冒険者は塔に挑む

【あらすじ】
その塔は古代から存在している。
構造が絶えず不規則に変動し、多種多様な魔物が待ち構える。
欲を抱えた冒険者達は挑む。

ある者は一攫千金を。
ある者は究極の強さを。
ある者は永久の命を。
ある者は真理の答えを。

誰もが挑み、そして死んでいく。
名も記せずに屍となる。
それでも新しくやってくる。
塔はただ存在している。
だから冒険者は挑む。

【本編】
 あなたは新人の剣士だ。
 不安な面持ちで、たまに石につまずきながらも荒野を歩いている。
 緊張によるものか、あなたは何度目になるか分からない装備確認をする。

 中古品の革鎧。
 履き慣れた茶色いブーツ。
 少しサビの浮いた鉄の直剣。
 表面だけ磨いた円盾。

 あなたが少ない資金で調達した武器と防具である。
 このうち直剣だけは親の形見だった。
 まだ頼りないあなたも、格好が整うと多少は違った印象になるかもしれない。

 あなたの前方には石の建造物がある。
 上空まで延々と伸びたそれは冒険者の塔だ。
 数千年以上も前から存在すると言われているが、実際のところは誰も知らない。
 そもそも何階まであるのかも不明で、頂上は雲を突き抜けて見えなかった。

 冒険者の塔では、一階層ごとに魔物が待ち構えている。
 十階層区切りで転移による脱出が可能だが、それ以外の場所からは出られない。
 魔物に勝利すると報酬が手に入る。
 敗北は死を意味する。
 一攫千金を求める者や、己の限界を知りたい強者がこの地を訪れるのであった。

 今回のあなたは前者らしい。
 低階層で効率よく小銭稼ぎをするのが目的だった。
 それくらいなら、平凡な村人だった自分にもできると信じている。

 あなたは右手に直剣、左手に円盾を構えて進んだ。
 順番待ちの冒険者がいないことを確かめてから、塔の扉をゆっくりと開ける。
 そのまま勢いよく室内へと踏み込んだ。

 塔の一階は殺風景な石の部屋だった。
 外観の雰囲気や噂の割に大した広さはなく、階段すらどこにも見当たらない。
 天井から吊り下げられた蝋燭の炎が、室内の暗闇を誤魔化していた。

 部屋の中央には、緑色の肌をしたゴブリンがいる。
 人間の子供くらいの背丈の、魔女のような顔立ちが特徴的な魔物である。
 ゴブリンは片手に木製の棍棒を握っていた。

 あなたの後ろで扉が閉まり、自動的に施錠される音がした。
 ゴブリンが喉を鳴らし、棍棒を構えながら出方を窺っている。
 既に臨戦態勢なのは言うまでもない。

 あなたは戦闘の始まりに焦る一方、己の幸運に喜んだ。
 冒険者の塔は常に変動する。
 階ごとに登場する魔物も挑戦するたびに変わるのだ。
 一階層でのゴブリンは、初心者としては当たりの部類であった。

 あなたは盾を前に出して直剣を振りかぶる。
 そこにゴブリンが跳びかかった。
 力任せに叩き込まれた棍棒が盾を下方向に弾く。
 前のめりになったあなたは、慌てて直剣を振り回した。

 刃がゴブリンの腕を掠めた。
 たまたま当たっただけだったが、ゴブリンは悲鳴を上げて飛び退く。
 腕の傷は浅く、少し血が滲むだけに留まっていた。
 ゴブリンは怒りに顔を染めている。

 あなたは強く叫んで斬りかかった。
 この状況で戸惑っている余裕はないと理解したのだ。
 新人の冒険者としては及第点の動きであった。

 ゴブリンの顔面に直剣が突き立てられた。
 切っ先が眉間を抉り、さらに頭蓋まで貫こうとしている。
 倒れたゴブリンは、棍棒を捨てて刃を掴み、必死に押し戻そうとした。

 馬乗りになったあなたは体重をかけて直剣を押し込む。
 気味の悪い感触と共に、錆びた刃がゴブリンの頭を串刺しにした。
 傷口から血が溢れ出す。
 泡を吹いたゴブリンは、白目を剥いて痙攣し始めた。
 やがて力尽きて動かなくなる。

 あなたは直剣をこじってゴブリンの死体から引き抜いた。
 刃にへばり付いた血と脳の破片を見て、少しだけ嫌そうな顔をする。

 直剣の汚れを振り払ったあなたは、速まった呼吸を整える。
 胸の内に満ちるのは勝利の充足感だった。
 塔との戦いを制したのだ。
 たった一度だが大きな一歩であろう。

 死体のそばの床が反転して古めかしい宝箱が出てきた。
 さらに壁の一部が砂のように崩れて上に続く階段が現れる。
 どちらも勝者に対する報酬だった。

 あなたはすぐに宝箱を開いて中身を見る。
 ガラスの小瓶に入った青い液体と銅貨が数枚。
 小瓶の臭いを嗅いだところ、あなたは故郷の薬草を連想した。
 どうやらそれは回復薬らしい。
 あまり質の高いものではないだろうが、この場においては貴重なアイテムである。

 あなたは回復役と銅貨をポケットに入れて階段を上がった。
 すぐに二階が見えてきた。
 今度も殺風景な石の部屋だが、先ほどと違って魔物すらいない。
 中央にはぽつんと宝箱が置かれている。

 それを見たあなたは歓喜した。
 ここは当たりの部屋なのだ。
 魔物との戦闘を抜きにして、ただ報酬だけが貰える時があるのだと聞いたことがある。
 塔もただ難しいわけではないのだった。

 あなたは宝箱に駆け寄ろうとして、足元が沈む違和感に気付く。
 ごとん、と何かがずれ落ちる音がした。
 直後に壁の小さな穴から複数の矢が放たれた。

 あなたは胸は腹や首に矢を受けた。
 報酬に夢中になったあなたは、もう周りが見えていなかったのである。
 仮に警戒していれば、丸盾で致命傷だけは防げたかもしれない。

 あなたは苦痛と後悔に苛まれながら倒れた。
 大量に血を流して、四肢の末端から凍るような感覚と共に目を閉じる。
 あなたは矢に射られて死んだ。

 ◆

 あなたは好奇心旺盛な魔術師だ。
 研究目的で冒険者の塔に潜っている。
 神秘の満ちるこの場所に興味を抱く者はどの時代にも多いのだ。
 それでも、単独で自ら出向くほどの行動派は珍しいかもしれないが。

 現在、あなたは塔の十八階にいた。
 半日でこれなら上々と言えるペースだろう。
 これといった負傷もせず、危うい場面も特になかった。
 昔は資金稼ぎで傭兵業をやっていたあなたは、戦いに慣れているのだ。
 現在も古代遺跡を出入りしており、危険察知にも優れている。

 小休憩を済ませたあなたは十九階へと赴く。
 酒場のような間取りの大部屋で待っていたのは、十数体のスケルトンの群れだった。
 動く人骨の魔物であるスケルトンは、骨を鳴らして室内を徘徊する。
 その手には折れた剣や斧や槍が握られていた。

 スケルトンはアンデッドの中でも下級だが、決して弱い魔物ではない。
 むしろその特性は厄介とすら言える。
 軽微な破損では倒れず、痛みで怯ませることができない。
 呼吸を必要としないので溺れさせることもできず、四肢を破壊しても行動を続ける。
 腰骨を粉砕して行動不能にするか、聖属性の術で浄化するのがセオリーだった。

 スケルトンがあなたに気付いて集まってくる。
 決して迅速な動きではないが、かと言って鈍重ではない。
 むしろ骨だけの身体なので軽やかに行動できる。
 腕力は人間に劣る傾向があるものの、武器を振るえる程度なので決定的な弱点ではなかった。

 一般的な冒険者なら焦りそうな状況にも関わらず、あなたは実に冷静だった。
 不敵な笑みを湛えてスケルトンを眺めている。
 聖属性を使えないあなたは、代わりに得意な氷魔術を行使した。

 生み出された氷の球体が浮遊する。
 瞬く間に数十個もの球体があなたの周りを巡り始めた。
 あなたは長年の研究で魔術を調べており、効率的な運用方法を編み出していた。
 修行ではなく知識によって、少量の魔力から強力な術を扱えるのだ。

 あなたは人差し指で動かす。
 その小さな仕草で氷の球体が室内を飛び回った。
 物理法則を無視する球体が床や壁や天井を反射しながら加速し、スケルトンの腰骨を打ち抜く。
 倒れたスケルトンは追撃の球体を受けて粉々になった。
 そういった光景が部屋中に連鎖する。

 あなたは立っているだけで戦闘を終わらせた。
 室内にはスケルトンの残骸だけが残されている。
 敵の殲滅を意味する宝箱と会談が出現した。
 球体を消したあなたは、満足そうに宝箱を開く。

 中には短い杖と黒い水晶が入っていた。
 あなたは目を凝らして観察する。
 それらが何なのかまず知りたかった。

 杖は魔術の補助具だろう。
 刻まれた術式や魔力の色から考えるに、風属性を強化するものらしい。
 生憎とあなたには関係のない品だった。
 分解して改造するか、どこかの店に売り払うことになるだろう。
 それか知り合いに譲ってやってもいい。

 黒い水晶には何らかの魔術が封じ込められている。
 詳細は不明であるものの、おそらく真っ当な術ではない。
 あなたは経験則で確信した。
 迂闊に使えばきっと碌な目に遭わない。

 最も安全なのは水晶だけを宝箱に置いていくことだ。
 あなたがこの階を出て行った瞬間、すべてが再構成される。
 残された報酬も無かったことになる。
 いつか別の冒険者がどこかの階で黒い水晶と出会うかもしれないが、それはあなたの知ったことではない。
 下手をすると何万年も先のことになるのだ。
 いちいち気にするだけ無駄だろう。

 あなたは悩む。
 やがて黒い水晶を革袋に入れると、口を紐で固く縛った。
 何度か術で封印を施して仕舞っておく。
 好奇心に負けたあなたは、詳細不明の水晶を捨てるという選択肢を取れなかったのだ。
 帰宅したらすぐに解析しよう、とあなたは心に誓う。

 報酬を得て二十階に向かうとレッサーデーモンが待ち構えていた。
 苔の生えた大柄な下級悪魔である。
 優れた耐久性と腕力があり、様々な状態異常への抵抗力が高い。
 脱出できるか否かを決める相手としては、非常に面倒な魔物だった。

 しかしあなたは圧勝した。
 持ち込んでいた対悪魔用の道具で弱らせて、有利な属性の結界を張って堅実に戦いを進めたのだ。
 あなたは常に用心深い。
 純粋な魔術師としての力量は並程度だが、それを補う発想と努力ができる。
 実は傭兵時代も有名で、今も大量の勧誘書が自宅に届いている。
 それをまとめて焼くのがあなたの日課だった。

 あなたは氷塊で圧殺したレッサーデーモンの観察を終えると、宝箱に入った報酬を確かめる。
 多少の金貨と一本の短剣だった。
 青い刃には水や氷といった属性との親和性が窺える。
 ちょうどあなたの術とも合っている。
 武器の質も良いので、今後は積極的に使うことになるだろう。

