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Chapter 1 ドーハ世界陸上「自分はもっと跳べる」

 陸上の走幅跳の橋岡優輝選手。昨年9月に中東ドーハで行われた世界陸上では、この種目で日本人初の8位入賞を果たしました。来年開催される東京五輪ではメダルの期待もかかる橋岡選手に、走り幅跳びの魅力、世界と戦う難しさ、そして東京五輪までの道のりを語ってもらいます。
 第一回目は、ドーハ世界陸上について。メディアでは報じられなかった橋岡選手の本音に迫ります。

 夜10時を回ったというのに、スタジアムから一歩外に出ると滝のような汗が滴り落ちる。気温は40度近い。手のひらで汗を拭いながら、結果について逡巡する。
「もっと思い切り跳べばよかった」
「集中しきれなかった」
 悔しさと後悔を胸に橋岡はスタジアムを後にした。

 昨年9月に行われたドーハ世界陸上。20歳の橋岡に今大会が初出場だったが、「最低でも6位以内。チャンスがあればメダル」と強気の目標を立てていた。
 6月の日本選手権では大会3連覇を達成。7月のユニバーシアードでも8m01で優勝したほか、8月には自己ベストを更新する8m32を出すなど、好調だった。だからこそ、あえて高い目標を設定していた。
 9月27日。大会初日の予選。
「特に緊張もなくて、ファイナル進出に向けて全力でいくしかない、と覚悟をきめていました」
 1本目は助走に硬さがあり7m64に留まったが、2本目に8m07を跳び、全体3位で予選通過した。
 技術面ではまだ修正できる部分も多く、さらに期待がかかった翌28日の決勝。
「ウォーミングアップの調子もよくて、思い切っていこうと考えていました」
 予選で8m超えの跳躍をできた安心感、左の膝裏に痛みもなく、アップでも体がよく動いた。
「決勝ではもっと行ける」
 手応えも自信もあった。
 サブトラックからスタジアムまでの地下通路を歩く間、高揚した気持ちを抑えられなかった。
「いつも通りに跳べば大丈夫だ」
 そう考えながらスタジアムに足を踏み入れた瞬間、今まで経験したことのない空気に包まれた。昨日の予選と同じ場所、同じメンバー、コーチも両親も見守ってくれている。
 でも何かが違った。
 視界に入る景色も時間の流れも、予選とは異なっていた。
 準備のためにベンチに座り、スパイクを出す。シューズを脱ぎ、スパイクに履き替えようとしても、違うことに気をとられる。ほかの選手はさっさとスパイクに履き替え、思い思いに最後の確認を行っている。
 いつもは体が自然に動くのに、今は一つずつ考えなければ体が動かない。
「完全に空気にのまれていました」
 橋岡の試技は12人中6番目。先に跳んだ選手たちは、予選とは打って変わった動きで、ポンポンと軽く8mオーバーを披露する。
 2018年のU20選手権、7月のユニバーシアードでの優勝経験から、「あわよくばメダル」と思っていた橋岡の気持ちはどんどん萎縮していった。
 1本目は7m88、2本目7m89と記録は伸びない。
 助走はスピード感がなく、空中動作も重く感じた。
 探り探り修正を加えた3本目に7m97を跳び、なんとかベスト8に食い込んだ。
 上位の選手たちは4本目以降、 ここからが勝負だ、ここからさらに記録を伸ばそうと、眼光が鋭くなり、アグレッシブな跳躍を見せる。ピリピリとした空気が張りつめる。
 しかし橋岡には彼らに挑む体力も気持ちも残っていなかった。
「9月の全日本インカレで左の膝裏を痛めた後、満足な練習ができていなかったんです。スパイクを履いて助走をしたのも予選2日前でした」
練習をすると、すぐに膝裏に痛みが出る。世界陸上に向けた最終調整は完全ではなかった。
 決勝での最初の3本で想像以上に体力を使い切ってしまっていた。
 4本目以降も果敢に挑んでいたが、助走でスピードに乗ることはできなかった。砂場に着地するたびに、「ダメだった」という表情を見せ、頭を振った。
 ベスト8に駒を進めながらも「6本跳べる力はなかったです。体力不足でした」と言うように立て直すことはできなかった。
「自分の跳躍の順番をベンチで待っているときも全然落ち着きがなかったし、全然集中できなかった。1本跳ぶたびに、今まで感じた事のない疲労感に襲われました。ほかの選手はファイナルを楽しんで、伸び伸びと跳んでいたのに・・・」
 世界のトップと戦う楽しみよりも、不安が橋岡の心身を支配していた。
「日本では不安な思いの中、思い切って跳躍することで結果を出すことができました。今回初めて世界トップを相手に戦いましたが、すごい跳躍をする選手を見て、自分の今の力以上のものを出そうとしてしまい、自分の跳躍を完全に見失ってしまいました。また、『この選手には勝てないな』などと考えてしまった自分もいました。自分から崩れてしまいました。」
 優勝したジャマイカのゲイルの記録は8m69と突出していたが、2位、3位の選手は8m39、8m34。自己ベスト8m32を超えれば、届かない数字ではなかった。
 数字よりも受け入れられなかったのは、自分の跳躍をできなかったこと、自ら不安を煽り、過度な緊張を作り上げてしまったことだった。
「何も考えられないくらい、めちゃめちゃ悔しかったです」
 初のシニアの世界大会はこうして幕を閉じた。

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