。

 状況把握を終えた俺は、屋敷の奥へ進もうとして足を止める。
 そしてネアに提案した。

「そうだ。ここから先は、自分で動いてみるといい。鍛練にちょうどいいだろう」

『私は構いませんが……いいのですか?』

 ネアは言葉を濁して確認する。
 殺戮の機会を前に、俺が静観するのを不思議に感じているのだろう。
 自分の出番はないと考えていたのだと思う。

「遠慮しなくていい。多少の補助はするから、大人数との戦いに慣れてくれ」

『……分かりました』

 頷いたネアは歩き始める。
 その直後、靴底の血で滑りそうになるも、転倒だけは免れた。
 彼女は気まずそうに歩を進める。

 可憐な聖女様は、まだまだ危うい所が多い。
 さりげなく助けてやった方がよさそうだ。

 ◆

 廊下を駆けるネアの背後から、複数の火球が飛んできた。
 かなりの速度で迫っており、一瞬で距離を詰めてくる。

『気を付けろよ。火だるまになるぜ』

 俺は淡々と忠告する。
 ネアは返答代わりに近くの扉を開け放つと、その陰に転がり込んだ。

 すぐに火球が扉に炸裂して爆発した。
 轟音と共に扉を粉砕して吹き飛ばす。

「くっ……」

 爆風に押しやられたネアは、黒煙と共に宙を舞った。
 彼女は転がりながら床に着地して、ほとんど速度を落とさずに走り続ける。
 そのまま追跡してくる魔術師達を振り切ってしまった。
 ネアは前方の兵士を勢いのままに斬り倒し、角を曲がって階段を駆け上がる。

(なかなかの成長速度だな。悪くない)

 俺は今代の担い手の立ち回りを評する。
 随所で魔術を用いて、自己強化や防御、回復と手広くこなしていた。
 刀を振りながらそれらを行使し続けられるのだから、大した器用さである。
 意外と近接戦の才能があるのかもしれない。

 屋敷を巡るネアは、元気に殺戮を繰り広げていた。
 突入からそれなりの時間が経過したが、既に犠牲者は百を超えているだろう。
 単独の戦果としては上出来と言える。

 ネアがそこまで蹂躙できた要因として、兵士の質が挙げられる。
 決して悪いとは言わないが、微妙を言わざるを得ない。
 飛び抜けた戦力はおらず、連携もできていなかった。
 少しくらい楽しめそうな相手がいるかと思っていたので期待外れである。

 それにしても、ネアはよく奮闘している。
 刀と魔術を使って、兵士達を殺しまくっていた。
 まだ覚束ない部分もあるが、及第点な立ち回りを披露している。

 俺は彼女の身体を瞬間的に操作して、死角からの攻撃を防御したり、索敵による補助に徹した。
 過度な助けは出さず、なるべくネア自身の力で切り抜けるように促している。
 今のところは非常に順調だった。
 この調子でさらなる成長をしてもらおうと思う。

 そんなことを考えていると、俺は目当ての存在を発見した。
 すぐさまネアを呼び止める。

『ちょっと待ってくれ。領主の居場所が分かった』

「どこですか」

『地下だ』

 屋敷の地下で、数人の兵士がその場に留まって誰かを守っている。
 おそらくは領主とその家族だろう。
 魔術で巧妙に隠蔽しているが、それくらいは看破できる。
 騒動を察して、俺達が殺されるのを待つ魂胆らしい。

 ネアはさっそく地下へと向かった。
 しかし、一階のどこにも階段が見当たらない。

『隠し通路があるな』

「そのようですね」

 俺の呟きに応じたネアは、いきなり近くの本棚を切断した。
 その先に隠された階段を発見する。
 視覚的に怪しい点はなかったというのに、どうやって見つけたのか。
 気になった俺はネアに尋ねる。

『隠し階段を知っていたのかい?』

「いいえ。魔術で空気の流れを知覚しただけです。この本棚の隙間から不自然に空気が漏れていたので」

 ネアは平然と言うが、僅かな違いを感知するには相当な精度が必要となる。
 この状況でそれだけの術が使えるとは、彼女の腕前が窺える。
 鮮烈な戦いの経験が、急速にネアを強くしていた。
 とても喜ばしいことである。

 ネアは隠し階段を下りていく。
 苔の生えた暗い通路を進むと、やがて警備の兵士が見えてきた。
 数は三人とかなり少数だが、他の者とは少し違う。
 威圧感が他と比べものにならない。
 最終防衛を任されるだけの実力者ということだ。

 ネアの姿を認めた兵士達は、無言で陣形を組む。
 下手に近付いてくることはなく、ただ鋭い視線をこちらに向けてくる。

 刀を構えるネアは、俺に確認する。

「入れ代わった方がいいですか?」

『いや、このままでいい。あいつらを始末してくれ』

「――分かりました」

 頷いたネアは、細い息を吐く。
 余計な力を抜いて、万全な動きを取れるように意識した。
 そこから前へ傾くように倒れながら、ついに疾走を始める。
 鮮血の滴る刀は、暗闇の中で鈍く輝いていた。

 ◆

 ネアは躊躇いなく突進。
 最大加速から一気に斬り倒すつもりらしい。
 かなり大胆な戦法だ。
 殺戮に身を委ねる中で、思考に変化が生じたようだ。
 或いは俺を真似しているのかもしれない。

 端的に言って悪くない傾向だった。
 妖刀の担い手は、それくらい好戦的でなければ。

 対する警備の兵士達は一斉に動いた。
 盾を持った二人が前に出た。
 その奥で、短槍を持つ一人が突きの予備動作に移る。

(ほう、いい作戦だ)

 盾持ちがネアの攻撃を食い止めて、勢いを削いだところに短槍の一撃を浴びせるつもりなのだろう。
 洗練された動きを見るに、使い慣れた手段なのだろう。
 狭い通路ということも相まって、前の盾持ちを躱すことはできない。
 一瞬でも動きを阻害されれば、短槍の餌食となる。
 地形を利用した良い迎撃法だった。

 ネアもそれを察しているはずだが、彼女は勢いを緩めない。
 このまま仕掛けるようだ。

(さあ、どうやって対処する?)

 俺は手を出さず、見守る姿勢に移る。
 よほどの危機でない限り、ネアの戦いぶりを見せてもらうつもりだった。
 ここで怯まないのだから何らかの勝算はあるのだろう。

 ほんの短い時間で両者の距離は一気に縮まる。
 衝突の直前、ネアは魔術を行使した。
 彼女の足下が凍り付き、そのまま兵士達の足下まで侵蝕する。

「ハァッ!」

 ネアは疾走の勢いで滑りながら斬り込んだ。
 兵士達は盾で防ぐも、足元が凍っているせいで踏ん張れない。
 二人の兵士は壁に激突しながら転倒した。

 ネアは盾持ちの間を滑って進むと、すぐさま刺突の構えを取った。
 驚愕する槍持ちは、しかし迎撃のために突きを放つ。
 ほぼ同時にネアも妖刀を突き出した。

 両者の武器が火花を散らして掠める。
 短槍の穂先はネアの頬を抉った。
 彼女の髪を引き千切るように突き抜けていく。

 妖刀は、兵士の首を捉えていた。
 ネアは無言で柄を捻る。
 傷口が開かれて鮮血が噴き出した。

「が、ぁっ……」

 兵士は片膝をつく。
 彼は血を吐きながら短槍を引き戻すと、苦し紛れの一撃を放った。
 ネアはそれを妖刀で弾き、返す刃で兵士の首を刎ねる。

 彼女は魔術を解除し、凍り付いた地面を元に戻した。
 立ち上がろうとしていた盾持ちを強引に斬殺する。
 死体から刀を引き抜いて、静かに鞘に収めた。

 一連の動きを見届けた俺は称賛する。

『すごいじゃないか。言うことなしだな』

「……ありがとうございます」

 ネアは釈然としない様子で自らの手を見つめていた。
 不思議に思った俺は尋ねる。

『浮かない顔だがどうした?』

「手際の良さに自分で驚いているだけです。途中から直感的にどうすればいいのか理解できて、気が付けば勝利していました」

『――それだけ戦いに慣れてきたってことさ。存分に誇るといい』

「…………」

 俺の言葉を受けても、ネアは納得していなかった。
 首を傾げて考え込んでいる。

 一方、俺は彼女の変化に感心する。

(この時期に"症状"が出始めているのか……)

 担い手は、やがて妖刀の記憶に影響されていく。
 具体的には、歴代の担い手の戦闘技術を継承するのだ。

 今は戦闘的な勘が冴える程度であった。
 ネアの動きはまだ成長と呼べる範疇だが、いずれ豹変するだろう。
 そうして人斬りの名に恥じない力を得る。

 通常、この段階に至るのは年単位で先だった。
 驚くべきことに、ネアは既にその領域に触れつつあるようだ。
 歴代の担い手を振り返っても、ここまで影響されやすい人物はいなかった。

(聖女様は、本当に面白い才覚を持っている)

 総合的に凄まじい成長ぶりだった。
 加えて殺人も躊躇わず、固い覚悟を胸に戦っている。
 妖刀との相性も抜群に良い。
 ここからさらに楽しませてくれそうだ。

 ◆

 ネアは兵士の死体を跨いで越える。
 前方には鉄扉があった。
 魔術で厳重に守られている。

 あの中に領主がいる。
 移動した気配もないため、本当に閉じこもるための場所だったらしい。
 抜け道の類はなさそうだ。
 逃亡されると手間が増えていたところだった。

 ネアは真っ直ぐ進んでいく。
 俺はそんな彼女に声をかけた。

『領主との会話は任せた。適当に脅してくれればいい』

「簡単に言いますね。貴方の方が適任ではないのですか」

『そりゃそうだが、俺がやると領主の指が減ることになるぜ』

 我ながら短気な性格をしている。
 悠長に交渉できるほど穏やかな人柄ではない。
 相手から望む言葉を吐き出させるためには、多少の暴力も行使してしまう。
 正直、得意分野ではなかった。

 それを聞いたネアは、ばつの悪い表情になる。

「……やはり私が担当すべきですね」

『そういうことだ。頼んだよ』

 ネアは歴代の担い手の中でもかなりの常識人だ。
 聖女と呼ばれるだけの人格者だ。
 交渉術にも優れているはずであった。
 少なくとも俺より上手く事を運べるだろう。

 ネアは鉄扉を切断すると、室内へ踏み込んだ。
 初老の領主は、妻と幼い子を庇うように立っていた。
 怒りに燃える眼差しがネアを射抜く。

「く、狂った聖女め! 我らを殺すつもりか……ッ!」

「それは貴女達の判断次第です。独立派に下れば、穏便に済ませましょう」

 ネアは淡々と告げる。
 感情を乗せないように意識しているようだった。

 対する領主は、視線をさらに鋭くする。

「……寝返れと申すか」

「ここで命を落とすより賢明だと思いませんか?」

 ネアは平然と問い返した。
 刀を濡らす鮮血が、ぽたぽたと床に滴る。
 領主の妻と子は、青い顔で怯えていた。

「言っておきますが、私は本気です。必要とあれば、誰であろうと斬ります」

「聖女は平和を愛すると聞いていたが、とんだ嘘だったな」

「正義を振りかざすには、非情な心が必要です。理想のためには躊躇はできない。貴女達から学んだことです」

 ネアの言葉は、闘技場での処刑を指している。
 新王派は娯楽ついでに彼女を始末しようとした。
 あの時、ネアは生まれ変わった。
 寝ぼけた甘さを捨てて、終焉に向かっていた内戦を再開させたのだ。

 ネアは刀の切っ先を領主達に向けた。
 彼女は冷え切った双眸で彼らに命じる。

「これが最終警告です。妻子を目の前で殺されたくなければ、独立派につきなさい」

「く……っ」

 領主は歯噛みする。
 抵抗の術は存在しない。
 彼にできるのは、答えを返すことのみだった。

 場に静寂が訪れた。
 それなりの沈黙の末、俯いた領主は口を開く。

「……我々の領は、降伏して独立派に下る」

「懸命な判断です。後日、使者を送ります」

 ネアは即座に踵を返すと、そのまま部屋を出た。
 彼女は一階へと戻り、兵士を斬り殺しながら洋館の外に向かう。
 路地裏に飛び込んだ彼女は、追っ手を振り切るようにして疾走し始めた。

『聖女様は交渉も得意だったか。さすがだな』

「……あのような言動は極力したくありません」

『今のうちに良心は捨てた方がいい。辛くなるのは自分自身だぜ?』

「…………」

 ネアは黙り込む。
 一体、彼女は何を考えているのか。
 今回の出来事は、少なからず心境に変化を及ぼしたようだった。

 それは決して悪い傾向ではない。
 引き続き見守っていこうと思う。

 ◆

 ビルと再会した俺は経過報告を聞く。
 盗賊は一部が死んだそうだが、その数倍の数の兵士を殺害したらしい。
 頃合いを見て森に逃げ込んだ彼らは、大半が生き延びていた。
 戦果としては上々と言えよう。

 合流した俺達はその足で別の領地へと赴き、同じ要領で領主を脅迫した。
 そして独立派への参入を約束させる。
 ここで若干の戦力不足を感じたので、その街にいた一部の兵士を徴集して手下にした。

 当然、兵士達から抗議が上がった。
 話し合いも面倒だったので見せしめに数人を殺したところ、彼らは大人しく従ってくれた。
 こういった場合は、下手に交渉するより暴力で言いなりにする方が早い。
 どうせ三日後には生きているか分からないような連中だ。
 多少ぞんざいに扱ったところで問題はない。

 その後、俺達は数十日をかけて各地の領主を脅し周り、次々と独立派に加入させていった。
 さらに本拠地の街から使者を送らせて、諸々の契約も結ばせておく。
 これで名実ともに独立派の一員となった。
 契約には魔術的な力が働いており、不用意に破ることはできない。
 本来は奴隷契約に使われるそうだが、まさにちょうどよかった。

 もちろん勧誘の最中にも戦闘は多発する。
 それを俺達は切り抜けてきた。
 屍の山を踏み越えて、生き残った兵士を捕虜にして戦力をさらに増大する。

 そうして内乱の戦線を大幅に押し込んだところで、ようやく帰還を開始した。
 本拠地の街が見えてきたところで現在に至る。

(新王派は焦っているだろうな。ここからどう動くかね)

 揺れる馬車の中、一人で寝転んだ俺は微笑する。

 向こうの戦力は大量に奪い取った。
 噂によると、自主的に独立派への加入を表明した領主もいるらしい。
 悪くない流れである。
 聖女の味方になる方が得だと思わせたということだ。

 俺達は単独で新王派の領土に乗り込んで、殺戮の限りを尽くしながら戦力を確保した。
 そこから被害を拡大しつつ、戦いを無敗で繰り返している。
 敵からすれば天敵そのものだろう。
 恐ろしくないはずがない。