 あなたはレッサーデーモンの死体の一部を回収する。
 実験の材料にする予定なのだろう。
 塔以外の場所で悪魔と遭遇するのは難しい。
 悪魔研究も行うあなたにとっては最高の収穫であった。

 部屋には階段と脱出用の魔法陣が出現している。
 あなたは迷わず魔法陣を踏み、姿を消す。
 瞬時に塔の外へ移動したあなたは、意気揚々と帰路を辿り始める。
 あなたは塔の二十階から脱出して生き残った。

 ◆

 あなたは自信家の刀使いだ。
 鍛え上げた鋼のような巨躯で、裸の上半身には無数の傷跡が刻まれている。
 痛々しいがいずれも勲章であった。
 下半身は布のズボンとサンダルだけで、防具の類は着けていない。

 武器はよく使い込まれた分厚い剣だ。
 特別な力はなく、とにかく頑丈なのが長所だった。
 使い手の負担を度外視すれば、竜の牙すら受け止めると言われている。

 あなたの目的は強敵との戦いだった。
 その身で数々の伝説を築いてきたが、称賛されるたびに物足りない気持ちを燻らせてきた。
 ある日、あなたは知り合いの魔術師から冒険者の塔の話を聞いた。
 塔ならば己の欲求を満たすことができる。
 そう考えたあなたは、異国の地からはるばる来訪し、ほとんど何も知らずに挑戦したのであった。

 些か無謀な行動だったものの、あなたは優れた実力で三十四階まで辿り着いた。
 報酬の大半は放置してきた。
 回復薬はその場で飲み干した。
 空腹は魔物の死体で満たして眠る。
 数多の伝説を打ち立てたあなたは富に飽きていた。
 貨幣などは邪魔にしかならないため、常に一文無しである。

 あなたは塔での戦いをそれなりに楽しんでいる。
 しかし、まだ不満だった。
 命の危機に瀕するような事態は起きていない。
 どこまで上がれば味わえるのか。
 期待を膨らませながら、あなたは三十五階に進む。

 石畳の広い部屋には人間が立っていた。
 金髪の美青年で、糸目と微笑が印象的だ。
 革と金属を使った軽鎧を着ており、腰の鞘には細身の剣が収められている。

 青年はどう見ても魔物ではなかった。
 しかし、あなたにとっては関係のないことだ。
 容姿なんてどうでもいい。
 大切なのは、どちらが強いかだけである。

 あなたは雄叫びを上げた。
 そして猛速で飛びかかって剣を叩き付ける。
 青年は自然な動作で剣を抜いて防御した。
 とてつもない威力の斬撃が簡単に受け流される。

 初めての感覚にあなたは興奮した。
 そしてさらなる攻撃を青年に仕掛ける。
 以降、二人は互角の戦いを展開した。
 あなたは少しずつ傷が増えるも、そのたびにいたく喜ぶ。
 ひりつくような殺し合いに感謝すらしていた。
 青年も嬉しそうに剣で応えている。

 冒険者の塔には、外れと呼ばれる部屋がある。
 序盤の階層にも関わらず、たまに攻略難度の高い魔物が紛れ込むのだ。
 その突発具合が異様で、どの階でもたまに発生する点から罠の類だと認識されている。

 今回、あなたはそれを引き当てたのだが、心底から歓喜して気付いていなかった。
 人生最高の瞬間であると確信して堪能している。
 塔を訪れた目的を達成しているので、ある意味では間違っていないのかもしれない。

 しばらく戦闘が続いて、剣戟の音が止んだ。
 あなたは壁に背を預けて立っていた。
 右腕の肘から先が消失し、断面から血が垂れ流しになっている。
 鍛えた腹も裂けて臓腑が覗き、今にもこぼれそうだった。

 あなたは乱れた呼吸を鎮める。
 全身が汗だくで、何百もの真新しい傷が増えていた。
 いずれも相手の青年に付けられたものだ。
 魔物の牙すら通らない自慢の筋肉は、その硬さを存分に発揮しながらも敵わなかった。

 青年は少し離れた場所に立っていた。
 変わらない糸目の微笑で剣を構えている。
 彼は戦闘前と同じ状態だった。
 傷一つなく、落ち着いた様子で佇んでいる。

 両者の実力差は圧倒的だった。
 当初は互角に見えたが、実際は違ったのである。
 青年はだんだんと速度を上げて、あなたはそれに対抗した。
 しかし、やがて追い付けなくなって拮抗が崩れた。

 あなたは青年の剣に注目する。
 そこに彫り込まれた紋章を目にした瞬間、あなたは驚きと喜びを露わにした。
 満身創痍の肉体で進み出ると、未だ折れない愛剣を掲げてみせる。
 片手での構えには欠片の揺るぎもない。

 あなたは絶望していなかった。
 むしろ逆だ。
 太陽のように輝かしい希望に満ち溢れて立っている。
 実際に大笑いしていた。

 死力を尽くすべき相手に会えたのだ。
 これより幸福なことはあるまい。
 敗北寸前であることを理解しても尚、遥かに強烈な喜びを覚えている。
 あなたは微塵の恐怖も感じず、塔にひたすら感謝した。

 膝を曲げて、床を蹴る。
 暴風を巻き起こすあなたは、獣のような突進で青年に斬りかかった。
 青年は微笑を僅かに深めると、親しみを込めて技を放つ。

 あなたは古代の剣聖に敗れて死んだ。

 ◆

 あなたは狡猾な盗賊だ。
 一攫千金を求めて塔にやってきた。
 あなたのそばには三人の冒険者がいる。
 酒場で誘った即席の仲間だ。
 三人とも塔に興味を持ちながらも、単独で挑む勇気がなかった者達であった。
 観察眼に優れるあなたは、それに気付いて集めた。

 個人主義のあなたが仲間を集めたのは、塔の構造が原因だった。
 ここは各階層の魔物を倒さなければ先に進めない。
 戦闘がほぼ必須なのだ。

 実は部屋の仕掛けを解くと階段を出現させられるが、魔物を無視してそれを実行するのは難しい。
 やはり戦闘で勝利するのが正攻法には違いなかった。

 あなたは戦いを得意としない。
 身のこなしには自信があるものの、腕力は人並みで武術も会得していなかった。
 魔術の才はなく、頭の出来もそこまで良くない。
 仮にゴブリンが四匹も集まれば、あなたの実力では真っ向から勝てないだろう。

 故に単独で塔を攻略するのは困難だと悟り、あなたは同行者を募った。
 実に賢明な判断と言える。
 よほどの事情がなければ、塔は複数人で挑戦するものだ。
 複数の魔物と戦う局面も想定されるため、単独で向かうのは無謀にもほどがある。

 あなたの集めた即席の四人パーティは、それなりに連携が成立していた。
 数の優位性を利用した立ち回りで戦闘を有利に進めていく。
 高い実力を持つ者はいなかったが、それを仲間同士で支え合うことで補っていた。

 あなたもそれなりに活躍した。
 盗賊の技能で罠の有無を調べたり、敵の装備を盗んで弱体化を図る。
 さらに設置された罠に細工を施して武器にした。
 そうして四人は、即席とは思えないほど上手く戦って順調に進む。

 現在、あなたは二十階にいる。
 新人から中堅の冒険者が鬼門と呼ぶ階層だ。
 難度が安定しない塔の中でも、特に多種多様な魔物が現れると話題だった。
 記録好きな魔術師によると、冒険者の死亡率も非常に高い。
 ここで勝てば脱出できるという油断も含まれている。

 そんな問題の二十階だが、あなたが対峙するのは鋼鉄のゴーレムだ。
 金属のブロックを積み上げた人型で、造形はやや不細工ながらも攻防において隙の少ない魔物である。
 倒すには体内に埋め込まれた核を破壊するしかない。
 鈍重だがそれを欠点としないほどの耐久性を誇り、怪力がもたらす打撃は直撃するだけで重傷を負いかねなかった。

 脱出の間際に現れる魔物の中では、明らかに外れの部類と言えよう。
 大きな弱点を持たないため、力押しで敵う相手ではない。

 ゴーレムが頭部から熱線を放った。
 全身鎧の戦士に胸に穴が開き、そこから肩まで焼き切られて崩れ落ちる。
 上半身が分断されかかっており、致命傷なのは明白だった。
 戦士は青い顔で口を開閉している。
 ここから助けることはできないだろう。

 ゴーレムはさらに熱線を発射した。
 あなたは素早く屈むことで躱す。
 防ごうとした魔術師は、半透明の障壁ごと胴体を切断された。
 戦士と同じように倒れたところに追加の熱線が往復し、魔術師は焼けた肉塊に早変わりした。
 異臭を漂わせるばかりで戦力的な期待はできそうにない。

 パーティはあっという間に二人となった。
 あなたは隣に立つ最後の仲間の僧侶を見やる。
 回復魔術の使い手で心優しい女性だ。
 戦闘では主に補助を担当し、前線に立って攻撃するタイプではない。

 僧侶は戦士と魔術師の死を目の当たりにして顔面蒼白だった。
 完全に怯え切っている状態だ。
 とてもゴーレムに対抗できるとは思えなかった。

 あなたは僧侶の手を引くと、部屋の端にある岩の陰に移動する。
 ちょうどゴーレムから死角となる場所だ。
 熱線が飛んでくるも、岩を貫通するほどの威力はないらしい。
 人体は簡単に焼き切っていたので、岩の成分が熱線に耐性を持っているのだろう。

 あなたはゴーレムとの戦いを諦めて、この場から生き残る方法を模索する。
 僧侶を囮にすれば、多少は時間を稼げるはずだ。
 その間に部屋の仕掛けを解いて脱出用の魔法陣を出現させる。
 かなり強引な方法だが不可能ではない。
 真正面からゴーレムと戦うより成功する可能性は高いはずだった。

 あなたは僧侶を騙すための言葉を考える。
 その時、彼女から手を握られた。
 恐怖に震える僧侶は無理に笑顔を作る。
 一緒に生き残りましょう、と彼女は囁いてきた。

 向けられた信頼にあなたは心が痛む。
 そこで考えを改めると、捨て身でゴーレムに突進した。
 僧侶のために命を尽くすことが最善だと考えたのだ。
 自分本位で生きてきたあなたが、ここで覚悟を決めたのである。

 ゴーレムが熱線を放った。
 あなたは軌道を予測して回避する。
 すぐに焼ける痛みに襲われた。
 熱線の掠めた片腕が剥がれ落ちようとしていた。
 胴体への直撃は免れたものの、しっかり命中していたのだ。

 あなたは焼き切られた片腕を拾うと、それをゴーレムに投げ付ける。
 宙を舞った片腕は熱線で解体された。
 その隙にあなたは疾走し、魔術師の死体から杖を盗んだ。
 さらにゴーレムの巨躯をよじ登ると、杖を首の隙間に捻じ込んで起動させる。

