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『 無償の愛って何だろう(前)』~見返りを求めず あふれるもの~

今回は「無償の愛」について、以前FBに投稿した記事を元に再考察していこうと思います。
もちろん「愛」の捉え方はまさに人それぞれなので、今回も十人十色、百人百色の一つとしてお付き合いください。
(※画像はフリー素材などからお借りし、加工しています)




【 無償の愛 と 有償の愛 】

愛には「無償の愛」と「そうでないもの」があります。

無償の愛とは、見返りがなくても満足なものです。
つまり奉仕(見返りを求めず他の人や社会のために尽くすこと=ボランティア)ですね。
(※本来の奉仕に強制の意味はありません)


反対に有償の愛もあります。

それは愛に見返りを求めるということ。
つまり、物々交換です。

しかし、愛も見返りも価値観は人それぞれなので、人によっては等価交換だと感じないかもしれません。



〔 見返りを求めない? 〕

「見返りを求めない」というのは、案外難しいものです。

喩えば、ボランティア活動に精を出しているようでも「奉仕活動で名を揚げたい」とか思ってたら、それって広告代ですよね。

みんなの意識に働きかけ、知名度も上がるなら
これも Win-Win?
でも「ゴミ拾い」があたりまえの世になったら、、、


まぁそこまで極端なのはともかく、心のどこかで「これやるから○○を叶えてほしい」なんて思ってれば、グレーゾーンなのかもしれません。


心の在り方」とは目に見えないモノ。

全体の喜びにつながるよう、どこまでを良しとするかも含めて、己で「心の隙間をサニワする」のは容易ではないのです。


だからといって「私欲を完全に無くすべき」という話でもありません。

自己犠牲を前提に分け与える愛は、自己満足です。
それで相手は喜べるでしょうか?

きっと、己が満たされていて、さらに自然に溢れ出たものでないと相手も気が引けますよね。

「無償」に相応しいのは、そういったものだと思うのです。




【 無限に沸くお湯のように 】

「愛」って難しいので、今回は「愛=お湯」と喩えてみます。


では、、、
「愛」とはやかんに入ってるようなお湯です(笑)

ぬるま湯も熱湯も、それぞれに役割があります。


お湯を沸かすための熱源(エネルギー)は、喜びの感情で、誰かにもらった言葉とか、癒し、日常のどこからでも得られます。



〔 熱源が他人任せの場合 〕

まずはお湯の熱源を、「見返り」として他に求める場合を考えてみます。

誰かにお湯を注いで「ありがとう」が返ってくれば、また湯が沸くし、しばらくは保温もできます。

でも、沸いてない時に誰かに分ければお湯は減るし、相手から冷水が返ってくれば温度が下がってしまいます。


相手から「予想以上の感謝」が返ってる時はどんどんお湯が出るのでまるで「愛溢れる人」のようですが、湯の量=感情が不安定でもあります。


こういう人は、良いことしたつもりが感謝されなかったり、反発くらって急に心が冷え込むこともありますが、それは相手のせいではなく、己の善意の根底にあるのが利己欲」「自己満足だからかもしれません。

善意の押し付けは、断りにくいし結構キツイ


自分ばかりで相手を見てないから、その時々の己の感情に振り回され、注ぐお湯の温度も量も適当でバラバラ。

だから、相手から「カップラーメンにぬるま湯?」とか「お風呂に熱湯はやめろ!」なんて文句言われても仕方ありませんよね。



〔 熱源が内にある場合 〕

では、無償の愛だとどうでしょうか。

自然に誰かのために動いている人にとっては、
「誰かにあげられる、受け取ってもらえること自体が喜び」なので

◆ 誰かにあげただけでも嬉しくて、すぐお湯が沸いちゃう (*´꒳`*)
◆ 周囲の思いに左右されず、いつでもお湯はぽっかぽか。
◆ そこに相手の笑顔が見れたらもう最高!
となるのです。


そして「どうすれば相手がもっと喜びを感じられるか」と、ちゃんと相手を見ているので、いつでも適切なお湯を注げるし、「ありがとう」も戻ってきやすい。

元々ほっといてもお湯が沸くのに、感謝され、ますます嬉しくて大火力、いくらでも沸いちゃいますね~。


この良い循環が続く内に、やかんがドラム缶になり、いつかは銭湯が経営できそうなほどの「愛の人」になったりするのかもしれませんね。



〔 無償の愛は増え続ける 〕

愛のエネルギーは循環しながら成長し続けます。
お互いに高めあえるから、ますます喜びが増えるのです。

「ありがとう」の循環はお互いを温め、増えてゆく

自己中心的であれば人は離れていくし、「タダだから」と物を溜め込んでも、利己欲は分かち合えず寂しくなっていきます。

どちらも類友であり、きっと己の映し鏡なのですね。


【大日月地神示 前巻】『む』の巻 より
 『愛されたいから愛するのではならんのう。
  愛するにも色々あるのじゃぞ。』

 『見返り求める商売上手な人民、
  まだまだ多いのう。』

 『愛されたいと思うがゆえ、苦しむのじゃ。
  愛したいと思うがゆえ、嬉しくなるのじゃ。
  無償で愛する人、そうなれたら神人ぞ。』


いつか僕も、無償で愛を与えられる人になれたらいいなぁ (#^.^#)


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今回はここまでです。

次回は、無償の愛が広まればお金のいらない世界になる、といった風に、この続きをもう少し考えてみようと思います。

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