「生贄地区にて」第3話

ネモは白衣のポケットからペンチを取り出した。
 自然な動きで私の手に刺さる釘の頭をつまみ、優しく告げてくる。

「一瞬だけ我慢してくれよな」

 発言と同時にペンチで釘を引き抜く。
 強烈な痛みに私は声も出せずに震えた。
 傷口からどっと血が流れ出してくるも、ちゃんと赤色なのに安心する。

 ネモは透明な液体の入った瓶の蓋を開けると、中身を私の手に垂らした。
 ねっとりとして生温かい。
 あまり好きではない感触だ。
 ところが傷口からの出血が止まり、痛みは薄れ始めた。
 試しに動かしてみても支障はない。

 私はネモの持つ瓶を見て尋ねる。

「これは何ですか」

「怪異のゲロだ。殺菌とか鎮痛作用があって、抗生物質の代わりにもなる。一応、包帯も巻いておこうか」

「えっ」

 私は絶句する。
 その間にネモがガーゼと包帯で手早く処置をしてくれた。

「大丈夫なんですか、それ」

「問題ないさ。即効性の高い優秀な治療薬なんだ。物資が貴重な生贄地区ではメジャーだし、外でも一部の成分が軟膏とかに使われているよ」

 ネモは流暢に説明してくれた。
 私はその内容に納得する。

(大手製薬会社が生贄地区の研究をしてるって噂があったけど本当なんだ)

 包帯を巻かれた手はまったく痛まない。
 液体の正体を考えると嫌な気持ちになるが安全なのだと思う、たぶん。
 店内に入ったネモが私を手招きする。

「来なよ。うちの商品を紹介しよう。腰を抜かさないように注意してくれ」

「お、お手柔らかにお願いします……」

 私は慎重に雑貨屋へと踏み込んだ。

 雑貨屋はあまり整理整頓がされていなかった。
 ドラッグストアの棚に商品が乱雑に置かれている。
 たぶん種類ごとにも分けられておらず、これでは何か探すのも一苦労ではないか。

 商品にはそれぞれ小さな値札シールが貼ってあった。
 かなり安っぽい感じだが、ゼロがやたらと多い。
 私が眉を寄せて唸っていると、ネモが得意げに話を持ちかけてきた。

「ちなみに手持ちはいくらだい? よかったらオススメ商品をセット価格で提供しよう」

「すみません、今はこれしかなくて……」

 私は財布を開いて見せる。
 千円札が何枚かと、小銭が詰まっているだけだった。
 あとは領収書やレシートが何枚か入っている。
 なんとも寂しい懐事情だ。
 ここに貯金を加えたとしても、大した額にはならない。
 月末の支払いで消えてしまうくらいである。

 私の財布を覗き込んだネモは、特に気落ちした風もなく笑った。

「うーん、まあ仕方ないわな。気にしなくていい。初日なんてそんなものさ。明日以降で金ができたら寄ってくれ。八重ちゃんみたいな可愛い女の子は大歓迎だ」

「あ、でも私は明日で地区の外に帰りますよ。こちらのお店に寄れないと思います」

「そりゃもったいない。生贄地区は記者より儲かるぜ? ちょっとリスクはあるが、慣れればそれほど気にならない。君みたいな図太そうなタイプにはぴったりだと思うがね」

 ネモはあっけらかんと言う。
 さすがに聞き捨てならず、私は自分の顔を指差して訊く。

「図太く見えます……?」

「うんうん、見える。職業病なところがあるんだろう。半端な好奇心は身を滅ぼすから気を付けなよ、いや本当に」

「わ、分かりました」

 忠告を受けた私は頭を下げる。
 ネモが親切心で言ってくれたのは伝わってきた。
 さらっとした口ぶりなのが余計に胸に刺さる。

(私、生きて帰れるのかな)

 ふと疑問な浮かぶ。
 たった一日の取材だが、だんだんと自信が無くなってきた。
 このまま安全地帯にいればリスクを負わずに帰還できる。
 百万円をボーナスとして受け取り、無茶な仕事を回してきた編集長に抗議すればいい。

 しかし、それではスクープが取れない。
 ここまでの分だけでも十分な気もするが、生贄地区の中身を暴けたわけではない。
 むしろほんの一端が見えただけだ。
 本当に地区のことを伝えたいのならば、もっと危険に迫らなければならなかった。
 私はその決断に悩んでいる。

 ここで進むのは自殺行為に等しい。
 ネモが指摘した職業病や半端な好奇心だろう。
 かと言って、臆病な選択を取るのは記者としてどうなのか。
 真実を報せる信念があるならば、命を賭して立ち向かうべきではないか。

 商品を見ながら葛藤していると、ネモが割って入ってきた。

「どうだ、結構な品揃えだろう。近所でも人気なんだぜ」

「すごいですね。見たこともない物ばかりです」

「そりゃそうさ。地区内で独自開発されたアイテムばかりだからな。この店で買い物をするためだけに外からやってくる人間もいるくらいなんだ。まあ、商品によっては地区外への持ち出しが禁止されているがね」