 杖に残された魔力が暴発して、ゴーレムの内部術式に干渉した。
 故障したゴーレムが四方八方に熱線を乱射する。
 あなたは杖にしがみ付いて外れないように固定した。
 己を犠牲に僧侶を生かそうと踏ん張る。

 僧侶はあなたには目もくれずに逃亡していた。
 部屋の仕掛けを発見して、大急ぎで魔法陣を出そうとしている。
 よく見ると戦士と魔術師の遺品を身に付けていた。

 僧侶の横顔は私欲と保身に塗れていた。
 あなたと目が合うと、彼女は鼻を鳴らした。
 侮蔑の眼差しを向けた挙句、あなたに罵声を飛ばしてくる。

 同類だった。
 僧侶は、実は盗賊だったのだ。
 そしてあなたを騙して生き残ろうとしていた。

 あなたの中の気持ちが冷めていく。
 捻じ込んだ杖の角度をずらすと、ゴーレムの熱線が僧侶の背中を貫通した。
 その瞬間に脱出用の魔法陣が起動する。
 うつ伏せに倒れた僧侶は手を伸ばすばかりで届かない。
 土壇場で本性を現した彼女は、詰めの甘さが原因となって死んだ。

 あなたは杖を深く刺し込む。
 ゴーレムの内部で高熱が蓄積し、危険を予期したあなたが飛び退くと同時に大爆発を起こした。

 あなたは爆風に吹き飛ばされながらも生きていた。
 隻腕となった上に重度の火傷を負ったが、命はまだ残っている。
 咄嗟の判断で勝利をもぎ取ったのだ。

 あなたは覚束ない足取りで報酬や死体の装備を奪うと、倒れ込むように魔法陣を踏む。
 疑心暗鬼の戦いを制したあなたは、塔の二十階から脱出して生き残った。

 ◆

 あなたは老いた騎士だ。
 難病を患う孫娘の治療薬を手に入れるのが目的で塔に来た。
 重い鎧を着れないあなたは革鎧の上からマントを羽織っている。
 武器は属性剣で、その名の通り属性を切り替えて戦うことができる。

 現在、あなたは四十階で吸血鬼と対決していた。
 相手は燕尾服を着た美男子だ。
 陶器のように白い肌で、瞳は真紅に染まっている。

 大まかな外見は人間に酷似しているが、実情はまるで異なる。
 種族的にはアンデッドで、悠久の時を生きる不死者だ。
 老いることなく、いつまでも全盛期を保つ。

 人間の数倍とも言われる膂力に加え、高速再生能力を持つ。
 どれだけ傷付いたとしても、たちまち治癒してしまうのである。
 さらには各種魔術も使いこなすため、非常に難敵だった。

 そんな吸血鬼にも弱点が存在する。
 日光を浴びると灰になり、聖なる攻撃による傷は再生が遅い。
 十字架を目にすると精神的な苦痛を覚える。
 強大な力を有する一方で、それに比例して致命的な弱点も多いのだ。

 属性剣を振るうあなたは、首から十字架のペンダントを吊り下げていた。
 教会で祝福を受けたそれは確かな効果を持つ。
 事実、吸血鬼は十字架を露骨に嫌っていた。
 たびたび集中を乱されており、本来の力を発揮し損ねている。

 あなたの属性剣が吸血鬼の腕を浅く切り裂いた。
 白煙が上がり、裂けた皮膚から血が滲む。
 血はなかなか止まらない。

 今の属性剣は聖属性になっていた。
 最も効果的な攻撃だ。
 これで優れた再生力も封じられたに等しい。

 吸血鬼の生態を熟知するあなたは、当然ながら弱点を狙った戦い方を意識した。
 孫娘の命が懸かっているので手段は選ぶつもりはなかった。
 相応の執念がなければ、塔の四十階まで来れるはずがないのだ。

 思うように戦えない吸血鬼は苛立ちを覚えていた。
 そのうち牙を剥き出しにして跳びかかる。
 あなたはマントで隠していた瓶を持つと、中身の聖水を撒いた。

 顔面に浴びた吸血鬼は悶絶しながら飛び退く。
 焼け爛れた顔を憎悪に歪めると、怒声を上げて再び突進した。

 あなたは大上段から属性剣を振り下ろす。
 斬撃は吸血鬼の頭部を縦断するも、不死の怪物は止まらない。
 勢いのままに手刀を繰り出してあなたの心臓を捉えた。
 指先が体内を抉って引き抜かれる。

 吸血鬼はそれに満足すると、力尽きて倒れた。
 割れた頭部が元に戻ることはない。
 徐々に枯れて灰へと変わる。

 あなたは勝利したが、心臓を潰されて瀕死だった。
 口から大量の血が溢れ出してくる。
 猛烈な痛みが全身を苛んで思考を掻き乱した。
 あなたは残る力を振り絞って吸血鬼の死体に圧し掛かると、流れ出る血を啜り始める。

 二度、三度と大きく嚥下する。
 やがてあなたは無言で立ち上がった。
 胸の傷は完治していた。
 瞳の色は真紅に染まっているも、すぐに元の緑色に戻る。

 口元の血を拭ったあなたは、用意していた小瓶に吸血鬼の血を収める。
 これを薬師に渡すと治療薬になる。
 副作用として人間という種族から変容するが、このまま衰弱して死ぬよりは良い。
 死の運命から逃れられるのだから安い代償だろう。

 何よりあなた自身が、同じ手法で病を乗り越えた過去がある。
 あなたは数十年前から半吸血鬼だった。
 種族的な特徴はあまり発現しておらず、日光や聖属性の弱点は無い。
 それでも怪力と生命力は人間を凌駕していた。

 治療薬にできるほど己の血が濃くないと判明した時は絶望したが、結果として肉体の特性が役に立った。
 ただの人間なら相討ちで死んでいたところだった。
 同種とも言える吸血鬼の血を飲むことで素早く回復できたのも大きい。
 いずれも半吸血鬼だからこそ得られた恩恵である。

 あなたは小瓶を懐に入れると、報酬を回収してから魔法陣を踏む。
 速く治療薬を完成させて孫娘に渡さねばならない。
 家族には反対されるかもしれないが、なんとか説得する他ないだろう。
 ある意味では、ここから本当の戦いとも言える。

 半吸血鬼のあなたは、塔の四十階から脱出して生き残った。

 ◆

 あなたは手枷の付いた罪人だ。
 悪徳貴族の所有物であり、半ば強制的に塔へ挑むことになった。
 十階まで生存して脱出できたら無罪放免らしいが、あまり信用していない。
 今回の挑戦は貴族の道楽であり、罪人のあなたの命に価値はないからだ。
 約束は守られるのだと期待するほど損をする。
 あなたは自らの生還を放棄していた。

 罪人はあなたの他にも招集されていた。
 総勢二十五人の集団だ。
 この大所帯で塔を十階まで攻略していくのである。

 誰もがみすぼらしい服を着て、手枷で自由を制限されていた。
 足枷がないのがせめてもの情けだろう。
 貴族の部下に押しやられるようにして、罪人集団は塔へと踏み込む。

 そこからは地獄の始まりだった。
 大して広くもない部屋で魔物との殺し合いが発生するのだ。
 必然的に密着状態となり、位置の悪い者から死んでいく。
 罪人達は、とにかく殴るけるの暴行で魔物を倒した。
 手枷が付いていても、人数に任せれば意外となんとかなってしまうのだ。
 そうしていがみ合いながらも、あなた達は上階へと進む。

 生き残った罪人は道中で得た物を武器にする。
 特に腕っ節の強い者は報酬の剣や盾を所持していた。
 手枷を外せた者も少なくない。
 人数が減ったことで動きやすくなりつつあった。
 おかげで仲間同士の争いも頻度が減っている。
 無罪放免の人数が決まっていないので、自然と協力する流れができていた。

 あなたは瓦礫を鈍器にしている。
 手枷はまだ付いたままだ。
 他の罪人に心を許さず、なるべく危険を冒さない形で進んでいた。
 おかげで未だに負傷していない。
 戦闘と言えば、瀕死の魔物に瓦礫を打ち付けるくらいだった。
 腕の疲労を除けば健康そのものである。

 幾度もの波乱を経つつも、罪人達は問題の十階に辿り着く。
 十階の魔物はホブゴブリンだった。
 ゴブリンの上位種で、大柄な体躯と筋肉を持つ。
 さらに今回は武装も施していた。
 魔術の施された強化鎧を着込んでおり、兜で顔まで覆っている。

 手にはそれぞれ赤い剣と青い剣を握っていた。
 どちらも何らかの魔術的な属性が宿り、ホブゴブリンの剛腕で振るえば十分すぎる脅威になり得る。
 罪人の中で受け止められる者は皆無だろう。
 強いて言えば、ここまでの報酬の武具を手にしている者くらいか。
 どちらにしても簡単に倒せる魔物でないのは確かだった。

 あなたはホブゴブリンの威圧感に押されて後ずさる。
 瓦礫で殴ったところで効かないのは分かり切っていた。
 だから邪魔にならない場所で待っていようと考えたのだ。

 ところがあなたは背中を突き飛ばされた。
 他の罪人にやられたのだ。
 前のめりになってよろめいたあなたは、無防備な姿をホブゴブリンに晒す。

 ホブゴブリンが左右の剣を振り回す。
 あなたは床を転がって全力で回避するも、背中を赤い剣で切り付けられた。
 焼けるような痛みが襲ってくる。
 いや、実際に焼けていた。

 赤い剣には火属性が付与されていた。
 高温で傷口が焼き固められたので出血は微量で済んだが、激しい苦痛は治まらない。
 あなたが転がって痛みに喘いでいると、その間に他の罪人達が戦闘を開始した。

 ホブゴブリンとの死闘は苛烈を極めた。
 一人ひとりの力は劣っているが、集団で仕掛けることで対抗する。
 完全武装したホブゴブリンは包囲されて何度も殴られていた。
 常に誰かに背中を見せる形となり、気が散って攻防の綻びが生まれている。
 状況を覆すほどの機転や知能までは持ち合わせていないようだ。
 罪人達は手持ちの武器を駆使した上で、仲間を盾に攻撃を重ねていく。

 あなたは背中の傷が痛むせいで立てなかった。
 途中から参戦する気力もなかったので、倒れて死体のふりをする。
 生き残ることに執着しているわけではないが、率先して死ぬほど愚かでもなかった。
 だから目を閉じて事態の収束を待つ。

 ほどなくして戦いは決した。
 部屋の中央には、ホブゴブリンの死体が赤い剣が首に刺さって炎を上げている。
 炎はやがて死体全体を燃やし尽くすだろう。

 ホブゴブリンの周りには五人の罪人が立っている。
 この戦闘を生き延びた猛者だ。
 他の罪人はあなたを除いて死んでいた。

 死体のそばに宝箱があった。
 階段と脱出用の魔法陣も出現している。
 五人はすぐには行動せず、しばらく話し合う。
 あなたは話を盗み聞きする。

 彼らは今後について心配していた。
 このまま塔の外に脱出しても、貴族に殺されるだけだと予想している。
 いっそ上の階層を目指すのはどうか、と一人が提案する。
 武装を揃えて帰還すれば、貴族にも勝てるのではないかという考えだった。

