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うふふなミカンに向かう道~その1~

私は農家のむすめとして生まれたけど、日常的に農作業をしてきたわけじゃありません。たぶん農家あるあるだと思うけど、家の手伝いより勉強しなさい、って感じだったし、それが当たり前だと思ってた。

大学に進学させてもらって、東京で働いて、千葉で結婚して。静岡に帰るなんて、まさかミカンに関わるなんて、つい数年前まではちっとも考えてなかったんです。

兼業農家だった我が家。小さい会社ながらも経営者である父の年収と比較してミカンでの収入は少ない(割に合わない)こと、農業だけで食べていけないことは、何となく子ども心に理解していて。少なくとも私にとって、農業は夢がある職業じゃなかった。

今思うとそれはとても寒々しい事態だと思うけど、私がこの活動を始めてから、地元で会う人にはとても驚かれるし、畑をやめる人も多い中で、零細農家にとってあまり状況は変わっていないのかも知れないな。

畑は大変。畑は儲からない。
そうかも。

でもねー。
という確信がある。

大学卒業後、東京での社会人生活は私なりに充実してたんですよ。女性総合職がまだ珍しかった業界、会社に就職してたくさんビジネスチャンスをもらったし、お給料も十分すぎるほどもらって。いわゆるキャリアウーマン(懐かしい響き)って感じかな。

でもね、何に追われていたんだろう。今思うと不思議なくらい。無意識のうちに24時間ずーっと肩に力が入っていて背伸びして、歯をくいしばって、会社が世の中の中心だと思って生きてたのね。自分の人生をすり減らして、お金で時間を買う生活。仕事と生活をこなすだけの毎日。こころがね、休めなかった。

やっぱりこれが十数年続くとね、ほころびが出て。ついにこころが風邪を引いてしまったんです。疲れたな、つらいな。こんな生活なんでしてるんだっけ?あれれ?涙が止まらないぞ… みたいな、ね。こころの痛みに蓋をし続けていたから、ついにからだにも出てしまって。もう、どうしていいか、分からなかった。

そんな中、たまーに帰る実家で畑を手伝うと、家族との何気ない会話、清々しい空氣、土のにおい。ずっと深呼吸していたくなる心地よさ。ただひたすらに鳥の声を聞きながら土や植物と向き合う時間。

そんなお金や数字にカウントできないことやもの、氣がつけばすべてが愛おしくて。私を育ててくれた暮らしには、こんなに豊かさが溢れていた。こころが弱ってひりひりしていたことで、やっとやっとそのことに氣がつくことができたんです。20年かかったけど笑。

もちろんね、農を「業」として経済的に成立させるには、そんなあまっちょろいこと言ってるわけにはいかないって声も聞こえるし、自然のど真ん中で暮らすには共同体が不可欠で。それを維持するための役割とか密な人間関係も大事。これがなかなかややこしかったりするんだけど、今の私にとっては暮らしていく上での大きな安心感に繋がっている。

あ、今はおかげさまで心身ともに元氣ですよ。でもね、振り返ると、このとき感じた「こころが豊かな暮らし方へのあこがれ」は大切な氣づきだったと思います。

ここから人との出会いや経験を経て、この思いが揺らぎない確信に変わっていくわけですが、この話はまた今度。

馬車馬のように働いたことも、こころが風邪を引いたことも、私にはかけがえのない経験。農家のむすめであることに誇りを感じられるようになった自分に「いいね」って思います。

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