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消化されて美化されてきた10ヶ月、アトランタへ思いを馳せながら

今日がなんの日かなんて、恐らくわたしの周りのひとは全く知らない。

2019年12月8日。ミス・ユニバースの世界大会。

そんな世界に思い入れるなんて1年前は思ってもみなかった。

けど、4ヶ月間ともに闘ってきた大事な仲間が、今その舞台に立っている。(共に闘ってきたとか言ったら努力のレベルにおいて失礼かもしれない。)

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日本大会が終わって3か月。

最初に山梨大会に応募してから約1年。

株主総会前日の職場の昼休みに締め切りギリギリで志望理由書を出したのが、もうずいぶん昔のことみたいだ。

ずっと報告できていませんでしたが、2019年4月〜8月の4ヶ月間ミス・ユニバース・ジャパンに挑戦していて、結果Top16のファイナリストには残れず終わってしまいました。

終わったあといつものようにつらつらと書きたかったのですが、自分に向き合いきらないまま、仕事に忙しくしている間に思考停止しており、3ヶ月経ってしまいました。「挑戦してよかったことはなんだった?」と聞かれてうまく答えられなかったほど言語化できていなかったので、ようやく立ち止まります。

書いていたら消化できてきて、かつ思い出も美化されてきたようです。

ミス・ユニバースに挑戦した理由

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よく聞かれるのでシンプルに書くと、

・影響力、発言力を高めたかった

・やってみたかった

の2つ。社会問題とか、マイノリティのさけびのようなものを、わたしが代弁することで誰かに影響を与えられるような存在になるためのHowとして、頭の片隅で憧れていたような舞台に挑戦してみた、という感じです。

最初に地方大会に応募し、2ヶ月間のビューティーキャンプの末グランプリになることができなかったので、5日後の日本大会の締切日にダイレクトエントリーに再応募して1,000人の応募書類の中から約30名、地方代表とあわせて約50名(最終的に41名)のセミファイナリストに残りました。

挑戦してよかったこと

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挑戦してよかったことの1番は、ミス・ユニバースやモデル業への「憧れ」をなくせたこと。なんでもやってみるもんですね。

ある人にこの質問をされたのでこのように答えたら、「よかったことを聞いてるんだけど」と言われた。

だけど、人生のやりたいことチェックリストのわりと大きなボックスに「もう十分」と極太チェックをつけられるって、個人的には結構重要なことのような気がするのです。

いやいやチェックリストを塗りつぶすような人生なんて、と文字にすると思うけれど、次のリストが思い浮かばない今、あそこまでパワーの源泉になったのであればやりたいことリストも捨てたものではない。やり尽くしたので一生後悔しないと思います。

2番目は、ミス・ユニバース・ナショナルディレクターの美馬寛子さんを始めとする、メイクアップアーティストの西村宏堂さんや、VOGUE TAIWANなども担当していた写真家のレスリー・キーさんなど、世界の舞台を知っている方々のオーラや知識や鋭い眼差しを4ヶ月もの間浴び続けられたことだ。(2番目なのかよって思いますね。)

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いわゆる総合職ビジネスパーソンとして生きていたら知らないような世界でプロの仕事を垣間見ることができた。彼ら彼女らが与えてくれた時間に見合ったものをもたらせられなかった(努力しきれなかった)自分については今でも悔しいと思う。

でもつらかったあの夏の中でも、宏堂さんと心を通わせられた瞬間やインスパイアされた言葉(ブログにしたことがある)、レスリーに撮ってもらった写真、そして何より寛子さんが作ってくれたあの40人の個性たちと作れた世界は、今となっては宝物だと思う。

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・・・とかいうキラキラな話をしたかったんではなくて。

キラキラした話をしたかったんではなかったのだけど、こうして噛み締めているときちんと消化されてきて、あぁなんか良かったのかもしれない、と美化されてくるから不思議だ。

今日こうしてポジティブにとらえられるようになるまでに、大会後3ヶ月という時間を要してしまったことがもったいなくすら感じる。

以下はその領域に達するまでの文章。。書きながらここまで「思い出」の手触りが変わっていったのは初めての経験かもしれない。

精神修行の4ヶ月

振り返ると、ユニバースはひたすら「大変だった」という思い出として今日まで刷り込まれてしまっている。

自信と不安をかき乱された精神修行の4か月。仕事との両立に悩みまくり、「なぜ今日トレーニングに行くのか」を何度も考え毎週末自分のケツをたたき、それでも「この日で辞めよう」と思っていたこともあった。