 反対する者はいなかった。
 退路のない塔は、進むか脱出するかの二択しかない。
 貴族に無抵抗に殺されるより、塔で装備を整える方が生き残れるだろう。
 話のまとまった五人は、武装を整えてから階段で先へと進んでいった。

 残されたあなたは、手枷が付いたまま起き上がる。
 やはり背中が痛むがそれどころではない。
 ここからは傍観者ではいられなかった。
 己の判断で行動しなければならない。

 あなたは低く唸りながら室内を漁る。
 武器は立ち去った五人が持っていったが、運よく小さなナイフだけが見つかった。
 それで手枷が切れるか試してみる。
 半日以上はかかりそうなのであなたは断念した。

 あなたは室内を見回して今後の行動を考える。
 今から五人を追ったところで、大した意味はないだろう。
 精々、戦闘で囮に使われるだけだ。
 次こそ本当に死んでしまう。

 あなたにできることは限られていた。
 暫しの思案の末、あなたは魔法陣を踏む。
 気が付くと塔の外にいた。
 無事に脱出できたのだ。

 前方では貴族とその部下が拍手をしていた。
 あなたは唯一の生還者となった。
 小馬鹿にされながら称賛されて、塔での出来事について訊かれる。
 あなたは黙秘を貫いた。
 語ることなどない。
 貴族の好奇心を満たすことさえ不快だったのだ。

 それよりあなたは気になることがあった。
 質問責めの貴族の背後に注目する。
 手枷を付けた罪人の集団が控えていた。

 視線に気付いた貴族が面白そうに説明する。
 彼はあなたを新たな罪人と共に再び塔へ送り込むつもりらしい。
 無罪放免の件はどうなったのか尋ねると、貴族はわざとらしくとぼけた。
 やはり約束を守るつもりなどなかったのだ。

 事情を把握したあなたは微笑む。
 そして、持ち帰ったナイフで貴族の腹を刺す。
 怒りを込めて滅多刺しにすると、仕上げに喉を切り払った。
 噴き上がった血があなたの顔と服を濡らす。

 笑うあなたは、貴族の部下に引き剥がされた。
 怒鳴られて殴られるも、大して痛まない。
 ホブゴブリンに斬られた背中の方が十倍は痛かった。
 焼き固まった傷がじりじりと存在を主張する。

 倒れた貴族は虫の息だった。
 腹の傷に加えて、喉の裂傷を塞ぐ術がない。
 もう助からないだろう。

 誰もが呆然とする中、待機する罪人が歓喜して暴れ出した。
 今が好機だと思ったらしい。
 戸惑う貴族の部下に掴みかかって暴力を振るい始める。
 辺りは騒然として収拾がつかなくなっていた。

 あなたはどさくさに紛れて逃亡する。
 痛む背中を庇いつつ、早足で近くの森へ飛び込んだ。
 これからどうするのか。
 それよりもまずは背中を治療して、水をたらふく飲みたい。
 ささやかな願いを抱きつつ、森の奥地へと消える。

 あなたは塔の十階から脱出し、かけがえのない自由を手に入れた。

 ◆

 あなたは無気力な放浪者だ。
 明け方頃、ふらふらと身体を揺らして塔の中へと入る。
 目的は自殺であった。

 将来に希望を見い出せず、早く人生を終わらせてしまいたい。
 そしてどうせなら、なるべく壮絶な死に方を味わいたい。
 いくつかの希望を考慮した結果、魔物に殺されて苦しむのが一番だったので、あなたは冒険者の塔に赴いたのだった。

 果たしてどんな魔物が待ち受けているのか。
 ささやかな期待を抱くあなただったが、すぐに怪訝な表情になる。

 板張りの小さな部屋に魔物の姿はなかった。
 宝箱と階段は既に出現しており、それ以外に目を引く点はない。
 おかしい、とあなたは首を傾げる。
 冒険者の塔とはもっと危険な代物ではないか。
 新人が問答無用で殺されるような環境という評判だったのに。

 何も起こらない部屋に立つあなたは、やがて納得する。
 これは罠だ。
 塔に入ったばかりの冒険者を騙すための洗礼である。

 きっと宝箱は魔物が化けているのだ。
 そういう種族がいると聞いたことがあった。
 擬態が得意な魔物は、油断を誘って襲いかかってくる。
 欲深い冒険者には特に効果的だろう。

 死にたがりなあなたは、意気揚々と宝箱の前へと出向く。
 正体を露わにした魔物に齧り殺される光景を想像して、頭を差し出しながら蓋を開いた。

 しかし、その瞬間が訪れることはなかった。
 宝箱には少しばかりの穀物と小銭が入っている。
 擬態した魔物ではなく、ごく普通の宝箱だった。

 あなたは当たりの部屋を引き当てた。
 戦いを経ずに報酬だけを貰って二階へ上がることができる。
 それを理解したあなたは落胆した。

 良い死に方ができると思った矢先に、思わぬ失敗をしてしまった。
 まさか魔物が出てこないとは予想外である。
 一般的な冒険者なら喜ぶが、あなたにとっては不運な出来事だった。

 とは言え、チャンスはまだある。
 この塔は危険に満ち溢れており、毎日のように冒険者が犠牲となっていた。
 途中で脱出しない限り、いつかは死ぬことができる。
 一階で魔物が出てこなかったとしても、二階以降は違うはずだ。
 むしろさらに凄惨な死を迎えられるかもしれない。

 前向きに考え直したあなたは、軽い足取りで二階へと向かう。
 二階は酒場のような造りの部屋だった。
 木製のテーブルと樽状の椅子が点々と設置されている。
 椅子には誰も座っておらず、棚には手付かずの酒が放置されていた。

 魔物はどこにもいない。
 カウンター部分にぽつんと宝箱が鎮座し、部屋の奥には階段が続いている。

 あなたは顔を険しくさせた。
 塔の中に無人の酒場なんてあるとは思わなかったのだ。
 幻などではなく、しっかりと存在している。

 今度こそ罠ではないか。
 宝箱に近付いたり、椅子に座った途端に発動するのだ。
 あなたは自分が死ぬ妄想をしながら宝箱を開く。

 燻製された肉と魚が入っていた。
 毒入りを期待して一口食べる。
 味が濃いが美味い。
 棚の酒と合いそうだ。

 あなたは晩酌を始めた。
 死ぬ前に良い食事を経験しておくのは悪くないと思ったのだ。
 罠の可能性を疑ったが、やなり何も起きなかった。

 ほろ酔いになったあなたは、燻製肉を咀嚼しながら歩く。
 そのまま酒瓶を片手に三階へと移動する。
 酔ったまま魔物に殺される展開を望んだものの、階段の先には無人の部屋が続いていた。

 あなたは宝箱を開いて、中から上等なローブを取り出して着る。
 肌寒さが消えて、心地よい暖かさに包まれた。
 ローブは魔術的な機能を搭載していたようだ。

 快適な装いとなったあなたは階段を上がる。
 四階も五階も六階も……いつまで経ってもあなたが魔物と遭遇することはなかった。
 それどころか居心地の良い部屋ばかりが待ち構えている。

 あなたは困惑した。
 なぜこのような待遇を受けるのか。
 ここは過酷な塔ではないのか。

 あなたは不本意に心身を癒されながらも、やはり死のために先に進む。
 自殺の意志は薄れない。
 むしろ強固な目的意識となって肉体を衝き動かした。
 あなたは焦ることをやめて、各階のもてなしを堪能してゆっくりと塔を上がる。

 必ずどこかで死んでやる。
 仄暗い想いが胸の内を巡っていた。
 現在は七十階。
 心を折ろうとする塔に対し、階段を上がることで抵抗を示す。

 あなたの結末は誰も知らない。

 ◆

 あなたは気まぐれな拳術家だ。
 塔を訪れた目的はこれと言って無い。
 たまたま暇だったので、時間を潰しに来ただけだった。
 挑戦する冒険者の中でも特に動機が軽かった。

 しかし、あなたの実力は高い。
 独学と他所の武術を融合させた技能は、唯一無二の破壊力を有する。
 武器を持たないスタイルながらも、魔物を相手に不利を強いられることはなかった。

 あなたは欠伸をしながら一階に踏み込む。
 待っていたのはゴブリンだった。
 定番とも言える魔物である。

 棍棒で殴りかかってきたゴブリンに対し、あなたは正拳突きを放った。
 その一撃が棍棒を割り砕き、そのままゴブリンの顔面を潰す。
 千切れ飛んだ首が天井にへばりついてしまった。
 あなたは報酬の宝箱から小銭だけを掴み取って階段を上がる。

 二階はホブゴブリンだった。
 いきなり上位種なので、冒険者の間では外れの部類である。
 あなたは特に気にした風もなく正拳突きを繰り出す。
 反応できなかったホブゴブリンの胸が陥没し、口から内臓が噴き出した。
 あなたは宝箱から林檎を取り、それを齧って三階へと向かう。

 次に待っていたのはトロールだった。
 悪臭を漂わせながら脂肪を揺らず巨漢である。
 だらしない肥満体型だが、その力は人間の数倍は下らない。
 痛みに鈍い特性もあるため、接近されて袋叩きにされる冒険者が後を絶たなかった。

 あなたは鼻歌交じりに歩み寄ると、掴もうとしてきたトロールの腕を弾く。
 そして、無防備な脇腹にハイキックを見舞った。
 乾いた破裂音が鳴り響き、トロールがぴたりと硬直した。
 トロールは声を上げず、白目を剥いてうつ伏せに倒れる。
 それきり立ち上がることはなかった。

 あなたのハイキックがトロールの心臓を速やかに停止させたのだ。
 衝撃を正確に届かせなければ不可能な芸当である。
 それをあなたは片手間に成功させた。

 三階でトロールが登場するなど、冒険者からすれば悪夢に近い状況だ。
 本来なら連続でゴブリンが出てきてもおかしくないような階層で、直前にはホブゴブリンも登場している。
 もし他の冒険者が同じ目に遭っていれば、己の不運を恨んでいることだろう。
 初心者パーティなら全滅しても不思議ではない。

 ところが、あなたは飄々としていた。
 気にしていることと言えば、トロールの唾液が付いた靴くらいだろうか。
 近くに落ちていた布で嫌そうに拭いている。

 あなたは一流の体術を会得していた。
 多大なる才能をそれなりの努力で昇華させたのだ。
 そしてまだ成長段階であり、戦うたびに強くなっている。
 無理のないペースだからこそ、挫折を味わうことなく順当に進化していた。

 あなたは一撃必殺を信条としている。
 最も効率的で見栄えが良いからだ。
 強さに執着しないあなただが、それについてはこだわりがあった。
 だからここまでも一撃で魔物を倒している。

 その後もあなたは難なく塔を攻略していった。
 どんな魔物も一撃で沈める。
 こだわりを貫くだけの実力を備えているのだ。
 圧倒的な破壊力の前では、並の魔物など相手にならなかった。

