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面白き事もなき世を面白く・・・

『面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり』

「すみなすものは心なりけり≒それを決めるのは自分の心もち次第だ」の部分は、本人が詠んだものなのかは定かではないという説もあるそうだが、一応、高杉晋作の辞世の歌といわれている。

まっ、歌詠みの名人でない限り、辞世の句や歌は事前に考えておいて、いよいよとなったら発表するものも多かったんじゃないかと思うけれど・・・。

「自分の心の持ち方次第で、この世は面白くなるんじゃないの、いや、なるでしょ!」、なんてなかなかいいじゃない。
短い人生、この世の様々なことなんて、気の持ちよう次第で「面白くない ⇒ 面白い」に変換可能ということ。

ところで、大日本帝国の陸軍軍人で満州映画協会理事長の甘粕正彦は、1945年の敗戦とともに新京で自決(服毒自殺)するわけだけれど、辞世の句は「大ばくち 身ぐるみ脱いで すってんてん」。
自分の人生と満州国の運命を重ねて詠んだ歌と言われているが、傑作だね。
大勢の人を巻き込んでの、はた迷惑じゃすまない大博打は、それでも本人にとってはさぞかし面白かったんじゃないかな。

『事実はなぜ人の意見を変えられないのか』(ターリ・シャーロット著、上原直子訳、白揚社)からの受け売りだけれど、認知心理学では、人間は「状況をコントロールしている」ことに最大の喜びを覚えるのだそうだ。「状況をコントロールする方策があり、自分は自分自身をコントロールして、その方策に沿って動いている」という実感を得られるかどうかが重要だということ。

新型コロナ禍では、マスク一つとっても実は科学者、専門家も人々を満足させるほどのエビデンスを明確に示すことができないので、人々は自分にとって都合の良い解釈にしがみつくか、盲信するか、アンコントローラブルな状況にストレスフルで面白くない思いをしているか・・・。

しかしアンコントローラブルも考え方次第では、面白い。
「人間にコントロールできる状況なんて、本当は少ない」ということをわかることも面白いと思えるかどうか。
わからないということをわかる=無知の知って哲学の原点だし・・・。

閑話休題、盟友・作家の栗原明志さんの昨日の「note」のタイトルは「面白いこと」(笑)。
もしかして私も去年、彼の出版記念パーティで会ったかもしれない、海外で頑張ってるかわいい後輩から「団塊とかね…」というコラムに「もっと面白いこと書け」・・・、という「クレーム」があったそうだ。
「団塊とかね…」
https://note.com/akashikurihara/n/ncb60e2fdb879
「クレーム」
https://note.com/akashikurihara/n/ne7f77a9f1fb7
「あ、ぶ、なっ! あぶなぁ〜いっ!!あああ、危うく面白いこと書くとこだった〜😓」(笑)で始まる「面白いこと」
https://note.com/akashikurihara/n/n0b09b1ae88e9
この一連のコラムが十分に面白い。
「クレーム」では、彼は「現代は安易さに流れる時代…だから僕が邪魔をする…末長くあなたの行く手をはばむ巌でありたい…そういうルールでしょ?…はぁ…でもね、彼女に言われたら断れないから…なんか面白い記事も書くことにしますね…ぶぇっくしゅ🤧日が暮れるとまだちょっと涼しいですね…なんか色々言って今日は書かないというね…😂」と記している(笑)。

かねがね彼とは、昨今溢れかえっている離乳食のような言説、文章は、脳が溶ける有害なゴミだと話しているので、「安易さに流れる時代」に抗する関守石。そして知の液状化に対する要石とならんとする決意は見事。

今、世の中に流れている言葉が、耳障りがよい、わかりやすい、納得しやすい、共感しやすいものか、あほな政治屋ほかの無償の饒舌ばかりになっている。
こんなものを面白がっているようでは、末法!

テレビジョンの普及に伴い『一億総白痴化』といわれて幾星霜・・・60年以上。
その『一億総白痴化』がデジタルメディアでますます重篤化し、自らの言葉で思考できない方たちが『一億総活躍社会』で活躍されるこの国の未来は、あまりに面白すぎる結果になることは、火を見るよりも明らか・・・。

さて、明日は東京でどうしてもフェイス・トゥ・フェイスで行わなくてはならない会議があるので、それが終わったら、彼と久しぶりに談論風発できることを楽しみにしている。もちろん、断密でね。

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