ディレクターに興味を示されない時期に自信はなくなるし、メイクや服にお金はかかるし、平日仕事をしながら土日は毎週レッスンだったので休みはない。

何が一番つらかったかって、未来の自分を信じられなくなってしまったこと。いわゆる「自己効力感」が恐らく人生で最低の時期だったんじゃないかと思う。

つまり、「あんなに憧れて始めたことがこんなに苦痛になってしまうなんて、次に自分がチャレンジすることに対しても自分はこうなってしまうのだろうか」と。

自分がもう信じられないなぁ、と仕事からの帰路に毎晩考えていた。

「やる後悔」と「やらない後悔」

終わってよかったが、やってよかった。

両方、本心だ。

そして、「やってよかった」と心から思えたのは本当に最後の数日だけ。

「やる後悔よりやらない後悔」とか言うけど、「やる後悔」もあるんだな、とまで思っていた。

今後いろんなことに挑戦しづらくなるな、と思っていた。憧れてたことにこんなにやる気がなくなってしまうなんて。と。

それくらい精神的にきつかったし、不毛なときもあった。

そして不毛なものにしてしまったのは完全に自分の弱さだ。

「人には合う合わないがある」

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大会が終わり、打ち上げからの帰り道。終電を逃しいつもより遠くの駅から東京タワーを背に帰宅しながら思ったことで一番覚えているのは、「やっと元の自分に戻れた」と思ったこと。

もともとメイクも興味ないし、人の目を気にして殻を破りきれない。「バリバリ働く」ほうがかっこいいと思ってる。だから地方大会の時点で「ミスコン」に飽き飽きしていて、がんばりきれなくて、でも自分の一部は「まだいける」と思って悔しかったから日本大会にも出た。

でもそれだけのモチベーションでチャレンジするには、道のりが遠すぎたんでしょうね。

華々しい世界で、''今日のメイク'' が調子よければ一日楽しい。写真を撮るのもアップするのも大好きなように見えて、でもそれさえもいちいち悩んだりもがいたりする。きっと、わたしだけじゃなく。

正直、大会をやっているこの時期外からどう見えていたかは、あんまり振り返りたくない。

「人には合う合わないがある」。

すべてが終わったその日の最後に美馬さんに挨拶にいったら、美馬さんに突然言われた。私はわけがわからなくて、美馬さんと自分の人間関係のことかと思った。

そしたら、「ゆきはミスコンじゃない」「フィールドが違う」と。

言い訳に聞こえるけれど、自分でもずっとそう思っていた。でもミス・ユニバース・ジャパンを率いているこの人にだけは言えないと思っていた。そしたら本人から言われた。

本当によく見ていると思った。

それで、もとの自分に戻れたと思った。

合う人と合わない人、勝てる人と勝てない人

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私は最初にも書いたとおり「発言力を高めたくて」ミス・ユニバースを目指した。その先には、もっと寛容な社会を作りたいなぁとか、もっとみんなが生きやすい社会にしたいなぁとか、考えていた。

ミス・ユニバースは目的、ゴールではなくてただの通過点。成し遂げたいことのHowにしか過ぎない。ミス・ユニバースは私にとってはそういうものであり、そういう人の方が強いとずっと思っていた。

だけどだんだん気がついた。4ヶ月間「美」を極めていくなかで、実際にやるのはメイクのレッスンやウォーキングであり、毎回自分のファッションについて考えなくてはいけないし、つけまつげにリキッドアイライナーという普段しないメイクを研究しなくてはいけない。

それを4ヶ月だ。それ自体を楽しめる人、極めたい人、興味がある人が強いに決まっている。「〇〇のためにミス・ユニバースになりたい」人ではなく、「ミス・ユニバースになりたい」という「手段もゴールもミス・ユニバースです」という人のほうが、圧倒的に強いのだ。

目的と行動の距離が遠いと、毎週末自分のケツをたたいてあげないと、レッスンに行く意味を見失ってしまいそうになる。

とはいえ知人が「手段であるミスコンにどれだけ全力になれるかだよね」と言いながらミスなんとかで優勝して日本代表になっていたから、もしかしたら結局コミット力なのかもしれない

わたしは頭でっかちとか他責思考が加わって頑張りきれなかった、もしくは楽しみきれなかったのかもしれない。

今日、ミス・ユニバース世界大会。

何はともあれ、今この瞬間アトランタで世界大会が行われている。

あこちゃん、40人全員が自信をもって送り出せる強い女性。

信じてます!

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