 あなたは三十階に辿り着く。
 待ち受けていたのは、人間の戦士だった。
 金属鎧と片手剣で武装しており、既に臨戦態勢に入っている。
 兜の隙間から覗く目は殺意でぎらついていた。

 その戦士は、塔に魂を囚われていた。
 かつて塔に挑み、道半ばで魔物に敗北した者の末路である。
 すべての冒険者が囚われるわけではないが、一部はこうして塔の魔物として現れるのだ。

 戦士は雄叫びを上げてあなたに斬りかかる。
 あなたは両腕で的確に防御した。
 或いは手の甲で弾くか受け流す。

 魔力で皮膚をコーティングすることで高い防刃性を獲得しているのだ。
 さらには防御の瞬間のみの発動に留めることで、消費魔力を限界まで抑えている。
 常人には再現不可能な離れ業を、あなたは息を吐くようにやってのけた。

 しばらく防戦を続けたあなたは、不意に反撃を繰り出す。
 突き出された手が戦士の首をへし折った。
 戦士は何が起きたかも分からずに倒れて絶命する。

 あなたは塔に囚われた者に興味があった。
 何か特殊な力があるのではないかと期待して、あえて防戦を演じていたのだ。
 しかし、特に人間と変わらないと悟って瞬殺した。

 あなたは死体を漁る。
 やはり目に付くような変化はない。
 本当にただの死体だった。

 刹那、あなたはここで自殺したらどうなるのか考える。
 もし塔に魂を囚われたら、新たな番人として冒険者と戦うことになるのか。
 それも楽しそうだと思ったが、結局あなたは実行しなかった。

 あなたは腹が減ったので魔法陣を踏み、塔の三十階から脱出した。

 ◆

 あなたは満身創痍の錬金術師だ。
 塔の正体を暴くのが目的で、何年も前から地道に上を目指している。
 ただし極限状態の連続で心身を摩耗し、己の名前すら忘れかけていた。
 現在の階層すら把握しておらず、生き抜くことに執心している。

 あなたは脱出のタイミングを失っていた。
 魔法陣で塔を出ると、また一階からやり直しになる。
 ここまで来た努力が無くなるのだ。
 それが惜しくて脱出という選択肢を取れず、あなたは黙々と攻略を続けていた。

 塔の最上階に何があるのか知りたい。
 知識欲に富んだあなたが抱いた根源的な疑問である。
 冒険者の塔はそもそも何階まであるのか不明で、誰も辿り着いたことがないとされていた。
 記録上の最高階層は二百階だそうだが、真偽のところは怪しい。
 吟遊詩人が吹聴しているだけの御伽噺だというのが一般的な見解だった。
 あなた自身もそう考えている。

 元は学者だったあなたは、大勢の護衛を連れて塔に挑んだ。
 頼もしい護衛達はとっくの昔に死んでいる。
 悪辣な塔に負けて一人ずつ息絶えたのであった。

 あなたは彼らとの会話を憶えていない。
 精神を病んだあなたは、他者と意思疎通を図れる状態ではなかった。
 我に返ったのは数日前のことだ。
 そして数日後にはまた発狂し、人間らしい思考ができなくなる。
 あなたは理性と狂気の狭間を彷徨っていた。

 一人で生き残るため、あなたは肉体に錬金術を施している。
 それは禁忌に該当する行為だが、背に腹は代えられなかったのだ。
 魔物の死骸を使って己を強化したあなたは、心身だけでなく外見も異形と化している。
 それが記憶の欠落の一因となっていた。

 あなたは階段で休息を取る。
 血染めの肉体でゆっくりと呼吸を繰り返した。
 魔物との戦いで負った傷が塞がり始める。
 自然治癒の高速化はほぼ必須の能力だった。
 戦いに不慣れなあなたは、負傷を覚悟で魔物と対峙しなければならない。
 攻撃を避ける技術ではなく、負傷しても耐えられるように変貌したのは当然の結果であった。

 十分な休息を得たあなたは次の階層へと上がる。
 宮殿のような内装の部屋には、夥しい量の妖精がいた。
 妖精は邪悪な笑みを浮かべて飛び回る。
 少なく見積もっても数万匹はいるようだった。
 そんな妖精の大群が、牙を剥いてあなたに襲いかかる。

 悲鳴を上げたあなたは頭を抱えて丸くなった。
 妖精が容赦なく噛み付いてくる。
 牙が皮膚に食い込も、それ以上は進まない。
 ほんの僅かに血が滲むだけだ。
 ゴムのような質感の皮膚は、鋼鉄をも齧り取る妖精の牙をものともしなかった。

 密集する妖精に恐怖を覚えたあなたは叫ぶ。
 至近距離での咆哮が、噛み付く妖精を木端微塵にした。
 さらにあなたは両腕を振り回す。
 直撃した妖精が一瞬で肉片に変わった。
 風圧だけで身体が捩れて死ぬ個体もいる。

 あなたはまたもや叫ぶ。
 今度は口から炎が噴射された。
 高熱が妖精達を炙って次々と抹殺していく。
 炎には禍々しい魔力が込められていた。
 それが気化して室内に充満し、逃げていた妖精も平等に仕留める。

 あなたの心が落ち着いた時、妖精は全滅していた。
 床を埋め尽くすように死骸が散乱している。
 いずれも苦痛を訴える顔で絶命していた。

 あなたは床に倒れ込むと、一心不乱に妖精の死骸を食べ始めた。
 両手で次々と鷲掴みにして口に放り込む。
 ごりごりと丈夫な歯で噛み潰すと、味わうことなく嚥下した。

 塔で暮らすあなたにとって、魔物の死骸は貴重な栄養分だ。
 幾度となく飢餓を経験したあなたは、どんな時でも魔物を喰らうようになった。
 当初は味の悪さで吐いたり病気になることもあったが、現在はそういった問題も起きない。

 錬金術で慢性的に肉体を変異させてきたあなたは、魔物を喰らうだけでその特性を得られるようになった。
 今回の妖精からは、魔術的な耐性と暗所での視力を手に入れた。
 どちらも以前から持っている特性だったので、さらに強化された形となった。
 妖精の死骸から血を啜るあなたは、死が遠ざかったことで安堵する。

 あなたは既に人間を超越していた。
 しかし、自覚はしていない。
 未だ自分が無力な錬金術師だと思い込んでいる。
 いや、思い込むことで精神の安寧を保とうとしているのかもしれない。
 あなたの理性は、自分が人間であることを最後の砦としていた。

 妖精を殲滅したあなたのそばには、脱出用の魔法陣がある。
 あなたは落ち窪んだ目でじっと凝視する。
 爬虫類を彷彿とさせる瞳が収縮を繰り返していた。

 あなたは迷った末に魔法陣をスルーし、近くの階段を選んだ。
 そして階段の途中で眠りにつく。
 夢の中のあなたは、自宅で研究に没頭していた。

 またもや脱出を選べなかった。
 もう少しで塔の頂上かもしれない。
 その考えが魔法陣を踏ませないのだ。

 二百八十階をクリアしたあなたは、その事実も知らず安らかに眠る。

 ◆

 あなたは好奇心旺盛な魔術師だ。
 新しく開発した道具の性能を試すために塔を訪れた。

 氷魔術で魔物を蹴散らすあなたは、気楽な心構えで進む。
 塔には何度も挑戦しており、特に緊張しないのだ。
 一方で用心深さはあるので油断はしない。
 仕掛けられた罠を事前に察知し、負傷することなく上の階層を目指す。

 あなたはハイペースな攻略で五十五階まで難なく到達した。
 他の冒険者が知れば仰天するような偉業だろう。
 しかし、あなたにとっては大した記録ではなかった。
 魔術の検証を兼ねて塔に潜ることが多く、五十階くらいは何度も到達しているのだ。

 あなたはその功績を周りに吹聴することはない。
 他者の評価など興味がないのだ。
 陰では怠惰な魔術師と揶揄されているが、それも気にしていない。
 自分のやりたいことができれば、あとはどうでもよかった。

 あなたの自己評価は低い。
 実際、その判断は間違っていなかった。
 魔術師としての才能は人並み程度で、あなたより高い潜在能力を持つ者は多い。
 単独で塔に挑める高い実力は工夫を凝らした結果に過ぎず、知恵と発想を抜きにすると非常に脆い。
 あなたに英雄の素質はないのだ。

 しかし、それであなたが腐ることはない。
 才能だけがすべてではないと知っているからだ。
 あなたは手持ちのカードを活かすことで、実力以上の成果をたぐり寄せられる。
 机上の空論ではなく、行動に起こして証明してきた。

 そんなあなたの手には黒い水晶が握られている。
 半年前の塔の探索で獲得した報酬の一つだ。
 入念な解析で封じられた魔術を暴き、そこからあなたの手で改造した代物である。
 水晶は扱いやすい道具に仕立て上げられていた。
 今回の塔への挑戦は、その性能を試すのが目的だった。

 あなたは階段を上がって次の階層に踏み込む。
 待っていたのは燃える大蛇だ。
 炎が室内の温度を以上に高めており、その場にいるだけで苦痛を覚えそうな環境である。

 大蛇はあなたの姿を認めると、口を開けて接近してきた。
 そのまま丸呑みにしようと襲いかかってくる。

 あなたは涼しい笑みで氷魔術を行使した。
 自身を覆うように分厚い氷の壁を形成し、喰らい付こうとする大蛇を遮る。
 赤熱する牙が氷の壁に刺さって溶かすものの、あなたに届くまでにはかなりの猶予があるだろう。

 大蛇は苛立たしげに突進を繰り返す。
 氷の壁はびくともしない。
 魔物の攻撃に合わせて耐久性を調整してあるのだ。
 理論上、複数の大蛇がぶつかっても割れない設計となっている。

 あなたは微笑を湛えて黒い水晶を掲げた。
 禍々しい魔力が解き放たれて、氷の壁を抜けて大蛇に降りかかる。
 大蛇は身を強張らせて暴れ始めた。
 その動きがだんだんと遅くなっていく。
 大蛇は次第に小さくなり、やがて手のひらほどのサイズになってしまった。

 もはや大蛇と呼べない有様だ。
 氷の壁を解除したあなたは、おもむろに蛇を踏み付ける。
 蛇はあっけなく潰れて死んだ。
 その身に纏わり付いていた魔力が黒い水晶へと戻る。
 あなたは満足そうに頷く。

 黒い水晶には、時間操作の魔術が込められていた。
 対象の積み重ねた時間を奪ったり、蓄積させた時間を押し付けることができる。
 今回は大蛇が生きてきた年月を吸い出すことで、幼体にまで逆行させたのだ。
 強大な力を持つ魔物も、生まれたての状態では本領を発揮できない。

 あなたは嬉々として宝箱を開ける。
 中には数種類の魔術道具が収められていた。
 報酬としては当たりの部類だろう。
 これらを改造すれば、また新たに道具を作ることができる。
 あなたは大喜びして報酬を手に入れると、休憩せずに次の階層へと向かう。

