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「ホームレスの救い方」とググりたくなった夜のこと

21:40。2時間前のこと。

駅の改札前に、私は30分以上ただ立っていた。

誰かを待っているように見せかけて。

コートの下の身体は冷え切っていて、昼にサンドイッチを食べたきりなのでお腹もペコペコだ。

ある人を、30分以上ずっと見ていた。

家に連れて帰りたい、と。

武蔵小杉駅に一晩中、一年中座っているおばあさんを。

家に連れて帰りたい、は12月くらいから思っていた。

日に日に冷え込む駅。

毎朝階段の下にいる。

毎晩階段の上にいる。

収入のいいときと悪いとき、とかもないんだろう。

どうやって生きているのか本当にわからないけれど、いつもそこにいるのだ。

大量の荷物といっしょに。

ありきたりな言葉だけど、見て見ぬふりをして通り過ぎることに、心が痛む。

温かいお風呂で、おばあさんのことを思い出すこともあった。

でも、どうしていいかわからなかった。

勇気が出ない。

話しかけることに。

話しかけていることを見られることに。

その人の前で立ち止まることに。

この「勇気」ってなんだろう?

それだけで、年を越した。

あのおばあさんは、今日の日付を知っているのだろうか?

私は、毎日この駅に帰ってくるわけではない。

だからといって、毎日1往復このおばあさんの前を通る人のことを、責めることもできない。

21:20頃。ハウジング・ファーストという取組を知っていたので、プロジェクトを運営するNPO法人に連絡してみた。

「心が痛いです」「どうしたらいいですか」と。

ちなみに、相談した先・・・
▼The Big Issue Japan
▼国際協力NGO世界の医療団(特定非営利活動法人メデュサン・デュ・モンド・ジャポン)

21:30頃。おばあさんが立ち上がった。

とてもゆっくり。

このおばあさんが立っているところをたぶん初めて見た。

立ち上がったところから、腰を伸ばすにも、たぶん5分以上かかった。

ずっと座っているから、お尻も、脚も、腰も、たぶんとても痛いんだろう。

でも、話しかけるチャンスだ。

もしかしたらまた座ってしまうかもしれない、と思いながらもうしばらく観察していた。

そこから、おばあさんが荷物を一つひとつ身につけ始めるのに、さらに時間がかかる。

でも、もう座るのではない。夜いる場所から、朝いる場所へ降りるのだ。

動作がゆっくりすぎて、それすら見ているのも心が痛む。

あの身体で、いつも階段を降りているのか。

おばあさんがカバンを1つを首に通して、傘を手にとったところで、私は歩き始めた。

荷物を運ぶのを手伝う人みたいに話しかければいいのだ。

・・・まだ、人からどう見えるか気にしている。

「すみません。話しかけてもいいですか」

と、言ったと思う。

「下まで運ぶの、手伝ってもいいですか」。

でも、断られた。

「いいんです」。

意外と高い、しっかりした声だった。

「いいんです。ありがとうございます。」

「そこのレストランでご飯食べませんか」と言った。

でも、断られた。

「いいんです。すみません。ありがとうございます。」と言われた。

今思えば、このとき、周りのことなんてまっったく気になっていなかった。

私も、「すみません」と言って、立ち去った。

断られることなんて、1ミリも想定していなかった。

あの足腰じゃ、うちまで歩くの大変そうだなとか、

連れて帰っちゃったら明日の朝はどうしようとか考えたのも、

ぜんぶ杞憂だったのだ。

自分が仕事に行ったあと、私はこの人を家においていくのだろうかとか、

警察に連れて行ったらどうにかしてくれるのだろうかとか、

駅員は何やってるんだろうとか、色々考えたけど全部杞憂だったのだ。

そりゃそうだ。

知らない人に、ご飯行きませんか?とか言われるなんて。

しかも相手は同情丸出しだ。

なんて言えばよかったんだろう?

いっときの同情で一緒にご飯を食べても、話を聞いても、家に連れて帰っても、

そのあとまた暖かい場所から寒い場所へ

連れて行かなければいけないことになることくらいは、

最初から考えていた。

それも、声をかけることを躊躇っていた理由のひとつだ。

でも、「追い出さなければいけないなら最初から手を差し伸べない」

というロジックは私の中で正解じゃなかった。今日は。

イギリスの大学に行って、貧困について論文もたくさん書いて、

東京のフードバンクで2ヶ月もボランティアして、

1回だけ炊き出しに行ったことがあって、

どこに連絡したらいいかもわからない。

「ホームレスの救い方」とググりたくなったくらいだ。

傲慢とか、無力とか、無知とか、なんとでも言ってくれたらいいと思う。

正解はないことはわかっているから。

今日は、ミス・ユニバース地方大会のオーディションに向けたスピーチのレッスンの帰りだった。

1時間前まで、「笑顔で、抑揚をつけて」などと指導されながら

「フードバンクの活動を広めたい」「ホームレス問題に興味がある」などと言っていたのだ。

そのまま立ち去れるわけがなかったのだ。

でも、結局なんにもできなかった。

救急車も、寒くて倒れてないと来てくれないだろう。

警察も、寒くて死んでるくらいじゃないと来てくれないだろう。

緊急的に、問い合わせできる場所を、わたしは知らなかった。

社会を良くしたい、と思っているくせに。

本当に、どうしたらよかったんだろう?

【追記】

わたしはこれを、武蔵小杉駅前のガストで書いた。

パソコンを叩き始めるときには手がかじかんでいた。

帰り際、一万円札をくずして、

五百円玉を2枚つくって、駅に戻った。

階段の下に移動していると思ったら、いなかった。

だから階段を上ったら、また同じ場所にいた。

あのあと、移動する気をなくして座らせてしまったに違いない。

もう、周りのことは気にしないでまっすぐ階段を登って、

うずくまるおばあさんの前に2枚とも、置いてきた。

誰が置いたか、わからなくて良かった。

あの話しかけてきたヤツが戻ってきたって、思うだろうか。

変な夜だな、と思うだろうか。

「無」の存在として駅で生きていたのに、「人に見られている」ということを教えてしまったかもしれない。

精神的にもっとひどいことをしてしまったかもしれない。

地元の駅で座るより、知り合いのいない場所でなら座れる。そういう意味で。

これまで手を差し伸べようとした人がいなかったらの話だけれど。

「500円玉2枚、ラッキー」

くらいに思っていてくれたらいい。

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