 俺は馬車の隙間から外を見やる。
 周囲には大量の兵士や盗賊、奴隷といった面々がいた。
 身分も種族も統一感が無い。

 いずれも此度の遠征で手に入れた追加戦力達だ。
 少なく見積もっても一万は下るまい。
 各地の戦いで消耗しながらこの規模である。

 当初は無秩序でまともな戦闘行動も取れなかった。
 ところが俺が最前線で相手を殺し回る姿を見せていると、血に酔って積極的な攻撃を見せてくれるようになった。
 おそらく感覚が麻痺してしまったのだろう。
 或いは妖刀の狂気にあてられたのかもしれない。
 昔からそういった現象が起きていた。
 俺と共に歩んできたこの刀は、他者すらも血の道に招き入れるのだ。

 特にビルを始めとする盗賊達の奮闘は素晴らしかった。
 どのような状況だろうと果敢に攻め込んでくれるのだ。
 非常に頼りになる仲間達である。

 これから俺達は本拠地に帰還し、少々の休息を挟んでから再び出軍する予定だ。
 今度は王都まで乗り込むつもりであった。
 道中の領土から食糧と戦力を提供してもらいながら進み、数に任せた戦法で新王派を捻じ伏せる。

 まずは重役を始末する。
 そして王位後継者を捕縛して、大衆の面前で処刑しよう。
 それこそ闘技場で賭け試合でも催せばいい。
 人々は嬉々として飛びつくだろう。
 ネアからすれば、ちょっとした意趣返しにもなる。

 そういったことを考えていると、当の彼女は遠慮がちに言う。

『……あまり残酷な仕打ちはしないでください』

「なぜだ。それくらいする権利はあると思うぜ」

『だとしても、惨たらしいことはしたくありません。それはもはや、正義とは言えないでしょう』

 ネアは苦々しい口調で述べる。
 この期に及んで正義とは、果たして彼女は正気なのだろうか。
 疑問に思ったものの、それは口に出さないでおく。

「まあ、あんたが言うなら従うまでさ。俺も悪趣味な処刑にそれほど興味はない」

 別にネアが何を考えていようと関係ない。
 利害が一致している限りは、互いの力を使うまでだ。
 正義を自称するなら好きにすればいい。
 破綻するその瞬間を、楽しみにしていようじゃないか。

 ◆

 本拠地に帰還した俺達を真っ先に出迎えたのは、執事のエドガーだった。
 彼は優雅な所作の礼を披露してくれた。
 遅れてやって来た奴隷商のラモンは、大軍を見て驚愕していた

 単独で行動を始めたことは知っているはずなので、そこを含めて仰天しているのだと思う。
 普通ならどこかで戦死するような判断だ。
 生還するどころか、これだけの大戦力を引っ提げて帰ってきたのだから、ラモンの反応は極めて正常だろう。

 そんな引き連れてきた軍は、街の外の空き地で暮らしてもらうことにした。
 これだけの大所帯だと、街の中で住んでもらう場所がない。
 余計な混乱を生まないためにもそれが一番だった。

 当の兵士達に不満はなさそうだ。
 道中は常に戦闘の繰り返しで、休む間もなく殺し会う日々が続いていた。
 劣悪な環境に比べれば、ここは天国のようなものである。
 むしろ喜んでいる始末だった。

 街の人々も一時は騒然としていたが、聖女の連れる兵士だと周知されると、途端に歓迎する雰囲気に変わった。
 早くもあちこちで宴が開かれている。
 内戦が優勢になったことは、一般人にも知られているようだ。
 都合のよい情報であるため大々的に宣伝でもしているのだろう。
 勝利が見えてきた人々は明るい様子だった。

 一方で俺は、ビルに命令して兵士達が悪事や問題を起こさないようにする。
 集めてきた連中は、盗賊や捕虜といった面々だ。
 凄惨な戦いの連続で精神に異常を来たしており、魔が差してしまうかもしれない。

 ここで面倒なことになっても困る。
 ビルに監視させておけば問題ないはずだ。
 彼は兵士達にも一目置かれており、実力も申し分ない。
 ただの兵士が束になろうと、ビルには敵わない。
 非常に頼りになる男だ。

 その日は大人しく屋敷に帰ってゆっくりと休んだ。
 翌日、清潔な服に着替えたネアは、屋敷で食事をとっていた。
 閑静な食堂にて、一人きりで淡々と進めている。

 その途中、食堂の扉が開かれた。
 現れたのはエドガーだ。
 彼はネアのそばにやってくる。

「失礼いたします」

「どうしましたか?」

「ウォルド様にお伝えしたいことがあって参りました」

 意外な返答だった。
 てっきりネアへの報告で来たのかと思った。
 俺は主導権を交代すると、フォークで刺した肉を頬張りながら尋ねる。

「何か用かい」

「お食事の後、少しお話できますでしょうか」

 丁寧な口調のエドガーだが、有無を言わせない雰囲気を発していた。
 彼の目は、冷え冷えとした色を見せている。
 小心者なら睨まれただけで卒倒しそうな圧力だ。

 肉を咀嚼した俺は、フォークを次の一切れを口に運びながら答える。

「ああ、構わないぜ」

「ありがとうございます。それでは後ほどよろしくお願い致します」

 一礼したエドガーは静かに退散した。
 気配はすぐに消失する。
 また別の仕事をしに行ったのだろう。
 彼も多忙なのだ。

 一方、ネアが疑問を呈する。

『エドガーは何を話したいのでしょう』

「さぞ大切なことだろうさ。楽しみにしておこう」

 只ならぬ様子で言ってきたのだから、無視するわけにはいかない。
 穏やかな内容ではないのだろうが、今回は素直に従おうと思う。

 ◆

 食後、俺は屋敷の外へと出た。
 そこから街の郊外の薄暗い裏路地に入る。
 目的はもちろんエドガーと話すためだ。

 別に待ち合わせの場所を決めたわけではないが、彼なら俺のことを監視しているだろう。
 あの雰囲気から察するに、人通りの乏しい場所の方が好都合に違いない。
 移動していれば、向こうから接触があるはずだ。

 肝心の内容については予想が付かない。
 一体、用件は何なのだろうか。
 あまり穏やかではないのは確かだが、無視するわけにもいかない。

 これからさらに楽しい戦争が待っているのだ。
 面倒事は今のうちに解決しておきたかった。

 適当に路地裏を進むうちに、やがて前方に人影が現れた。
 ひっそりと佇むのはエドガーだ。
 気を付けなければ見逃してしまうほどに存在感が薄い。
 やはりこちらの現在地を把握して先回りしていたようだ。
 彼ならば容易いことだろう。

 俺は少し離れた場所で足を止めると、気楽な調子で声をかけた。

「やあ、来たぜ」

「貴重なお時間をありがとうございます」

「構わないさ。それで何の用だい」

 俺が尋ねると、エドガーは沈黙する。
 表情は影が差してよく分からない。
 ただし鋭い眼光は、しっかりと俺を捉えていた。
 ほんの少しの動きも見逃さないように注視している。
 警戒されているらしい。

 その様子を観察していると、エドガーは口を開く。

「本題に入る前に、今からの会話は二人きりでしたいのですが可能でしょうか」

「ふむ……」

 奇妙な要求だったが、初めての経験ではない。
 歴代の担い手と行動する中で、同じようなことがあった。

 この時点で俺は、エドガーの用件を理解した。
 それを表情に出さないようにしつつ、ネアに声をかける。

「というわけだ。悪いが少し退席してもらう」

『私が見聞きしないようにすればいいのですね』

「ああ、頼むよ」

『分かりました』

 承諾したネアを、意識の奥底に沈ませる。
 これで彼女は眠っているような状態となり、この間に起きた出来事を認識できない。
 俺はエドガーに視線を送る。

「準備できたぜ。これでネアからこっちの様子は見えない」

「お気遣い感謝いたします」

 エドガーは慇懃に礼を言う。
 次の瞬間、彼の姿が霞んだ。
 壁を疾走するエドガーは、刹那の間に距離を詰めてきた。
 彼の手の内で刃が光る。

 勢いよく突き込まれたそれを、俺は刀で弾く。
 存外に重たい感触だった。
 エドガーが本気で攻撃してきたのがよく分かる。
 俺は後ろに飛び退きながら笑う。

「おいおい、何の真似だ?」

「数々の蛮行……今まで堪えてきましたが、さすがに限界です」

 短剣を携えるエドガーが俺を睨み付ける。
 そこには冷たい怒りが窺えた。

「独立派の勢力は急増し、新王派との戦力差は覆りました。向こう五年は、彼らも攻め込んでは来ないでしょう」

「つまり何が言いたいんだ」

「これ以上の戦争は必要ありません。王都への侵攻を中断してください」

 エドガーの要求は、至極真っ当なものだった。
 彼の読みは、概ね間違っていない。

 新王派は破綻しつつある。
 こちらに攻撃を仕掛けるどころではなかった。
 離反を目論む者達を引き止めるだけで精一杯だった。

 加えてまだ後継者争いも続いていると聞く。
 実際問題、独立派から攻め込む必要性はあまりなかった。

 しかし、俺は首を横に振る。
 そしてエドガーに向けて回答を投げた。

「嫌だね。俺はやりたいようにやるんだ」

「――左様ですか」

 エドガーは再び突進してきた。
 彼は目にも留まらぬ速さで短剣を振るってくる。
 俺はその連撃を刀でいなしながら文句を言った。

「危ねぇな。この身体は聖女様のものだって忘れたのか?」

「心配は無用です。この短剣は、魂だけを切り裂く代物でございます。すなわちネア様のお身体を傷付けず、厄介な人斬りだけを殺すことができる」

 エドガーは攻撃の手を止めずに言う。

 俺は短剣に注目する。
 刃には、奇妙な光沢が浮かんでいた。
 どうやら短剣は、高度な魔術武器らしい。
 この妖刀でなければ、防御できなかったろう。

 エドガーの観察眼は、俺だけを的確に狙うことができる。
 霊的な存在である俺を殺すために、特殊な短剣を調達したのだ。

 事実を把握した俺は笑みを深める。
 速度を上げる攻撃を弾きながら、エドガーに話しかけた。

「ハハ、強硬手段と来たか。悪くないな。嫌いじゃないぜ」

「…………」

 エドガーは無言だが、苛立ちが感じられた。
 攻撃はより過激な動きへと変化する。
 路地裏を占領する俺達は、静かに殺し合いを繰り広げるのであった。

 ◆

 エドガーが短剣を構えて迫る。
 隙の少ない機敏な動作であった。
 一瞬でも気を抜けば、たちまち刺されるだろう。

(なんて爺さんだ……っ!)

 俺は刀を一閃して短剣を受け流す。
 間を置かずに、回し蹴りを放った。

 エドガーは紙一重で躱して、果敢に刺突を仕掛けてくる。
 俺はエドガーの手を掴んで逸らし、そのまま彼の手を握り潰そうとする。
 対するエドガーは器用に抜け出すと、するりと距離を取った。
 そこから再び短剣の斬撃を打ち込んでくる。

(やりやがるな。想像以上だ)

 エドガーは間違いなく武の達人であった。
 堅実ながらも大胆な攻め方で、仕掛けるべき瞬間を弁えている。
 年齢を感じさせない立ち回りだった。

 人斬りの俺を相手にしても、恐怖や焦りを感じていない。
 ただひたすらに最適な選択を繰り返して対抗してくる。
 やはり相当な実力者だった。
 なかなかに手強そうである。

 斬りかかってくるエドガーに対して、俺は防御と反撃を織り交ぜて対応していた。
 常人ならば何十回と殺せている頃だが、エドガーは掠り傷だけで済ませている。
 彼は異様に読みが鋭い。
 経験則と直感による回避が抜群であった。

 しかし、どんな人間にも弱点はある。
 どれだけ巧妙に隠そうと、いずれ露呈するものだ。

「……くっ、はぁ」

 苛烈な攻撃を連続させるエドガーだが、その呼吸に乱れが見え始めた。
 体力の限界が訪れたのだ。
 俺を相手に常に気を張りながら全力戦闘を行っているのだから当然である。
 どれだけの持久力があったとしても過酷だろう。
 そう長続きするものではない。

 一方でネアの身体も既に悲鳴を上げていた。
 強敵を相手に酷使しているせいで、限界が近かった。
 強烈な痛みも、俺が精神力で抑え込んでいるだけに過ぎない。
 このまま無理をし続ければ、先に肉体が壊れるだろう。
 双方にとって短期決戦が望ましかった。

 その時、エドガーの動きが粗くなった。
 僅ながらも明確な隙が生まれた。
 俺は刀で斬り上げて、短剣の刃を根本から切断する。
 そしてエドガーの首筋に刀の切っ先を添えた。
 後方で刃の落下する音が鳴り響く。

「動くなよ」

「…………」

 エドガーは殺気を霧散させる。
 素直に諦めたらしい。
 彼ほどの達人なら、埋めようのない力の差が分かるのだろう。
 いや、おそらく戦う前から理解していたに違いない。
 それでもエドガーは挑んできたのだ。

 俺はそのままの姿勢で彼に語る。

「確かに今の情勢なら五年は平和だろう。しかし、それで満足なのか? 五年後、持ち直した新王派は独立派を滅ぼしに来るぜ。老いぼれのあんたは五年後に生きちゃいないかもしれないが、これは大事なことだ

「しかし……」

「あんたはネアの心配をしてばかりで、国の未来を見据えていない。本当に平和を目指すなら、ここで畳みかけるしかない」

 今こそ攻める時なのだ。
 またとない好機であり、逃せばまた泥沼の殺し合いの再開であった。
 内戦を終結に導くためには、攻勢に向けて動かなくてはならない。

「何よりネアは、この国を変えようとしている。あんたは彼女の意志を無視するというのだな?」

「……っ」

 エドガーは歯噛みする。
 何か言いたげだが、こちらを向かずに考え込んでいる。
 その手から短剣が落とされた。
 地面にぶつかって甲高い音を鳴らす。

 静かに立ち上がったエドガーは踵を返した。
 彼はこちらに背中を向けたまま発言する。

「――申し訳ございません。少し、頭を冷やしてきます」

「気にするな。誰にだってあることさ」

 俺は気楽な調子で返事をした。
 エドガーは歩いて路地裏を去っていく。
 それを見届けた俺は、抑え込んでいたネアを解放した。

「終わったぜ」

『エドガーと何を話したのですか?』

 ネアがすぐに質問をしてきた。
 気になるのは当然だろう。
 しかし、本当のことを言えばややこしくなるのは確実だ。

 少し考えた末、俺は苦笑交じりに答える。

「大したことじゃない。世話焼き爺さんの説教を受けただけだ」

 ◆

 数週間後。
 編成を終えた独立派の軍は、本拠地の街を発とうしていた。

 ここから五つの軍に分裂して、そのうち四つが扇状に拡散する。
 彼らには、残る新王派の領地を牽制してもらう。
 圧力をかけて引き付ける役目だ。

 残る一つの軍は本命であり、俺が指揮する部隊である。
 最短距離で進み、王都に乗り込んで新王派の息の根を止める。
 王城を乗っ取って首脳陣を残らず殺せば、連中も瓦解するはずだ。