 その後、あなたはボスクラスの魔物を六体ほど倒すと、七十階の魔法陣を踏んだ。
 あなたは人知れず多大なる戦果を挙げて、さらなる研究のために自宅の工房へと舞い戻った。

 ◆

 あなたは冷酷な騎士だ。
 かつて塔の中で命を落とし、以降は魂を囚われて番人を担っている。

 普段、あなたの意識は闇に沈んでいる。
 然るべき時にのみ呼び出されて塔に顕現するのだ。
 誰が呼ばれているかは定かではない。
 疑問に思うことはあれど、あなたは深く考えようとしなかった。
 塔の謎に興味はなく、騎士として仕える存在がいるだけで十分なのだから。

 あなたの意識が浮上し始める。
 気が付くと石造りの狭い部屋にいた。
 ほどなくして、階段から冒険者が上がってくる。

 新人だろうか。
 まだ十代半ばであろう少女で、真新しい鎧と剣を握っている。
 少女はぎょっとした顔であなたを見つめていた。

 塔の中で立ちはだかる人間は、大抵が元冒険者である。
 場合によっては魔物よりも手強い相手であるのは共通認識だった。
 少女がそのような反応になるのも仕方ないと言える。

 あなたは無言で剣を引き抜く。
 きっと勝負にすらならない。
 それを理解しながらも、手加減をするつもりはなかった。
 塔に魂を囚われた者は、本能的に全力を出すようになっているのだ。

 あなたは一太刀で仕留めるために構える。
 そして、予想外の光景に愕然とした。

 少女は素早い動きで部屋を駆け抜けると、壁に隠された紐を引いて階段を出現させたのだ。
 そのまま信じ難い速度で次の階層へと消える。

 あなたは呆気に取られた。
 まさかここまで迅速に逃げられるとは思わなかったのである。
 部屋の仕掛けを瞬時に理解して階段を見つけられたのは、きっと天性の技能だろう。
 あなたは知る由もなかったが、少女はここまでもなるべく戦闘を避けて攻略してきた。
 臆病な少女は、唯一無二の生存術を身に付けていたのだ。

 まんまと逃げられたあなたは剣を鞘に戻す。
 役目を終えたことで意識が再び闇に沈み始めた。
 消化不良ではあるが、少女を追うことはできない。
 階層を跨ぐ移動は許されていないのだ。
 次の出番までは眠るしかなかった。

 それからどれほどの時間が経ったのだろうか。
 あなたは木製の広々とした部屋に降臨した。
 入り口に立つのは件の少女だった。
 以前よりも大人びて装備も変わっており、そこから数年の経過が窺える。

 あなたは剣を抜く前に疾走し、少女との間合いを一気に詰める。
 前回は行動を起こす前に逃げられてしまった。
 その反省から速攻を選んだのだ。

 あなたは抜刀術で先手を打つ。
 淀みない一撃が少女に迫るも、寸前で躱されて空を切った。
 逃げに徹する少女は、優れた動体視力で斬撃の軌道を読んだのである。
 数年の歳月は、少女の技能をさらに飛躍させていた。

 少女はあなたのそばを走り抜けると、即座に部屋の仕掛けを解いて逃げ去る。
 あなたは追撃を試みるも、少女を間合いに捉えることができなかった。
 階段を上がる足音を聞いて、あなたは剣を静かに下ろす。

 また失敗した。
 塔での戦いにおいて、決着がつかないのは珍しい。
 その階の魔物に狙われながら、階段の仕掛けを解くのが至難の業だからだ。
 たとえ戦力的に不利でも、大抵の冒険者は戦って勝つことを選ぶ。
 今回のようにどちらも死なずに戦いが終了するのは稀だった。

 あなたは不満を感じるが、どうすることもできない。
 役目を終えて闇に戻っていく。
 もし少女と対峙する機会があれば、次こそは確実に始末する。
 絶対に逃がすようなことはあってはならない。
 そう胸に誓って眠りについた。

 また数年が経過してあなたは目覚める。
 案の定と言うべきか、相手は件の少女だった。
 いや、もう少女と呼ぶ年齢ではない。
 外見的に二十代の半ば頃だろうか。
 全体の雰囲気や装備に初々しさはなく、歴戦の逞しさを漂わせている。
 少女は立派な女冒険者になっていた。

 ようやく真剣勝負ができる。
 そう考えたあなただが、すぐに間違いだったことに気付く。
 あなたを見るなり、女冒険者は俊敏に動いて部屋の仕掛けを解いた。
 重苦しい作動音と共に階段が現れる。
 数年前よりさらに卓越した動きとなっていた。

 あなたは慌てて階段前に向かうも、風のような身のこなしの女冒険者に追い越されてしまう。
 上等になった装備は、動きやすさを重視した形状と素材だった。
 元より女冒険者は逃亡を視野に入れていた。
 新人だった頃から変わらず……否、得意分野を認識したことでより洗練されたと評していいだろう。
 あなたは三度目の敗北を味わう羽目になった。

 それ以降、あなたは不定期に女冒険者と対決する。
 どういった縁なのか、彼女が塔に挑戦するたびに呼び出されていた。
 あなたは全力で戦闘に持ち込もうとするも、女冒険者が応じることはない。
 彼女は華麗な身のこなしで戦いを避け続けた。

 あなたはどうにかして女冒険者を阻もうと画策するも、成功することはなかった。
 女冒険者の俊敏性はどんどん磨かれていく。
 回避技術も向上していた。
 塔に囚われて成長の可能性を失ったあなたでは、どうしても勝てないのである。

 だからあなたは闇の中で考える。
 待機中も思考を巡らせる習慣が付いていた。
 次はどういった方法で女冒険者を追い詰めようか。
 顕現する部屋にもよるが、きっと効果的な策があるはずだ。
 あなたはひたすら悩み、打開に繋がる案を求めた。

 思考の最中に呼び出されては、女冒険者の逃亡を許す。
 閃いた策を試す時があれば、部屋の構造的に失敗する時もある。
 どちらにしても女冒険者を止めることはできなかったが、あなたは心地よい悔しさを覚えていた。
 塔に囚われてから初めて感じる目的意識だった。

 ただの駒に成り下がったはずのあなたは、個として思考する。
 果たしてそれに意味があるかは分からない。
 それでも懸命に考え続ける。
 今度は決して逃がさない。
 成長する女冒険者の姿に喜びを感じながら、あなたは闇の中で策を練り続けた。

 ◆

 あなたは残忍な殺人鬼だ。
 他の冒険者を殺すために塔内を徘徊している。
 それ以外に目的はない。
 己の殺戮衝動に従うことだけが、あなたの生き甲斐であった。

 あなたには特技がある。
 それは塔のルールを無視できる転移魔術だ。
 一度でも到達した階層なら、瞬時に移動することができる。
 逆に低階層まで戻ることも可能だ。

 本来、冒険者の塔は一方通行である。
 魔物を倒して進み続けるか、途中の魔法陣で脱出するしかない。
 どういった因果なのか、あなたはその法則から逸脱していた。
 あなた自身、どうしてそれが可能なのかよく分かっておらず、解明しようとも思わなかった。

 あなたにとって殺人こそがすべてなのだ。
 細々とした道理に興味はなく、ただ楽しめればそれでいい。
 己の名前や出自すら忘れた今、あなたは塔の魔物と同類――ともすれば魔物以上に厄介な存在と化していた。

 階層の間の階段で眠るあなたは、人間の気配を感じ取って目覚める。
 ちょうど数人の冒険者が上がってくるところだった。
 彼らはあなたを見ると、すぐさま武器を構えて戦闘態勢に移る。

 あなたの悪評は冒険者に知れ渡っていた。
 神出鬼没で残虐。
 人間を狩ることに慣れており、戦術を崩す動きを多用する。
 他の階層に逃げても転移魔術で追跡してくるため、戦って撃退するしかないとされていた。

 今回の冒険者もそれらの事項を憶えていたらしい。
 前衛を務める戦士が大盾で階段を塞ぎ、隙間から槍であなたを狙った。
 階段の狭さを利用して攻め立てていく。
 後衛の魔術師は、結界を張って補助を行っていた。

 徐々に押し込まれる展開に、あなたは焦ることなく対処する。
 転移魔術で冒険者達の背後に回り込むと、後衛の魔術師の背中にナイフを突き立てた。
 さらに首に手を回して人質にしつつ、慌てる別の冒険者の胸を刺す。
 首を刺された冒険者は、自分の血に溺れて息絶えた。

 残された大盾持ちの戦士は激昂する。
 しかし、仲間の魔術師が人質になっているので迂闊に動けない。
 あなたは嬉しそうに笑って、魔術師の首をナイフで掻き切る。
 そして戦士に向かって飛びかかった。

 階段を舞台にあなたと戦士は一騎打ちを演じる。
 実力は拮抗していた。
 重装備の戦士は、大盾と槍で攻防のバランスが取れている。
 対するあなたは軽装で、手持ちの武器はナイフのみだ。
 突きや切り付けは簡単に防がれてしまい、決め手に欠けるのは明らかだった。

 不利を強いられながらも、あなたは微笑を止めない。
 これくらいの状況は日常茶飯事だった。
 転移魔術の他に突出した才能を持たないあなたは、単独行動なのも相まって窮地に立たされることが多い。
 瀕死になって逃亡することも珍しくなかった。

 追い込まれるほど、あなたの攻撃は鋭さを増していく。
 乱暴な蹴りが大盾の守りをずらし、そこにナイフが突き込まれた。
 繰り出された槍の刺突を脇に挟んで止める。
 大盾に殴られてもお構いなしだった。
 鼻血を垂らしながらも、あなたの猛攻は止まらない。
 的確に相手の急所を狙っていく。

 戦士は焦り始めた。
 有利なはずなのに雲行きが怪しくなってきた。
 攻撃を当ててもあなたは怯まず、仕返しとばかりに過激な反撃を仕掛けてくる。
 その気迫に負けつつあるのだ。

 後ずさる戦士が滑って尻餅をついた。
 決定的な隙を前に、あなたが悠長に待つはずもない。
 大盾越しに圧し掛かると、振りかざしたナイフで戦死を滅多刺しにした。
 鎧の隙間を狙って刃先を潜り込ませて、何度も致命傷を与える。

 戦士は激しく吐血し、やがて動かなくなった。
 握られた槍はあなたの脇腹を貫いている。
 どさくさで突き出した一撃が上手く刺さったのだろう。

 あなたは槍を引き抜くと、手持ちの回復薬を傷口に塗り込んだ。
 そして布を当てて紐で縛り付けて止血を行う。
 応急処置にしても粗末すぎるが、あなたは満足そうに死体を漁り始める。
 塔での劣悪な生活に慣れたあなたは、少々の傷では死なない身体になっていた。

 死体から武器と道具を奪ったあなたは、転移魔術で別の階層へと消える。
 これからも死ぬまで冒険者を襲い続けるのだろう。
 殺人鬼の悪評が途絶えるのはまだ先になりそうだった。

