日本の豊かさは西洋観念によってもたらされたのか?


「幕末当時、西洋に遅れていた日本は開国し、西洋思想と西洋科学を導入することで、豊かさを達成した」というのが一般的な近代日本史の理解であり、教科書もおおむねその基調で記述されている。しかし、それは正確ではないと思う。
まず幕末の日本は確かに軍事力は、西洋に遅れていたかもしれない。しかし、当時、江戸は世界一の大都市であり、地方都市も含め日本の市場規模は世界最大であった。しかも治安も安定し、貧富の差の小さい国であった。つまり経済力という視点では、西洋思想は直接的には関係していない。
加えて当時の日本はマルクスも高く評価しており、高度な循環型社会を実現していた。技術水準に於いても蒸気機関等による動力にこそ劣っていたものの、図面無しで西洋式の反射炉を自力で作り上げる等、固有の技術力の高さを既に有していた。

第二に明治の当時盛んにいわれたのが「和魂洋才」という言葉である。つまり西洋の優れた点は知識として取り入れる必要があるが、日本人の精神を忘れてはならない、という意味合いである。日本人の精神と云われたものには多面性があるが、その中心は集団性と和の心であろう。
つまり必ずしも全面的に西洋思想に立脚していたわけではなかったのである。
そして敗戦によって新憲法が採択され、西洋の個人主義思想や人権思想が本格的に導入される。
そして経済の再建が行われる。しかし、ここでも経済を再建させた中心軸は需要という面では、復興需要=住宅と食料、ついで衣料=糸扁産業さらには家電・自動車である。つまり、これは大衆的な需要=期待であり、それに応える日本人の勤勉性である。その意味では、ブランド品や高級品など=上流階級の高級需要が市場をリードしてきた西洋市場とは明らかに構造を異にする。
他方この復興課程においては人権思想の一つの象徴である労働基準法は(とりわけ労働時間規制)「守ることを前提としていない法律」といわれていたそうである。当時は週48時間労働が法律だったが、復興過程においては、それでは経済再建ができない、ということで実際適用された例は殆どない。ここでも経済再建と勤勉性が優先されたのである。

このような集団性や勤勉性は、日本人固有の縄文体質をベースにしたものであり、決して西洋思想をベースにしたものとはいえない。
しかし豊かさが達成された後、世界はグローバル化が進み、国際基準の名の下に、西洋思想から生まれた諸制度が強行的に導入されることとなる。(最近ではセクハラ・パワハラ・男女同権法案等々)
これと同じく、日本人の活力が目に見えて衰弱し、格差が拡大したのも’90年代以降である。
’60年代から始まる近代科学=人工物質による環境破壊と肉体破壊は、いまだにその進行が止まらない。日本人がかつて実現した循環型社会とその母体である共同体は完全に破壊された。

このように見ていくと少なくとも、豊かさをもたらしたのは、西洋思想と西洋科学ではなく、主として日本人の縄文体質ということになる。
これは、見過ごされてはならない点だと思う。

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