「なぜですか?」

「もちろん危険だからだ。怪異の影響力は馬鹿にならない。下手すりゃ核より甚大な被害をもたらすんだ」

 ネモは意地の悪そうな顔で言う。
 自慢げなのはなぜなのか。
 ひょっとすると怪異が好きなのかもしれない。

 それにしても、ネモの例えを信じるならば、生贄地区は核兵器だらけと同じ状況というわけだ。
 先ほどの葛藤が逃げたい気持ちに傾いていくのを感じる。
 私の不安を見透かしたかのように、ネモは冷めた様子で述べる。

「人間なんて死ぬ時はあっさり死ぬもんだ。面倒なことをあれこれ考えるより、今この瞬間を楽しめばいいのさ。心配事なんて無くならないからな」

「ネモさんはポジティブですね」

「ポジティブっていうより、頭のネジがぶっ飛んでるんだ。まともな神経をしているなら、生贄地区で店なんて始めないだろう」

「それは確かに……」

 結局、私の中で答えは出なかった。
 潔く決断できるほど考えがまとまっておらず、保留という形にした。
 もやもやした気持ちを抱えつつもネモに商品を紹介してもらう。
 雑貨屋の名に違わず、本当に様々な物を取り扱っている。
 特に怪異を材料にした商品が大半を占めていた。
 討伐された怪異の死骸を買い取り、ネモが独自に手作りしているらしい。

 ネモの素性が気になったが、あまり詮索するのも無粋だ。
 機嫌を損ねれば消される恐れだってある。
 ここは法の及ばない生贄地区なのだ。
 人間が人間を殺しても問題にならない以上、野暮なことはすべきではないと思う。

 ネモのセールスを聞いていると、出入り口が開いた。
 ふらついた足取りで入ってきたのは、頭部がイソギンチャクになった男だった。
 無数の触手が不気味に動いている。
 頭頂部からはなぜか綿毛が絶えず噴き出していた。
 首から下はびっしょりと濡れており、歩くたびに水が滴り落ちている。

 私は言葉を失って男を凝視する。
 治療してもらった手の甲がジクジクと痛みを訴える。
 また、あの感覚だ。
 見ているだけで理性が削がれそうになる。

 吐き気を堪えてうつむいた瞬間、鎖原に突き飛ばされた。
 私はお菓子コーナーの前を転がっていく。
 目が回って口元を押さえていると、鎖原の忠告が聞こえた。

「伏せろ。心壊者だ」

 銃声が鳴って商品棚に次々と穴が開く。
 弾が突き抜けていったのだろう。
 位置的にイソギンチャクの男が撃ったのだと思う。
 あのまま棒立ちだったら殺されていた。

 私はそばで屈む鎖原に礼を言う。

「あ、ありがとうございます」

「護衛も依頼のうちだったからな。引き受けた仕事は全うする主義だ」

「ついでに俺も助けてくれたら嬉しかったんだけどなぁ……」

 商品棚の陰からぼやきながら出てきたネモは、白衣に複数の穴が開いていた。
 明らかに銃で撃たれた痕跡である。
 私はぎょっとして駆け寄った。

「だ、大丈夫ですかっ!?」

「全然へっちゃら。自衛手段は常備してるからね」

 ネモは白衣を開いてみせる。
 彼はインナーに半透明の衣服を着込んでいた。
 そこに弾がめり込んで止まっている。
 生地はあまり厚くないのに破れてもいない。
 ネモは潰れてマッシュルーム状になった弾を剥がして捨てた。
 半透明の衣服はまったくの無傷だった。

 私は衣服に顔を近づけて観察する。
 濁った繊維は生物のように動いていた。
 小さな粒のような目玉が生地内を流動している。

「これも怪異の死骸ですか」

「うん。表皮を使った防弾セーターだね。衝撃吸収に優れているから、対物ライフルが当たっても無傷で済む代物さ。売り物にしたら億は余裕だろうな」

 ネモはその特殊なセーターを伸ばして見せてくれた。
 確かにこれが高額なのは頷ける。
 銃には詳しくないが、現代科学では再現できないスペックなのだろう。
 一着で億単位になるのは誇張ではないと思う。

 嬉しそうなネモを写真で撮っていると、呆れた鎖原に肩を叩かれた。
 彼は入口付近を指差す。

「自慢は後にしろ。まずはあいつを片付けるぞ」

「あれくらい朝飯前なんだから、ちゃっちゃと倒してくれよ。いつも通り金は払うからさ」

「……分かった」

 投げやりなネモの要望に、鎖原は渋々と頷いた。
 彼は上着の裏から小型のショットガンを抜き出すと、それを持ってイソギンチャク男のもとへ駆け出す。
 私は写真撮影を止めて彼の動きを覗き見る。

 イソギンチャク男は拳銃を持って乱射していた。
 鎖原は射線に入らないように接近し、至近距離から散弾を撃ち込んだ。
 身体を折って吹っ飛んだ男は力尽きる。
 しかし、頭部のイソギンチャクだけが触手を伸ばして暴れ始めた。
 槍のように突き刺してくる触手に対し、鎖原はショットガンで対応する。
 弾切れになればナイフと拳銃に持ち替えて戦った。

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