 ただし、油断はできない。
 俺達が準備を進めていたのと同様に、新王派もこの数週間で変化していた。
 後継者争いが終わり、新王の妹が王位を獲得したのである。

 他の後継者は残らず暗殺された。
 露骨な傀儡政権だろう。
 強引な手段を使ってでも、舵取りをしなければいけないと判断したらしい。
 向こうの勢力も、どうやら役立たずばかりではないようだ。

 密偵によると、密かに禁術の実験を行っているそうだ。
 逆転に備えた策を練っているのだろう。
 いずれ独立派に痛打を叩き込む算段に違いない。
 やはりここで時を待たず、一気に攻め込むのが正解だった。

 個人的には内戦の激化を望んでいる。
 あと五年も待てば、向こうも戦力を揃えてくるだろう。
 しかし、それは契約者であるネアの意に沿うことではない。
 俺自身もそれまで殺人衝動を抑えられる自信がなかった。

 戦いなんて世界のどこにでもある。
 また次の敵を探せばいいだけだ。
 ここで新王派の再起を待ってやる必要はなかった。

「へぇ、いい景色じゃないか」

 馬車の上に座り込む俺は、街の正門付近を眺める。
 そこには独立派の軍が整列していた。
 大半がよその領地から借りた兵士や盗賊、傭兵といった類が混ざっている。
 もちろん盗賊頭のビルもいた。
 武装に統一感は無いが、やる気は十分である。

 彼らは妖刀に魅入られた。
 魔術的な力ではない。
 もはや呪いに近いものだ。

 俺と共に凄惨な歴史を刻んできたこの刀は、人々を戦いに駆り立てる力を秘める。
 決して強制するものではない。
 素質と気概を持つ者を後押しするだけだ。
 ただ、その後押しが重要なのである。

 彼らの目には、狂気が漲っていた。
 殺戮への期待だ。
 戦場では、死を恐れずに戦ってくれるだろう。
 素晴らしい部下達である。

「ウォルド様」

 下から声がした。
 馬車のそばにエドガーがいる。
 彼は直立不動でこちらを見上げていた。

「おお、どうした」

「くれぐれもネア様のことをよろしくお願い致します」

 エドガーは深々と頭を下げる。
 数週間前、彼とは殺し合った仲だが、あれからは随分と落ち着いていた。
 特に争ったということもない。
 彼の中で何か吹っ切れたのかもしれない。

 俺はエドガーに笑いかける。

「任せてくれよ、偉大な聖女にしてやる。そっちも留守番を頼むぜ」

「承知しました」

 エドガーは一礼してその場を立ち去った。
 直後、ネアが緊張の混じる声で呟く。

『いよいよですね……』

「ああ、楽しみだ」

 今回の遠征は、事実上の決戦となる。
 国内全土を巻き込む戦いだ。
 おそらく長期化しないだろう。
 滅多にない機会なので、しっかりと楽しまなければ。

『私は、今度こそ内戦を終わらせます』

「その意気だ。応援しているよ」

 俺は馬車の上を移動して、御者であるラモンに話しかけた。

「そろそろ出発しようぜ。忘れ物はないかい?」

「ああ、問題ない。しっかり積んである」

「なら大丈夫だな!」

 馬車は前進を始めた。
 俺は引き抜いた妖刀を掲げる。
 後ろにいる軍が、呼応して雄叫びを上げる。

 士気は十分だった。
 誰もが新王派との戦争を待ち望んでいる。
 これは最高の殺し合いができそうだ。

 ◆

 俺は馬車の上で微睡む。
 眠気に身体を委ねる一方、意識は周囲の警戒に割いていた。
 今のところは特に危険もない。

 現在地は独立派の領内だ。
 新王派の領土まではまだ距離がある。
 連中も、聖女の暗殺を目論むほどの余裕はないだろう。
 しばらくは退屈な行軍が続くはずだ。

「よっと」

 俺は上体を起こす。

 周囲の兵士達は、黙々と進んでいた。
 場の空気は適度に引き締まっている。
 ちょうどいい具合だった。
 油断しすぎるのも困るが、緊迫しすぎると本番まで持たない。

 俺は再び寝転がった。
 腕を枕にしながら空を仰ぐ。
 なんとなしに雲を眺めながら、ふとネアに話しかけた。

「なあ、聖女様」

『何でしょうか』

「この戦争が終わったら、あんたはどうするつもりだ?」

 今まで気になっていたことだ。
 ネアは聖女として必死に戦ってきた。
 彼女は正義を掲げているが、その先に何を見据えているのか。

 俺の問いにネアは沈黙する。
 かなりの間を置いた末、彼女は回答した。

『……考えていませんでした』

「何かしたいことはないのか? 趣味の一つや二つはあるものだろう」

『私に、趣味はありません。ずっと戦ってきたもので』

 ネアはどこか陰りのある口調で言う。
 悲しみは感じない。
 ただ、明瞭な答えを返せない申し訳なさを醸し出していた。

 俺はネアの記憶を探る。
 彼女は戦争孤児で、先代領主に拾われた後すぐに内戦が始まった。
 領主としての勉強や英雄としての戦いに追われるばかりで、趣味を見つける時間がなかったようだ。

 昔から生真面目で余計なことをしない性格らしい。
 どうにもつまらない人生だった。

『貴方は何か趣味があるのですか?』

「俺の趣味か」

 ネアに尋ねられた俺は、目を閉じて考え込む。
 彼女の人生をつまらないと評したが、あまり他人のことは言えない。

 俺は過去の歩みを振り返る。
 脳裏を過ぎるのは、かつての担い手達と幾多もの戦場だ。
 目を開いた俺は、答えを口にする。

「人を斬るのが趣味だな。生き甲斐と言ってもいい」

『……そうですか。貴方らしいですね』

「一度限りの人生だ。楽しみ方を知った方がいいぜ?」

『楽しみ方、ですか』

 ネアはまたもや沈黙する。
 俺の言葉を反芻しているようだった。

「どうだい。何か浮かんだか?」

『いいえ。ですが、少し掴めたような気がします』

「そいつは良かった」

 俺は微笑する。

 使命を為した時、ネアはどのような想いを抱くのか。
 何をするつもりなのかは知らない。
 生来、戦いを好まない彼女のことだ。
 平穏な余生を送るつもりだろう。

 無理やり付き合わされるのは癪だが、その命が尽きるまで見守るのも一興かもしれない。

 ◆

 駆け出した俺は、大上段からの振り下ろしを繰り出した。
 刃は敵兵の頭部を兜ごと叩き割る。
 短い悲鳴が漏れた気がするが、溢れ出した鮮血に紛れてしまった。

 俺は死体を蹴り飛ばして、前方の兵士にぶつけて怯ませる。
 そこからすれ違いざまに斬り伏せた。
 分断した首と胴体が同時に崩れ落ちる。

「死ねェッ!」

 憎悪に歪む叫びがした。
 横合いから叩き込まれた斧を躱すと、俺はそいつの首を掴んで投げ飛ばす。
 衝突して倒れた兵士達を薙ぎ倒して刺し殺す。
 魂を喰らう妖刀が歓喜に震えた気がした。

(――最高だな)

 俺は口に入った鮮血を吐き捨てる。
 返り血で重くなった髪を掻き上げて、前方の光景を見渡す。

 形勢の不利を悟った敵兵は逃げ出していた。
 そこに独立派の軍による追撃が行われる。
 多数の魔術と矢が飛来して、次々と敵兵を屠っていった。

 僅かな敵兵の背中が見えなくなったところで、俺達は仲間の手当てを進めていく。
 草原のど真ん中に陣取る俺達は、慣れた動きで段取りをこなしていった。
 回復魔術で治癒される者や隻腕の断面を縛り付ける者、痛みを誤魔化すために酒を呷る者もいる。

 新王派の領土に踏み込んでからは、ずっとこの調子だった。
 待ち伏せする軍を相手に、俺達は突撃し続けている。

 基本的に俺が先陣を切って敵軍の只中に割り込む。
 そこから連中の流れを乱して、指揮系統を麻痺させる。
 意識が俺に向いた間に、独立派の軍に攻撃させればこちらのものだ。
 あとは敵兵を散らしながら突破して、敗走する兵士を捕縛ないし始末する。

 生き残った敵兵は、部下の魔術師が洗脳や催眠を施して、使い捨ての戦力に仕立て上げた。
 強情な者に関しては、ラモンによる奴隷契約で強引に引き込む。
 本来は放置するしかない屍も、死霊術師の手でアンデッドに変貌させた。
 禁忌とされる戦法も躊躇いなく多用して、常に消耗する軍を無理やり維持していた。

 度重なる激戦を経て、軍には狂気が満ちている。
 まるで死に急ぐかのように、誰もが必死に戦っていた。

 聖女の求心力と、妖刀の魔性。
 交わるはずのない二つが合わさった結果である。

『心苦しい光景ですね……』

 兵士達を見て、ネアは悲痛な声を洩らす。
 しかし、ここで兵士達に下手な言葉をかけてはいけない。

 ここで我に返ると恐怖が生じる。
 それは枷となり、攻撃の手を鈍らせる。
 この場においては最も不要なものだった。

(しかし、これほど上手くいくとは思わなかったな)

 俺は仲間の兵士達の様子に感心する。
 彼らは一体となって戦意を漲らせていた。
 終戦を望む意志がそうさせているのだ。

 すぐそばで仲間が無惨な死を遂げても、兵士達は決して歩みを止めない。
 携えた武器で敵の命を奪い取ろうとする。

 本当に素晴らしい。
 これほど上質な軍も珍しかった。
 まさに俺の理想である。

 この勢いのまま、俺達は王都に乗り込むつもりだった。
 新王派がどれだけの秘策を抱えていようと、この軍隊ならぶち破れるだろう。
 あまりに時間がかかると、やがて兵士達が破綻する。
 その前に決着させたいところだ。

 先の展開について考えていると、頭上から矢の雨が飛来してきた。
 俺は即座に刀で防ぐ。
 兵士も大盾を構えて凌いでいた。
 唯一、佇むアンデッドが矢を浴びているが、死なない彼らは平然と立っている。

「不意打ちとはいい度胸だな」

 俺は遥か前方を見据える。
 草原の向こうから、追加の敵軍が迫りつつあった。
 普通なら矢の届かない距離だが、風の魔術で加速させたのだろう。

 休憩なしで戦うことになるも仕方ない。
 兵士達には悪いが、ここは頑張ってもらうしかないだろう。
 接近する敵兵を歓迎するため、俺は刀を構え直した。

 ◆

 敵軍を目にしたアンデッド達が、一斉に走り出した。
 全身に矢が刺さり、四肢の一部が欠損した個体もいる。
 しかし、彼らは痛みを訴えることなく行動していた。

 基本的にアンデッドは、痛みを感じないのだ。
 使役する死霊術師の命令に従い、忠実に動く存在である。

 死体を操るという特徴のせいで倫理的に忌避されがちだが、俺は大好きな術だった。
 味方で使える者がいたら、いつも重用している。
 今回も何人か確保できてよかった。
 おかげで強靭な前衛を揃えることができた。

 ちなみに術者は後方に配置している。
 万が一、敵に倒されると大きな損害だ。
 死霊術師達には、安全圏から猛威を振るってもらおうと思う。

(こっちはこっちの仕事をやるかね――)

 俺はアンデッド達に紛れて疾走する。
 このまま前衛として暴れる予定だ。
 部下達は既に理解しているだろう。
 頃合いを見て仕掛けてくれるはずだ。

『やはり大胆ですね……』

「単純明快でいいだろう?」

 接近の最中、敵軍から矢が放たれた。
 浅い軌跡を描きながら、加速して降り注いでくる。

 しかし、俺とアンデッドを妨げることはない。
 そのまま一気に距離を詰めた俺達は、盾を構える敵軍に正面から衝突した。

「おら、どけよ!」

 怒鳴る俺は横一線に刀を振るう。
 盾ごと敵兵を切断し、死体を蹴り込んで陣形を崩した。
 さらに刀を往復させて、控えていた敵兵を解体する。
 押し退けるように奥へと突き進んでいく。
 奮闘するアンデッド達を横目に、俺も敵兵を屍に変えていった。

 そうして何十人と斬った頃だろうか。
 恐怖しながらも立ち向かってきた敵兵が、急に道を開けてきた。
 不審に思っていると、奥から咆哮が轟く。

 猛然と突進してくるのは、緑色の肌の大鬼――オーガだった。
 腰布を巻いて棍棒を握っており、首輪を装着していた。
 オーガは計五体で、さらにはゴブリンの集団も引き連れている。
 そんな魔物の群れは、敵兵の開けた道を進んできた。

(魔物を使役する首輪か……)

 俺はすぐさま察する。
 連中もなりふり構わなくなってきたらしい。
 独立派の戦略を危惧し、魔道具の開発を急いだのだろう。
 そうして出来上がったのが、使い捨ての魔物の戦力というわけだ。

「上等だ。やってやるよ」

 俺は刀の柄を握り直して笑う。
 手段を選ばないという方針は嫌いじゃない。
 俺達と同じだった。
 戦いが楽しくなるのは歓迎である。

 俺は嬉々としてオーガに跳びかかった。
 横殴りに迫る棍棒を、首を傾けてやり過ごす。
 風圧で前髪が乱れるも、傷を負うことはない。

 振り抜かれた棍棒は、軌道上の敵兵に炸裂した。
 人外の膂力は、敵兵をまとめて肉片に変える。

「ハハッ、大した一撃だ」

 俺は隙だらけなオーガの首を刎ねた。
 痙攣する巨躯が鮮血を噴出し、両手を振り乱しながら崩れ落ちる。
 驚愕する敵兵を殺しつつ、俺は速やかに前進した。
 そのまま他のオーガやゴブリンを始末しようとした時、ネアが唐突に発言する。

『首輪だけを破壊すれば、支配を解くことができます。暴走する魔物を利用できるのではないでしょうか』

「おお、いい案じゃないか!」

 俺は彼女の助言に従うことにした。
 魔物達の間を縫うように駆け抜けて、彼らの首輪だけを刀で破壊する。
 使役の呪縛から逃れた魔物達は、一斉に暴れ出した。
 先ほどのように俺を狙うのではなく、近くにいる敵兵を無差別に攻撃し始める。
 戦場は余計に混乱し、俺ばかりに構っていられなくなった。

(いいぞ。最高の状況だ)

 血を浴びながら俺は刀を振るい続ける。
 聖女様も、殺戮に慣れてきたようだ。

 ◆

 魔物を使役する軍を打ち破った俺達は、その後も領土を侵攻していった。
 寄り道をせず、ほぼ一直線に王都を目指す。
 そうして何日も移動し、途中で遭遇する軍を叩き潰す。
 捕虜やアンデッドで戦力を補完し続けた。