 ◆

 あなたは合理的な洗脳術師だ。
 強力な魔物を手に入れるのが目的で塔にやってきた。
 あなたの周囲には、数十人の奴隷がいた。
 彼らはあなたの洗脳魔術に支配されている。
 非常に従順で、決して命令に逆らうことがない。

 あなたは他力本願な戦法で塔を攻略していく。
 洗脳魔術を除くと、あなたにこれと言った力はない。
 奴隷に命令して陣形を組み、相手を無力化するのが基本戦術である。
 そうして魔物に洗脳魔術を施すのだ。

 二十階を突破した時、あなたの奴隷の顔ぶれは変わっていた。
 戦死した者の代わりに魔物が参入したのだ。
 まだ低階層なのでゴブリンやスケルトンといった弱い魔物が大半だった。
 最も強い個体はミノタウロスだろうか。
 それなりの犠牲が出たものの、無事に奴隷にできたのであなたは満足している。

 次の階層にいたのは炎の精霊だった。
 見た目は人型の炎で、高熱が室内をじりじりと炙っている。
 戦いが長引くと焼け死にそうな環境であった。

 あなたはすぐさま奴隷をけしかける。
 奴隷達は炎に焼かれながらも肉迫し、精霊に攻撃を始めた。
 ところが振るわれた剣や槍は素通りする。
 非実体の精霊に物理攻撃は通用しないのだった。
 反撃とばかりに精霊が炎を放ち、接近した奴隷が燃やされていく。

 そのような事態でも、あなたは落ち着いていた。
 自分の命令で死ぬ奴隷を見ても顔色一つ変えなかった。
 安全な場所に立つあなたは指を鳴らす。

 次の瞬間、精霊の近くにいた奴隷が爆発した。
 既に焼け死んでいた者も同様に爆発する。
 体内の魔力を圧縮して一気に解放したのだ。
 至近距離での魔力の炸裂は、精霊への痛打となって動きを封じ込める。

 あなたは素早く接近して精霊に手をかざした。
 起き上がろうとした精霊は硬直し、自我を改竄された末にあなたに跪く。
 洗脳が完了したのだ。
 この術は実力差を無視して効果を発揮する。
 本来なら格上となる精霊でも、あなたの術には逆らえなかった。

 新たな奴隷を得たあなたは、意気揚々と次の階層に向かう。
 広々とした部屋には亜竜がいた。
 分類上は竜と異なるが、容姿が酷似していることからそう呼ばれる魔物だ。

 見た目は青色の巨大な蜥蜴である。
 飛行能力はないものの炎を吐くことができる。
 さらに強固な鱗で全身が覆われていた。
 本物の竜ほどではないにしろ、室内で戦うには厄介な相手だった。

 それにも関わらず、あなたは不敵な笑みを浮かべる。
 躊躇なく奴隷を前進させて、人間爆弾として攻撃を開始した。
 跳びかかった奴隷が次々と破裂して亜竜の顔面を破壊する。
 頑丈な鱗も自爆攻撃を耐えられるほどではなかった。

 怒り狂う亜竜が火を噴くも、あなたは奴隷を盾に耐え凌ぐ。
 火だるまになって苦しむ奴隷をよそに、炎の精霊に指示を出した。
 炎の精霊が揺れ動いて腕を振るう。

 すると亜竜の放つ炎が打ち上がって壁や天井を焼いた。
 軌道が変わったことで、あなた達への被害がゼロになる。
 他力本願なあなたであるが、奴隷の能力を見極めることには長けていた。
 故に手持ちのカードで最適解を選べるのだ。

 あなたは奴隷を連れて亜竜に近付く。
 亜竜が爪を叩き付けてくるが、前に出した奴隷に受け止めさせた。
 ゴブリンが千切れ飛び、スケルトンが一瞬で粉々になった。
 人間の奴隷も臓腑を撒き散らして倒れる。
 炎が封じられたところで、亜竜の恐ろしさは健在なのだ。
 他の種族と比べて遥かに強大であることに違いはなかった。

 奴隷の犠牲で距離を稼いだあなたは、亜竜を洗脳魔術の射程に捉える。
 即座にその力を行使して支配下に置いた。
 途端に大人しくなった亜竜は収縮し、あなたとさほど変わらないサイズとなる。
 洗脳魔術のオプション機能で、大きすぎる種族は大きさを変更できるのだ。
 人間基準の構造である塔ではほぼ必須と言えよう。

 亜竜を奴隷にしたあなたは次の階層に移動する。
 階段の先に広がるのは、闇に覆われた部屋だった。
 隣にいる者が分からなくなるほど何も見えない。
 あなたは炎の精霊に命じて火を放たせるも、闇に呑まれてしまった。
 闇には魔術的な効果が込められているらしい。
 炎の精霊がどうにもできないとなると、すぐに解決するのは困難だろう。

 これは不味い、とあなたは思った。
 もし室内に魔物がいるのなら危険な状況だ。
 とにかく守りを固めなければならない。

 そう考えたあなたは、背後に冷たい殺気を感じる。
 振り向く寸前、首筋に鋭い痛みが走った。
 直後に脱力感に襲われて片膝をつく。

 血を吸われている。
 それを理解したあなたは、そばの奴隷を自爆させるために指を鳴らそうとした。
 しかし、なぜか失敗する。
 何度か試すも、一向に音が出なかった。

 焦るあなただったが、闇に目が慣れてうっすらと周囲の輪郭が見えるようになってきた。
 そこで一つの事実に気付く。
 あなたの両手が消失していた。
 手首を境に切り落とされて血が噴出している。
 指を鳴らせないのも当然だろう。

 刹那、あなたはパニックに陥った。
 声で命令しようとして、空気の抜けるような音を発する。
 血を吸われながら喉を潰されたのだ。

 ついにあなたは倒れる。
 視界の端に立つのは端正な顔立ちの美女だった。
 口元が赤く汚れており、それすら美しく感じられてしまう。

 女は吸血鬼だった。
 己のテリトリーである闇を展開して、あなたを待ち構えていたのである。
 加えて吸血鬼は隠密魔術を発動しており、そのせいで周囲の奴隷は反応しない。
 その存在を認識しているのは、被害を受けたあなただけだった。

 瀕死のあなたは洗脳魔術を発動しようとする。
 しかし、その前に頭部への強烈な衝撃を受けて視界が暗転した。
 吸血鬼に踏み砕かれたのだ。
 それを理解する前に意識が途絶えた。
 上がりかけた手が床に落ちて、二度と動かなくなる。

 己の能力に絶対的な自信を持つあなたは、慢心によってあっけなく死んだ。

 ◆

 あなたは貧乏な銃士だ。
 生活費を稼ぐため塔に挑んでいる。
 ありふれた動機とは裏腹に、あなたの武器は珍しかった。

 銃を扱う者は少ない。
 細かな手入れが必要である点に加えて、使用する弾が高価だからだ。
 おまけに魔物が相手では威力不足となりやすく、余計に弾を消費してしまう。
 戦うほど赤字が膨らむという事態になりかねないのである。
 銃が不人気の武器となるのも仕方のないことだろう。

 それでもあなたが銃を使うのは、格好良さが理由だった。
 幼い頃に見た銃士の戦いぶりに目を奪われたのである。
 強い憧れを抱いたあなたは、成人後に銃を使う冒険者となった。
 色々と不遇なことはあるものの、なんとか生計を立てて暮らしている。

 現在、あなたの前には二体のホブゴブリンがいた。
 それぞれ剣と斧を持っている。
 非力なあなたは、真っ向からの対決では勝ち目がない。
 有利な間合いをどう保つかが鍵だった。

 あなたの手には二種類の銃が握られている。
 右手は六連装の拳銃で、左手は二連式の散弾銃だ。
 冒険者として様々な経験を積んだ結果、このスタイルに落ち着いたのである。

 あなたはホブゴブリンが動く前に拳銃を三連射した。
 一発目が剣持ちの膝に命中し、体勢を崩させる。
 二発目は同じ個体の腹に炸裂した。
 そして三発目は、斧持ちの手首を抉る。
 弾みで斧が取り落とされた。

 先手を打ったあなたは、残る拳銃の弾を撃ち尽くす。
 三発の弾が剣持ちの頬と鼻と額に穴を開けた。
 そのホブゴブリンは、声を上げることなく倒れて死んだ。
 己が何をされたのか理解する間もなかったろう。

 片割れが殺されたことで、もう一方のホブゴブリンは慌てる。
 無傷の片手で斧を拾い上げると、叫びながらあなたに襲いかかってきた。
 ホブゴブリンの膂力は、成人男性のそれを僅かに上回る。
 斧の斬撃が当たれば致命傷は免れられない。

 あなたは冷静に斧を躱すと、散弾銃をホブゴブリンに突き付けた。
 そして引き金を引く。
 至近距離からの散弾がホブゴブリンの顔面を耕した。
 ホブゴブリンは鮮血を迸らせて即死する。
 痙攣する身体が血溜まりを広げていく。

 部屋の仕掛けが作動し、宝箱と階段が出現した。
 息を吐いて緊張を解いたあなたは、銃の再装填を行う。
 滑らかな動作は、目隠しをした状態でも問題なく実行できるように訓練していた。
 二種の銃に弾を込め終えたあなたは、軽い足取りで宝箱を開ける。

 中には数枚の金貨と魔力の回復薬が入っていた。
 あなたは手を叩いて大喜びする。
 低階層にしては破格の報酬だ。
 これでしばらくは生活に困らず、弾の購入費に悩むこともない。
 まだ先の階層へ進むつもりなので、稼ぎはさらに増えるだろう。

 報酬を慎重に仕舞ったあなたは、銃を回転させながら階段へと向かう。
 その後、あなたは四十階まで戦い抜くと、弾不足となって塔を脱出した。

 ◆

 あなたは不死身の賢者だ。
 目的を持たず、なんとなく塔に挑戦している。
 力を持たないあなたの唯一の才能は、死なないことだ。
 強靭な再生能力により、魂の破損すらも修復可能であった。
 老化も食い止められているため、あなたの姿は若いままだった。
 実年齢は忘れてしまったので分からない。

 ゴブリンの振るう棍棒があなたの頭蓋を粉砕した。
 衝撃で血と脳漿が床にこぼれ落ちる。
 あなたは怯まずに両手を伸ばすと、顔面を殴られながらもゴブリンの首を絞めて殺害した。

 血みどろの顔面はすぐさま再生する。
 割れた頭蓋も綺麗に治っていた。
 棍棒を拾ったあなたは、ふらつきながら次の階層へ移動する。

 次の相手はスケルトンだった。
 突き出された剣が心臓を貫いて、あなたは血反吐を噴き出す。
 しかし、それで苦悶することはない。
 あなたはゴブリンから奪った棍棒をフルスイングで見舞う。
 何度も刺されながら殴打で反撃し、最終的にはスケルトンを粉々にして勝利する。

