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24歳最後の夜

縁もゆかりもない新潟で誕生日を迎えることになったのは、ちょうど出張が被ったから。

とは言っても、数年前、異国の地で雪崩れのような勢いで荒れ狂うキッチンに丸一日捧げたの比べれば、なんってことない。

むしろ、本当に自分のことを思ってくれてる人の存在を噛み締めるのには、ぴったりかもしれない。

そんなちょっとだけ特別な日を前に、24歳の自分が感じたことを残そうと思って、久々にここに戻ってきた。


出張といえば、一緒に出張するメンバーと夜飲みに行くのは珍しいことではないと思う。
プライベートの時間を上司やあまり関わりのない同僚と過ごすことについてマイナスな意見もあるとは思うが、僕は、仕事上のスピードでは話せない、その人を知る時間を持てるのが好きだ。


そんななか、ショックな言葉があった。

「この人みたいになりたいじゃない、この人みたいにはなりたくないって、あるでしょ?」


お世話になった憧れの人みたいになりたくて突っ走ってきた、自分の生き様とは対極のセリフだった。

その対象に、自分の部署や好きな先輩達が含まれていたのが悔しかった。
その言葉を、ヘコヘコしながら、笑いながら、同世代の同僚が頷いていたのが悲しかった。

次第にそれらは絶望へと変わり、ああ、この会社を辞めたいと思った。


1年前、まだ配属されたばかりで何にも知らず、“染まっても”いなかった僕は、その部長を好きだった。
行動力・発信力のある、その部長の言葉には説得力があり、心のどこかで、自部署よりもこっちの方が成長できるのでは?と思ったこともあった。

今でも、その部長の仕事に対するプライドは尊敬するし、技術なんて足元にも及ばない。

ただ、この1年で自分の視野も広がっていた。
いや、むしろ狭まったのかもしれない。
確実に言えることは、自分が人として大切にしたい事がはっきりとしたものになっていた。

その人は仕事をしてないように見えるかもしれないけど、見えないところでしてるかもしれない。
或は理由があって敢えてしてないかもしれない。
また、人付き合いからそう補正がかかって判断されているのかもしれない。

本当に大事なものは目に見えない。

ただ、相手の心に向き合うことの大事さが分かったからこそ、表面だけを見て、誰かを傷つける事を言うのが、「間違っている」というのは言い切れる。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
山本五十六さんの言葉である。

この言葉の原動力は、他人への尊重と愛ではなかろうか。

自分の人生における仕事という道においても、原点であり核はそれであり続けたい。


                  「刺激を受けました」

配属されたばかりの1年目の後輩は、僕にそう言った。


    「自分にとって大切なものを信じて進みな」

僕はそう答えた。


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25歳初日 追記

結局記念の日はいつも通り仕事をし、皆でラーメンを食べたのだが、どうしてもやりきれず1人で飲みに出かけた。
場末の居酒屋、響くサラリーマンの嘆きの会話、滴る雨の日の夜、、、

25歳、華々しいスタートではない。
でも、今までの人生もそうだったじゃないか。

そんな日でも、僕のことを想い、祝ってくれた人がいる。光はきっとある。大切な人たちの存在を噛み締め、一歩一歩突き進んでいこう。

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