驍宗の安否についての考察2


2巻を読んだらこの1か月悶々としながら続きを待つしかないって分かってた!でも読まずにはいられなかった!新刊を出していただいて本当にありがとうございます。

しかし、驍宗様と泰麒はもう会うことはないのでしょうか。前回は驍宗が亡くなったと思われる描写を拾っていきました。物語を素直に読めば驍宗は死んだと取れるでしょう。読者は、「えーーーーー!!!」と思いながら後半の発売を待つことになる…。私も受け入れがたい気持ちですが、しかし驍宗の死を信じるには少し違和感のある描写もたくさんあります。今回は驍宗が生きているかについて考察したいと思います。信じたいものと信じられるものが交錯してーー混乱しています。

2.驍宗は生きている(=あの武人は驍宗ではない)と思われる描写

①神籍にある者を民が手に入れられる薬物で毒殺することはできるのか?

回生によると武人は里の者に食事に薬を混ぜられ、それが元で亡くなっています。武人は夏に風邪をひき寝込んでいましたが、回生は風邪はほぼ治っていたのでそのまま死ぬはずがないと言っています。この武人が食事に混ぜられた薬物がもとで命を落としたのは確かのようです。

しかし、十二国記における王は単なる人ではありません。泰麒と契約した際、驍宗は神籍に入りました。仙籍も同様ですが、神籍にある者は体が丈夫になり、首を完全に落とされるなどかなり決定的な致命傷がなければ死に至りません。

ここで十二国記のEP3(当時は外伝という位置づけだったはず)の『東の海神 西の滄海』を思い出したいと思います。

『東の海神 西の滄海』で謀反を起こした元州の令尹・斡由は父親を州城の地下に幽閉していました。その際、斡由の父親である元州候・元魁は、食事を与えられることなく、岩を滴るわずかな湧き水と苔で飢えをしのぎ、生きています。また、斡由は延麒六太の使令に喉を噛みちぎられた際、仙であることから即死することはなく尚隆が苦しかろうととどめを刺しています。

仙籍にある者でもそれほどまでの生命力を持っているのに、傷を負っていたとはいえ風邪の治りかけに貧しい戴の民が手に入れられる毒物を盛られたからと言って、神籍にある驍宗が命を落とすでしょうか。

私はこの『東の海神 西の滄海』のエピソードは仙籍にある者はこの環境下でも生き抜くことができるという伏線なのではないかと考えています。というか、外伝はほぼすべて伏線なのではないでしょうか。とにかく、李斎たちが驍宗を探していることを察し驍宗を殺そうとする者がいたとしても、首を撥ねたならともかく毒でゆるゆると死にいたるのは違和感があるなぁと思います。

②泰麒の立ちくらみと武人の死の時期がずれている?

泰麒の立ちくらみの場面を読み返した時には、この時泰麒は驍宗様の死を感じ取ったのかなと思っていましたが、よく読み返すと時期が少しずれているように感じます。

武人が亡くなったのは、降霜のころで、泰麒が李斎たちと分かれたのと同時期だと言います。泰麒の方で霜が降りたと描写されるのは白圭宮に着いた翌日(かな?)のことです。ページで言うと1巻のp270です。そこからしばらく放置されたのち、士遜との駆け引きの最中に泰麒の立ちくらみは起こります。これは2巻のp159です。ページ数だけ見ても、武人が亡くなったのと泰麒の立ちくらみは時期がずれすぎているように感じます。

また、泰麒が白圭宮を訪れた際、阿選が新王という趣旨の発言をしていたので白雉が落ちていないか確認がされました。2巻冒頭では白雉はまだ落ちていません。また、白雉の話は2巻中盤から出てこなくなり、泰麒の立ちくらみがあった後は末声があったという描写は一切ありませんが、落ちていないか確認したという描写もありません。

泰麒の立ちくらみが驍宗の死を感じて起きた可能性はまだありますが、少なくともあの武人が亡くなったのを感じてではないのではないでしょうか。じゃあ何で立ちくらみは起きたの?という話にもなりますが、うーん。

いやぁ考察が止まりません。まだまだ書きたいことはあるのですが、長くなりすぎてきたのでいったんここで止めておきます。次も驍宗が生きているのではないかと思われる描写を整理しながら考察していきたいと思います。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?