最後に家族に「事実」を語ったのはいつだろう。
事実を語れる環境に生まれなかった事が異常だと、最後に感じたのはいつだろう。
事実のような嘘で、「充実した日々」を演じ始めたのはいつだろう。
事実を話しても理解されないと知ったのは確実にあの頃だ。

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