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「沈黙」についてふたつの問い - vol. 2/100/2021

最初からうまく書こう、短時間で書こうとせず、少しずつ土台を築いていこう。
9月18日(土)のDAY 1は、全然集中できなくて最初の30分はFacebookを見たり本をパラパラめくったりしていた。
豆乳について書こうと思って、やめた。

#2021年の100冊 が達成できそうなので、書く方を始めることにしました。
9月から始める #2021年の100篇 vol.2。
タイトルの vol.2 /100/2021は、「2021年の100分の2」って意味です。

#2 沈黙

沈黙にも2種類あって、心地よいものと心地よくないものがある。

問い1。沈黙が心地よいときと悪いときの違いは?

心地よいときには、相手の顔をじっと見たり、自分の仕事(ものを食べたり、本をめくったり)に集中したりする。
沈黙が心地よくないときには、グラスを手にとって水を飲んだり、キョロキョロ周りを見渡したり、何かに気を取られているふりをしてじっと見たりする。無音を動作でごまかす。

いや、そうじゃない。
心地よいときにも、沈黙になると水を飲んだり、窓の外をじっと見たりする。沈黙の心地よさや悪さが動作を決めるのではなさそうだ。

自分に対して相手と自分自身が何も期待しない、リラックスした時間が流れるとき、そこに流れる沈黙は心地よいものになる。少なくとも、悪くないものになる。(not bad.)

逆に、相手の態度もしくは自分自身が「なにか話さなければ」と自分に対して期待しているとき、解決しなくてはいけない課題が横たわっている気まずさの中では、沈黙は溝になり停留する。

期待が沈黙の重さ軽さを決める。軽ければ流れ、重ければ留まる。

問い2。「沈黙」は、ひとりのときにも発生するのだろうか?

「沈黙」は、必然的に人が二人以上いることを表しているのだろうか。例えばいま一人の部屋では、雨の音がしている。部屋の中では時計の秒針が、部屋の外には虫の声や遠くの車の音も聞こえる。「沈黙が流れている」とは言えない。

カフェで知人と向き合っているとき。背後ではいくつもの会話が咲き乱れ、頭上からピアノの音が降ってくる。レジ係の声やソーサーにカップを置くかちゃんという音、隣のテーブルでパソコンのキーボードを叩く音が聞こえてくる。
それでも、主人公である「わたしたち」が話していないとき、2人の間に流れる空気は「沈黙」と呼ばれる。イギリスとヨーロッパの間に横たわるドーヴァー海峡のように、「沈黙」の空間は限定されている。

人がひとりでいると沈黙の定義が広がるのかもしれない。雨や虫や時計の音までに。
誰の沈黙なのか?世の中の沈黙。

つまりひとりのときは、まったくの無音のときしか「沈黙」は訪れない。

9/14 ほぼ日5年手帳

沈黙は...やっぱり「怖い」です。
たまーに、個人的な趣味でひとりで洞窟に籠ったりするんですが、一晩中、籠っていると、ほとんど何も聞こえない時間が来ます。そのとき、ほんとうに、言葉には言い表せない恐怖を感じます。
ー坂本大三郎さんが『山伏の坂本大三郎さんと、「大いなる沈黙へ」を観た。』

世の中の「沈黙」は、ここまでに深い。

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