各タイプの感覚を主観で(自己感覚として)書いたら本来の自認が滲む説の検証

考察は真面目にしていますが、一部自己感覚はギャグが入っています(自分でも気づけていない部分もおそらくあります)。そこに本来の自認が滲むのではないか、という検証です。ご不快に思われる方もいらっしゃると思うので、注意してください。

タイプ1(自己感覚に基づく自己解釈)

正しいと心が喜ぶので、正しさを追求することが大切。しかし、その正しさは自分にのみ向けられるべきで、他者に押し付けるのはよくない。他者と自分は違う人間なので、それぞれの個を尊重したい。相手には相手の、自分には自分のやり方があることを知る。自分ばかりにフォーカスするのではなく、相手の個性に目を向け、可能性に注目する。そうして自他境界をしっかり持ち、相手の能力を引き出すことが大切。

楽しくなりてえぜ!と7統合する。理想をわかってもらえないときに4分裂する。

→統合するしかねえ!!!と1の相互たちがツイートしていたので、楽しくなるしかないと思うみたいな感じなのかなと解釈していたが、どうやらこの檻から気合を入れて出るぞの方が近そう?自分の感情と向き合い(4)楽しんでもいいと思うことにより統合(7)だと思ったんだけど、どうだろうか

タイプ2(自己感覚に基づく自己解釈)

自らをいい人だと思うことにより、自己肯定感があがり、力に満ち溢れていると感じられる。そうしてその自信を周囲に分け与える。自分が面倒を見ている人、尽くしている人の成長を喜ばしく思う。愛情を大切なものだと心で理解することにより、本当の意味で周りへ気配りすることができる。力より愛情が大切だと気づく。周りのために力を使う。

愛されていることが大切なのは、愛されていないと、エネルギーレベルが下がるから。

自分のことをめっちゃ考えたいときに4統合する。敵をぶちのめすときに8分裂する。

→一日たって気づいたことだが、タイプ2のキーワードは力ではないと思う。これ2統合8混ざってる

おじさんがエネルギーレベルはガッツだと言っていた。

タイプ3(自己感覚に基づく自己解釈)

自分が頑張ったことで認められたら嬉しいので、自慢しまくる。努力した自分、達成できた自分を褒め称える。そうして自己肯定感があがり、自分に自信を持てたとき、6統合する。自分の能力をもって仲間に尽くしたいと思う。仲間に貢献することで自分が満たされることを知る。

努力が実らなくて諦めたときに9分裂。

→達成したあとも優秀な自分でいるために維持しなければ、という強迫観念じみた思いがある。この思いに突き動かされているから、達成することだけに目が向いてしまい、自分の気持ち諸々が置き去りになってしまう。

おじさんに自慢の仕方がガッツだと言われた。ほぼ無意識の感覚で書いた文だった。

タイプ4

個性=存在。俺を見ろ。土俵はバトル、遊戯王デュエルモンスターズ

舞えると思ったときに1統合、人に見えもらえないとき2分裂

以前土俵の解釈がおかしいと9の相互から指摘された。バトルではないらしいが、おじさんと私は土俵でバトル!相撲!だと思っていた。ハートセンターが遠いからなのか、4の感覚が一番わからない。2は統合先であるため、感覚としてはある程度理解できるところはある。

私が4を解釈すると、個性=自分の存在になってしまう。


以下は新しく書いたものなので、その自認の方は存分に訂正してください。指摘として書き足します。

タイプ5(自己感覚に基づく自己解釈)

この世界で生き残れるかどうかという不安があり、知識を頼りにすることを選んだ。その知識は外の世界に基づく基準ではなく、自分独自のものである(海洋学に興味を持ったから、その分野を極めて生きていくことにしたのように)。→それが専門化と言われているのではないか。その分野で自信を持てているときに8へ統合し、積極的に行動を起こすようになる。知識を提供することにより誰かの役に立ったり、助けになったりしようとする。知識に基づく自信がある状態。8の通常状態のように(ワンチャンこれ不健全8なので、知識関係なしに力を過度に強調する5は6である可能性がある)力や強さを誇示したりはしない。

タイプ6(自己感覚に基づく自己解釈)

権威に従順=時には周りに合わせることを知ったから。周りのことを考え、行動することができる。主観的になりすぎるのは危険なので、客観視することを好む。多角的に物事を捉えることにより、安全を得られる。安全を得られたと思ったら、統合する(?)

