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仕事とミス・ユニバースの両立について

美しくあることにどれだけの価値をおけるか。

仕事大好き女子にとって、これがすべての壁であると思う。

今まで興味もなかったメイク。ファッション。

それ以外に考えることいっぱいあるわ、と、美容や外見に関わることを軽視していた。言葉を選ばずに言うと、ちょっとバカにしている部分があった。... いや、過去形になれたかどうかもわからない。

努力とかしないで自然体で生きたいくせに、「美」には妙に憧れ、ちょっとした勘違いもしてミス・ユニバースに挑戦してしまった。

で、その「美」の裏で「このくらい努力しなきゃだめですよ」「今まで通りじゃ勝負になりませんよ」ということになったら「そこまでしてやりたくない」と駄々をこねている。突き詰めるほどまではいいです、みたいな。

じゃあ何がしたいんだと、何度自問自答しているんだろう。

美しくあることにどれだけの価値をおけるか。

その壁をもう一段厚くしている心理が、「オフィス仕事してるほうがかっこいいんじゃないか」というもの。

それにもちろん仕事は責任が発生するものだから、必然的にミス・ユニバースへの優先度をあげられない。そんな自分がいた。ずっと。

地方大会のとき一度、仕事との両立に厳しさを感じて両方いっぱいいっぱいになってしまったことがある。

めちゃお恥ずかしながら、仕事でも泣いて、ミスコンの面談のときにも泣いた。

もちろん両立しなくてはいけないことはわかっていたが、それが「想像しているより大変」だったからだ。

だけど、この道は自分で選んだ以外のなんでもない。「大変」と言っている時点で周りのせいにしていることを自覚し、この経験から自分のキャパシティが広がった。

両方やろうとして共倒れはサイアク

二兎を追って、お互いに悪い影響を与えあってちゃダメだなと身にしみて考えたことがある。これじゃ、将来副業もできない。

初めて両立がうまくいかなくなったとき、「両方で結果を出さないと、両立とは言えない」と肝に命じた。

とりあえず「大変」なのではなく、全部「自分で選んだことだ」「自己責任だ」と考えようと思った。

数ヶ月続けるうちに、評価が悪くて自信がなくなったり落ち込んだりとかいう、気持ちの下がり幅も少なくなって、自分と向き合ってすぐ立ち直せるようになってきた。

免疫がついたというか、いろいろな現実と感情にさらされたおかげで、そのたびに強くなったんだよなぁと思う。ナショナルディレクターだって、(この時点では)伸びしろを感じてくれているし、成長のチャンス。メンタル面でいろいろとレッスンはある。

二度目に仕事とミスコンで共倒れしたときに、「両方やろうとして両方倒れるなんて、目指してたものじゃない」とやっぱり思うハメになった。

そんなのサイアクだ。両方やるなら、両方にいいことが起きないと。

こう、思えたこと自体は人生へのよい教訓であると思う。

やめたら後悔するし一生何者にもなれない。

ミス・ユニバースは、自分との戦い。

途中から、日本代表になるためではなく、「目指したものを途中でやめないこと」のために戦うようになってきた。

仕事が忙しくて、というか「仕事が忙しい」と言っていて日本代表になれるほど、甘い世界じゃないことも重々わかった。

「仕事とか言ってないで、どれだけ大会に賭けてくれるか」も見られているのだ。

美にお金をかけるなんてバカらしいし、知的労働をしている方がかっこいい。スーツを着て仕事をしている自分が好き。こんな思いが心の奥底にある。

だからスピーチレッスンに8万円はかけられるけど、日サロには行けないし、ホワイトニングや美容院に何回も行けるほど振り切れられていない。どこか、カベを作っている。

同じように社会人で、コンテストもメイク経験もない、という立場で、ガラっと変わった子を見て、これじゃいけないなぁとも思うけど。

この人がグランプリになるんじゃないかという子がいる。答えが出かけているのに44人を8月まで拘束するというのは、けっこう酷ですよね。

(2019.6.1.)

【追記】この記事をリライトしている今は、過去のこととしてこの文章を見れている。日サロもホワイトニングも行った。だけど、リアルな思いとして、残して書く。

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