 新品の服は血で真っ赤に染まっていた。
 折れた棍棒を捨てたあなたは、腹に刺さった剣を引き抜いて武器にする。
 空の宝箱に落胆しつつ、あなたは次の階層へと向かう。

 リザードマンによる槍の乱れ突きが、あなたの全身を穿った。
 衝撃で後ずさるあなただったが、倒れずに踏ん張る。
 槍に貫かれた穴がたちまち塞がっていく。

 完治したあなたは剣で斬りかかる。
 お世辞にも褒めることのできないフォームだった。
 リザードマンは槍で楽々とガードし、反撃の突進を繰り出してくる。

 あなたは軽々と吹き飛ばされた。
 肋骨が折れて内臓に刺さって吐血する。
 されど痛みを顔に出すことはない。

 平然と立ち上がったあなたは、槍の一突きを腹で受け止めた。
 そのまま強引に前進し、リザードマンの首を腕で固めて締め上げる。
 体重をかけて押し倒しつつ、さらに両脚で姿勢を維持した。

 抵抗できないリザードマンは、やがて泡を噴いて絶命する。
 あなたは腹に刺さった槍を武器にして階段を上がる。

 その後もあなたは泥沼の殺し合いを続けた。
 不死身であることを最大限に活用した戦い方をする。
 相討ちでさえ勝利になるため、負傷を前提とした攻撃を多用した。

 これと言った武器術を身に付けていないあなたは絞め技が得意だった。
 攻撃されても関係なく、首を圧迫することだけに集中すればいいのが性に合っていた。
 振りほどかれないようにするのが難儀だが、あなたは上手く絞め続けるコツを知っていた。
 戦いで使用する頻度が高く、自然と練度が上がったのだろう。
 あならは対峙する魔物を次々と窒息死に至らしめていく。

 絞め技が効かない魔物も、特に問題にならない。
 大半が弱点を持っているからだ。
 不死身のあなたは、無理やり攻撃して勝利をもぎ取れる。

 あなたは賢者を自称するも、その戦法に知性の欠片も見られなかった。
 他の冒険者もあなたを賢者とは呼んでいない。
 陰で狂戦士と言われているが、あなたは黙認している。

 三十階であなたは吸血鬼に遭遇した。
 闇に覆われた部屋で、突如として背後から血を吸われたのだ。

 もっとも、不死身のあなたが動じることはない。
 たとえ全身の血液をすべて抜かれようと再生できるのだ。
 慌てる必要が無かった。

 あなたは手探りで吸血鬼に掴みかかり、即座に首を絞める。
 吸血鬼の怪力で腕を千切られそうになるも、再生速度を上げることで対抗した。
 傷付いた端から完治するため、腕の破壊が不可能になる。

 吸血鬼は高い不死性を誇る種族だが、あなたほどではなかった。
 無事に吸血鬼を絞め殺したあなたは、闇の取り払われた部屋から移動する。

 階段を上がる途中、あなたは胸に鋭い痛みを覚えた。
 見ればナイフの刃先が飛び出している。
 背後にはいつの間にか人間の気配があった。

 塔の魔物が階段で攻撃してくることはない。
 先ほどまで背後に誰もいなかったことを加味すると、奇襲を仕掛けてきた存在は一人に絞られてくる。
 あなたは血を吐きながら後ろを見る。

 そこには悪名高き殺人鬼がいた。
 転移魔術の使い手で、塔の構造を無視して階層を移動し、攻略中の冒険者を殺そうとする厄介者である。
 とてつもなく強いわけではないが、対人戦闘に慣れている。
 特に転移魔術を使った奇襲が悪質だった。
 逃げ足が異常に速く、歴戦の冒険者でも撃退するのが精一杯だという。
 そんな人間があなたの目の前にいる。

 あなたは首を傾げると、問答無用で手を伸ばした。
 相手が殺人鬼だろうと関係ない。
 人間である以上、首を絞めれば殺せるのだから。

 殺人鬼は飛び退きながらナイフを一閃させた。
 あなたの両手首が裂けて血が噴き出すも、すぐさま皮膚が繋がって完治する。
 奇襲で受けた胸の刺し傷も同様に治っていた。

 殺人鬼は舌打ちする。
 あなたの再生能力を嫌悪しているらしい。
 連続でナイフが振るわれて、そのたびにあなたの胸や腹や首が切り裂かれる。
 しかし、切断に至る前に再生した。
 その間もあなたは首を絞めにかかる。

 殺人鬼は顔を歪めつつ、攻撃の手を止めない。
 首へと伸びてくる手をナイフで防ぎながら反撃を繰り返した。
 あなたの動体視力ではナイフの軌道が一切読めない。
 気が付くと切られている状態だった。

 両者の戦闘技能には圧倒的な格差がある。
 ところが、追い詰められているのは殺人鬼だった。
 能力の相性が悪すぎて決め手に欠けているのだ。

 やがて殺人鬼は悔しげにあなたを滅多刺しにすると、転移魔術で姿を消した。
 このまま戦い続けても意味がないと悟って撤退したのである。

 残されたあなたは、血みどろの身体で伸びをする。
 そして特に感想もなく階段を上がり始めた。
 不死身のあなたにとって、殺人鬼は大した脅威ではない。
 少し邪魔をされたくらいで腹を立てることもなかった。

 あなたは自分の血で滑りつつも次の階層に到着する。
 そこで待ち構えていたのは、数百体の赤いゴブリンだった。
 ひしめき合うゴブリン達は、個別に見ると大した強さではない。
 しかし、数が揃うと途端に危険な存在になる。

 下手な立ち回りだと袋叩きになるのは必至だった。
 半端な魔術では一掃も難しい。
 シンプルながらも攻略が面倒な階層であった。

 あなたは大量のゴブリンを前にしても動揺しない。
 手のストレッチをしてから、最も近くにいたゴブリンの首を絞める。
 当然ながら他のゴブリンから滅多打ちに遭うも、あなたは決して手を離さない。
 この局面でも基本戦法を変えずに乗り切るつもりなのだ。

 一体目を絞め殺したあなたは、さらに最寄りのゴブリンを引き倒して首を絞める。
 周りから何百回と殴られ刺されながらも、あなたは着実に一体ずつ始末する。
 最終的に半日をかけてすべてのゴブリンを絞め殺したあなたは、血で重くなった服を絞ってから次の階層に向かった。

 ◆

 あなたは塔の管理者だ。
 今日も冒険者の奮闘ぶりを眺めて楽しんでいる。
 それが唯一無二の目的だった。
 他に使命があったかもしれないが、忘却の彼方に過ぎ去っている。

 あなたは常に塔の全貌を監視している。
 どこに誰がいるかを完璧に把握していた。
 各階層に出現する魔物は基本的にランダムだが、たまに手動で設定する。
 特に意味はない。
 強いて言うならば、その方が楽しいからだった。

 低階層で新人の冒険者が死んだ。
 よくある出来事である。
 あなたの興味を引く光景ではなかった。

 時を操る魔術師が中階層を攻略している。
 彼は塔で手に入れたアイテムを改造して活用する。
 毎度ながら予想外の動きを見せるため、あなたのお気に入りの一人であった。
 惜しむらくは攻略ペースが遅いことだろうか。
 魔術師は飄々とした態度の割に用心深く、危険な賭けには決して乗らない。
 塔に敗北するその瞬間をあなたは心待ちにしている。

 隻腕の盗賊が罠だらけの部屋を突き進んでいた。
 身のこなしは軽く、悪運の強さにも助けられて宝箱に辿り着いた。
 手に入れたのは魔法金属の義手だった。
 片腕を失ったその盗賊にはちょうどいい報酬だろう。
 魔法陣で速やかに脱出したその姿を見て、あなたは微笑んだ。

 半吸血鬼の老騎士が魔物を斬り伏せて進んでいる。
 見事な太刀筋にあなたは盛り上がる。
 亜竜の首を断った老騎士は、宝箱から宝石を掴み取って脱出する。
 あなたが具体的な事情を知ることはないが、きっと大金が必要なのだろう。
 不定期に現れる老騎士は、常に誰かのために戦っているように見えた。

 あなたは高階層を彷徨う浮浪者に注目する。
 その浮浪者は死を望んでいた。
 しかし、意地悪なあなたはそれを与えようとしない。
 むしろ嬉々として居心地の良い部屋ばかりを提供している。
 それでも浮浪者の心は折れない。
 常に壮絶な死を祈りながら進んでいく。
 あなたはその執念に敬意を表しつつ、やはり誘惑に満ちた環境を提供し続けた。

 異様な速度で魔物を蹂躙する拳術家がいる。
 恵まれた才覚を存分に発揮して、超人的な力で塔を攻略していた。
 あなたは面白がって凶悪な魔物をぶつけてみる。
 拳術家は軽々と対処して先へと進んだ。
 そして気まぐれに脱出して塔を去る。
 あなたは連敗続きだったが、楽しいので問題なかった。
 手強い冒険者ほど倒し甲斐があるというものだ。

 異形の怪物が塔を進んでいる。
 元は錬金術師だったらしいが、今はその面影もない。
 怪物は魔物の死骸を取り込んで各階層を攻略する。
 遅々としたペースであるものの、常人なら即死するような環境を危なげなく突破していた。
 あなたは特に介入せず傍観に徹する。
 人間から逸脱した者がどこまで通用するか、少なからず興味が湧いていた。

 殺人鬼は今日も元気に冒険者を殺し回っている。
 一方通行である塔の構造を無視して、転移魔術で自由に移動していた。
 この横暴にはあなたも困り果てていた。
 とは言え、妨害するつもりはない。
 これも一種の才能なのだ。
 ルールを破る力があるのであれば勝手にやればいい。
 管理者として規制するのは無粋だろう。
 それにあなたは、殺人鬼を少し気に入っていた。
 塔内の刺激となっており、もっと頑張ってほしいとさえ思っている。

 低階層をうろつく銃士について、あなたは良い印象を持たない。
 高い実力を備えながらも、弱い魔物ばかり狩っているからだ。
 たまにあなたが強力な魔物をけしかけても、銃士は安定した戦い方で倒してしまう。
 本当はもっと上の階層に行ってほしいが、あなたは命令できる立場にない。
 冒険者の塔では自由意志が尊重されるのだ。
 小銭稼ぎを繰り返す銃士をどうやって高階層へ連れ込むかが、最近のあなたの課題であった。

 不死身の狂戦士は、惨たらしい戦いを見せてくれる。
 回避を放棄した立ち回りで魔物に接近し、力任せに首を絞めるのだ。
 塔内を見渡しても彼ほど無茶な戦闘をする者はいない。
 しかし、あなたは知っている。
 狂戦士の最も異常な点は、どんな傷を受けても動じない精神力だった。
 苦痛を顔に出さず絞殺を狙う姿は、たとえ自称でも賢者を名乗れるものではなかった。

 他にも様々な冒険者が塔に挑んでいる。
 いずれもあなたの心を満たす存在だ。
 悠久の時の中で、冒険者は数多くの逸話を残していく。
 そのたびにあなたは喜び、深く感謝した。

 次はどんな冒険者が現れるのか。
 あなたは静かに期待を抱く。
 塔は世界である。
 そこにすべてが集約されていた。
 管理者のあなたは、塔の循環を見守り続ける。
 きっと永遠に。

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