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#4『犬目線』のショートストーリー

※『犬の気持ちになって、その犬が体験した1日をショートストーリーにしてください』というお題で書いた作品です。

 ボクは柴犬のフク。
 幸福の福から取ったんだって。
 大きな家で、おばあちゃんと一緒に暮らしてるんだ。
 おじいちゃんは病気で死んじゃった。
 だから今は、老人一人、犬一匹の生活。それはそれで楽しいけどね。
 おばあちゃんは今、ボクと散歩するのが一番の生きがいらしい。
 毎朝、土手の道を散歩していると、色んな人がボクたちに声をかけてくれる。
 おばあちゃんは世間話をするのが好きみたい。
 ボクも名前を呼ばれたら、ワン!と吠えて尻尾をフリフリさせる。
 可愛いですね、と言われると、おばあちゃんはニコニコ笑顔になる。
 それを見て、ボクも最高のキブンになる。
 ボクは今、とっても幸せ。
 この家の犬になれて、本当に良かったと思う。

「おや? あの子たち……」
 おばあちゃんが急に立ち止まった。ボクはおばあちゃんが見ている方へ視線を向けた。
 河川敷で数人の男の子たちが、一人の小柄な男の子を取り押さえている。
 逃げ場のない小柄な男の子は、背中を押されて、川へと落ちた。服を着たまま、びしょ濡れで倒れ込む。
 それを見ている男の子たちが、指をさして笑っている。
 おばあちゃんが、眉を吊り上げ、大きな声で叫んだ。
「あんたたち、なんてことしてるの!」
 おばあちゃんがリードを強く引き、小走りで河川敷の階段を下りていく。
 男の子たちが次々と、ヤバイ!逃げろ!と慌てて走り去る。
 取り残された小柄な男の子が、濡れたまま、ふらふらと立ち上がった。
「あんた、大丈夫かい?」
 おばあちゃんが小柄な男の子の両肩を掴んだ。
 ボクは男の子の匂いを嗅ぎ、身体をすり寄せ、クゥンと鳴いた。
「だ、大丈夫です……」
 小柄な男の子は、か細い声で返事をした。
「服汚したんでしょう。お家に帰りなさい」
 小柄な男の子は首を振り、下を向く。
「いえ、服が乾くまでここに居ます」
「何言ってるんだい。風邪引くじゃないか」
「自分で洗濯出来ないし、着れる服、これしかないから」
 よく見ると、男の子の髪はボサボサ、服もヨレヨレで、伸びきっている。
「何があったんだい?」
「臭いし、汚いから川で洗えよって、クラスの子たちに無理やり押されて……」
 男の子は、しゃがんで背中を丸めた。
 おばあちゃんは溜息をつき、男の子を見つめる。
「うちにおいで」
「で、でも……」
「ここに居たって良いことなんかありゃしないよ。ほら、おいで」
 おばあちゃんが、男の子に手を差し伸べる。
「迷惑だし……」
「なーんも、迷惑じゃないよ。子どもなんだから甘えていいんだ。いいから、来なって」
 おばあちゃんが男の子の腕を引いて、立ち上がらせる。
「あんた、名前は?」
「高橋咲也です」
「じゃあサクヤって呼ぶよ」
「はい」
 サクヤ君がトボトボと歩き出す。どうにも浮かない顔だ。
 大丈夫、心配しないで――そう思いながら、ボクはサクヤ君の隣に並んで、ワン!と吠えた。

