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やりきること、やめないこと。ミス・ユニバース2019日本大会を終えて

セミファイナリストから、最後、ファイナリストになれなかった。

日本大会はオープニングしか出ていないので、「ミス・ユニバース2019日本大会を終えて」というタイトルはちょっとミスリードかもしれない。

トップ16に入ることはできなかった。

けど、同じ日まで41人全員でやってきた。

楽しいときや苦しいタイミングは人それぞれだったと思うし、人によってどっちの方が長かったかは違うと思う。

私は、終わってやっと自分に戻れた気がしている。

自分を取り戻した。そう思った。

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「やってよかった」と思えたのは最後の数日だけ

終わってよかったが、やってよかった。

両方、本心だ。

そして、「やってよかった」と心から思えたのは本当に最後の数日だけ。

ある日ブレイクスルーがきて、世界のみんなに愛を伝えたくなるような日がきて、そのまま大会を迎えた。

「やる後悔よりやらない後悔」とか言うけど、「やる後悔」もあるんだな、今後いろんなことに挑戦しづらくなるな、とさえ思っていた。

それくらい精神的にきつかったし、不毛なときもあった。

そして不毛なものにしてしまったのは完全に自分の弱さだ。

人には向き・不向きがある。

最後に、ナショナルディレクターの美馬寛子さんに挨拶に行った。

結果も出してないし、好かれてるとも思ってなかったのでなにを言えばいいかわからなくて、ちょっと身構えていた。

「 (最初は調子良くて) わかりやすくばーんと落ちたのが私だったと思います、頭で色々考えすぎたのかもしれないんですが...」

と、ペラペラ話し出す私をさえぎって寛子さんは言った。

ハッキリ言って、人には向き不向きがある。

えっ、と思った。これってなにを言われるのだろう。わたしたち合わなかったよねってことなのか。それもそれでそうなのかもしれない。

と、思考がぐるぐる回る。

ユキはミスコンじゃないよね。

えっ、


意外だった。

たしかにそう思ったこともある。でもそれをナショナルディレクターに言うべきことではない、と思っていた。

話したいことはわからなかったが、話さないことだけは決めていた。

「わたしミスコンは性にあいませんでした」だけは言わないようにしようと。

それを相手から言われるとは思わなかった。ミス・ユニバースのナショナルディレクターだ。

「がんばった」とか「良かったよ」とかじゃなく、社交辞令じゃなく、本気で見ていてくれていたこと。

見えていたこと。

それを本心で伝えてくれたこと。

それが、本当に嬉しかったし、やっぱりこの人はすごい、と改めて尊敬の念を抱いた。

世界で闘ってきた人なんだ。ミスユニバースジャパンを率いるために、10年間修行してきた人なんだ。と思った。

「最後までやってくれてありがとう」

とまで、言ってくれた。

やりきった

あれでよかったんだ、と思えた。

やめなかった。

たぶんほとんど、それだけだ。

こんなにハードルの低い「やりきった感」もなかなかないだろう。

実際こんだけ悩んでたのだから、終わったときの自分を想像したところで「やりきった」と言える気もしていなかった。

地方大会で「辞めたいな」と思ったときの自分はあんまり間違ってなかった、と。

だけど、ある人が言ってくれた。

「悩みながら最後のギリギリまで首の皮一枚でがんばってるのが強さなんだよ」。

それを糧にがんばれたし、それで良かったのだと思う。

これは大会が終わった5日後に書いて保存されていた文章に、3ヶ月経って少し手を加えた文章だ。

保存して、公開していなかったということはまだなにか書きたいことがたくさんあったんだろうなと思っている。

もうその気持ちは帰ってこない。

3ヶ月経って、想いの残りかすを整えたような文章にまとめながら客観的に振り返ったとき、わたしはすべてを、闘っていた自分を、はじめてポジティブに受け入れられた気がした。

だけど、読んでて苦しさがよみがえってくるようなこの文章が、つるっとした生の心の声だから、公開しようと思って手を付けた。

大会を終えた日、ある人が言ってくれた。

「やりきらなかったら、後悔か言い訳しかしないからね」。

誰かの背中を押すとき、わたしもこう言ってあげたいと心から思う。

(2019.8.27. / 2019.12.17)

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