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ミスユニバースジャパン・セミファイナリストになりました。

書類選考と地区オーディションを経て、2019年ミス・ユニバースのセミファイナリストになった。

山梨大会に負けて1ヶ月後、山梨代表とは別のルートでの復活だ。

なぜ出るのか

山梨大会が終わったときにはもうミスコンは絶対やらない、と思った。

でも、その5日後にジャパン大会直接応募の締切があって、「ダメ元で」と書類や写真を提出していた。

山梨大会の途中ですら何度もやめたくなったのに、なぜ再チャレンジしたのか。

それは、一度足を突っ込んだことに対して結果を出すため。

地方大会でグランプリがとれなくて、仕方ないと思う半面、「もっとできた」という思いが残るものとなってしまった。

やりきってこの結果なら受け入れられたはずだったけど、やりきっていないからまだ終止符を打てない。そういう気持ちだったのだ。

なぜ悩むのか

でもやっぱり「なんでやってるんだろう」と悩みを引きずることもある。

それくらい、様々なことが突きつけられる。

単純に、そんなに楽しいものではないから。精神的にも金銭的にもきつい。普段着る服も変えなくてはいけないし、メイク道具や衣装にもひたすらお金がかかる。

そして、社会性のようなものはまったくない。完全に「自分のため」にやることに対して、ときにはバカらしさすら感じることもある。

ダンスやスポーツのようなアート性や余白がないからだろうなと思う。

夢と志は違う。と孫正義さんは言う。

個人の欲望、個人の願望を満たすのが夢です。多くの人々の夢、多くの人々の願望、多くの人々が困っていることを助けてあげたい、こういったことを指すときは志と呼ぶんです。
つまり、自分の、個人の、1人のエゴを満たすような、そういう願望を満たすようなことではない。100万、1000万、億万の人々に、喜んでもらいたい。そういう風な人生を過ごすことができたらいいなと思います。”
孫正義「就活生よ、君たちはどう生きるか」感動のスピーチを公開

ミス・ユニバースにアート性を感じないのは、「夢」の権化のようなところだからだと思う。手段としてではなく、ミス・ユニバースの大会そのものを切り取ると、究極的に個人の願望に近いからだ。

ウォーキングの大会それ自体は人に感動を与えるものではないし、プロセスとしてはドラマ性がある場合もあるけれど、やっていて思うのは「個人的な成長」がいちばん本質的なものであるということだ。

なぜそれでも出るのか

やり切らなかったら、後悔する。

今回再チャレンジしているのだって、山梨大会を終えて「これ以上は目指せない」と思えていないからだ。

「もうやりたくない」からこそ、やりきらなくてはいけない。

それに尽きる。

だから、何度もモチベーションが下がってしまっても、「もうやりたくないと思ったはずなのに」と思い返しても、やりきらなければ一生思いを引きずることがわかっているので、ここに戻ってくる。

なんだかネガティブに見えるかもしれないけれど、これをプラスのエネルギーに変えられるようにしていきたいと思う。

(2014/4/25)

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