「あの……ありがとうございます」
 シャワーを浴びて、居間へとやってきたサクヤくんが、おばあちゃんに頭を下げた。
 着替えた服もサイズがピッタリで、とてもよく似合っている。
「うんうん、カッコいいねぇ」
「どうしたんですか、この服……」
「孫の服さ。あげるよ」
「えっ、いいですよ、そんな……」
「もう着ない服だから、貰っておくれ」
「あ、はい。そういうことなら……」
 サクヤ君が、その場へ座り込んで、物珍しそうに辺りを見回す。
 おじいちゃんのコレクションの鳥の剥製とか、掛け軸が気になるみたい。
 ボクも最初はびっくりしたから、気持ちは分かるよ。
「仏壇のお菓子、食べるかい?」
 そう言って、おばあちゃんは受け皿いっぱいにお菓子を入れ、テーブルに置いた。
「はい!」
 サクヤくんは目を輝かせて、口いっぱいにお菓子を詰め込んだ。
「おいしい……ゴホッゴホッ」
 喉に詰まらせたので、麦茶をガブガブと飲む。
「ふふっ、そんな急がなくても、全部あんたのだから、ゆっくり食べな」
 おばあちゃんが、サクヤ君を微笑ましく見ている。
「あの……どうして、僕に優しくしてくれるんですか?」
 サクヤくんは、拳をギュッと握りしめて、真剣な顔でおばあちゃんを見た。
「さっきのサクヤが、フクと同じ瞳をしていたからさ」
「フクって?」
「うちの犬の名前さ」
「あぁ、なるほど」
 ボクはサクヤくんの傍でゴロンと寝転んだ。
「その子はね、雨の日に河川敷で拾ったんだ」
「野良犬だったんだね、キミ」
 サクヤくんはボクの背中をそっと撫でた。
「かなり弱ってたよ。自分は独りぼっちで、どこにも居場所が無いって顔してさ……」
「そうなんだ……」
 まるで自分みたいだ――そんな表情をしている。
「まぁ、そんなフクも、今ではこの通り」
 ボクはワン!と吠えて、尻尾をフリフリさせた。
おばあちゃんは口角を上げてニヤリと笑う。
 サクヤ君はそれを見て、クスっと笑った。
「サクヤ、あんたも独りじゃないんだよ」
 おばあちゃんがサクヤ君の肩をポンと叩いた。
「はい」
 サクヤ君は照れ笑いを浮かべている。
「よし、身体も綺麗にしたし、次は髪を切ろうか」
 おばあちゃんが、ハサミを取り出して、チョキンと音を鳴らす。
「いえ、そこまでしてもらわなくても……」
「ふん、あたしの腕を舐めてもらっちゃ困るね」
「あはは……」
「ほらほら、外に出て」
 サクヤ君は苦笑いをしながら、縁側から庭へと出た。

 おばあちゃんが庭でサクヤ君の髪を切っている。
 ボクは縁側に寝転びながら、その光景をただぼんやりと眺めている。
「あんたの親、どうしているんだい?」
「お母さん、仕事が忙しいみたいで、あまり家に居なくて……」
「だからあんた、こんなことになってるのかい」
「はい……」
 チョキチョキと髪を切る音だけが響く。
「いいんです、僕が我慢すればいいだけですから」
 おばあちゃんの手がピタリと止まった。いつもより低めの声で呟く。
「それは、違うよ」
「えっ……」
「あんたは幸せになっていいんだ」
「おばあちゃん……」
「今からでもいい、変えてごらん。目の前のこと。これからのこと。分かったかい?」
「はい……」
「声が小さいよ」
「はい!」
 サクヤ君が今までで一番大きい声で返事をした。
「はい、終わったよ」
 手鏡を見たサクヤ君が、目を見開いて驚いている。
 それはそう。おばあちゃんのヘアカットはピカイチだもん。
 切ってもらって良かったね、サクヤくん。
 
 夕暮れ時。
 居間でまったりしていると、ふと、インターホンが鳴った。
 ボクは両耳をピクピクと動かして、ワン!と吠えた。
 うたた寝をしていたサクヤ君が、むくりと起き上がる。
 台所で夕飯の支度をしていたおばあちゃんが、手を止めて、玄関へと向かった。
「あの……高橋咲也の母ですが」
 若い女の人の声。
「あぁ、お母さんね。ちょっと待ってて」
 おばあちゃんが、大声で叫ぶ。
「サクヤ~、お母さん、迎えに来たよ」
 サクヤ君が勢いよく立ち上がった。
「お母さんだ!」
 サクヤ君の声が、弾んでいる。
ボクは、サクヤ君と一緒に玄関へと向かった。