 やがて王都の近隣にまで到達する。
 翌日には到着できる距離だ。
 辺りが夜闇に包まれる中、俺達は歩を進めていた。

 馬車に乗る俺は、気配の察知に集中する。
 静寂が続く中、御者のラモンが小声で話しかけてきた。

「旦那、そろそろ限界が近いぜ。本当にこのまま進むつもりか?」

「ふむ……」

 俺は顔を上げると、馬車から兵士達の様子を見やる。

 彼らは、夜闇に紛れても分かるほどに疲労困憊だった。
 極度の疲れと眠気が原因である。
 連戦による緊張と興奮で誤魔化しているが、無理しているのは明らかだった。

『私もラモンと同じ意見です。兵士が消耗しすぎています』

 ネアも冷静に発言する。
 彼女は仲間のことを気遣っていた。
 戦いに積極的になったのも、味方の命を救うためなのだろう。
 自身を危険に晒すことで、相対的に兵士達を守っている。

 二人の意見を受けた俺は、腕組みをして思案する。
 そして結論を出した。

「仕方ない。軍を切り離すか。使える奴らだけを連れて、他は陽動に回す」

『休息しないのですか? さすがにこれ以上の酷使は――』

「駄目だ。新王派の軍があちこちから近付いてきている。呑気に休んでいたら包囲されるだろう」

 現在地は王都のそばだ。
 独立派の俺達にとって、最も危険な場所である。
 これだけの大軍だと隠れることもできない。
 一カ所に留まれば、次から次へと敵軍がやってくる。
 ここは無理をしてでも突き進むべきだろう。

 不満げなネアは、深刻な声音で念押ししてくる。

『……多数の犠牲が出ます。それでも実行するのですか?』

「当然だ。最善策を無視するほど、俺は馬鹿じゃない」

 味方を切り捨てでも、進軍を強行した方がいい。
 それが最も犠牲を抑えることに繋がる。
 下手な気遣いは、身の破滅を招くだけだった。

 ネアはしばらく思い悩んでいたが、苦々しい口調で承諾する。

『分かりました。貴方を、信じます』

「すまないね。時には非情な決断も必要だ。これを機に知っておくといい」

 ネアは心優しい性格の持ち主だ。
 正義を第一に考えている。
 長年に渡って戦いに身を置きながらも、味方の死に涙するような人物だった。

 その甘さこそ、彼女の良さである。
 しかし、優しさだけではどうにもならない時があった。

 俺は馬車からビルを呼び付ける。
 ビルはすぐさま駆け付けてきた。
 まだまだ余力がある様子だ。
 魔族である彼は、常人よりも強靭な肉体を有している。

「何だい、兄貴」

「頼みたいことがある」

 俺はネアに伝えた通りの戦法を説明する。
 行軍が難しい者は離脱させて、陽動に回らせる作戦だ。

 それを聞いたビルは、呆れたように苦笑する。

「少人数での突撃隊……相変わらずだな兄貴は」

「他の奴らにも伝えてもらえるか」

「おお、任せてくれ。どうせ大半が付いてくるだろうさ」

 頷いたビルは引き返し、部下に伝達していった。
 そこから軍全体に俺の指示を周知させる。
 そこから移動しつつ、具体的な編成を行っていた。

『……慣れたやり取りでしたね』

「前の担い手の時も、このやり方を頻繁に使ったからな。常套手段なんだ」

『貴方は、生粋の戦闘狂です』

「褒め言葉として受け取っておこう」

 俺は鼻を鳴らして笑う。
 ネアとは根本的な部分では相容れない。
 ただ、彼女の反応や意見は面白くて新鮮だ。
 鵜呑みにするつもりはないが、今後の参考にさせてもらおうと思う。

 ◆

 数の減った独立派の軍は引き続き進む。
 消耗した兵士達は既にいない。
 これ以上の激戦だと足手まといになるため、彼らには陽動に回ってもらうことにした。

 もちろん彼らの動きも決して無駄ではない。
 各地に散って暴れてもらうことで、結果的に俺達のもとへ来る敵軍の数が減る。
 王都に到着するまでの時間稼ぎが狙いなので、それだけ遂行してもらえれば十分だった。

 陽動に回らなかったのは、ビルの率いる盗賊と、一部の気合の入った兵士や捕虜達だ。
 そこに死霊術師達と、彼らの使役するアンデッドが加わる。
 数としては五千前後だろう。
 そのほとんどがアンデッドで構成されており、生きている人間は一割程度しかいない。

 俺達はこの戦力で王都に攻め込むつもりだった。
 無謀を通り越して、ただの自殺行為に等しい。

 しかし、俺は今までも不可能なことをやり通してきた。
 この状況を少しも悲観していない。
 むしろ戦意を漲らせている。
 歴史を変える殺し合いを最前線で楽しめるのだ。
 これほど幸せなことはあるまい。

 その後、陽動が効いたのか敵軍に襲われることもなく、やがて夜明けが訪れた。
 遠くに王都が見えてくる。
 ついに戻ってきたのだ。
 ネアと契約を交わした当初は消耗しており、存分に暴れることができなかった。
 なんとも消化不良な印象が残っている。

 しかし、今回は味方も引き連れていた。
 ネアもしっかり鍛え上げている。
 ここで鍛練の成果を披露しようと思う。

「おっ」

 不審な予感を覚えた俺は、目を凝らす。
 朝日に照らされる中、正門から軍隊が現れるところだった。
 その数はどんどん増えていく。
 こちらの数倍は下らないだろう。

 それだけならまだいいのだが、兵士達の様子がおかしい。
 遠目にも分かるほどみすぼらしい衣服で、とても正規の兵士とは思えなかった。

 首を傾げていると、ネアが冷静に指摘する。

『……あの軍の大半が不死者です。魔物の因子も感じますね。痛ましいことです』

「なるほど。そう来たか」

 ネアの言葉から俺は察する。

 あれは禁術で合成した強化兵の軍隊だ。
 人間や魔物を素体にアンデッド化して仕立て上げたのだろう。
 典型的な人体実験の賜物である。
 おそらくスラム街の浮浪者や犯罪者、安価な奴隷を利用している。
 内戦勝利を掲げて強行したに違いない。

(やってくれるじゃないか)

 連中も本気ということだ。
 このままでは破滅すると理解し、ついに最後の手段に手を出した。

 実に面白い。
 まさかここまで粘るとは予想外である。
 俺の知る限り、往生際の悪さなら一番ではないだろうか。
 そう思ってしまうほどに非道の限りを尽くしている。

 向こうの軍部を握る人物は、相当な策士らしい。
 小物臭がするも、狡猾な頭脳の持ち主だ。
 取るべき手段を弁えている。

 おそらくは王位後継者の側近だろう。
 上手く権力を掌握し、新王派の頂点に君臨するつもりのようだ。
 独立派の進撃は、そいつにとって最初の難関というわけである。

 出世欲は否定しないが、今回は相手が悪かった。
 人斬りと戦争をやるなど百年早い。
 それを教えてやらねば。

 刀を引っ掴んだ俺は、馬車から降りようとした。
 その時、静かだったネアが主張する。

『――ここから先は、私に戦わせてくれませんか?』

 ◆

 俺はネアの言葉に動きを止める。
 心臓が大きく跳ねるのを知覚した。
 微笑む口を押さえつつ、ネアに話の続きを促す。

「ほう、面白い提案じゃないか。詳しく聞かせてくれよ」

『私は貴方の力を散々借りてきました。ここでも貴方に任せた方が円滑に進むでしょう。しかし、それでは駄目だと思うのです』

 ネアは奥底に秘めていた想いを吐露する。
 彼女の本音がありありと表れていた。
 きっと少し前から悩んでいたのだろう。
 真面目なネアらしい考えである。

 俺に任せておけば楽なのだ。
 安全な場所から眺めているだけで、宿敵である新王派が壊滅する。
 すべては独立派のものになり、国の安定に向けて動くことができる。
 それを理解した上で、自分で行動したいとネアは言っていた。

『私は、自らの力で正義を勝ち取りたい。愚かかもしれませんが、貴方を見てそう思いました』

 ネアの気持ちはよく分かる。
 かつての彼女は処刑を受け入れて、何もかもを投げ出した。
 そこから俺との出会いを経て奮起した。
 人斬りによる逆襲撃を間近で見てきて、心境の変化が生じたのだろう。

 ネアはたまに俺の指導で鍛練を行ってきた。
 しかしそれを活かすこともなく、整備された勝利への道だけを歩んできた。

 ネアからすれば納得できないのだ。
 決戦となる場面くらいは自分の足で進みたいらしい。
 真剣な口調で述べていたネアだったが、我に返ったのか途端に弱気になる。

『勝手なことを言って申し訳ありません。不快であれば断っていただいても――』

「素晴らしい! 素晴らしいぜ聖女様! その気概は悪くない!」

 俺は彼女を称賛する。
 御者のラモンが敵軍を指して騒いでいるが、もはやどうでもよかった。
 どうせ大した内容ではない。
 俺の出撃を急かしているだけだろう。

 予想外の称賛を受けたネアは、戸惑いがちに相槌を打つ。

『は、はぁ……』

「あんたが戦いたいのなら、主導権を譲らせてもらうよ。存分に暴れるといい。俺は特等席で見守るさ」

『いいのですか? 提案した身で言うのもおかしいですが、貴方の楽しみを奪うことになります』

「気にするな。たまには観戦に回るのもいい」

 確かに今回は、滅多にない上質な戦争だ。
 しかし、絶対に逃したくないほどではない。
 俺には何度でも機会が巡ってくる。

 それより率先して戦おうとする聖女の姿の方が貴重だった。
 この一瞬しか見れないものである。
 少々の殺戮衝動くらい我慢できるほどには興味があった。

「その代わり、最高の勝利を見せてくれよ」

『……分かりました。必ず貴方にお届けします』

 馬車から降りたネアは走り出した。
 敵軍はまだ大きな動きを取っていない。
 後続のアンデッドを率いるようにして、ネアは直進していく。

 一方で俺は、ひっそりと危機感を覚えていた。

(――これは、不味いかもしれないな)

 自分の手で決着しようとする姿勢は悪くない。
 大きな成長で、喜ばしいことだ。

 しかし、こういった英傑ほど短命である。
 歴代の担い手も、同じような展開で戦死した者が何人もいた。
 俺から自立する者ほどくたばるのだ。
 なんとなく嫌な予感する。

 ――その証拠に、ネアの横顔には死の気配がこびり付いていた。

 ◆

 ネアとアンデッド達は突撃を敢行する。
 その直後、新王派の軍の後方から幾本もの光が放たれた。
 山なりの軌道を描いて降り注ぐのは、様々な属性の魔術である。
 ちょうど俺達の進路を妨げる位置に炸裂しようとしていた。

(ほう、先に仕掛けてくるか)

 向こうの兵士はアンデッドの強化兵である。
 禁術で製造された外道の存在だが、理性があるとは思えない。
 ましてや魔術など使えないだろう。

 新王派の軍の後方には、生きている魔術師がいるらしい。
 連中の魂胆は分かっている。
 使い捨ての強化兵は肉の盾にして、危険な前線を避けたいのだろう。
 そいつらで独立派の行く手を阻みつつ、遠距離攻撃を繰り返してこちらの消耗を強いるつもりなのだ。
 十分に損害を与えたところで、本命である生者の軍が突撃すればいい。
 強化兵を相手に数を減らした独立派を、圧倒的な力で殲滅できる。

 合理的で妥当な作戦だった。
 持ち得る手札を有効活用している。
 堅実に勝つための策だ。

 肉弾戦を毛嫌いして遠距離攻撃を徹底しているのは、俺を警戒しているからに違いない。
 こちらの戦力や情報を上手く作戦に組み込んでいる。
 敵の本拠地とだけあって、戦力的な部分でも大差があった。

 それだけ用意周到な敵に突撃をかますのは、完全なる愚者だ。
 死に急ぐ蛮勇に等しい行為である。

 しかし、独立派にはその道しか残されていない。
 もはや撤退などできない段階だった。
 屍の道を築き上げて、ひたすらに踏み越えるのみだ。

『大丈夫かい?』

「無論です――ッ!」

 魔術が飛来する中、ネアは一気に加速した。
 風魔術で自身を押し出したのだ。
 彼女は紙一重で魔術の下を滑り抜けると、そのまま先へと突き進む。

 背後では魔術が炸裂し、一部のアンデッドが粉砕されていた。
 後続の被害もネアは気にせず、ただ前だけを見つめて疾走を続ける。
 彼女はだんだんと速度を上げていた。
 最終的には、ほとんど飛行しているような勢いで強化兵と衝突する。

 ネアは妖刀の柄に手をかけた。
 そこから流れるように居合いを打ち放つ。
 風の魔術が付与された刃が、地鳴りのような振動音を発する。

 横一線の斬撃は、不可視の攻撃となって放射された。
 刹那、前方に立つ数十の強化兵は上下に引き裂かれる。
 腐臭の漂う血飛沫が舞う中、妖刀を構える聖女は唇を舐めた。

 ◆

 ネアが刀を往復させると、風の刃が交差するように放たれた。
 風の刃が軌道上の強化兵を分断し、腐った臓腑が撒き散らされる。
 進路をこじ開けたネアは、屍を踏み越えて疾走する。

 群がろうとする強化兵が次々と解体されていった。
 刀の間合いに入れる者は、一人としていない。
 凄まじい連撃である。
 魔術適性を持たない俺には不可能な技だった。

(こんな秘策を発明していたとはな……)

 ネアは魔術と剣術を見事に融合させていた。
 結果、自在な射程を獲得している。
 近距離戦闘における絶対的な優位を維持できるようになっていた。

 強化兵はネアのもとに殺到していく。
 仲間がどれだけ倒されようと、構わず接近してきた。
 彼らに感情はなく、故に犠牲を恐れずに攻撃を仕掛けてくる。

 対するネアは、風の刃を高速で飛ばして対処した。
 湯水のように魔力を使って、ひたすら前進する。

 後方では独立派のアンデッドが到着し、強化兵との戦闘を開始していた。
 これで多少はネアの負担も減るはずだ。
 狙いが複数となったことで、強化兵の攻撃も分散される。

 ネアは次々と強化兵を切断したいった。
 風魔術の加速も合わせて、肉の壁を突き進んでいく。

 戦況を把握する俺は、合間で彼女に忠告する。

『後続が遅れているぜ。進度を緩めた方がいい』

「このまま進みます……早く、魔術師を倒さなければ……」

 ネアは呻くように答えた。
 返り血を浴びながらも、彼女は決して動きを止めない。
 少しでも多くの強化兵を殺すため、肉体を酷使している。

 彼女の主張は分かる。
 強化兵の部隊の後ろには、新王派の本隊が控えていた。
 そこには魔術師や生きた兵士が待っている。

 彼らはこちらの消耗を狙っているのだ。
 したがって強化兵の部隊を突っ切り、先んじて本隊を叩くのは利口であった。
 向こうに混乱と損害を強いることができる。
 相対的に仲間の被害が減少するだろう。

