「ホームレスの救い方」とググりたくなった夜のこと
21:40。2時間前のこと。
駅の改札前に、私は30分以上ただ立っていた。
誰かを待っているように見せかけて。
コートの下の身体は冷え切っていて、昼にサンドイッチを食べたきりなのでお腹もペコペコだ。
ある人を、30分以上ずっと見ていた。
家に連れて帰りたい、と。
武蔵小杉駅に一晩中、一年中座っているおばあさんを。
*
家に連れて帰りたい、は12月くらいから思っていた。
日に日に冷え込む駅。
毎朝階段の下にいる。
毎晩階段の上にいる。
収入のいいときと悪いとき、とかもないんだろう。
どうやって生きているのか本当にわからないけれど、いつもそこにいるのだ。
大量の荷物といっしょに。
ありきたりな言葉だけど、見て見ぬふりをして通り過ぎることに、心が痛む。
温かいお風呂で、おばあさんのことを思い出すこともあった。
でも、どうしていいかわからなかった。
*
勇気が出ない。
話しかけることに。
話しかけていることを見られることに。
その人の前で立ち止まることに。
この「勇気」ってなんだろう?
それだけで、年を越した。
*
あのおばあさんは、今日の日付を知っているのだろうか?
*
私は、毎日この駅に帰ってくるわけではない。
だからといって、毎日1往復このおばあさんの前を通る人のことを、責めることもできない。
*
21:20頃。ハウジング・ファーストという取組を知っていたので、プロジェクトを運営するNPO法人に連絡してみた。
「心が痛いです」「どうしたらいいですか」と。
ちなみに、相談した先・・・
▼The Big Issue Japan
▼国際協力NGO世界の医療団(特定非営利活動法人メデュサン・デュ・モンド・ジャポン)
21:30頃。おばあさんが立ち上がった。
とてもゆっくり。
このおばあさんが立っているところをたぶん初めて見た。
立ち上がったところから、腰を伸ばすにも、たぶん5分以上かかった。
ずっと座っているから、お尻も、脚も、腰も、たぶんとても痛いんだろう。
でも、話しかけるチャンスだ。
もしかしたらまた座ってしまうかもしれない、と思いながらもうしばらく観察していた。
そこから、おばあさんが荷物を一つひとつ身につけ始めるのに、さらに時間がかかる。
でも、もう座るのではない。夜いる場所から、朝いる場所へ降りるのだ。
動作がゆっくりすぎて、それすら見ているのも心が痛む。
あの身体で、いつも階段を降りているのか。
おばあさんがカバンを1つを首に通して、傘を手にとったところで、私は歩き始めた。
荷物を運ぶのを手伝う人みたいに話しかければいいのだ。
・・・まだ、人からどう見えるか気にしている。
「すみません。話しかけてもいいですか」
と、言ったと思う。
「下まで運ぶの、手伝ってもいいですか」。
でも、断られた。
「いいんです」。
意外と高い、しっかりした声だった。
「いいんです。ありがとうございます。」
「そこのレストランでご飯食べませんか」と言った。
でも、断られた。
「いいんです。すみません。ありがとうございます。」と言われた。
今思えば、このとき、周りのことなんてまっったく気になっていなかった。
私も、「すみません」と言って、立ち去った。
断られることなんて、1ミリも想定していなかった。
*
あの足腰じゃ、うちまで歩くの大変そうだなとか、
連れて帰っちゃったら明日の朝はどうしようとか考えたのも、
ぜんぶ杞憂だったのだ。
自分が仕事に行ったあと、私はこの人を家においていくのだろうかとか、
警察に連れて行ったらどうにかしてくれるのだろうかとか、
駅員は何やってるんだろうとか、色々考えたけど全部杞憂だったのだ。
そりゃそうだ。
知らない人に、ご飯行きませんか?とか言われるなんて。
しかも相手は同情丸出しだ。
なんて言えばよかったんだろう?
*
いっときの同情で一緒にご飯を食べても、話を聞いても、家に連れて帰っても、
そのあとまた暖かい場所から寒い場所へ
連れて行かなければいけないことになることくらいは、
最初から考えていた。
それも、声をかけることを躊躇っていた理由のひとつだ。
でも、「追い出さなければいけないなら最初から手を差し伸べない」
というロジックは私の中で正解じゃなかった。今日は。
*
イギリスの大学に行って、貧困について論文もたくさん書いて、
東京のフードバンクで2ヶ月もボランティアして、
1回だけ炊き出しに行ったことがあって、
どこに連絡したらいいかもわからない。
「ホームレスの救い方」とググりたくなったくらいだ。
傲慢とか、無力とか、無知とか、なんとでも言ってくれたらいいと思う。
正解はないことはわかっているから。
*
今日は、ミス・ユニバース地方大会のオーディションに向けたスピーチのレッスンの帰りだった。
1時間前まで、「笑顔で、抑揚をつけて」などと指導されながら
「フードバンクの活動を広めたい」「ホームレス問題に興味がある」などと言っていたのだ。
そのまま立ち去れるわけがなかったのだ。
でも、結局なんにもできなかった。
救急車も、寒くて倒れてないと来てくれないだろう。
警察も、寒くて死んでるくらいじゃないと来てくれないだろう。
緊急的に、問い合わせできる場所を、わたしは知らなかった。
社会を良くしたい、と思っているくせに。
本当に、どうしたらよかったんだろう?
【追記】
わたしはこれを、武蔵小杉駅前のガストで書いた。
パソコンを叩き始めるときには手がかじかんでいた。
帰り際、一万円札をくずして、
五百円玉を2枚つくって、駅に戻った。
階段の下に移動していると思ったら、いなかった。
だから階段を上ったら、また同じ場所にいた。
あのあと、移動する気をなくして座らせてしまったに違いない。
もう、周りのことは気にしないでまっすぐ階段を登って、
うずくまるおばあさんの前に2枚とも、置いてきた。
誰が置いたか、わからなくて良かった。
あの話しかけてきたヤツが戻ってきたって、思うだろうか。
変な夜だな、と思うだろうか。
*
「無」の存在として駅で生きていたのに、「人に見られている」ということを教えてしまったかもしれない。
精神的にもっとひどいことをしてしまったかもしれない。
地元の駅で座るより、知り合いのいない場所でなら座れる。そういう意味で。
これまで手を差し伸べようとした人がいなかったらの話だけれど。
「500円玉2枚、ラッキー」
くらいに思っていてくれたらいい。
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