 玄関先に立っているのは、しかめ顔のお母さん。何だかソワソワしていて、落ち着きがない。
 サクヤ君は、少しずつお母さんに歩み寄り、そっと顔を上げた。
「あのね、お母さ……」
 パチン、と頬を叩く音が鳴り響く。
「あんたのせいで、恥かいたじゃない!」
 尻もちをつくサクヤ君。
 違う、そうじゃないよ――ボクはお母さんに向かって、ワン!と吠えた。
 おばあちゃんが、咄嗟にサクヤ君を抱きしめる。
 サクヤ君は、ガタガタと震え、怯えている。
「わざわざ部長に謝って、時間作って迎えに来てやったの! お母さんに迷惑かけないでよ!」
 鬼の形相でサクヤ君を睨む。
「子どもに当たるのはよしなさい」
 おばあちゃんが真顔で、お母さんを窘めた。
「なんなんですか。こっちは命がけで働いてるんです」
「ふん。子どもを不幸にさせてまで、やることかね」
 お母さんの顔が、途端に引きつる。
「なによ、なんなのよ。全部私が悪いみたいに。もう嫌。もう疲れた……」
 お母さんはその場でぺたんと座り込み、泣き崩れた。
「養育費はまともに貰えないし、会社は休みくれないし、生活費や学費のことだって……」
 お母さんは肩を震わせている。
「馬鹿だね、あんた……一人で背負う必要ないのに」
「ううっ……」
 おばあちゃんは、泣いているお母さんの背中を優しく撫でた。
「ちゃんと食べて寝て、休みなさい。これからのこと考えるのは、その後でいいから」
「ぐすっ……」
 お母さんが、涙目でおばあちゃんを見る。
 ボクは、ゆっくりとお母さんに近づいて、クゥンと鳴いた。頬に零れ落ちる涙をペロペロと舐める。
「慰めてくれるの……?」
 お母さんが、優しくボクの頭を撫でた。
 今なら、お互いに本当の気持ちが言えるはず――ボクはワン!と吠えた。
「あのね、お母さん」
 サクヤ君は、お母さんの手をギュッと握った。
「洗濯の仕方教えてよ。ご飯の作り方も覚えるからさ」
「サクヤ……」
「もう一人で苦しまないで」
「ごめん、サクヤ。ごめんね……」
 お母さんは、サクヤ君を強く抱きしめた。
「大好きだよ、お母さん」
 サクヤ君がお母さんの耳元で囁く。
 良かったね――ボクは舌を出して、目を細めた。
「さぁ、ご飯の時間だよ。手伝っておくれ」
 おばあちゃんが気を利かせたようにポツリと呟く――母と子は声を揃えて、はい、と返事をした。

「今日は、本当にありがとうございました」
 玄関先で、親子が深々と頭を下げる。
「ふぅ~、お腹いっぱい」
 サクヤ君がお腹をポンポンと叩いている。
「また遊びにおいで」
「いいんですか……?」
 お母さんが、おばあちゃんの顔を不安げに見つめる。
「老いぼれはね、話し相手が欲しいんだよ」
 おばあちゃんが口角を上げてニヤリと笑う。
「はい! ではまた今度……」
「フク、バイバイ。またね」
 おばあちゃんが、手を振って、親子を見送った。
「さて……片づけるとするかね」
 玄関の戸が閉まり、ボクらはそそくさとその場を後にする。
「楽しい一日だったねぇ、フク」
 たまにはこういう日も良いね――老人一人と犬一匹は、目を細めて笑い合った。
 こうして、少し変わった一日が終わりを迎えた。

      
                  終

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