(理には適っているが、相当な無茶だ)

 ネアは単独でそれを実行しようとしている。
 魔術を惜しみなく使っているのも、新王派の本隊に早く辿り着くためだった。
 このような状況でも、彼女は味方の犠牲を第一に考えている。

 そんなネアの背後から、一人の強化兵が掴みかかってくる。
 反応の遅れたネアは舌打ちすると、そいつを掴んで投げ飛ばした。
 倒れたところを刀で刺し、引き抜く動作から斬撃を繰り出す。
 吹き荒れる風の刃が、周囲の強化兵を肉片に変えた。

「……っはぁ」

 ネアは大きく息を吐き出すと、汗を垂らしながら走る。
 動きが若干鈍くなっている気がした。

『――大丈夫かい?』

「ええ、平気です」

 ネアは前を見つめながら言う。
 言葉とは裏腹に、顔色が少し悪い。
 明らかに無理をしているようだ。
 それでも彼女は押し通すつもりらしい。

 俺は彼女の方針を否定するつもりはない。
 一応の忠告はした。
 ここから先、どうなろうと彼女の責任である。

 強化兵の残骸が散乱する中、ぽつぽつと雨が降り出した。
 やがて勢いを増して土砂降りになる。
 視界不良になろうと、ネアは剣速を少しも緩めない。
 鮮血と雨に濡れながら、聖女は敵を斬り続ける。

 ◆

 強化兵は捨て身で攻撃を繰り返す。
 体当たりや噛み付き、或いは押し倒そうとするのが主だった。

 それらをネアは刀で切り払う。
 ところが傷が浅く、倒し切れないことがあった。
 辛うじて追撃を叩き込むことで難を逃れている。
 気になるのは、だんだんと攻撃失敗の頻度が上がっている点だろうか。

 ネアは苦戦している。
 無謀な突撃の結果、彼女は味方から孤立していた。
 消耗し続けて、全力を出せなくなっている。

 当然だろう。
 これは見えていた展開だ。
 いくらネアが強くなったと言っても限度があった。
 その強さは常識の範疇に留まっている。
 一騎当千には及ばない。

 しかし、ネアは足を止めない。
 乱れる呼吸を繰り返しながら、強化兵を斬っていった。
 大量の魂を喰らうことで、刀にはどんどん力が蓄積されている。
 切れ味は欠片も鈍ることがない。
 刃に触れた相手は、容赦なく切り裂かれていた。
 ネアと刀の調子は、実に対照的だった。

 乱戦の最中、横合いから強化兵の爪が伸びてきた。
 ネアは身を反らして躱そうとするも、爪の先端が彼女の脇腹を掠める。
 軍服の内側から血が滲んだ。

「くっ……」

 ネアは呻き、すぐさま反撃に出る。
 相手を切断すると、他の強化兵を押し退けるようにして前進した。

 刀の間合いには、無数の敵がいた。
 もはや対処が追いついていない。
 風の刃も放たず、地道な攻撃ばかりに終始していた。

 ネアはもうまともに魔術を使えないのだ。
 これ以上の魔術行使は、気絶する恐れがある。
 まだ無傷の本隊がいることを考えても、温存するしかなかった。

「……ッ!?」

 その時、ネアの動きが唐突に止まる。
 彼女の片脚に、倒れた強化兵がしがみ付いていた。
 斬り殺したはずの一体だが、即死ではなかったのだ。

 その個体はすぐに力尽きるも、この場における貢献は凄まじかった。
 ネアは一瞬ながらも致命的な隙を晒した。
 付け入るようにして四方八方から強化兵が雪崩れ込んでくる。

 ネアは刀で対抗し、切り刻んでいく。
 それ以上の速度で殺到する強化兵は、死を恐れずに攻撃を行っていた。
 ネアはその場に立ち止まっての防御を余儀なくされる。

 しかし、圧倒的に手数が不足していた。
 ネアはすぐに強化兵に手足を掴まれて動きを妨害される。
 そのまま圧し掛かられて、完全に拘束された。

「……ァッ」

 重みで圧迫されたネアは吐血する。
 その間にも強化兵は次々と群がってくる。
 自らを喰い殺そうとする怪物に対し、ネアは抵抗の術を持たなかった。
 彼女は険しい顔で強化兵を睨み付ける。

 刹那、周囲の強化兵が爆散した。
 彼らは下半身を残して肉片をばらまくと、真っ赤な血を噴き上げながら倒れる。
 ネアを拘束していた強化兵達も、残らず粉砕された。

「こ、れは……」

 ネアは困惑する。
 何がどうなったのか分からないようだ。

 一方で俺は視認できた。
 強化兵達は、横殴りの戦鎚を受けて爆散したのだ。
 誰がやったのかも知っている。

「大丈夫かい、聖女さん」

 頭上から頼もしい声がした。
 ネアは目を細めて相手を見上げる。
 そこに立つのは、戦鎚を肩に担ぐビルだった。

 ◆

 ビルの背後から、彼の率いる盗賊団がやってくる。
 馬車を操るラモンと奴隷も一緒だった。
 彼らは強化兵を打ち払いながら場所を確保する。
 実に鮮やかな手際だった。
 素晴らしい連携である。

(間一髪だったな)

 ビル達は孤立したネアを危惧し、後続から援護に来たのだろう。
 思ったよりも早い到着だった。
 強引に突破してきたに違いない。

 ネアは支えられながら立ち上がる。
 その姿を見たビルは嘆息する。

「まったく、こっちは子守りに来たんじゃないんだぞ」

「申し訳ありません……」

「ほらよ、受け取りな」

 ラモンが回復薬を浴びせてきた。
 すぐにネアの傷が癒えて、魔力も回復した。
 ネアは髪を掻き上げながら頭を下げる。

「ありがとう、ございます」

「在庫処分ってやつさ。代金は後で請求させてもらうぜ」

 そう言ってラモンは、追加でもう一本を投げ渡してきた。
 ネアは片手で掴んで飲み干す。
 それが終わったところで、ビルはネアの背中を叩いた。

「さあ、まだまだ戦いはこれからだ。張り切っていこうじゃないか」

「……そうですね」

 頷いたネアは盗賊達と協力して進もうとする。
 しかし、寸前で足を止めた。
 不審に思ったビルが彼女に尋ねる。

「どうした。まだ傷が痛むのか?」

「いえ、違います。少し考えがあるので、協力してもらえませんか」

 そう言ってネアはビルに要望を伝える。
 内容を聞いたビルは顰め面で唸った。

「そいつはまた……ぶっ飛んでやがるなぁ。本気か?」

「無論です。冗談を言えない性質なので」

 ネアが真面目な表情で言うと、ビルは肩をすくめた。
 彼はため息を吐いて承諾する。

「そうかい。分かったよ、手伝ってやる」

「感謝します」

 ネアの礼を受けて、ビルは戦鎚を構えるた。
 後ろに引いて先端を地面につけた状態だ。

 ネアはその先端に載り、風魔術を発動する。
 全身を強化し、姿勢を維持できるように調整した。
 彼女の目論見を知る俺は、念のために確認する。

『本当に大丈夫なのかい? また孤立することになるが』

「大丈夫です。同じ失敗は繰り返しません」

 ネアは即座に答える。
 何か考えがあるらしい。
 俺にはそれが分からないが、ただの蛮勇ではなさそうだった。

「しっかり大将の首を取ってこい、よッ!」

 間もなくビルが叫び、全力で戦鎚を振り回した。
 当然、そこに載っていたネアは遠心力で吹き飛ばされる。
 そこに風魔術の加速も加えて、超人的な跳躍を行ってみせた。

 ネアは砲弾のように宙を突き抜ける。
 軽々と強化兵の頭上を越えると、控えの本隊へと向かっていった。
 これこそがネアの閃いた策だった。
 強化兵の相手をしていては埒が明かないと考えた彼女は、連中を飛び越えることにしたのである。

 新王派の兵士達が、こちらを指差して騒いでいた。
 すぐに号令と共に魔術と矢が飛んでくる。
 ネアは風の魔術で防御した。
 貫通してきた分は刀で逸らす。
 たまに攻撃が掠めるも、ネアは眉一つ動かさない。
 細かい傷は気にしないと決めたようだ。

 徐々に落下する中、俺はネアに尋ねる。

『それで、さっきの自信の根拠を教えてくれよ』

「貴方の常套手段です」

『……何だって?』

 予期せぬ答えに俺は訊き返す。
 その途端、落下速度が速まった。
 ネアが下向きの加速を行ったらしい。
 眼下の兵士達が慌てて退避しているが、おそらく間に合わないだろう。

 ネアは妖刀を振り上げる。
 地面に衝突する間際、彼女は呟く。

「――恐怖で場を支配します」

 着地と同時に斬撃が繰り出される。
 落下の衝撃を乗せたそれは、魔術に還元されて破壊現象と化した。
 ネアを中心に力の波が波及する。
 付近の敵兵は、まるで木の葉のように舞い上がった。

 ◆

 上空に打ち上げられた兵士達は、手足を振り乱して慌てる。
 ネアは彼らを一瞥すると、走りながら刀を何度も往復させた。

 斬撃は風魔術によって延長される。
 風の刃は唸りを上げて敵兵を捉えて、無防備な彼らを次々と引き裂いていった。
 敵兵は肉片となって落下して大地を汚す。

 ネアは顔色一つ変えずに疾走する。
 彼女は全身から微弱な風魔術を放出させていた。

 風の流れを感知し、敵兵の動きを把握しているようだ。
 先ほどまでは使っていなかった技である。
 乱戦に向けた能力を編み出したらしい。

 ネアは凄まじい集中力を発揮していた。
 魔術行使の精度が格段に上がっている。
 相対的に魔力の消耗も劇的に改善されていた。
 長時間の戦闘でも問題ないように工夫している。

 攻撃ばかりに使うのではなく、防御策も備えていた。
 土壇場で柔軟な思考を見せている。
 ビル達に助けられたことで、ネアも冷静になったようだった。
 覚悟を新たに成長している。

「狂った聖女め、死ねェ!」

 叫ぶ敵兵が槍の刺突を繰り出す。
 ネアはそれを見切り、首を傾けながら踏み込んだ。
 穂先が頬を掠めるも、致命傷には程遠い。

 ネアは強く踏み込んで、地面を切り裂きながら刀を振り上げた。
 斬撃は敵兵を縦断する。
 敵兵は白目を剥いて吐血し、その手から槍を放した。

 ネアは空いた片手で掴み、視線を巡らせる。
 周囲の敵兵の位置を確認すると、回転させるように一閃させた。

 魔術が付与された槍から、渦巻く炎の風が発せられて吹き荒れる。
 周りの敵兵は抵抗できずに燃やされていった。
 槍に触れていない者もまとめて切り刻まれていく。
 燃える肉塊が散乱する中、ネアは止まらずに武器を振るい続ける。

 彼女が暴れる一方、敵兵は徐々に逃げ始めていた。
 ネアの戦いぶりに恐怖したのだ。
 命惜しさに殺し合いを放棄している。

 ああいった連中は追い回して斬り殺したいが、ここは我慢だ。
 眼前の敵兵を斬り伏せるネアをひたすら見守る。

 それにしても、彼女の戦い方は急成長を遂げていた。
 少しでも分が悪いと思えば風魔術で後退する。
 相手の動きに惑わされず、常に有利な立ち回りを意識していた。

 乱戦を活かした動きだ。
 先ほどまでの突貫とはまるで違う。
 どうやら俺の立ち回りを模倣しているようだった。

(やるじゃないか)

 感心する俺はネアの腕を操作し、死角からの魔術を斬る。
 そこからさらに三人の首を刎ねた。
 倒れる死体を横目に、腕の主導権をネアに戻す。

「ありがとうございます」

『構わないさ』

 答えながら俺は確信する。
 妖刀憑きの聖女は、人斬りとして完成しつつあった。

 ◆

 ネアの動きは、命を奪うごとに洗練されていく。
 おまけに斬った相手から魔力と生気を吸収し、自らを回復させていた。
 これによって消耗を気にせずに行動している。

 飽和した魔力がネアの全身に浸透し、青い結晶となっていた。
 それが鎧のように彼女を覆っていく。
 半端な攻撃は、結晶の鎧を僅かに削るだけで終わる。
 次の瞬間には、妖刀が敵兵に叩き込まれていた。

(最高だな。ついに目覚めたか)

 傍観するだけとなった俺は、人知れず気分を昂らせる。
 これほど愉快なことは珍しかった。
 ネアは完全に覚醒している。
 極限状態が彼女の才覚を解放したのだ。

 結晶の鎧を纏う聖女は、妖刀を振りかざして敵兵を屍に変えていく。
 生気と魔力を吸収することで疲労もしない。
 ただ殺し尽くすだけの存在と成り果てていた。
 こうなったらもう止められない。

 力の吸収は、担い手の最終段階である。
 どのような姿になるかは個人で異なるが、ネアの場合は青い結晶の剣士らしい。

 唐突な変貌に見えるが、きっと何かきっかけがあったのだ。
 おそらくは俺を模倣したことが原因だろう。
 世界最悪の人斬りを意識し、そこに近付こうとしたことで常人から逸脱してしまった。

 そもそもネアは、前々から担い手としての片鱗を見せていた。
 今回が心に残っていた箍を外し、妖刀の力を発揮できるようになったようである。

 敵兵は本格的な恐慌状態に陥っていた。
 大半が命令を投げ出して逃亡している。
 勇敢な者からネアに挑み、そして死んでいった。

 加えてアンデッドの強化兵がネアに仕掛けるも、結果は同じだった。
 彼女に力を吸い取られるだけで、戦況は少しも覆らない。

 この時点を以て、独立派の勝利したようなものであった。
 聖女はここから王都内へ進攻し、王城まで制圧することになるだろう。
 後方には頼りになる味方もいるのだ。
 きっと滞りなく成功するだろう。

(おっ、何だ?)

