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2021年の100冊 #2 「私はヒトラーの秘書だった」(トラウデル・ユンゲ)

2021年の100冊、ジャンル問わずとにかく本を読んで勉強することを目的に開始。ログはスマホで15分で書き上げることを目標にしています。

少しフライングして12/28から始めたので、今は1月1日の真っ昼間ですが、2冊目はこちら。

2020年と2021年をまたいだ本の1冊がこれとは。。
先日「アウシュビッツの地獄に生きて」というユダヤ人看護師の著書を読んだため、この本が目にとまった。400ページ超えで1300円もしていたことに、買ってから気づく。

内容(雰囲気)

正直、「私はヒトラーの秘書だった」というタイトルから期待する内容ではなかった。ヒトラーの思想や”極悪非道な”性格、意思決定などについてはまったく書かれておらず、さながら晩餐会を図を見ているような描写が続く。

彼女の仕事は、ヒトラーの国民に向けた演説の口述筆記(タイピング)や戦況を知らせる各指揮官たちからの手紙の清書、そして大半はヒトラーとの毎度の食事に同席する”社交婦人”としての生活だった。

ヒトラーのそばでの2年半の生活について、驚くほどの細かい描写で400ページを成している一方、ヒトラーの演説の内容やそれについての彼女の感想もほとんど書かれていない。

ヒトラーが女性たちに作戦会議の内容はもちろん、公的な雰囲気をちらつかせることもほとんどなかった。出会いからほとんど戦争の終盤までずっと、婦人への気配りを忘れない魅力的な晩餐会のホストであり続けたのだ。

その状況をトラウデルはこう書いている。

以前の私は、出来事の焦点となっているこの場所からなら一番よく見通しがきき、ずっと遠く見渡せると信じていた。でも実際には私達は舞台裏にいて、舞台の上で何がおこっているのかを知らないでいたのだ。監督だけが芝居の演目を知っていて、俳優たちは他の人が何を演じているのか誰もはっきりとは知らなかった。(p.187)

戦争がひどくなるとヒトラーに対する不安や疑念は生まれてはきたものの、1945年の春までヒトラーのもとで勝利を信じて暮らしていた。”魅力的なホスト”であり続けたヒトラーが体力的にどんどん弱っていき、ついに自殺を遂げる直前に「国家社会主義は滅亡した」と本人に言われてようやく女性たちも”叩きのめされた”のだ。

解説の通りに書くと、トラウデルは「犯罪的体制に奉仕したが、ナチスの殺人行為には加担していない」(p.350)。ナチス党員だったことも一度もなく、ヒトラーの政治的思想ではなく単純に彼の人柄に目をくらまされたのだ。そもそもヒトラーの秘書の職についたのも成り行きだった。

彼女は「知ろうとしなかったから、あれほど大規模なユダヤ人迫害のことを何も知らなかったのだ」と認めている。ただし戦後自分を無罪だと感じたことは一度もなく、実際独房に拘束されたこともあり、故郷に帰れない日々も続いた。

ただし戦後のその”苦悩”が本人によって語られているわけではなく、解説といくつかの日記の引用によって締められている。

感想

人に勧めるかと言われれば勧める本ではない。もしまたナチス関連の本を読むのであれば、次はもう少し参謀に近い人物の手記もしくは、体系的な解説なりを読むだろうと思う。

戦時中の上層の生活という意味でか、読みながらカズオ・イシグロの「日の名残り」をよく思い出した。ナチ協力者であったイギリスのダーリントン卿(実在はしない)に使えた執事の話だ。

ただ「アンネの日記」や「あの頃はフリードリヒがいた」、そして先日の「アウシュビッツの地獄に生きて」といった、ユダヤ人側の迫害の記録とは真反対の若い女性の手記という意味で興味深い内容であり、これも一つのドイツ、ヒトラーそしてナチスの姿であり、決して小さくない人間の集団として存在してしまった一つの背景だったのだなと思う。

ちなみにヒトラーについても第二次世界大戦についてもドイツについてもまだ全然知らない。ヒトラーが自殺したことも知らなかった。菜食主義であることはなぜか聞いたことがあった。

なぜ自分がこのあたりの歴史や風景に興味を持ち始めたのかもよくわからない。元旦に読み書きする文章ではないことはだけはわかる。

そしてnoteログに40分はかかった。

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