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30年引きずった、ある女の子への嫉妬

通勤路ですれ違う、色とりどりのランドセルを背負う子どもたちを見ながら、私はNちゃんのことを思い出していた。

Nちゃんは、私が小学6年生の頃の同級生だ。

当時は今みたいにランドセルのセレクションが豊富ではなく、女子は赤・男子は黒一択という時代。

そのつまらなさからかわからないが、高学年にもなると「ランドセルなんて背負ってるやつはダサい」という暗黙の空気があり、自然と皆市販のリュックサック風バッグに移行していくのが通例だった。

私も小3か4のときに「もうランドセルなんて恥ずかしいから、バッグ買って欲しい」と親にねだった記憶がある。

だが、Nちゃんは違った。
キレイに手入れされた真っ赤なランドセルを卒業まできっちりと使い続けたのだ。

彼女の思いが明らかになった卒業文集

私が衝撃を受けたのは、Nちゃんが書いた卒業文集の作文である。
タイトルはズバリ「私のランドセル

ほとんど幼少期の記憶がない私がはっきり覚えているくらいだから、当時よほど衝撃を受けたのだろうと思う。

作文は
・もう学年で誰もランドセルを使っていないこと
・何でまだ使ってるの?と何度もきかれたこと
・皆からダサいと思われていること
のエピソードから始まり、

「でも、これを卒業まで使い続けると決めていた。私は何も後悔していなし、恥ずかしくもない。だってお父さんとお母さんが買ってくれた大事なランドセルだから」

というランドセルを使い続けた、彼女の思いで締められていた。

当時は衝撃を受けた自分の気持ちを、正しく表現できなかったのだが、今思うと私はNちゃんの作文を読んでとてつもない「憧れ」と「恥ずかしさ」を同時に感じていた。

私は小さい時から人の目が気になるタイプで、とにかく浮くことも、悪目立ちすることも全力で避けて生きてきていた(父親が目立つタイプなのでその反動かもしれない)

常に周りの大多数の意見や行動に合わせ、本当の気持ちはこうやってひっそりと文章にすることしかできないタイプだった。(だから書くのが好きだったのもある)

Nちゃんはそんな私が出会ったはじめての「自分を持っている人」だったのである。

彼女はクラスのリーダー格でもないし、特別目立つ存在ではない。
ただそれこそ「マイペース」という言葉がぴったりの穏やかな空気感を身に纏っているタイプで、誰にでも好かれていた。

私はNちゃんが心から羨ましかった
羨ましくて、そうではない自分が恥ずかしくて、だからこそちょっとNちゃんが憎たらしくさえあった。

嫉妬という感情はこんなに幼い時期から芽生えるのである。

小学生の頃から比べると、私もだいぶ成長し、自分の意見を言えるようになったり、人目を気にせずに行動できるようになった。

ただ、どれだけいっても根がNちゃんとは違うのではないか、人目ばかりを気にしている器の小さい人間なのではないか、という漠然とした不安に襲われることがある。

私が夫に惹かれた理由

思えば、夫と結婚をした理由の中にも、潜在意識としてそれが作用したのかもしれない。

そもそも「人は人、自分は自分」という欧米的な文化の中で育ってきた夫には、Nちゃんと同じ清々しさがある。

上司にであっても、初対面の人でも違うと思ったことは忖度なく違うと言えるし、誰に何と思われようが基本気にしない。(もちろん言い方には気を付けている)

私はそんな彼に、出会った頃から今まで、ずっと憧れている
恋とか愛とは違うところにある感情で、それは私の30年引きずった嫉妬の末の羨望なのだ。

結婚することで私が急にそんな人格になれるわけでもない。
ただ世間的に一つの家族として認識されることにより、世帯単位では「自分たちのスタイルを貫くファミリー」というブランドを手に入れられる。
そんな打算的な気持ちも、意識はしていないが心のどこかにあったのではないかと思う。

私の方が夫よりも得意なこともたくさんあるし、
夫より私のこの性格の方が良くない?と思うこともある。

だけど、根本的に私はきっと夫のように生きたい、夫みたいになりたいのだと思う。

そうか、夫は私の理想の投影だったのだな。
それに気づいた今、だからといって何が変わるわけでもないが、37歳になった今でもこの呪縛から解き放たれていない自分にただただシンプルに驚いている。

幼少期の呪いは重い

「今日が人生で1番若い日」がモットーの私は、死ぬまで自己成長を諦めない。
おばあちゃんになっても、ラーニングアニマルでありたいし「○歳だからもう無理だよ」とはなるべく言わないで生きていきたいと思っている。

一方で、やはり10代、20代のときのようにドラスティックに変化を起こすことが難しいことも現実的に理解はしている。
努力で多少どうにかなるが、正直レバレッジの利き方が違う。

よって自分自身はマイペースに努力し、あとは子どもに呪いをかけないことに全力を尽くそうと決めた。

幼少期の呪いは本当に溶けない。
「いい子でいなければ」「優秀でいなければ」「道からそれてはいけない」
そんな呪いたちは、37年後でも身体の芯にべったりと張り付いている。

私は子どもたちに親の理想を押し付けたくないと思っている。
理想は、一歩間違えると呪いになるからだ。

優秀じゃなくてもいい。
人と同じじゃなくてもいい。

ただ、人を恨んだり
自分のことを卑下したり嫌いになったりしないでほしい。
自分の選択に自信を持ってほしい。

あの時Nちゃんが、赤いランドセルを背負い続けたように、君たちの人生は自分で決めていい。

色とりどりのランドセルを背負い、楽しそうに通学していく子どもたちを見ながらそんなことを考えた。

本代に使わせていただきます!!感謝!