 その時、突如として黒い人影がネアに接近してきた。
 逃亡する敵兵の間を縫うように疾走してくる。
 そこから一気に肉迫すると、煌めく刃による刺突を放ってきた。

「……ッ!」

 それを察知したネアは、刀で弾きながら反撃を移った。
 相手は盾で防いで後退する。
 今の彼女の一撃をやり過ごすとは、なかなかの技量であった。

 両者は足を止めて対峙する。
 前方に立つ相手は、黒い外套を纏っていた。
 目深に被っているせいで顔が見えない。

 屈強な体格からして男だろう。
 剣と盾を持っており、どちらも魔術的な効果が付与されている。
 きっと国宝級に高価なものだ。

 しかし、そんな武具の価値はどうでもよかった。
 それより気になることがある。
 俺は相手の構えに既視感を覚える。

(まさか……)

 俺が疑念と驚きを感じる間に、その男はフード部分を外して素顔を晒した。
 目撃したネアは僅かに目を見開く。

「貴方は……」

「やあ、ネア。久しぶりだね」

 朗らかな笑みを見せるのは、死んだはずの聖騎士だった。

 ◆

 ネアは呆然と佇む。
 それなりの間を経て、彼女は我に返って刀を構えた。
 目を凝らすネアは聖騎士に話しかける。

「その魔力……不死者になったのですか」

「ああ、君の中に隠れる男にやられてね。本当に痛かったよ」

 聖騎士は苦笑しながら応じた。
 親しげな雰囲気とは裏腹に、その目は一切笑っていない。
 じっとりとした視線は俺を捉えていた。

「色々と調べさせてもらったよ。世界最悪の人斬りウォルド・キーン。妖刀は長らく行方知らずだったそうだが、まさか闘技場の武器庫にあったとは予想外だ」

 俺は感心する。
 向こうもそれなりに調査しているらしい。
 ネアが処刑されそうになったあの時、何が起こったのかを解析したのだろう。

 努力を語る聖騎士は冷静だった。
 彼は落ち着いた様子でネアに要求する。

「ネア、妖刀を手放してくれ。それは危険な物だ。君の手に負えるものではない」

「……っ」

 そう告げられたネアに緊張が走る。
 彼女は鋭い眼差しを返した。

「私を、殺すつもりですね」

「違う。今すぐにでも助けたいさ。そのために王国を乗っ取り、こうして会いに来たのだから」

 俺は彼の言葉から察する。
 この男が、現在の黒幕なのだ。
 幼い王を傀儡にして、実権を握っているのだろう。
 後継者争いにおいても活躍したに違いない。

 聖騎士の実力は国内でも最強に等しかった。
 並大抵の相手ではまず敵わない。
 暗殺合戦となれば、不死者である彼の独壇場であった。

「王国の貴族達は、僕を蘇らせて手駒にするつもりだったようだが、その目論見は邪魔させてもらった。自我を保つ不死者になれたのは幸運だった。君との運命がそうさせたのだろう」

 聖騎士は息を吐いて外套を脱ぎ捨てる。
 白銀の鎧が露わになった。
 生前に着ていたものと同じだ。
 聖騎士はネアに向けて重ねて懇願する。

「さあ、手荒な真似はしたくない。妖刀を放して投降してくれ」

「断ります。殺気が漏れ出ていますよ」

 ネアは冷徹に指摘する。
 それを受けた聖騎士は、途端に無表情になった。
 彼は脱力すると、喉を鳴らすように笑う。

「……ククッ」

 聖騎士は剣を鞘に収めると、おもむろに顔を掻き毟る。
 力の入り過ぎで、血塗れになっていた。
 ところが白煙が上がって顔が再生していく。
 どうやら不死者として高度な治癒力を有しているらしい。
 無傷の顔になった聖騎士は、くだけた調子で笑う。

「はぁ、仕方ない。下らない演技はやめよう。面倒だ」

 冷めた口調の聖騎士は、再びため息を洩らす。
 彼は剣を抜きながらネアを睨み付ける。

「――僕は、君達を殺したくて堪らない。これから成功するはずだった人生をぶち壊した元凶だ。ここで復讐させてもらう」

 聖騎士は盾を前に突き出して剣を構える。
 これといった特徴がない構えだが、故に洗練されているのが分かった。
 不死者として蘇ってからも、復讐心に任せて鍛練を積んだのだろう。

「随分と実力を付けたようだが、それは僕も同じだ。禁術で不死者に変貌したことで、人間を超越した存在となっている」

「…………」

 ネアは無言で殺気を纏う。
 首筋に張り付いた結晶が音を立てて成長した。
 ネアの顔の半ばほどを仮面のように覆っていく。

 もはや聖女の面影はない。
 そこに立つのは、妖刀を携えた結晶の異形だった。

 対する聖騎士も、にんまりと笑う。
 彼は半身になって戦闘態勢に移った。

「生憎と加減が難しくてね。あっけなく死なないように頑張ってくれ」

 何気なく言い終えた聖騎士は、地を蹴って突進してきた。

 ◆

 雨の降る戦場にて、ネアと聖騎士は戦う。
 打ち合いは次第に加速し、両者の限界を超えようとしていた。

「ハァッ!」

 聖騎士が剣を横薙ぎに振るう。
 圧倒的な速度の斬撃を前に、ネアは防御を選んだ。
 軌道上に刀を運んで身を守ると、そこから首を狙って蹴りを放つ。

 対する聖騎士は身を沈めて躱した。
 鎧を着ているとは思えないほどに自然な回避だった。
 単なる身のこなしの良さだけではない。
 ネアの動きから、攻撃を予期していたのだろう。

 聖騎士は肩から体当たりをかます。
 避けられずに衝突したネアは、軽々と吹っ飛ばされた。
 彼女は風魔術で姿勢を整えると、落下速度を緩めて着地する。

「くっ……」

 険しい顔のネアは左右の腕を回して調子を確かめる。
 魔力の結晶で形成された鎧に亀裂が走り、一部が剥がれ落ちた。
 体当たりによる損傷だ。
 近距離での衝突だったが、相当な勢いだったらしい。
 助走が付いていたら、これだけでは済まなかっただろう。

 一方で聖騎士にはまだ余裕が窺えた。
 涼しい笑みでネアの様子を眺めている。
 彼は呼吸一つ乱していない。
 不死者になったことで、持久力も人間を超越したようだ。

(不味い流れだな)

 戦いはネアの劣勢で進行していた。
 此度の経験で彼女は急速に成長しているが、剣術では聖騎士が勝る。
 相手は国内最強の剣士なのだから仕方ない。

 加えて不死者の強化もあった。
 おそらく生前の数十倍の力を得ている。
 本来なら肉体が自壊しかねない強化幅だが、再生能力に任せて成立させているようだ。
 膂力の差も深刻で、細かな傷は自動的に治癒される。
 まさに反則的な能力だった。

 ネアの消耗も無視できない。
 彼女が纏う結晶の鎧は、何度も破壊されていた。
 そのたびに修復しているが、これも無限にできるわけではない。
 彼女が内包する魔力を材料にしているためだ。
 今はまだ使えるが、いずれ底を尽きる。

 誰かを斬れば力を吸収できるが、敵兵はとっくに逃げ去っていた。
 後方では味方が強化兵と戦っているも、増援は望めそうにない。
 そちらに向かえば、聖騎士が付いてくる。
 仲間を危険に晒したくないネアは、一騎打ちを維持したいだろう。

(こいつは駄目だな。勝ち目がない)

 状況を振り返った俺は判断する。
 ネアにはもう策がない。
 徐々に追い詰められるばかりで、いつ殺されてもおかしくなかった。

 聖騎士が本気を出せば、一瞬で片が付くだろう。
 奴があえてそれをしないのは、こちらを苦しめたいからだ。
 絶望をたっぷりと与えてから殺したいのである。

 少し考えた末、俺はネアに提案する。

『もう限界だろう。ここで負けたくないのなら俺と代わるんだ』

「……それしか、ありませんね」

 ネアは悔しげながらも拒まない。
 本当は自分の力で決着させたいのだろうが、そうも言っていられないと理解しているのだ。
 聖騎士には敵わないと悟ったからこそ、託す決心ができたのである。

 承諾を受けた俺は主導権を掴もうとして、失敗する。
 不審に思って何度かやり直すも、結果は同じだった。
 なぜか表に出ることができない。

(まさか……)

 俺は原因を瞬時に理解した。
 こういったことは過去にも何度かあった。
 非常に珍しい事態だが、未知の出来事ではなかった。
 きっと、聖騎士の野郎が何か仕組んだのだ。

 案の定とも言うべきか、聖騎士は笑っていた。
 戸惑うネアを見て、こちらの状態を察したのだろう。
 彼は得意げに説明する。

「どうだ、出られないだろう。僕を中心に、小さな結界を張ったんだ。生物に影響はないが、魂だけの存在には効果がある」

「魂だけの存在に……」

 ネアは妖刀を一瞥する。
 聖騎士の結界が誰に影響するのか分かったのだろう。

「本来は魂だけの存在を消滅させるのだが、ウォルド・キーンは強大な霊魂だ。そこまでの効果は発揮できなかったらしい。まあ、表層化を防げただけでも僥倖だ。これで万が一にも僕が負けることはない」

 言い終えた聖騎士は、邪悪な笑みを見せる。
 そこには、粘質な嗜虐心がありありと浮かんでいた。

 ◆

(やってくれたな)

 俺は素直に感心する。
 聖騎士は徹底的に対策を打っていた。
 俺に負けたのがよほど悔しかったのだろう。

 その上で冷静さを失わず、狡猾さを発揮してきた。
 不死者になっても俺に敵わない可能性を考慮して、結界を張ってきたのだ。
 ネアが相手なら勝利は確実だと踏み、俺を封じてきたのである。

「諦めろッ! 僕の勝ちだ!」

 聖騎士の一撃がネアの手元を狙う。
 ネアはなんとか防御するも、受ける角度が悪かった。
 甲高い衝突音と共に、妖刀が回転しながら吹っ飛ぶ。
 そして、二人から離れたところに突き刺さった。

 聖騎士はネアに剣を突き付ける。
 ネアは呆然としたまま動けない。
 不審な真似をすれば、すぐさま首が飛ぶだろう。

 勝敗は決した。
 ネアはどう足掻いても逆転できない。
 聖騎士の方が何枚も上手だったのだ。

 彼は国の行方など眼中にない。
 俺達への復讐心だけで行動していた。

 頭の回る復讐者ほど厄介な存在はない。
 手段を選ばず、執念でどこまでも強くなるからだ。
 それはある種の呪いである。
 守るべきものが多いネアからすれば天敵だろう。

「…………」

 ネアは地面に膝をつくと、両腕を垂らして脱力する。
 彼女は諦めた顔をしていた。
 結晶の鎧が、ぽろぽろと崩れていく。

 勝ち誇る聖騎士は剣を掲げた。
 ネアの首を断つつもりなのだろう。
 妖刀に宿る俺は、それを遠くから眺める。

(思ったよりあっけなかったな)

 ネアは面白い担い手だった。
 意外性の高い人物で、この短期間で妖刀の力を引き出してみせた。
 この調子ならさらなる成長が期待できたのだが、どうやらその未来は閉ざされるようだ。

 やはり担い手は短命である。
 残念だが仕方ない。
 俺はこういった展開を何度となく目撃してきた。
 別にネアだけが特別に不運なのではない。

(これからどうするかね)

 まず新たな担い手を見つけなければならない。
 手頃な所なら聖騎士などが最適だが、奴は俺に私怨を抱いている。
 この妖刀が破壊できないと分かれば、どこかに封印するかもしれない。

 それは面倒だ。
 あまり嬉しいことではない。
 また数十年――もしくは数百年は退屈になるかもしれなかった。

『ふむ……』

 俺はふと考え込む。
 前方では、聖騎士が剣を振り下ろそうとしていた。
 欠伸の出るような速度だ。
 高速で思考している分、周りが遅く見えているのであった。

 ネアは無防備だ。
 大人しく剣を受けるつもりなのだろう。
 完全に諦め切っている。

 その様子は、闘技場で初対面した時を彷彿とさせた。
 死を受け入れた者の目だ。

 俺はその姿に妙な苛立ちを覚える。
 次に、自分が何をしたいのかを気付いた。
 認識した事実に思わず悪態を吐く。

『……ったく、我ながら情けねぇな』

 数百年前なら脳裏を過ぎりもしなかった選択だった。
 いつの間にか人間臭くなってしまった。
 人斬りとして、そういった類は捨て去ったつもりだったのだが、これはもう認めるしかあるまい。

 俺は決心すると、秘めた能力を解放した。
 妖刀に蓄えられた膨大な魂が活性化し、外界へと放出される。
 魂同士が練り合わされて一つの形に変貌していった。

 その際、僅かな抵抗感を覚える。
 聖騎士の張る結界だ。
 こちらの動きを妨害しようとしているが、そんなものは関係ない。
 誤差の範囲であり、この程度の効力で阻止されるほど俺は柔じゃなかった。

 妖刀に重なる俺の意識は、完成されたそこへ移る。
 刹那、五感が冴え渡った。
 手(・)を伸ばして地面に刺さった刀を引き抜くと、俺は両脚(・・)を使って疾走する。
 ネアと聖騎士の間に割り込み、振り下ろされる剣を妖刀で食い止めた。

「なァ……ッ!?」

 予想外の光景に聖騎士は驚愕する。
 つられてネアが顔を上げた。
 気力を失ったその顔は、徐々に輝きを取り戻す。
 彼女の瞳は、俺を見つめていた。

 対する俺は吐き捨てるように叱責する。

「すぐに諦めんな。悪い癖だから直せ」

 続けて聖騎士に視線を送る。
 彼は肩を跳ねさせて身構えた。
 怒りや恐怖によるものか、剣が小刻みに震えている。

「き、貴様……っ」

「――待たせたな。大将同士の殺し合いといこうか」

 もはや我慢ならない。
 受肉した俺は、舌なめずりをして笑いかけた。

 ◆

 俺は刀を傾けて、剣の上を滑らせるように刃を進めた。
 聖騎士は慌てて飛び退いた。
 それに合わせて俺は踏み込み、軽く前蹴りを放つ。

「ぎ、いっ……!?」

 盾で受けた聖騎士は、呻きながら後ずさった。
 踏ん張って受け止めるかと思ったが、意外と軟弱だ。

 俺はため息を吐いた。
 刀を弄びながら愚痴を洩らす。

「おいおい、もっと本気出せよ。せっかく受肉したんだ。あっさり死なれちゃ困るぜ」

「…………」

 聖騎士は憎々しげに俺を睨む。
 挑発には乗らず、こちらの出方を窺っていた。

 彼はなかなかの傑物だ。
 直前の攻防で、互いの力量を把握している。
 迂闊に突っ込めば死に直結すると理解したのだろう。

 一方、ネアは唖然として俺を見ていた。
 彼女らしくないほど驚きを露わにしている。

「あ、貴方は……」

「どうした。幽霊でも見たような顔をしているじゃないか」

 俺は冗談めかして返すも、反応は薄い。
 ネは眼前の好景に混乱していた。
 何か言い返す余裕もないらしい。
 俺は彼女に微笑んで告げる。

「まあ、後は任せときな。俺が全部喰らってやる」

 そう付け加えて前に向き直る。
 聖騎士はまだ動いていなかった。
 わざと隙を見せていたのだが、さすがに釣られなかったようだ。
 さすがにそこまで馬鹿じゃないらしい。

「ウォルド・キーン! 貴様、その肉体は何だッ!?」

「妖刀に蓄えた魂で作ったんだ。長持ちするものじゃないがね」

 この受肉こそ、俺の奥の手である。
 一時的に全盛期の肉体を再現するのだ。

 ただし、所詮は見せかけに過ぎない。
 本当に全盛期の力を発揮できるわけではなく、維持するのにも莫大な魂を消費する。
 どれだけ継続できても一晩が限度だろう。
 夜明けと同時に刀に戻ってしまい、再使用するには魂を集めねばならない。

