見出し画像

土地の歴史

屋号(やごう)

こんにちは。うふふなミカンの平原由樹です。うちのあたりはいまだに「屋号」が生きています。苗字ではなくて「かごや」「茶碗や」「油や」「米や」「庄屋」など屋号で呼び合うんです。

 ちなみにうちは「たんぼのうち」。昔同じ部落(「地区」ってしっくりこなくて。田舎あるあるじゃないかな笑)内で引っ越してきたときに、田んぼの上に家を建てたから「たんぼのうち」。いたってシンプル。

 同じ苗字も多いし、みんな下の名前で呼び合うような小さな部落だから私は「たんぼのうちのゆきちゃん」。40歳を過ぎてもそんな感じ。

 その引越前に住んでいた場所はミカン畑になっていて「元屋敷(もとやしき)」って呼ばれています。(写真はその畑からの景色。このあたりでは貴重な富士山ビュー。)

古いお墓 

そしてこの畑の近くには小さなお墓が並んでいます。もちろんお寺にお墓はあるのだけど、それは明治以降のご先祖様で、お寺より以前のお墓はこちらにあります。

 、なんてことを知ったのは恥ずかしながら、うふふなミカンを始めてからのこと。それまでお寺のお墓に誰が入っているかなんて、ましてそれより前にだれかがいたなんて想像したことありませんでした。というか興味がなかったのです。

 でも私の二つ目のファミリー、風と土の自然学校で自然農や手を動かす暮らし方を学ぶようになって、いかに私が育った環境が豊かで合理的であったかを理解するようになり目からうろこが落ちる思いでした。このお墓の存在を知ったのもこのころです。

万全なセーフティーネット 

いなか特有の閉塞感が嫌いで都会(笑)に憧れていた私は、大学進学を理由に実家を離れ都会生活を大いに満喫したけれど、氣がつけばお金で時間を買う生活に心もからだも疲弊しきった経験があります。

 東日本大震災で都市インフラの脆弱さを思い知らされ、となり近所の顔も知らず助け合えないことへのもどかしさを感じ、便利さの代償について思うことが多くなったところへたまたま風と土の自然学校を知りました。

 おてんとうさまに見守られながら土地を耕やし季節のものをいただく。畑は住まいから徒歩圏内、保存食や調味料はそれぞれ家の味があり、山から引いてきた水はトラブルがあっても、みんな水源を知っているから汲みにいけばいい。

 何よりもみんなが顔見知りで(いろんな人がいるけれど、それでも)助け合う氣心と仕組みがある。この暮らし方には万全なセイフティーネットがあることに氣がつくのに20年もかかってしまいました。

江戸時代?!

 さてお墓の話に戻りますが、いつも掃除をしていたおばあちゃんに連れられて初めてそのお墓に行ったときのこと。

 ずらりとならぶ50cmくらいの石柱。30ほどあるなかで「ここからここまで」がうちだよ、と教わりました。今では3軒に分かれていますが昔は1軒のうちだったそうで、お墓も3軒で維持しています。

 草取りをしたり落ち葉をはきながら、何氣なく石に残る文字を読んでいると「・・・ん?享保?!」、日本史に疎い私でも聞いたことがある1700年代、そう江戸時代の年号です。

 「まーじーかー!」

興奮する私におばあちゃんはぽかんとした顔(笑)。

 少なくとも2020年を迎えようとしている令和まで余裕で300年。脈々とこの地で私のご先祖様たちが暮らしをつないできたという事実。それをさらりとやってのけている、この土地のすべてに敬服してしまったわけです。

 写真の景色はおそらく300年前と変わっていません。(富士山の形が違うかもだけど)そしてこんな話は知られていないだけで日本中きっとどこにでも転がっているはなしなんだと思います。

 これこそが日本の豊かさなんだろうなぁと思います。300年前の暮らしをしようというわけではなく、今を生きる私たちらしく、脈々と受け継がれている生きた智慧をもう一度取り戻すこと。

 遠回りに見えるかも知れないけど、実はそれが今の生活の空虚さだったり居心地の悪さを解決することにつながるんじゃないかなと、思ったりしています。

 おばあちゃんから聞いた土地の昔話は散歩しながらいつか姪っ子や甥っ子にも話をしようと思います。大人のうふふな歴史散策も楽しそうですね。そのときは皆さんにお声がけしますので、どうぞお楽しみに。

いただいたサポートは無農薬、自然栽培の勉強に充てさせていただきます。