タイプ7(自己感覚に基づく自己解釈)

不安(痛み)から目をそらすために、興味のそそられるものを探すことにした。今夢中になっていることAがあるとして、Aを楽しんでる最中でも目に入ったBの方が面白いと思えば、そちらに目移りしてしまう。あれもこれもと欲する。本当に欲しているものは何か考え、真に理解することにより統合する。

8については、性格のタイプを引用しつつ2統合の感覚を書こうと思う。

健全なタイプ8がタイプ2に動くと、彼らは他者に対立するのではなく、他者と一体になる。他者も自分たちに似ていないわけではなく、したがって、同じ権利と恩恵に値することを理解する。統合に向かうタイプ8は思いやりと共感を持つ。

性格のタイプより

他者と一体化し、その人の権利を自分のものとして主張する。力に囚われることにより自分も周りも傷つけると学び、それよりもっと大切なこと(力の使い方を考え、周りに分け与えること)があるはずだと気づく。2のラインがあるため、一人で統合することは難しい。誰かに心底強く入れ込んだとき、感情移入してしまったとき、心から大切にしたいと思ったときなどに2の性質があらわれる。ハートセンターが遠いから、はじめはそういった自分自身の気持ちに気づきにくいところはあるかもしれない。

最も偉大で気高いタイプ8は、タイプ2での愛のさらに高度な教えを学び、最終的には自分自身を人々に奉仕する者と見なす。

性格のタイプより

ハートセンターが正常に機能することにより、隣のヘッドセンターも正しく使えるようになる。

w7(もしくはセクシャル。両方の場合もある)の場合は特に顕著だが、タイプ8はこれまでにあれもこれもと欲しがり、強烈な刺激や地位や権力といったものを求めてきた。だが、それだけでは結局満たされることはなかった。

自分がこれまでに得てきたものを、周囲に分け与えることにより満たされると8は知る。そして、自分が真に欲しかったものは愛情だったことを思い出す。情に溢れた温かなやりとりを求めていたのだと。愛情について理解が深まった8は、与える側に回る。自分と関わった人間に責任を持ち、可能性を引き出し、育てようとする。相手の成長を嬉しく思う。何かあれば庇おうとする(それが自分の責任だと考えている)。そうしてタイプ2のいい面が目立つようになり、統合する。

タイプ9(自己感覚に基づく自己解釈)

自己主張により空気を壊してしまうかもしれないから、そうしてはいけないことを学んだ。主張すると周りの人に嫌な思いをさせるので、結果繋がりが失われる。それなら初めから何も言わない方がいい。その状態を快適だと思い込む。

思い込みから抜け出し、主張してもいいと思えたとき、3に統合する。


書いていて気づいたことだが、どのタイプもキーは自分の気持ちと向き合いましょうだったりするのかもしれない。

真にそのタイプであれば、自己感覚を参照しながら説明ができるはずだ(どこをどう書けばいいかがわかる。なぜその具体例や言葉が使われているかなどを主観的に、しかし説得力をもった説明をすることができる)。

8を書いているとき以外は苦しむどころかむしろいきいきしていた。8の感覚を書いているときは、やはり少し苦しい。

本当の自認に出会えたら、エニアに対する解像度が一気に上がり、他タイプに対する解像度も上がると相互が言っていたが、その感覚は私にもある。恐れ、根源、囚われとは何かを、自認を通して(肌と心臓を通して)理解できているからだと思う。



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