 今の時点でも、せっかく溜めてきた魂の大半を使っていた。
 完全復活は間違いなく遠のいている。
 ただ、久々の肉体は心地がいい。
 担い手のものを借りるよりも、しっくりと来ていた。

 機嫌よく刀を振っていると、聖騎士が痺れを切らして叫ぶ。

「なぜそのようなことをした? まさか、ネアを救うつもりなのか!」

「ああ、聖女様の成長をもう少し見ていたくなった」

 俺はあっさりと肯定する。
 ほんの気まぐれだが、救おうと考えたのは事実だ。
 別に見殺しにだってできた。
 それをしなかったのは、俺の中で心境の変化があったからだ。

 あまり認めたくないが、数十年の退屈が俺の人間らしさを誘ったらしい。
 人斬りとしては望ましくないものの、己の変化から目を逸らすほど未熟でもなかった。
 俺は刀を持ち上げて、切っ先を聖騎士に向ける。

「あんたを殺したのは俺だぜ。復讐したかったのだから、ちょうどいいだろう?」

「ぐっ……」

 聖騎士は歯軋りする。
 彼は何か葛藤していた。
 やがて決心がついたのか、凶悪な笑みを見せる。

「――いいだろう。ここで、貴様を殺す。その次にネアだ」

「やってみろよ。三枚おろしにしてやるぜ」

 俺は軽快に応じる。
 せっかく受肉したのだ。
 思う存分に楽しまなければ。

 ◆

 猛然と突進してきた聖騎士が、最小限の動作で剣を振るった。
 軌道を見切った俺は、僅かに背を反らして躱す。
 眼前を掠める刃が、魔力で編まれた黒い衣服を切り裂いていった。

 紙一重で回避した俺は、刺突を繰り出す。
 聖騎士は盾で受け止めながら、飛び退いて距離を取った。
 たたらを踏んでいる辺り、完全には衝撃を殺せなかったらしい。
 彼の視線は、盾を持つ手を確かめていた。
 痺れか痛みでも感じているのだろう。

(よくやっているが……まだまだだな)

 俺は聖騎士の奮闘ぶりを評する。
 戦いが始まってからそれなりに経つ。
 聖騎士は懸命に致命傷を逃れつつ、果敢に攻撃を繰り返していた。

 彼は俺との戦いの中で成長している。
 元来の才能だろう。
 性根は冷酷かつ外道だが、その実力は本物であった。
 ネアでは敵わない相手である。

 強力な不死者となった今、聖騎士は一騎当千の怪物と化していた。
 しかし、俺を凌駕するほどではない。
 俺は途方もない年月を殺し合いに費やしてきた。
 数々の担い手と出会う中で、強者と命を奪い合っている。
 聖騎士は確かに強いが、敗北の予感は皆無だった。
 ひとえに経験の差で圧倒している。

「く、そぉ……ォッ」

 聖騎士は猛然と攻撃を仕掛けてくる。
 血を振り撒きながらも、その動きは微塵も緩まらない。
 肉体の限界を超過しているようだが、負荷を再生能力で抑え込んでいるらしい。
 とてつもなく苦しみだろうに、それを感じさせない気迫だ。
 俺に対する復讐心が、苦痛を和らげているのだろう。

(いい度胸じゃないか。悪くない)

 攻撃を弾きつつ、たまに反撃を挟む。
 刀が閃くたびに聖騎士の四肢が削がれた。
 有利な立ち回りを防がれた彼は、負傷部位を庇いながら行動する。

 聖騎士の治癒速度が、見るからに遅くなっていた。
 単純な消耗が原因ではない。
 肉体強化に力が割いているせいで、相対的に傷の治りが鈍化しているのだ。

 しかし、聖騎士はそれでも攻勢を崩さない。
 ここで停滞すれば死ぬと理解しているのか、大胆な動きを織り交ぜながら剣と盾を駆使する。
 当初の慎重さは消えて、ひたすら猛攻に徹していた。

「ハァッ!」

 気合の声と共に、聖騎士が大上段からの振り下ろしを放ってくる。
 俺は刀を添えて斬撃をずらした。
 剣は衣服だけを掠めて通過していく。

 攻撃に失敗した聖騎士は諦めず、もう一方の腕で盾の殴打を繰り出してきた。
 こちらの首を狙う軌道だった。
 一気に畳みかけて即死を狙っているようだ。
 技量で大敗している以上、彼にはそれしか手が無かった。

「いいぞ!」

 歓喜する俺は、盾に拳をぶち当てて食い止めた。
 骨の軋む痛みが走るも、許容範囲だ。
 どうせ制限時間のある肉体なのだから、少し壊れたところで問題ない。

 一方で聖騎士は衝撃で仰け反っていた。
 そこからよろめきながら半回転すると、彼は器用に踏み込む。
 さらには身をひねりながら突きを打ってきた。

 俺は刀で動かすも、互いの武器はすれ違った。
 防御を掻い潜った聖騎士は、さらに勢い付いて突きを押し込んでくる。
 剣の切っ先が俺の皮膚に刺さった直後、彼の動きが唐突に止まった。

「う、ぁ……っ?」

 驚愕する聖騎士は、視線をずらす。
 彼の胸部から、結晶の刃が飛び出していた。
 傷口から鮮血が溢れて白銀の鎧を濡らす。
 苦悶する聖騎士の背後には、聖女ネアが立っていた。

 ◆

「ようやく、捉えました……」

 息も絶え絶えにネアは呟く。
 彼女は後ろから聖騎士を刺している。

 武器は結晶の刀だ。
 鎧と同じ要領で生み出したのだろう。
 その形状は、まさしく妖刀と同じであった。

 担い手となってから、彼女は刀を肌身離さず持ち歩いてきた。
 咄嗟に思い浮かぶほどに印象深くなったらしい。

「はは、引っかかったな」

 聖騎士を嘲りながら微笑む。
 攻防の最中、俺はネアの動きに気付いていた。
 彼女は息を殺して行動し、不意打ちを狙っていたのだ。

 目論見を察した俺は、聖騎士の注意を引くことにした。
 それとなく立ち回りを調整し、彼がネアの存在に気付かないように工夫したのである。
 さらにはわざと防御に失敗することで、聖騎士の油断を誘った。
 結果、ネアの攻撃が決まったのであった。

「ガ、ハ……ッァ!」

 硬直する聖騎士が吐血した。
 彼は咳き込みながら歯を食い縛り、刺突を打つ腕を伸ばそうとする。
 剣の切っ先は、俺の胸に触れたところで停止していた。
 あと少し進めば、皮膚を破って心臓に達する。

 無論、そのようなことはさせない。
 俺は見せつけるように一歩だけ後ろに下がった。
 舌打ちした聖騎士は、さらに血を吐いて剣と盾を取り落とす。

「終わりだよ。諦めな」

 俺は聖騎士にそう告げて、ネアに目配せする。
 頷いた彼女は、結晶の刀を捻りながら下ろしていった。
 刀は肉と臓腑と骨を断ちながら、聖騎士の脇腹から抜け出ていく。

「……ッ」

 聖騎士は膝をつく。
 傷口から多量の血がこぼれていた。
 再生が上手く働いていないようだが、魔力不足などが原因ではない。
 張り付いた結晶が常に形を変えて、傷口を抉り続けているのだ。
 そのせいで再生が阻害されて、絶えず出血する羽目に陥っていた。

 もちろんネアの仕業である。
 刀で刺した際、聖騎士の体内に結晶を残したのだろう。
 それを操作することで攻撃している。
 彼女は、新たに習得した結晶の能力を見事に使いこなしていた。

「――くそォッ!」

 聖騎士は震える手で剣を取ると、振り向きざまにネアに襲いかかった。
 しかし、攻撃を予期していたネアは素早く反応する。
 振り上げられた剣を防ぐと、体内の魔力を活性化させた。

 その瞬間、聖騎士の脇腹が爆発する。
 正確には傷口の結晶が破裂したのだった。
 聖騎士の魔力を吸うことで膨張したらしい。

「ぐ、あ……っ」

 決死の攻撃に失敗した聖騎士は再び崩れ落ちた。
 今の破裂で、脇腹に大きな穴が開いている。
 力の大部分を治癒に注いでも、そう簡単には治らないだろう。
 おまけに俺との戦いで消耗しているせいで、彼にはもう打つ手が無くなった。

「さて……」

 俺は聖騎士を見下ろす。
 彼の顔に怯えが走った――走ってしまった。
 死に物狂いで人斬りに挑んできた者は、もういない。
 跪いて恐怖するのは、ただの獲物に過ぎなかった。

 興味を失った俺は、静かに妖刀を掲げる。
 聖騎士は慌てて盾で庇おうとした。
 俺は構わず妖刀を振り下ろす。
 渾身の斬撃は盾を真っ二つに切断し、その勢いで聖騎士の首を刎ねた。

 ◆

 聖騎士の首が、空中を回転しながら舞う。
 放物線を描いた末、少し離れたところに落下した。
 胴体は断面から血を噴出し、遅れて倒れる。
 痙攣しているが、動き出す気配はない。

 間を置かず、ネアは聖騎士の胴体に結晶の刀を刺し込む。
 ちょうど心臓を抉る位置だった。
 彼女は掻き混ぜるようにして刀を動かす。
 傷口から結晶が溢れてきた。

 それを確かめた彼女、今度は転がる頭部のもとへと赴く。
 同じように刀を刺して破壊した。
 一連の行動を見た俺は感心する。

 ネアは別に聖騎士への恨みでこのような真似をしたわけではない。
 彼の復活を警戒したのだ。
 禁術で不死者になった聖騎士は、優れた再生能力を保有している。
 たとえ首を刎ねたとしても、そこから蘇る恐れがあった。
 だからネアは止めを刺したのだった。

 不死者にも急所があり、だいたいが心臓と頭である。
 それに従ってネアは二箇所を破壊したのだ。
 実に的確な判断であった。

 その証拠に聖騎士はぴくりとも動かない。
 完全に死んだようだ。

 こちらへ戻ってきたネアは、じっと俺を見る。
 視線は固定されていた。
 ほとんど無表情で、何を考えているか分からない。

「どうした?」

 俺は彼女に歩み寄り、頬に付いた血を拭ってやる。
 その途端、ネアの纏う結晶の鎧が端から剥がれ落ちて消滅した。
 呆けていた彼女は、不自然に目を逸らす。

「何も、ありません」

「そうかい」

 俺は軽く流した。
 明らかに何かある反応だが、言及するほど野暮ではない。
 どうせ人間になった俺に違和感を覚えているのだろう。
 それも当然だ。
 ずっと妖刀の姿だったのだから、いきなり人間になったら驚く。

 もっとも、この状態も長続きしない。
 夜明けには解除されて、魂で構築した肉体は霧散する。
 そうすれば妖刀に逆戻りだ。
 また途方もない量の魂を集めなければならない。

 非常に残念だが、悲しんでいる暇はなかった。
 それまでにやることは決まっている。

 俺は前方を望む。
 視線の先には王都があった。
 新王派の本拠地であるあそこを陥落させる。
 逃げた兵士達も追わなければならない。

 しかし、後方ではまだ戦闘が展開されていた。
 強化兵を相手に、味方が激闘を繰り広げている。
 先に向こうを片付けるべきだろう。
 どうせなら味方を引き連れて突撃する方が愉快だ。

 そちらへ歩き出した俺はネアに手を差し出す。

「鞘だ。貸してくれ」

「……どうぞ」

 投げ渡された鞘を掴み取って腰に差す。
 やはりしっくりと来る。
 悪くない感覚だった。
 血染めの妖刀を携える俺は、聖女と共にアンデッドの兵へと赴く。

 ◆

「オラァッ!」

 跳び上がった俺は、落下に合わせて妖刀を一閃させる。
 押し寄せる強化兵の首が、まとめて斬り飛ばされた。
 首を失った身体を蹴倒しつつ、踏み進みながらさらに斬撃を繰り出す。
 連中を真っ二つに解体することで、前進するための道を築いた。
 そこで俺は屈み込み、背後の相棒に合図の声を送る。

「ネア!」

「はいッ!」

 頭上を掠めるようにしてネアが飛び出してきた。
 風魔術で加速した彼女は、結晶の刀を振り回す。
 風の刃に無数の結晶が散りばめられて、無残にも強化兵を切り刻んでいった。
 動きが鈍ったところに、ネアが追撃を叩き込んで攻め立てていく。

 彼女が押され気味になれば、俺が手を引いて位置を交代した。
 消耗した彼女を差し置いて強化兵を薙ぎ倒す。

「ありがとうございます」

「どういたしまして」

 俺達は即席で連携を組んでいた。
 互いの戦いを最も近い場所で見てきた。
 それ故にどう動くのかは直感で分かる。
 状況に合わせて臨機応変に対応できていた。

 先ほどから強化兵達が、雪崩れ込むように攻撃してくる。
 しかし、こちらは世界最悪の人斬りだ。
 有象無象のアンデッド共に負けるほど軟弱ではない。
 ひたすら斬り殺して屍に変えていく。
 聖騎士だけでは物足りなかったのでちょうどよかった。

 やがて俺達は強化兵を殲滅する。
 途中で合流した独立派の軍は歓声を上げていた。
 現在、使えそうな死体を死霊術師がアンデッド化して戦力を補充している。

 一方で奴隷を整列させていたラモンが、こちらを見て唖然としていた。
 彼は俺とネアを交互に凝視している。
 顎が外れそうな顔だった。

「ウォルドの旦那、その姿は……」

「奮発して作ってみた。今夜だけの特別仕様さ」

 特に隠すようなことでもないので答える。
 どうせ向こう数十年は使えないであろう力である。
 受肉にかかる魂が多すぎるのだ。
 再発動には相当な労力がかかってしまう。

「兄貴ィ! 本当の姿が見れて嬉しいぜ……っ!」

 ビルは感涙しながら崩れ落ちている。
 彼は一騎当千の働きをしてくれた。
 疲弊した部下の盗賊をよそに、まだ元気が有り余っている様子だ。
 とんでもない体力である。
 魔族という種族を加味しても異常だろう。
 よほど鍛え上げてきたらしい。

 俺は涙を流すビルを見て苦笑する。

「泣くほどじゃないだろう。なあ、ネア?」

「そう、ですね……はい」

 ネアは呼吸を整えながら応じる。
 彼女は汗と血と泥で汚れた軍服を払い、垂れた髪を掻き上げた。
 多少の疲れはあるようだが、まだ余裕がありそうだった。
 彼女もだいぶ戦いに慣れてきたのだろう。

 軍が落ち着いたところで、俺は指示を出す。

「このまま王都を攻め落とすぞ」

「戦力的に問題ないのか?」

「ああ、こっちには俺とネアがいる。連中の士気も落ちているから、派手に仕掛けてやればいい」

 連中は聖騎士という奥の手を失った。
 次の策を打たれる前に、さっさと攻め込むべきだ。
 今ならば混乱に乗じて一気に勝利を掴み取れる。

 俺は刀を鞘に戻しながらビルとラモンに告げる。

「お前らはどこか一カ所で防戦に徹してくれ。後は俺達が片付ける」

「ウォルドの旦那、それはさすがに厳しくないかい? いくらあんたが強いと言っても無謀すぎる」

「安心しろよ。国落としは何度も経験している。得意分野だ。それに今回は一人じゃない。人斬りが二人もいるんだ。楽勝ってもんさ」

 ラモンの反論に応えつつ、ネアに視線をやる。
 彼女は無言で頷いた。
 それこそ聖女だ。
 やる気は十分らしい。
 俺は凶悪な笑みを隠さず、彼らに語りかける。

「さあ、行こうぜ。掃討戦だ。さっさと終わらせて酒を飲もうじゃないか」

 ◆

 その日の夜、俺とネアは王城のバルコニーにいた。
 俺は酒瓶を呷ると、深々と息を吐く。

「一段落だな。思ったより早く終わっちまった」

「不満ですか?」

「まあな。あっさり降伏しやがって……」

 悪態を吐きつつ、俺は城下町を望む。
 そこには活気と熱狂の渦巻く光景があった。
 人々は宴を開いており、楽しそうに騒いでいる。

(こんな結末になるとはな……)

 少し前、独立派の軍は王都に侵入した。
 敵兵との攻防を展開する中、俺とネアは一足先に城へと向かった。
 兵士を斬り殺しながら突き進み、ついには幼い王を捕縛した。

 新王の妹である彼女は幽閉されていた。
 実権を持たず、本当にただの傀儡として生かされていたのだ。
 おそらくは聖騎士が閉じ込めただろう。

 城を占拠した俺達は、独立派の勝利を宣言した。
 魔道具を介した聖女の声明は、瞬く間に王都全土へと拡散された。
 敵兵は次々と降参し、現在は地下牢に詰め込んでいる。

 王都の人々は独立派を歓迎していた。
 聖女の活躍は、この地まで広がっていたらしい。
 王国の転換期を喜ぶ彼らは、ここぞとばかりに宴を開いたのであった。

 なんとも調子のいい連中である。
 ネアの処刑を楽しんでいた癖に、今は呑気に勘所を肯定している。
 個人的には一人ずつ殺して回りたいが、その衝動は抑え込んでいた。

 俺は空になった酒瓶を置いてネアに尋ねる。

「あんたはこの結末に満足しているんだろう?」

「はい、被害を減らせましたから。戦争の犠牲者など、少ないに越したことはありません」

「さすが聖女様だ。言うことが違うな。涙が出そうだぜ」

 俺は軽く笑いながら懐を漁る。
 取り出したのは一本の煙草だった。
 口にくわえると、ネアの指先から小さな火が飛んできた。
 それが煙草の先端を炙る。
 紫煙を味わいながら吐き出していると、ネアが意外そうに言う。

「喫煙者だったのですね」

「ああ、酒と煙草が大好きなんだ」

 俺にとっては数少ない嗜好品である。
 基本的に殺し以外はあまり興味が無いものの、酒と煙草は悪くない。
 紫煙を一瞥したネアは、少し眉を寄せる。

「身体に悪いですよ」

「どうせ夜明けには朽ち果てる。気にしなくていいだろ」

「……そう、でしたね」

 ネアは悲しげに呟く。
 なぜか湿った空気が漂っていた。
 彼女は誤魔化すように質問をする。

「どうして私の身体で吸わなかったのですか?」

「あんたが喫煙者じゃないからだ。吸わない人間の肺を悪くしようとは思わない」

 喫煙者の担い手なら別だ。
 常に吸っているような時期もあったほどである。
 一方でネアは煙草を吸わない。
 肉体を借りる身として、そういったものは控えると決めていた。

「人斬りも気遣いができるのですね」

「ははっ、言うじゃねぇか」

 俺は煙草を噛みながら笑う。
 堅苦しい聖女様も、随分と口が達者になったものだ。
 まったく、誰の悪影響を受けたのやら。

 ◆

 俺は二本目の煙草を取り出した。
 口にくわえると、先ほどと同じ要領でネアが点火する。
 しばらく煙草を無言で味わう。

 城下町の盛り上がりがここまで聞こえてくる。
 よほど楽しんでいるらしい。
 根本的に彼らは催しが好きなのだ。
 その内容が宴だろうと処刑だろうと構わないのだろう。

 徐々に短くなる煙草を眺めていると、ネアが話題を振ってきた。

「次はいつ受肉できそうですか?」

「少なくとも数十年後だろうな。よほど人間を斬り殺せば、それも縮まるとは思うが」

 それも一時的な受肉に限った話である。
 完全復活するためには、その何十倍もの年月がかかるだろう。
 ネアに披露する機会はもうない。

「……いいのですか?」

「何がだ」

「せっかくの受肉なら、もっと有意義な時間を使うべきかと思います」

 ネアは真摯な口調でそう主張する。
 彼女の言いたいことは理解できた。
 ここで無駄話をしている暇があるのかと言っているのだ。

 対する俺は、肩をすくめて笑う。

「美人と話しながら、酒と煙草を満喫しているんだ。これ以上の贅沢は望まないさ」

「……っ」

 ネアは唇を噛んで険しい表情をする。
 俺の返しが不快だったのだろうか。
 その割には嫌悪感を覚えている様子はなく、かと言って喜んでいるようにも見えない。
 よく分からない反応だった。

 謎の表情に首を傾げていると、ネアは姿勢を正す。
 彼女は俺に向かって頭を下げた。

「この度は、本当にありがとうございます。貴方のおかげで、独立派は滅びずに済みました」

「気にすんな。俺も楽しませてもらったよ」

 乗り気でなければ、ここまで手を貸さない。
 さっさと死んでもらって、次の担い手を探していただろう。
 協力したのは、ネアに興味が持てたからだ。
 それだけの逸材である。
 人斬りに選ばれたのは、彼女自身の努力によるものだった。

 俺は夜空に向けて紫煙を吐き出した。
 顔を上げたネアに笑いかける。

「それより本番はこれからだ。国の平穏を取り戻すには、まだまだ道は長いぜ?」

「そうですね。力を尽くしましょう」

 ネアは上目遣いで微笑む。
 今まで見せたことのない表情であった。
 彼女はこちらに歩み寄ってくると、俺の首に両腕を回す。
 そして顔を近付けてきた。

 唇に柔らかい感触が伝わり、すぐに離れていく。
 気が付くとネアは、澄ました顔で目の前に立っていた。

「…………」

 俺は足元を見る。
 いつの間にか、煙草を落としていた。
 その火を踏み消しつつ、俺は彼女に尋ねる。

「……どういう風の吹き回しだい」

「次なる目的に向けた前払いです。足りませんか?」

 ネアはいつもの冷淡な表情で言う。
 いや、よく見ると頬が僅かに紅潮していた。
 さすがの聖女様も、勇気のいる行動だったらしい。

 俺は酒瓶を置くと、ネアの腰を抱き寄せる。
 困惑する彼女を見下ろしながら、意気揚々と告げた。

「――ハハハ、まったく足りねぇな。世界最強の人斬りを雇うんだ。もっと寄越しな」

 ◆

 窓際に立てかけられた俺は、外の景色を眺める。
 この位置だと陽光がよく当たる。
 もし生身なら、温かさで欠伸の一つでも出ているところだろう。

(退屈だな……)

 ぼんやりと考えながら屋外に意識を向ける。
 外の開けた場所で、ビルとラモンが奴隷を整列させていた。
 そのうち彼らに木製の剣を持たせて戦わせる。
 奴隷の戦闘訓練は二人の日課であった。
 ああやって日常的に戦力の底上げを図ってるのだ。

 俺も後で顔を出してみようと思う。
 骨のある奴も混ざっていそうだ。
 暇潰しとしては、ちょうどいいだろう。

 訓練風景を見学していると、室内を走る足音が聞こえてきた。
 随分と騒がしい上、だんだんと近付いてくる。
 このようにうるさい人物を、俺は一人しか知らない。

(おっと、来たか)

 考える間に部屋の扉が開かれた。
 現れたのは一人の少女だ。
 紺色の髪に緑色の瞳で、快活な雰囲気を発している。

 彼女の名はニーナ。
 この家に住む少女だ。
 俺を見つけたニーナは、元気に挨拶をする。

「ウォルド様、こんにちは! お母さまを知りませんか?」

『ああ、確か隣の部屋にいるはずだが……』

 そんな会話をしていると、開いたままの扉からネアが顔を出した。
 白い軍服を着た彼女は、じっとこちらを見ている。
 そこにニーナが駆け寄った。

「お母さまっ!」

 抱き付くニーナをネアは優しく受け止める。
 楽しげに会話を始めた両者を、俺は窓際から観察した。
 ふとニーナの横顔に注目する。
 かつてのネアを彷彿とさせる容姿であった。

(……懐かしいな)

 ネアと契約してから十八年が経過した。
 内乱を越えた王国は安定し、新たな政治制度を築いている。
 民の代表が集まって国の方向性を決めるらしいが、俺は興味がないのであまり聞いていない。

 もちろん当初は混乱も起きた。
 従来の貴族階級という仕組みを解体しようとしたため、それに伴う内乱も勃発した。
 しかし結局は旧独立派の軍隊が制圧し、新たな制度を浸透させることに成功している。

 当時は暴れさせてもらった。
 それなりに魂が集まったので満足している。

 王国にもようやく平穏が訪れた。
 内乱の傷跡は各地に残るも、既に復興作業も開始している。
 いずれ外交も始まっていくのだろう。
 なかなか大変そうだが、それらをこなすのが生き延びた人間の仕事である。

 ネアもこの十八年で聖女として名声を高めていた。
 それに見合うだけの実力も備えている。
 様々な苦難を乗り越えてきたことで、今や大陸一の剣士と呼ばれるほどだ。

 おかげでこの妖刀――つまり俺は聖剣と呼ばれるようになってしまった。
 聖女の扱う剣だから聖剣らしい。
 厳密には剣ではなく刀なのだが、そういった違いを一般の人々は気にしない。
 妖刀が聖剣と呼ばれる時代が来るとは、世も末だろう。

 ちなみにニーナはネアの弟子であり養子だ。
 ニーナが赤ん坊の頃、孤児院から引き取った――という設定である。
 実情については、ごく一部の者しか知らない。
 本人すら知らない出自であった。
 その頃のネアは人前に出ないようにしてたので、真実は広まっていないだろう。

『…………』

 俺はニーナを一瞥する。
 成長をずっと見てきたが、今更何か思うということもない。
 ニーナはいつもニーナだ。
 それ以上の感想は出てこなかった。

「えっ! 本当にいいのですか!?」

 ニーナが驚きの声を上げた。
 ずっと聞き流していたが、何の話をしているのだろう。
 俺は意識を二人のやり取りに向ける。

「はい、貴方になら託せます」

「あ、ありがとうございますっ!」

 ネアに感謝の言葉を告げたニーナは振り向いた。
 彼女は俺の前まで来ると、いきなり頭を下げてくる。

「ウォルド様、これからよろしくお願いしますね!」

 ニーナは上機嫌だった。
 張り切った様子で妖刀を掴み上げると、腰に差そうと苦心し始める。
 不器用な彼女は何度も失敗していた。
 その最中、俺はネアに尋ねる。

『おい、どういうことだ』

「貴方をニーナに受け継いでもらうことにしました」

『そいつはまた唐突だな……』

「以前から考えていたことです。ニーナが旅をしたいと言っていましたので」

 それは俺も知っている。
 ニーナもそろそろ成人する年齢だ。
 幼い頃から国外を見て回りたいと主張しており、そのための努力をしてきた。
 ネアやエドガーが戦闘術の指南をしたことで、彼女は下手な兵士よりよほど強い。
 実力は十分だろう。

 そして今回、ニーナのことを心配して許可を渋っていたネアがようやく折れたわけだ。
 舞い上がるニーナに揺さぶられながら、俺はネアに問いかける。

『あんたは俺がいなくても平気かい?』

「無論です」

 ネアは即答する。
 その様子からして嘘ではない。

 確かにネアは、妖刀を使わずとも誰にも負けない強さを手に入れた。
 さらに鋼の如き精神力も獲得しており、昔とは比べ物にならないほどの成長している。

 そばで見てきた身としては、驚嘆するような変化だった。
 ネアは苦難を乗り越えるたびに強くなってきた。
 まさに英雄そのものである。

 ネアは背筋を伸ばした。
 彼女は凛とした眼差しで俺に確認をする。

「ニーナに同行していただけますか?」

『――任せろよ。立派な人斬りにしてやる』

 答えると同時に、俺はネアとの契約を解除した。
 合わせてニーナを新たな担い手に定める。

 それを感知したネアは、温かな目で微笑んだ。
 どこか寂しげな気配も覗くが、彼女なら大丈夫だろう。
 今生の別れというわけでもない。
 また会いに来ればいい。

「ウォルド様! これからよろしくお願いしますっ!」

『ああ、よろしく』

 挨拶を済ませたニーナは、いきなり部屋を飛び出した。
 自室でさっそく旅の支度でもするつもりなのだろう。

 途中、廊下で執事のエドガーとぶつかりそうになった。
 ところがエドガーは華麗に回避してみせる。
 それには留まらず、よろめいたニーナの手を引いて転倒を防いだ。
 もうかなりの高齢だというのに、その身のこなしは未だに衰えを知らない。

 優雅に立ち去る執事を横目に、ニーナは自室へと到着する。
 彼女は私物をひっくり返しながら、旅に必要な物を鞄に詰め込んでいく。
 腰に固定された俺は、その様を見守る。
 希望に溢れるニーナの顔は、見ていて飽きないものであった。

(我ながら丸くなったな……)

 内心で自嘲する。
 ここ十数年は甘い生活を送ってきた。
 人斬りとしては失格だが、こればかりは仕方ない。
 自ら選択した以上、悔いはなかった。

 聖女ネアによる報復は、一旦の終焉を迎えた。
 そして妖刀はニーナへと受け継がれた。
 ここから彼女は、新たな冒険を始めるのだろう。
 まだまだ未熟な目立つが、だからこそ鍛え甲斐がある。

 そこまで考えたところで俺は気付く。

(……ん?)

 ニーナの右側の瞳が、血のように赤くなっていた。
 そして一瞬だけ獰猛な笑みを見せる。
 自然な表情だが、なんとも親近感を覚える気迫があった。

『――上出来だな』

「何がですか?」

『色々だ』

 不思議そうなニーナだが、早くも妖刀の影響を受け始めている。
 ネアに引き続き面白い才能を持っているらしい。
 これは良い退屈凌ぎになるだろう。
 次の担い手も、人斬りとして楽しませてくれそうだ。

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